酉の市の季節

「正しい街」という歌がある。椎名林檎のファースト・アルバムの一曲目に収録されている歌だ。僕はその歌が好きで、東京に出てきたばかりの頃はよく聴いていた気がする。特に「都会では冬の匂いも正しくない」に頷きながら。

 上京して十年も経つと、都会にも冬の匂いがあるということがわかってくる。そして季節を感じさせてくれる催事もいくつもある。その一つが酉の市だ。

 酉の市は開運招福・商売繁盛を願うお祭りで、熊手を売る市が立ち、様々な露天が並ぶ。僕の地元では「えびす講」というお祭りがあったがこれに近いものだろう。千束にある鷲神社、府中にある大國魂神社、そして新宿・花園神社で行われるのが関東三大酉の市と呼ばれているそうだ。

 僕は毎年、新宿・花園神社の酉の市に出かけている。今年は十一月三日が「一の酉」、十五日が「二の酉」、二十七日が「三の酉」だ。年によっては二の酉までの場合もあるが、一の酉、二の酉、三の酉と重ねていくうちに、外の風が冷たくなって冬が近づいてくるのが感じられる。

 今年は二の酉に出かけた。アパートを出て、明治通りを北上していく。早稲田口を過ぎたあたりの歩道には橙色の囲いが等間隔で並んでいる。調査の結果、ここに植えられていた街路樹は幹の内側が空洞化していたため(キノコの繁殖が原因だという)、安全確保のために伐採したと貼紙がある。囲いの中をのぞいてみると太い切り株がこちらを見ている。ここにあったのは百合の木だったそうだ。何度となく通ったはずなのに、それがどんな樹だったか、ちっとも思い出せない。

 明治通りは僕が上京した頃からずっと工事をしている気がする。何の工事をやっているのかわからない。祭りの影響なのか、やけに警官とすれ違う。職安通りを過ぎると、行き交う人の数が増えてくる。買ったばかりの熊手を抱え、ホクホク顔で歩く人もいる。

 花園神社の前に出ると、数多の提灯と巨大な熊手が出迎えてくれる。「花園神社 酉の市執行」と看板が出ている。明治通り沿いにある緑色に塗装されたガードポールには、腰掛けている人がたくさん。誰かを待っている人もいれば、屋台で買った焼きそばを食べている人もいる。その中に知人の姿もあった。ここで待ち合わせをしていたのだ。この三年間、僕は毎年知人と酉の市にきているが、その最初の年は本当にただの知人だった。

 境内に入ってみる。金曜日ということもあって混雑しているかと思ったが、もう二十三時を過ぎているせいか落ち着いた雰囲気だ。まずは屋台を眺めて歩く。広島風お好み焼。おおばんやき。ベビーカステラ。甘酒。いかやき。わたあめ。あゆの塩焼き。チョコバナナ。耳かきのようなサイズの熊手も売っている。先に稲穂が付いて千円。「人生相談」と書かれた誕生日占い。「厄除け」と銘打った白南天の箸。開運カレンダー。魔除け、厄除け、災難除けの獅子頭。開運の福ダルマ。縁起物を売っている屋台のほうがじとっとしていてひと気がないように見える。

 熊手を売る露店はその例外だ。天井にかけられているブルーシートの青、壁を埋め尽くすように掛けられている豪華な熊手が提灯の煌々とした灯りに照らされてキラキラ輝いている。時々、どこかで拍子木の音と威勢のいいかけ声が起こる。熊手を買うと商売繁盛を願って手締めをやってくれるのだ。一度くらい買ってみたいけれど、「熊手は年々大きいものにしていかなければならない」とも聞くので尻込みしてしまう。第一、値段を書いて売っているものでもないので、相場がいくらなのかもわからない。

 一通り歩いたところで神社にお参りをする。時間によっては長蛇の列ができるが、今日はすぐにお参りできた。自分のお賽銭を投げる前に様子をうかがうと、その多くは小銭で、千円札をチラホラ見かける程度。僕は十円玉しか小銭がなかったのでそれを投げ入れてお願い事をする。十円程度で何を願えばいいのかもわからないし、そもそも思い浮かぶこともないので「いろいろうまくいきますように」とだけお祈りした。知人も、僕と同じく十円玉を投げ入れたのだけど、熱心に何か願っているようだった。何をお願いしたのか、あとになって訊ねてみると「儲かりますように、儲かりますように、儲かりますように」とひたすらお願いしていたという。商売繁盛を願うお祭りなのだから、知人のほうが真っ当である。

 お参りが済んだところで屋台に入ってお酒を飲むことにした。

 椅子に座ってお酒が飲める屋台がいくつか出ているのだが、どこも賑わっていて腰を落ち着かせるまでしばらく時間がかかった。カウンターに座ると、僕はビールを、知人は熱燗を注文した。酉の市では、知人はいつも熱燗を飲んでいる。屋台で飲むときだけでなく、境内をふらつきながら飲むときだって熱燗を飲んでいる。

「レンチン」という言葉がある。レンジでチンするという、ただそれだけの言葉だけど、その言葉を最初に聞いたのは知人からだった。

 あれは今から三年前のこと。まだ知り合ったばかりの知人と僕は花園神社で待ち合わせて酉の市に出かけた。待ち合わせたのは相当深い時間で、屋台はもう店仕舞いを始めていた。それならばと靖国通り沿いのコンビニで酒を買って飲むことにしたのだが、知人は月桂冠カップ酒を手に取り、「熱燗にしてもらう」と言った。コンビニでどうやって熱燗にしてもらうのだろう。おでんの器にでも入れて温めてもらうのだろうか?――キョトンとしている僕に、「ワンカップも、お願いすればレンチンしてくれるよ」と知人は教えてくれた。少し疑りながらもオオゼキのワンカップをカウンターに差し出し、「温めてもらえますか」と伝えると、店員は慣れた手つきで蓋を外し、適温にチンしてくれた。

 今年屋台で飲んだのは、月桂冠でもオオゼキでもなく、白鹿の鹿カップだ。カウンターには塩が盛られた升。知人はそれを不思議そうに眺めている。

「この塩、何の意味があるのかな」
「通ぶった人が、塩を肴に酒を飲むとか言うじゃん。そういう人のために置いてあるんじゃない?」
「そうなんだ。悪い客が寄り付かないように置いてあるのかと思った。それか、嫌な客がきたときに撒くのかと」

 喉を潤しホッとしたところで、周りを見渡してみる。若者も多くいる。K-POPのミュージシャンのような格好をした人をよく見かける。女性だと真っ赤な口紅を引いている人が多く、男性だとサイドを刈り上げにした人を多く見かける。それが今の流行りなのだろうか。若者に比べて、そのスジの人たちの装いはブレない。

 周りを観察しているうちに、注文していた寒鯖の一夜干しが運ばれてきた。驚いたのはその器。外見は陶器の皿なのだが、触ってみるとそれがプラ容器だとわかる。よく見ると最初に運ばれてきたお通しの小皿も、陶器のような見た目なのに触ってみるとプラ容器だ。色々な工夫があるのだなあと感心する。

 ひとしきり飲んだあと、見世物小屋に入ることにした。

 花園神社の酉の市では、いつも鳥居の近くに見世物小屋が出ている。たしか初めて酉の市に出かけたときに一度だけ入ったことがあるけれど、どんなだったか、もう忘れてしまった。つい先日、オードリーの春日が花園神社の酉の市を訪れたらしく、そこで入った見世物小屋を“残念”な場所として紹介していた。呼び込みの声を聞いてそのことを思い出し、久しぶりに入ってみることに決めたのだ。

 入口には「本日のラインナップ」が書かれている。ジャングルウーマン アマゾネスピョン子。メコン川流域の首狩族。逃げ遅れた病気老人。特別ゲスト・串を刺した中国人。巨大な寄生虫を体に飼う男。へび女――そうそう、見世物小屋と言えばへび女だ。少しずつ思い出してきた。入場料は大人八百円、小人五百円、幼児三百円で後払い制。入口には「無料ではありません」と注意書きもある。

 中に入ってみると、メコン川流域の首狩族のショーが始まるところだ。小屋の中は大賑わい。傾斜のついた客席があり、少しずつ出口のほうへ移動しながら観ていく。チューハイの缶を持ったお客さんもたくさんいる。僕もお酒を持ち込めばよかったと少し後悔した。最前列にいるお客さんは、粘って何週も観ているのか、歌舞伎の大向こうのように声を掛けている。進行役の男性はダミ声でがなりながら客を捌き、紙パックのコーヒー牛乳(「おいしいコーヒーと書かれた一リットルの紙パック)を飲んでいる。

 ショーの内容は、春日が語っていたように少し“残念”で「あらびき団」を思い出すような内容だった。前に観たときもこんなだったかなあ。そう思い始めていたところに、いよいよへび女が登場した。頬に蛇のような鱗をつけた女性は、クネクネと動き、うねうね動く芋虫をそのまま食べていた。

 見せ物が一周したところで外へ出た。知人は「前に見たへび女はあんなじゃなかった」と口にしている。

「学生のときに見たへび女はもっとおばあちゃんがやってて、芋虫じゃなくて蛇を食ってたんだよ。遅い時間だったから、もう化粧が崩れててすごかった。呼び込みもガラガラ声のおばちゃんがやってて、呼び込みながら蛇を触らせてくれてさ。『触ったら金持ちになるよ』って。何て言うか……もっと全体的に禍々しい雰囲気だったんだよ」

 僕が見たへび女は若い女性だったけれど、その人も蛇を食べていた覚えがある。それに、南池袋「古書往来座」にはへび女のサインがこっそり飾られていて、そこには「へびうまい」と書かれていた覚えもある。おかしいなあ。値段のぶんは十分楽しませてもらったけれど、どうも記憶にある見世物小屋と微妙に違っている。知人と二人で首を傾げながら改めて看板を見ると、そこには大きく「ゴキブリコンビナート」と劇団の名前が書かれていた。

 蛇を食べていたあの人は一体どこに行ったのだろう――そんなことを思い浮かべながら、花園神社を後にした。