1月1日から1月15日まで

01月01日(水)


 7時過ぎに起きる。インスタグラムには初日の出の写真がいくつか並んでいる。カーテンを開けてみると、このあたりはまだこれから日の出といったところ。やはり西のほうは日の出が遅いのだな――そう思ったことに気づいておかしくなる。「西のほうは」も何も、ここが僕の生まれ育った場所だというのに。実家のすぐ近くにある高台まで歩いて初日の出を眺める。今年は例年以上に「新しい年が始まった!」という感じがする。ご来光に手を合わせ、健康でいられますように、良い原稿が書けますように、おいしいお酒が飲めますようにとお願いした。

 両親は毎年恒例の初詣で宮島に出かけていて不在だ。浴槽には湯を張ったままになっているので、新年早々に入浴。小さい頃は「神様を休ませる」とかいって、元日はお風呂の湯を抜き、洗い物も洗濯機もまわさずに過ごすよう親から言われていたけれど、今ではもう、親のほうもそんなことを気にせずに過ごしている。生活というのはそんなものだろう。湯につかりながら読んだのは、東京から持ち帰った文芸誌だ。毎月、「今月はこれを買おう」と1冊ずつぐらい文芸誌を買っているのに、結局買っただけで読まずじまいになっていた。ちなみに、買ったのは大半が『新潮』と『文學界』だったのだが、その中から『新潮』(11月号)を取り出して読み始める。巻頭には川上未映子「ミス・アイスサンドイッチ」が掲載されている。

 表題の「ミス・アイスサンドイッチ」というのは、主人公がなぜだか気になっている、サンドイッチの店で働いている女性のことだ。主人公というのは小学4年生の男の子なのだけれども、最初のうちは少し違和感をおぼえつつ読み進めていた。コナンみたいだなと思った。小学4年生というよりも、小学4年生になってしまった誰かが語り手であるように思える。

 六年は大きくてなんか怖いし五年は偉そうで乱暴なときもあるし、一年は小さくて当たりまえだけど、なんだかよろよろして幼稚園児みたいであまりにもランドセルが四角くて大きいから後ろにひっくり返ってしまいそうでみているだけでどきどきするし、二年はみんな口をあけて何を考えているのかわからないけどなんだかにやにやしているし、三年はずうっと自分でつくった歌をうたいつづけてるうるさいのがひとりいて、こうしてふだん集まらないかたまりで歩いていると、どういうわけか、だんだん四年だけがそんなずいぶんまともなようなそんな気がしてくるのだった。まともってよくわからないけど。


 自分が小学生だったときのことを振り返ってみると、一緒に集団登校する規模にいた誰かを「六年は」とか「一年は」とかって考えたことなんかなかった気がする。と、そんなことを思い浮かべるたびに気づくのは、感想というのは自分という人間が白日の下にさらされるものなのだなということだ。僕が小学生の頃に「六年は」とか「一年は」と考えなかったからといって、この小説に登場する人物のリアリティが揺らぐわけでは当然ない。僕がのんきにサッカーボールを追いかけていたというだけのことであって、教室の片隅にはこの主人公のような人がいたかもしれないのだし、片隅じゃなくたって僕以外の皆はそんな話をしていたのかもしれない。

 ぐっと前のめりになって読み始めたのは2章目(?)のあたりから。 

 そのとき、とつぜん男の人の、怒鳴り声のようなのが聞こえた。それはぼくのすぐ近く――ぼくのすぐまえに立っている男が発したんだということは頭ではすぐにわかったんだけど、その声がいったい誰にむけられたものなのかがその瞬間にはわからなかった。でも、ぼくの心臓はみんなに聞こえるんじゃないかというくらいに急にどっどっどっと大きな音をたてて、体中が脈拍そのものみたいになってぶわぶわゆれて、ぼくは一歩二歩と後ずさりながら無意識のうちにポケットの切りこみをぎゅっとにぎりしめていた。


 ミス・アイスサンドイッチとの物語も良かったのだけれども、もう一人の主な登場人物、へガティーと呼ばれる同級生の女の子とのやりとりが一番印象深く残る。特にこのあたり。

 「えらくなんかないわよ」へガティーは鼻をすんと鳴らして言った。「っていうかさ、むずかしいことって、いっぱいあるじゃない。これからわたしたちが大人になってさ、社会とかに出てさ、そしたらむずかしいこと、ほんとうにもう、信じられないくらいのたくさんの、むずかしいことがあると思うんだけど」
 「うん」
 「でもね、わたしね、そのなかでもいちばんむずかしいことをね、もう知ってるような気がするんだ。それよりむずかしいことってきっとないんじゃないかって、それで、このさきどんなむずかしいことがやってきてもさ、なんか、それにくらべたらむずかしくないっていうかさ」
 「うん」
 「わたしがこれから大人になるじゃん、なっても、そんなふうにむずかしいことにへこたれないように、最初のほうにさ、そのいちばんむずかしいことを、してくれたっていうかさ」
 「そう思うしかないっていうのも、あるんだけどさ」
 「うん」


 この箇所を読んでいると、どういうわけだかマームの舞台が思い浮かんだ。マームを観過ぎて頭が馬鹿になっているのかもしれない(でも、へガティーの台詞は成田亜佑美さんや荻原綾さんの声で再生されてくる)。

 読み終えたあたりで両親が初詣から帰ってきて、昼食。かきめしとおせち。近くにあった、同級生の親が経営するセブンイレブンが閉店してしまったのでどうするのかと思っていたが、隣町にあるセブンイレブンで予約して購入したらしかった。母が作った煮しめもあるが、まずはそちらから手をつける。

 午後は母とふたり町内の神社に初詣に出かけた。なぜかふたりで出かけるのが毎年の恒例行事になりつつある。神社のあとは、すぐ近くにあるお墓に参る。神社も墓地も急な階段や坂をのぼらねばならず、「年取ったら来れんようになるねえ」と母は言う。階段を上がるスピードはさほど変わらないが、降りるスピードは少しずつ遅くなっている。線香を立てて手を合わせる。ここに眠っている人の中で会ったことがあるのは一人だけだ。「ばあちゃん」と呼んでいたその人は、正しくは曾祖母である。明治生まれの曾祖母は、僕が物心ついた頃にはもう寝たきりになっていたが、僕は学校から帰るとそのベッドの横に座ってテレビを見たり、新聞の広告を丸めて剣を作ったりしていた。さきほど読んだ川上未映子「ミス・アイスサンドイッチ」に登場する主人公と祖母の関係そのものだった。しみじみ手を合わせる。

 実家に戻って母を降ろし、ひとりで隣町にある「ユニクロ」に出かける。初売りとあって賑わっているかと思っていたが、混雑というほどでもない。僕はヒートテックの肌着と実家で着る用のスウェット、それに黒のカーディガンを購入。地元のショッピングセンター「ゆめタウン」にも出かけて、書店で正月に読む本を物色する。新年を迎えるといつも「古典を読もう」と思っている。古典といっても僕の中でのそれは「死んだ人の文学」というだけで、今年は川端康成『雪国』と、その隣りに並べてあった『美しい日本の私』、志賀直哉『暗夜行路』、それに川上未映子『乳と卵』の文庫本も平積みになっていたので購入した。そのあと、食材売り場に移動し、今晩飲むための酒を買い求める。賀茂鶴という地酒の純米酒。スーパーを出たところに証明写真の機械があるのに気づき、せっかく新年なのだからと証明写真を撮っておく。800円もした。

 18時、夕食。おせちである。去年はお酒を飲みながらおせちをツマんでいたら、1時間ほど経ったところで「いつまで食べとるんなら」と父が怒り出したのをはっきり覚えている。その経験を踏まえて、父が上機嫌で過ごせるようにあれこれ話しかけて様子をさぐるようにおせちをツマんで酒を飲んだ。おせちというのはなんて酒に合う料理なのだろうと毎年思っている。1時間ほどで切り上げておいて、部屋に戻ってひとり日本酒を飲み始める。途中で2度居間に降り、母が作った煮しめを皿に載せて部屋に戻って、それをツマミながら『雪国』をチビチビ読んだ。

 こうしていると、いつまでこの煮しめを食べられるのだろうなという気持ちになってくる。いつかはおせちを自分で準備しなければならないときがくる。もちろん、我が家のおせちは中学生の頃からセブンイレブンのおせちになったので、準備と言ってもお金を払いさえすれば済む。ただ、母の作る煮しめはそういうわけにはいかないものだ。来年から自分で作ろうと思っても、同じ味を作るのは不可能だ。少しずつ積み重ねていかないと自分でおせちを用意できるようにはならない、お前にはそういう姿勢がないんだ――と、昨晩から喧嘩をしていた知人にメールをした。その言葉は、日々ぼんやりと過ごしている自分に言っていたのかもしれないが。

 寝る前にメールが届いていないか確認してみる。12月20日に創刊した『SKETCHBOOK』という小冊子についての情報をHB編集部のサイトまとめて、年間定期購読の申込ができるようにとフォームを設置しておいた。その定期購読の申込が届いていないかと確認したのだが、一件も届いてはいなかった。なんだかそんなページを作ったことが急に恥ずかしくなり、はははと一人で笑って寝床についた。


01月02日(木)

 朝7時に起きる。9時、朝食。僕が毎年「餅が食べたい」と言っているせいか、たくさん餅が並んでいる。が、僕以外の家族は皆、ごはん(白米)を食べている。ひょっとして一人分だろうかと心配していたが、皆も餅を食べた。餅とおせち。我が家で雑煮というのは食べない。食後は庭に出て、祖母も交えて写真撮影。父が毎年「写真撮るで」と、「明日の10時から撮るけえ」と、前の晩のうちに時間まで決めて撮っている。父はどういうつもりで撮っているのだろうなと毎年不思議な気持ちになる。

 写真を撮り終わると風呂に入った。湯に浸かりながら、昨日読み始めていた川端康成『雪国』を読み終えた。前に少し読みかけて、その風景描写の美しさに置いてけぼりにされて中断していたが、読み進めてみると、何と言うのか、ムチャクチャな小説だなと思った。小説として破綻しているとか、そういうことではない。もっと美しいだけの小説かと思っていたけれど、ちゃんと読んでみるとオソロシイ小説だという気がする。

 印象的だった箇所を書き写す。

 日記の話よりもなお島村が意外の感に打たれたのは、彼女は十五、六の頃から、読んだ小説をいちいち書き留めておき、そのための雑記帳がもう十冊にもなったということであった。
 「感想を書いとくんだね?」
 「感想なんか書けませんわ。題と作者と、それから出て来る人物の名前と、その人達の関係と、それくらいのものですわ」
 「そんなものを書き止めといたって、しようがないじゃないか」
 「しようがありませんわ」
 「徒労だね」
 「そうですわ」と、女はこともなげに明るく答えて、しかしじっと島村を見つめていた。
 全く徒労であると、島村はなぜかもう一度声を強めようとしたとたんに、雪の鳴るような静けさが身にしみて、それは女に惹きつけられたのであった。彼女にとってはそれが徒労であろうはずがないとは彼も知りながら、頭から徒労だと叩きつけると、なにかかえって彼女の存在が純粋に感じられるのであった。


 この「徒労」という言葉は何度か登場する。「無為徒食」という言葉も出てくる。無為徒食の主人公・島村は、冷ややかというのとも違うけれど、とてつもなくフラットに対象を見ている。そこでは自然も、女も、感情も、ただただフラットに見つめられている。まるで鏡のようだ。

 僕自身は、たとえば飲み会なんかに出ていても、そんなにポンポン言葉が出てくるほうではない。そのことが良くないことだと思って、どうにかしなければと常々思っている(結局どうにもなっていないけれど)。でも、どうにかするよりも、そのフラットさを極めるというのも一つの道かもしれないと、読んでいて思った。それとは別に、駒子という登場人物の酔っ払いぶりが見事で、読んでいると酒が飲みたくなってくる。

 12時、昼食。おせちとそば。午後、日記を書いていると、僕にとっては兄貴と呼ぶべき編集者・M山さんからメッセージが届いている。定期購読を申し込もうとしたらエラーが出てしまう、と。慌ててフォームを確認すると、たしかにエラーが出る。すぐに修正を加えておくと、4件ほど申し込みがあった。良かった、良かった。

 18時、夕食。水炊きであった。今日もお酒を飲みながらの夕食だ。昨日と同様、父が怒り出さないよう話しかけながら飲んでいると、昔よく行っていた喫茶店が閉店していたことを知らされる。その喫茶店は、コーヒーは全然美味しくなかったけれどバターをたっぷり塗ったトーストがおいしく、小さい頃は父にその店に連れて行ってもらうのが楽しみだった。雰囲気も良い店だった。いつか店主に話を聞いておきたいと思っていた。「いつか」なんて思っていては、こうしてタイミングを失ったままになってしまうのだ。

 部屋に戻ってから、今日も賀茂鶴という地酒を飲んだ。昨日と今日とで1升近く飲んでいる。まあ正月だからいいだろう。飲んでいるうちにスナック菓子が食べたくなって、近くのショッピングセンターまで歩き、とんがりコーンを買ってくる。サッポロポテトととんがりコーンが大好きだ。ばくばく食べて幸せな気持ち。まあ正月だからいいだろう。酔っ払いつつ、川端康成『美しい日本の私』(講談社現代新書)を読んだ。これで1日1冊ペースになる。実質的に30ページ強の本を「1冊」とカウントするのもどうかと思うけれど。

 禅宗偶像崇拝はありません。禅寺にも仏像はありますけれども、修行の場、坐禅して思索する堂には仏像、仏画はなく、経文の備へもなく、瞑目して、長い時間、無言、不動で座ってゐるのです。そして、無念無想の境に入るのです。「我」をなくして「無」になるのです。この「無」は西洋風の虚無ではなく、むしろその逆で、万有が自在に通ふ空、無涯無辺、無尽蔵の心の宇宙なのです。(川端康成「美しい日本の私」)


01月03日(金)

 朝8時に起きて、朝食。餅とおせちと、昨日の水炊きを味噌汁にしたもの。水炊きといえば普通は鶏肉だが、昨晩のは豚肉と、貰い物だというカニが入っていた。身がスカスカで、手間のわりには食べ応えがなかったけれど、一晩経ってみるとカニの出汁がたっぷり出ていて何とも言えずうまかった。テレビではセキセイインコの話をやっている。セキセイインコはなぜ人間の声を真似るのか。それは、繁殖期に雌の鳴き声を真似てアピールする習性の名残だという。だから真似をするのは雄だけだ。雌は、より自分の鳴き声に近い声を発する雄に惹かれるのだそうだ。その話を聞いて「浅ましい」と思う。でも、自分だってそんなものかとすぐに思い直した。男女を問わず、自分の周りにいるのは結局似たタイプの人ばかりかもしれないのだから。

 午前中はジムに出かけた。東京で通っているのと同系列のジムが地元にもある。昨年の秋には利用するのに1525円かかった記憶があるのだけれど、今回は525円で済んだ。中に入ってみると、15台あるランニングマシンは結構埋まっている。空きを見つけて、ジョギング。目の前に設置されたテレビでは箱根駅伝をやっている。僕も一緒に走っているような気持ちになるけれど、向こうは僕の倍以上のスピードで走っているのだ。眺めていると、拓殖大学の選手が転倒し、ズルズルと順位を下げていく。その残酷さ――ふとしたことで皆の苦労が水の泡になる瞬間と、テレビで中継を観ている人たちはどう付き合っているのだろう。

 昼、いつもの店でお好み焼きをテイクアウトしてきて家族四人で食べる。老夫婦が経営している店で、今年は1月2日から営業しているそうだ。いつかこの店の写真を撮りたいと思っているが、昨日の喫茶店のこともあるし、「いつか」なんて悠長に構えていてはよくない。すぐ近くにはもう営業していないビリヤード場やスナックもある。この小さな町で一体どんな人がビリヤードをしていたのだろう。

 18時、夕食。母の作ったハンバーグと、僕の作ったコンソメスープ。食後、兄が買ってきたケーキで父の誕生日を祝う。父は今年で69歳になった。父の一番上の兄は69歳で亡くなったらしく、元日に墓参りをしたときは何とも言えない顔をしていたという。今日は酔っ払っていて嬉しそう。ちなみに、母も1月上旬生まれなのだが、父の誕生日は僕も兄もまだ実家にいて祝うことが多いのに対し、母の誕生日は特にお祝いができていない。今年は母の誕生日も一緒に祝うことにして、母に誕生日プレゼントを渡した。最近は料理雑誌を月に3冊買うほどだというから、デジタル式のはかりをプレゼント。

 夜は狩野俊『高円寺 古本酒場ものがたり』(晶文社)を読んだ。今日は休肝日にするつもりだったけれど読んでいるとどうにもお酒が飲みたくなり、結局ビールを1本、日本酒を2合ほど飲んでしまった。


01月04日(土)

 朝8時に起きて、昨晩作ったコンソメスープを食べる。昨日も感じたことだが、東京のスーパーで買ったキャベツのほうがおいしく感じられる。兄は早朝に帰京したらしく、食卓からも少し正月気分が抜けたような感じ。午前中は『SKETCHBOOK』の原稿を考えていた。12時、昼食。コンソメスープとハンバーグ、それにおせちの残り。午後も引き続き原稿を考えていた。18時、夕食。煮魚、コンソメスープ、それに年越しそば。「そばは要らない」と言いたいところだけど、そうもいかないのだ。というのも、毎年僕が何杯も食べてあっという間になくなるので、今年は25玉買ってあったのである。賞味期限は2日までだったのに、まだ10玉以上残っている。責任を感じて食べる。

 テレビでは「マサカメTV」(NHK)というのをやっていた。オードリーがMCの番組で、いつも聴いている「オードリーのオールナイトニッポン」でその番組名は耳にしたことがあったけれど、実際に観るのは初めてだ。この時間にやっていたのか。ボンヤリ眺めていると、オジンオズボーンというお笑いコンビがロケをしたVTRが流れ始めた。「さあ、僕たちは東広島にやってきています!」と始まって驚く、僕の実家があるのはその東広島市なのだ。何やら究極の鍋があるという。そんなの聴いたことないなと首を傾げていると、両親は「ああ、美酒鍋じゃろう」とテレビと会話する。隣町の西条は酒蔵のある町だが、酒造りのあいまに食べられていた料理だそうだ。利き酒に影響しないように、味付けは塩とこしょうだけ。そのかわり水は用いず、日本酒だけをドバドバ注いで鍋を作るのである。

 VTRが終わると、スタジオにその鍋が登場した。皆うまい、うまいと食べている。それを見た父親が「これで酒まつり(十月中旬に行われる祭り)にも観光客がようけ来るじゃろう」なんて言っていたが、そんなことにはならないだろうな。塩とこしょうと酒だけで作るストロングスタイルな鍋というのに惹かれて旅に出る人は少数派だろう。それに、もし「美酒鍋を食べてみたい」と東広島を訪れたとしても、その鍋を出す店というのははたしてあるのだろうか? あくまで賄いや家庭内で食べられてきた料理であって、それを出す店は存在しないのではないか。そのロケのVTRも、普通なら地元のB級グルメなんかを紹介するときはどこかの店で撮影をするものだが、家の客間のような場所で撮影をしていた。


01月05日(日)

 朝8時に起きてジョギングをする。さすがに冷える。国道沿いの温度計には1℃と表示されていた。11時半、広島駅で知人と待ち合わせ。知人の実家があるのは隣りの山口県で、せっかくだから初詣にでも出かけることにしたのだ。まずは広島駅でお好み焼きを食べるべく、駅ビルにあるお好み焼き屋「麗ちゃん」へ。僕がよく食べている店。同じフロアに「第一麗ちゃん」と「第二麗ちゃん」があり、「第一」にはいつも行列ができているものの「第二」はすぐに入れることが多いのだが、今日はUターン客が多いのか「第二」にも行列ができていた。

 10分ほど待って入店。知人は肉玉そばにイカとエビの入った“スペシャル”にネギをトッピングしたものを、僕は肉玉そばのエビ入りを注文。ビールも中瓶を2本飲んだ。壁に貼ってある紙を見ると「閉店のお知らせ」とあり驚く。テナントの契約更新の時期を機会に「第二」のほうだけ閉めるらしい。次に帰省した時はどこでお好み焼きを食べればいいのか(普通に考えれば「第一」だけども)。

 お腹を満たしたところで宮島へと向かった。宮島口からフェリーに乗ると10分ほどで宮島だ。まだまだ初詣客でにぎわっている。さっそくポツポツと鹿の姿が見えると、知人は「しかしかしい!」と嬉しそうだ。鹿せんべいでも買ってあげようかと辺りを探してみたが、かつていたはずの鹿せんべい屋は姿を消している。「鹿に餌を与えないでください」という看板と、監視しているふうの男たちもいる。環境客に近づいても餌はもらえないのだということを理解しているのか、近づいてくる鹿は少ない。皆座ってしずかに佇んでいる。どこか悟ったような顔。フェリーの中で「鹿いらう!」と楽しみにしていたのは知人のほうなのに、着いてみると僕のほうが夢中になっていた。「さっきも撮ったじゃん」と知人に言われながら、鹿たちの写真を撮り続ける。

 元日ほどではないが、参道にはポツポツと屋台が出ていた。さっそくお酒を飲みたいところだけれど、まずはお参りしなければ。数年振りの厳島神社、満潮に近くてきれいだ。参拝を終えて歩いていると、店先で牡蠣を焼いている店があった。小さい頃に初詣にきたときは焼き牡蠣を買ってもらうのが楽しみだった。2つで400円の焼き牡蠣を購入し、知人と1つずつ食べる。うまい。大人になった今は一緒にビールも買っている。宮島の地ビール。立ち食いしていると、いかにも山ガールという風貌の人をチラホラ見かけた。彼女たちは、鳥居をくぐると振り返って一礼する。一礼するくらいなら帽子を脱げばいいのにな。「あれが山ガールの礼儀なんだよ」と知人。「ムックとかに写真入りで絶対載ってるはず。『鳥居をくぐったら一礼しよう。神様に感謝!』とか」。

 歩いていると屋台があった。中で飲めるようになっている店。そこでも牡蠣を売っていたので中に入り、熱燗を飲みつつ食べる。思えばこのあたりからタガが外れ始めていたのかもしれない。僕はしきりに「まだまだ食べてもらうモンあるから」と知人に言っていた。あなご竹輪や、最近流行っているというもみじ饅頭を揚げたやつも食べてもらいたいし、本当はあなごめしも食べてもらいたい。それに甘酒の飲みたいところ。そう考えるとゆっくりしている時間はないので早々に熱燗を飲み干し、揚げまんじゅうを頬張りながら歩いているとこじゃれた店を見かけた。こんな店があったのか――ふと立ち止まって見ると、それは牡蠣の専門店だった。名前もズバリ「牡蠣屋」。こういうこじゃれた店はどうもねえ。まあでも、牡蠣を出す店だしねえ。そんなふうにブツブツ言いながら店に入ってみる。

 まずは雨後の月という広島の酒と、それに焼き牡蠣を2個注文する。運ばれてきた牡蠣に思わず声を上げてしまう。とにかくデカいのだ。デカいだけで味はパッとしないのかとも思ったが、味のほうも絶品だ。「この店は素晴らしい!」とあっという間に意見を変えて、生牡蠣を追加で注文する。お酒も追加。日本酒よりもワインのほうが品揃えが多かったので、ワインを飲むことにする。銘柄なんて全然知らないけれど、焼き牡蠣、牡蠣フライ、牡蠣のオイル漬けとの相性が5段階で記してあるのでわかりやすい。

 生牡蠣も、そのあとに注文した牡蠣のオイル漬けもうまかった。酒も進む。時計を確認すると、当初予定していたフェリーの時間が迫っているが、まだまだ名残惜しく、2つ後のフェリーで帰ることに変更した。そうして牡蠣フライと、牡蠣むすびと赤出汁のセット、それから焼き牡蠣も追加で4個頼んだ。そんなに牡蠣が大好物なわけではないはずなのに、こんなに食べてしまったのは、小さい頃の記憶が甦ったせいだろうか。どうしてそんなに食べたのか、よくわからない。知人はほとんど呆れていた。

 日没が近づいた頃に店を出た。フェリーのりばへと急いでいると、「甘酒」と書いた看板を見つけた。そこに駈け寄り、甘酒と焼き芋を購入する。小さいのを2個。小走りで移動しながら焼き芋を取り出そうとして、うっかり一つ落としてしまった。すぐ近くに佇んでいた鹿は、それをボンヤリ眺めていた。今の宮島の鹿たちは、餌が向こうからやってくるなんてことは考えなくなったのかもしれない。帰りのフェリーではちょうど日が沈んでいくのが見えた。すっかり酔っ払っていたので、実家に帰って晩ごはんを食べるとすぐに眠ってしまった。


01月06日(月)

 早起きをして、7時半から「ごちそうさん」観る。新年1発目だが、年末年始で放送がなかったあいだにずいぶん話は進んでいた。50分ほどジョギングをして朝食を採り、10時過ぎに実家を出た。帰りは新幹線ではなく、青春18きっぷでじわじわ東京に戻る予定。まずは倉敷で途中下車。ちょうどお昼どきだったので、コンビニでおでん(こんにゃく、糸こん、牛すじ串、それに大根を2個)を購入し、美観地区の川べりで食す。食べ終えたところで「蟲文庫」に向かうと、今日は休業日だった。しまった、ちゃんと確認してくるべきだったと反省しつつ、近くにある阿智神社へと向かう。去年ここでお札を買っていたので、古いお札をおさめる。

 用事も終えて、さて、どうするか。駅まで戻り、スターバックスで日記を書いていると、悪魔のしるしの危口さんが連絡をくれた。よかったらお茶でもという話になり、アーケート街の入口で待ち合わせ。危口さんは年末から実家のある倉敷に帰っていて、しばらくこっちで過ごすらしい。さっそく喫茶店を探して歩くも、月曜が定休日の店が多いらしくどこも開いていない。しばらく歩いていると、「兜山窯」という窯の陶芸店があった。そこの3代目は危口さんの同級生なのだという。

 せっかくなので入ってみると、「あら、木口君?」とお店のお母さん。木口さんは東京にいるときも少し方言を話すけれど、当然、こちらではずっと方言だ。お店のお母さんは抹茶と栗ようかんを出してくれた。何だか喫茶店代わりにしているようで申し訳ないけれど、おいしくいただく。「木口君は小さい頃から変わっとったよねえ」とお母さん。「うちの窯に遊びにきたときも、一輪車の中で本を読みよったよ」。

 木口さんとは、最近読んだ川端康成の『雪国』の話をした。『雪国』の話というよりも、そこに出てくる「徒労」という言葉について。というのも、その「徒労」という概念は、危口さんの作品にも滲んでいるように思ったのだ。先日も引用したが、もう一度その箇所を引く。

 日記の話よりもなお島村が意外の感に打たれたのは、彼女は十五、六の頃から、読んだ小説をいちいち書き留めておき、そのための雑記帳がもう十冊にもなったということであった。
 「感想を書いとくんだね?」
 「感想なんか書けませんわ。題と作者と、それから出て来る人物の名前と、その人達の関係と、それくらいのものですわ」
 「そんなものを書き止めといたって、しようがないじゃないか」
 「しようがありませんわ」
 「徒労だね」
 「そうですわ」と、女はこともなげに明るく答えて、しかしじっと島村を見つめていた。
 全く徒労であると、島村はなぜかもう一度声を強めようとしたとたんに、雪の鳴るような静けさが身にしみて、それは女に惹きつけられたのであった。彼女にとってはそれが徒労であろうはずがないとは彼も知りながら、頭から徒労だと叩きつけると、なにかかえって彼女の存在が純粋に感じられるのであった。


 僕は実家で過ごしているあいだにも何度か「徒労」という言葉を思い出していた。僕の母は、朝から晩までずっとテレビを観ている。その行為もまた「徒労」と言えるかもしれない。それが何になるというわけでもないのだから。もちろん、だからくだらないと言いたいわけではない。むしろ、「そんなものなんじゃないか」と思ったのだ。福田さんがよく口にする「間が持たないからねえ」という言葉も思い出した。

 木口さんは夏休みの宿題なんかで書く円グラフの話をした。1日の睡眠時間や勉強した時間、遊んだ時間なんかを記録する円グラフだ。たとえば2時間くらい無為に過ごしたとすると、円グラフにそれを記入することを思い浮かべてしまう、と木口さんは言っていた。現代に生きていると、どうしてもそうした形で時間や経験を捉えてしまうけれど――それが間違いだとまでは言えないけれど、どうもそれだけじゃないんじゃないかと最近思い始めている。

 抹茶をいただいたあと、小皿を1点購入する。ずいぶん値引きしてもらって申し訳ない。駅の改札で木口さんと別れ、再び青春18きっぷの旅。3時間弱で三ノ宮だ。中央改札で友人のS木さんと待ち合わせ。コインロッカーに荷物を預けて、神戸高速鉄道西元町駅へと向かった。少し寂しい道を歩いていくと、きれいな洋食屋さんがあらわれる。「洋食の朝日」と看板が出ている。いつもは行列ができているらしいのだが、幸運にもすぐに入ることができた。オーダーはS木さんにお任せして、ビーフカツ定食を。「もしこれがまずいと言われたら、悲しいです」。そこまで言うだけあってとてもうまい。S木さんが紹介してくれる店は、姫路のステーキの店も、神戸の餃子の店や鶏料理の店も、そしてこの「洋食の朝日」も、本当に外れがない。

 お腹を満たしたところで三ノ宮に戻り、オリエンタルホテルの上にあるバーへ。夜景がきれいだ。メニューを見ても、ホテルのバーにしては比較的安めだし、何より正月明けの月曜だからか空いている。僕はまず「オリエンタルハイボール」というのを注文して、乾杯。目の前に広がっている夜景の、ずーっと向こうに見えるのが大阪だそうだ。日本のスカイラインは独特で、海外だと少なくともこんなにあちこちのビルの屋上が赤く点滅することはないという。目の前にはタワーマンションもいくつか並んでいる。

 S木さんは、そうした風景も嫌いじゃない、と言った。たしかに、「街の守るために何メーター以上のビルは建てさせない!」ということは、今や成立しないだろう(少なくとも長持ちはしないだろう)。その風景を眺めながら、いろんな街の話をした。別れ際、「ぜひ、関東圏の人には書けないものを書いてください」とS木さんは言った。「橋本さんがドライブインに注目したのも、その一つだと思いますよ」。


01月07日(火)

 8時に起きて、神戸の街をジョギングする。まずはメリケンパークから海沿いを走り、フラワーロード、三宮中央通りと走っていく。道が広くて楽しいな。通勤途中の人が多くて少し気まずいけれど、こちらを気にしている人なんて誰もいない。何となく走っていると中華街に出た。南京町というらしい。まだ開いている中華料理店はなく、人通りもほとんどない。店の中では仕込みに取りかかる人の姿がある、軒先に商品を並べている人の姿もある。気になったのは、昔ながらの喫茶店が向かい合って2軒あること。そこは後で行ってみることにして、メリケン波止場へと戻っていく。ポートタワーのそばでは鳩に餌をやっているおばさんがいた。ゆったりしていて良い街だ。

 ホテルをチェックアウトして、さきほど見かけた喫茶店の一つ「しゅみ」に入ってみる。向かいの喫茶店をのぞけば、周りは中華料理店ばかりで不思議な感じ。店内にある新聞を少しだけ読んで、昨日と一昨日に書いていた原稿に赤を入れていく。1時間ほどで店を出て、近くのコンビニでおでん(こんにゃく、糸こん、ロールキャベツ、それに大根2個)を購入し、南京町にある広場で食べた。当然、周りの観光客はテイクアウトした肉まんや水餃子を食べている。何より多いのは麺類を食べている人。横浜の中華街で見かけた記憶があまりないけれど、こちらでは軒先で麺類を出す店がたくさん並んでいる。

 昼過ぎ、大阪へ。ホテルに荷物を預けたあと、阪急三番街にあるタリーズに入って、『スケッチブック』の原稿に赤を入れていく。目の前には看護学校の学生らしき3人が座っている。「どんな人と結婚すんねやろな」「やっぱお金持ってる人がええな」「お見合いは嫌やな」。そんなことを考えるのだな。18時まで加筆をして、大阪の一つ隣りにある福島駅へ。改札を出たところでライターのNさんと待ち合わせ、Nさんが知り合いに教えてもらって気になっていたという酒場「おっきゃがり」に入った。

 この店には3千円のコースがある。その日のおすすめ食材を使ったコースだ。そのコースも豪華なのだけれども、それ以上に素晴らしいのが、コースを注文すればドリンクが1杯100円で注文できるというところ。日本酒も、グラスであれば1杯100円で注文できる(しかも全種類注文可!)。嬉しい。コースとは別でポテトサラダも頼んだ。ポテトサラダの上に揚げたパン粉みたいなのがのっかっている。赤ウィンナーも添えてある。色々なポテトサラダがあるものだなあ。

 2時間近く飲んだところで会計を済ませ、「大黒」という立ち飲み屋にハシゴ。飲んでいるうちに年末に放送された「THE MANZAI」の話になった。Nさんは「千鳥のネタが一番良かった」と言った。決勝の残り2組のネタは練習すれば他のコンビにもできるネタだったけれど、千鳥のネタは千鳥にしかできないネタだった、と。なるほど。僕が一番大笑いした東京ダイナマイトのネタもそのタイプのネタだと思った。審査員の話にもなった。「M-1」の審査員には松本人志がいて、松本人志がこのネタを評価するかというのが楽しみの一つだったとNさんは言う(Nさんはダウンタウン信者を自認している)。たしかに、ダウンタウンより若い世代でそういう“目”になりそうな人がいるかと言われると、すぐに名前を挙げることはできなかった。

 N川さんと別れ、しばらく福島をぶらつく。初めてくる店だが、バルが点在している。歩いていると活海老バル「Orb」という店を見つけた。とりあえずポテトサラダを注文してみると、ここでもかなり変わったポテトサラダが出てきた。この写真を見て「ポテトサラダ」と答えられる人は少ないだろう。ドーンと皿の上に載っているのがポテトで、おそらくマッシュしたポテトに海老を練り込んで揚げてある。その上にマヨネーズのソースがかかっているので、ポテトを崩してソースと混ぜていただく。おいしい。満足して店を出て、ホテルのある梅田へと戻った。


 

01月08日(水)

 11時にホテルをチェックアウトし、昨日と同じく阪急三番街にあるタリーズにて原稿の手直し。1時間半ほどで店を出て、中崎町を抜けて歩いていく。少し雨が降っている。あんまり風が冷たいので身を縮めて歩く。向かった先はレトロ印刷JAM、『SKETCHBOOK』を印刷してもらっている印刷会社だ。せっかく大阪にいるのだから、試し刷りをしてもらってから入稿することにしたのである。

 試し刷りには1時間弱かかるとのことだったので、印刷してもらっているあいだに誤字・脱字がないかチェックしていく。レトロ印刷には作業用のスペースも用意してくれてあるのだ。それが終わると、刷り上がってきた紙をチェックし、画像に少し修正を加えて、文字をアウトライン化して面付した入稿データを作成していく。そのデータを手渡すと、すべてのデータに不備がないかチェックしてもらうまでまたしばらく待機する。小腹が空いたので近所のセブンイレブンでおでん(こんにゃく、糸こん、ロールキャベツ、大根2個)を買い食い。レトロ印刷JAMに戻るとデータの確認は終わっていた。印刷の仕様などを伝えて、これで入稿完了。

 時計を見ると16時過ぎ。すっかり遅くなってしまった。急いで大阪駅まで戻り、新快速に乗って東へと向かった。20時近くに到着したのは福井だ。改札を出て、まずは駅前の様子を伺う。静かだ。もちろん、僕の田舎よりも街ではあるし、その駅前の静けさというのは寒い街にはほぼ共通のものでもあるだろうけれど……。雨の降る街をスーツケースを引きずって歩き、ホテルに到着したところで友人のOさんから電話。ちょうど仕事が終わったところだというので、ホテルのロビーで待ち合わせることにした。

 最初に向かったのは「秋吉」という焼き鳥のお店だ。どこかで看板に見覚えがあると思ったら、関西を中心に他地域にも出店している店だという(本店は福井)。お互い生ビールを注文し、焼き鳥はOさんにおまかせ。厳選した雌鶏だけを使用した店の看板メニュー“純けい”と、それに“しろ”(豚の大腸)をオーダー。ここの焼き鳥の注文は最低5本からとなっているメニューが多い。その代わり1串のボリュームは控えめで、ちびちび食べられる。コの字型になったカウンターの中にはたくさんスタッフがいて、皆忙しそうに働いている。客層も、スーツ姿のお父さんもいれば、ツナギを着た若い男性もいる。

 Oさんの出身は東京で、何度目かの転勤で福井にやってきた。この「秋吉」が最初に入った焼き鳥屋だという。ここで一人で酒を飲みながら、福井のことを耳に馴染ませていったとOさんは語る。福井にきてから夜は外で過ごす時間が増えたとも言っていた。そうしているうちに友人はぐんぐん増えていき、今ではいろいろな繋がりができたという。僕がひょいっと福井に住み始めても、そんなふうに街に溶け込めないだろうなあ――もちろん、Oさんは街に溶け込むということが仕事とも深く関わってくるので、同列に語るのも違うのだけれども――そんなことをつぶやくと、「溶け込んでるかどうかはわからない」と口にした。その街で自分がヨソからきた他者であることは常に意識している、と。

 そんな話をしている頃には、もう既に2軒目に移動していたと思う。1軒目の焼き鳥屋は軽くお腹を満たす程度――生ビール2杯で会計をしてもらって、地元の魚と酒が堪能できる「忍者」という店に連れて行ってもらった。名前を聞いたことのないお酒がたくさん並んでいる。梵、ときしらす、いっちょらい、早瀬浦……最初のうちは1合ずつ注文していたが、クイクイ飲んでしまうので途中から2合で注文するようになった。食べ物もうまい。セイコガニ――ズワイガニの雌で、小ぶりなので身は少ないが味噌と卵が絶品。竹田のあげ――分厚い油揚げをコンガリ焼いたところに大根おろしとネギが載せてある、福井県の竹田村というところで提供され始めたメニューらしく、同じ北陸地方の新潟の名産・栃尾揚げに近いメニューである。それに里芋の天ぷらというのもあった。里芋を煮物以外で食べるのは初めてだったがこれがうまかった。刺身の盛り合わせももちろんうまかった。どうも食い意地が張っているのか、一切れうまい刺身を食べると「これで腹一杯になりたい!」と思ってしまうところがあり、ブリ刺しだけ単品で追加注文しようか迷ったけれど、いやいやそれもどうなのかと我慢した。

 最近気づいたのだが、刺身の盛り合わせというのを注文すると寂しい気持ちになってしまうことが多い。目の前にある刺身を眺めていると、「これを食べたら終わってしまう」なんて考えてしまうことが多い。食べたら、その味はもう過去になってしまう。まだまだ食べたいのなら追加注文すればいい話ではあるのだが、あれもこれも追加注文していたら会計がえらいことになってしまう。体調面でも同じことが言える。僕は刺身も、お酒も大好きだ。食べて飲むことが何より幸せだと感じる。でも、幸せだと感じるそのことを続けていると体調を崩すことになる。幸せだと感じることを追求しているとからだを壊すというのは、一体どうなっているのだろう? かといって、酒はともかく、食べるということをやめるわけにもいかないのだ。常にちょうどええ塩梅を狙い続けなければならないなんて、何て面倒な構造になっているのだろうかと、入院してから考えるようになった。

 話が逸れた。この「忍者」では、最後に福井ポークカツを食べて店を出た。本当はおろしそば――これも福井のB級グルメだという――も食べたかったけれど、さすがに食べ過ぎかと思って断念した。それは次回福井を訪れた際に食べることにする。お腹も一杯になり、酒もまわってきたところで3軒目に移動した。福井の夜の街を歩いていて思うのは、タクシーの多さ。もちろんどの都市でも繁華街にはタクシーや代行のクルマは停まっているが、どの店から出てもさほど歩かずにタクシーを拾えるくらい、あちこちに停まっているように見えた。3軒目の「Agit」というのはバーで、幸運にも貸し切り状態だった。僕はウィスキーをロックでいただく。Oさんが注文していた飲み物が何だったのかは記憶にないけれど、熊肉の刺身を注文していたことははっきり覚えている。

 福井にきてから、Oさんはジビエづいているように見える。もちろん、それはジビエを出す店と出会ったからというのも大きいのだろうが、思い返してみればOさんは以前からいわゆる“珍味”とされる料理に好奇心のある人だった。歌舞伎町の路地裏にある「上海小吃」という店を僕に教えてくれたのはOさんで、そこでOさんたちは猪の睾丸、サソリ、豚の脳味噌などを食べる集いをたまに開いていた。僕は――高田馬場にある獣肉酒場「米とサーカス」に散々通っておいて何だけど、“珍味”方面では保守的で、好奇心はゼロに近い。と、こんなふうに書くと批判をしているみたいだけれどもそうではない。同じ食をめぐる欲求でも人によって差があるということが興味深いという話だ。

 熊刺しは一切れだけいただいて、ウィスキーを飲んだ。飲みながら話していたことは、日記という形では書き記しづらい話だった。1冊の本をめぐって、それぞれお互いの立場から話をした。具体的な言葉は酒と一緒に消えてしまったけれど、その手応えだけはたしかに残っている。



01月09日(木)

 10時過ぎ、ホテルをチェックアウトして福井駅へ。雲の切れ間から日射しが差しているものの、空の大半はどんよりとした雲に覆われている。福井はそんなに寒いってわけじゃないけど、いつも厚い雲に覆われている――昨晩Oさんがそんなことを口にしていたのを思い出す。福井駅の西口を出てすぐの場所には大きな空き地があるが、平成28年3月までに高層マンションがここに建つらしかった。

 壁に貼り出してある画像を見るに、低層階は商業施設かなにかに使われるようだ。少し金沢駅にも似ている。長野新幹線は「北陸新幹線」と名称を変え、来年にはその金沢まで延伸するということで、北陸にも期待が高まっているらしい。「金沢まで延びたところで、福井には関係ないのでは」なんて思っていたけれど、金沢から福井を経由して大阪にまで繋がる構想だということは、この日記を書いている今初めて知った。

 福井駅で少し土産物を買い求め、これから食べる駅弁も購入する。駅弁大会なんかで何度も目にしつつも食べたことのなかった「番匠」の越前かにめし(1100円)。それに福井の新聞も一緒に購入し、特急・しらさぎに乗車する。さっそく駅弁を開ける、器自体はこじんまりしたサイズではあるが、たっぷり蟹が入っている。3杯くらい食べたいところ。県民福井を広げてみると、1面には「夏の最稼働『可能』」という記事が出ている。昨日、高浜原発では原子力規制委員会による現地調査が行われたらしい。調査を行った委員の名前込みで記事になっている。最稼働に向けて積極的なコメントが並ぶ。朝日新聞のほうを開いてみると一つも記事は出ていなかった。しかし、面白いのはもっと中にある頁だ。各スーパーのお買い得情報や、列車や飛行機の空席情報が掲載されていたり、昨日結婚・出産した人の名前が掲載されている。赤ちゃんの名前で読めないのは3割ほど。「颯」という名前を何度か見かけた。流行りなのだろうか。おくやみ欄には「〜衛門」という名前が2つ。

 夕方、アパートに戻ってくる。荷物を置いて、すぐにまたアパートを出た。まずは「古書往来座」をのぞき、セトさんにお土産の焼き鯖寿司を手渡す。僕が東京を離れているあいだに『SKETCHBOOK』の定期購読の申し込みがあり、数が足りなかったので「往来座」の在庫を発送してもらっていたのだ。焼き鯖寿司はそのお礼。すぐに池袋から丸ノ内線に乗り御茶ノ水に向かった。

 集合時間まであと30分あるので、途中にあるファミリーマートでおでん(こんにゃく、ロールキャベツ、大根2個)を購入して店頭のポスターに隠れるようにして立ち食い。食べ終えたところで、集合時間の15分前に山手ホテルのロビーに到着してみると、もう既に全員揃っていた。おでんを食べている場合ではなかった。17時20分、『S!』誌収録。1時間強で終了し、今日はすぐに解散となった。

 せっかく中央線沿線にいるので(?)高円寺に出る。「あゆみブックス」をのぞき、『小林秀雄対話集 直感を磨くもの』(新潮文庫)を購入して「コクテイル」へ。店に入る頃には白いものが少しだけチラついていた。今年もよろしくお願いします――挨拶をしてビールをいただく。目の前には『谷内六郎展覧会』という本が置かれていて、完全に『SKETCHBOOK』のネタ本として読んだ。


01月10日(金)

 昼過ぎ、カメラを携えて横浜へ。まだ日が出ているのにずいぶん寒く感じる。桜木町駅から歩いて急な坂スタジオへと向かった。マームとジプシーは今、来月上演される「Rと無重力のうねりで」という作品に向けてこのスタジオで稽古をしている。今日は稽古のあと、「R」にも出演する伊東茄那さんの成人祝いがあるとのことで、撮影係としてやってきたのである。中に入ってみると既にメイクが始まっていた。メイクも着付けも、女子たちが皆でやるのだ。待っている男子たちは稽古着から着替えを始めた。皆ジャケットを羽織っていて「しまった」と思う。僕は普通の格好で着てしまった。

 着付けにはまだまだ時間がかかるようだったので、桜木町駅前にあるコレットマーレというショッピングモールへと走る。やはりジャケットの品揃えが多いのは「THE SUIT COMPANY」だ。ジーパンにも合わせられるジャケットはどのあたりですかと店員に訊ねてみると、いかにもカジュアルなジャケットとツイードのジャケットを紹介される。前からツイードのジャケットが欲しいと思っていたことだし、持っているジャケットはどれもサイズが合わなくなっていたこともあるので、これを購入することに決めた。ただ、スニーカーには合わなそうなので革靴も一緒に購入する。調子に乗って蝶ネクタイも買った。

 スタジオに戻ると、着付けはもうほとんど終わっていた。実子さんが「伊東茄那成人式」としたためた書を壁に貼っている。想像していたよりもずっとハレの日の空気が流れている。心の底から「おめでとう」という言葉がこみ上げてくる。自分がそんな気持ちになるというのが少し不思議なくらい、めでたい気持ち。よかったねえ。はじけんばかりの彼女の笑顔を見ていると、しみじみそう思う。自分が成人式に出た頃は、こんなふうに素直に笑えず、「写真とかいいから」という態度だったように記憶している。いい子だなあ――なんだか親戚のおじさんみたいなことばかり思い浮かべている。ひとしきり記念撮影をすると、皆で駅近くにあるワイン酒場「COLTS」に移動した。最近連日飲んでいるから今日は控えようかと思っていたけれど、こんな日に飲まないでどうするという気持ちになり、ワインをしこたま飲んだ。

次回作「Rと無重力のうねりで」がボクシング芝居であることにちなんで。


01月11日(土)

 10時に起きて、久しぶりでコンソメスープを作る。それを食べつつ、年末年始に撮りだめていた数十時間ぶんの録画を観始める。まずは「絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時!」を。毎年恒例、山ちゃんに蝶野がビンタされるシーンで大笑い。さすがに6時間は長く、「笑ってはいけない」とは関係なくなっているパートはすべてスキップ。

 それが終わると、「新春レッドカーペット」と「爆笑ヒットパレード2014」を観る。「レッドカーペット」で笑ったのは天竺鼠と、年に一度、この番組でしか観たことのないハンバーグ師匠(スピードワゴン井戸田潤)。「爆笑ヒットパレード」で笑ったのはハマカーンフットボールアワー。両者ともまた少し漫才を進化させている。フットなんてテレビの仕事が多いのに、ちゃんと漫才やっているのだなあ。


 この2つの番組に出演していた芸人のうち、僕がラジオまで聴いているのはオードリーだけだ。ラジオを聴いていると身近に、まるで友達のように感じてしまうせいか、ネタ中にボケを褒められて嬉しそうにしている春日を目にすると、「よかったねえ」としみじみ思う。安心して笑えたのは東京ダイナマイト博多華丸・大吉。それから、こうした番組で中田カウス・ボタンを観ると、言葉の聴き取りやすさが際立つ。口の動きがとてつもなく大きい。昨年末の「THE MANZAI」でブレイクしつつある流れ星とオジンオズボーンが芸人仲間や観覧の客に大歓迎されているのも印象的。



 夜、絵描きのムトーさんのアトリエへ。小規模な新年会があり、福井みやげののどぐろの一夜干しを持って出かける。参加者は5人。大勢で飲んでも、近くにいる数人としか話さないことに気づいたので、新年会は小規模にやってみることにしたという。例によってしこたま飲んだので、何を話したのか、細かいことは覚えていないのだが、「いつか行ってみたい店リスト」に高田馬場の店や三陸の店がいくつか書き加えられていた。

 覚えているのは、物件についての話。前にも日記に書いたが、東京でも地元でもないどこか違う土地――普通に過ごしていたら生活することのなかったであろう土地に1年くらい物件を借りて、1ヵ月のうちの何割かをその町で生活してみたい。そんなことを夢想している。ただ、都市部ならともかく、のどかな土地になると物件を検索するのが難しい。そんなことをボヤくと、「市役所とかに言って相談してみれば、安い物件がたくさんあると思うよ」とのアドバイスをいただく。なるほど、役所に行ってみればいいのかと記したメモが残っている。


01月12日(日)

 15時ちょうど、新宿駅からあずさ21号に乗って甲府へ。あずさに乗るのも、甲府を訪れるのも初めてのこと。ホテルに荷物を置くとすぐに「桜座」へと向かった。17時、開場。ドリンクチケットを赤ワインに交換して中に入る。入口でビニル袋を手渡される、1階の客席は畳張りになっていて座布団が置かれてあるので、靴を脱いで上がるのだ。かつて甲府にあった芝居小屋を10年ほど前に復活させた会場だけのことはある。天井がとても高い。上を見上げてみると2階にも客席があるようだったので、僕はそちらから見下ろすことにした。

 赤ワインはすぐに飲み干してしまったので、バー・カウンターに戻る。「赤ワイン ボトル2000円」と書かれてあったので、それを注文するつもりでいたのだが、「今日はもうボトルがないです」「グラスもあと1杯だけです」と言われてしまった。甲府に来たならワインをと思っていたのに……。それならば「白ワインは」と訊ねてみると、そちらもグラスで1杯分しか残っていないという。赤白1杯ずつ購入して席に戻る。

 落ち着いたところでステージをじっくり眺めてみると、客席に背を向けるようにして座っている男がいた。よく見ると向井秀徳だ。ステージ中央には小さなレコードプレーヤーが置かれている。その左右に椅子が2つ。下手側の椅子に腰を降ろした向井秀徳は音楽を流し、タバコをくゆらせ、酒をチビリと飲んでいる。そのヒッソリとした佇まいに、今日のイベントのタイトルを思い出す――「共騒アパートメント」。アパートで過ごしている様子を覗いているような感覚だ。

 時間になると、レコードをかけたまま向井秀徳はステージを去って行った。ほどなくして寒そうに手をすりあわせながら吉野寿さんが登場する。上手側の椅子の近くに置かれた電球にスイッチを入れると、「さあて」とギターを抱え、近くに置かれていた二十一代興五右衛門という瓶を手に取った。山梨県の地酒だそうだ。それを1杯チビリとやって、「うまい」「うまいなこれ」とつぶやきながら、静かにイントロを奏で始めた。1曲目は「青すぎる空」だった。1時間弱演奏をすると、吉野さんは電球のスイッチを消し、清水健太郎失恋レストラン」のレコードをかけて去っていく。しばらくして再び登場した向井さんは、レコードを見て「これ、つのだひろ?」とつぶやき、下手側の椅子に座り、近くに置かれた電気スタンドのスイッチを入れて演奏を始めた。

 ふたりとも、何かに憤っているかのような歌いぶりだ僕の目には映った。ただ、吉野さんと向井さんのライブはどこか対照的だ。曲のあいだにポツポツと語りながら演奏していくのに対して、向井さんはほぼMCなしでライブを進行していく。いや、向井さんもしゃべるにはしゃべるのだが、吉野さんが散文的に語るのに対して、向井さんが語るのはたとえば「女の股ぐらに頭をつっこんで、暖を取りたい季節になりました」といった言葉だ。2012年にアルバム『すとーりーず』をリリースした頃のライブからこの「女の股ぐら」というフレーズはライブでたまに登場するようになった。この言葉を語るとき、向井秀徳の表情はいつも真顔だ(去年の年末のライブで坂田明とセッションした際にも頻繁に口にしていた)。この「股ぐら」というフレーズは、イメージは、今の向井秀徳にこびりついて頭から離れないのではないか――。

 こう書くとただの変質者のようになってしまうけれど、この「股ぐら」という言葉は、ナンバーガール後期からZAZEN BOYS結成以降何度も使われてきた「繰り返される諸行無常 それでもよみがえる性的衝動」という言葉とも繋がっているし、そのフレーズにさらにひずみがかかっているとも言える。「繰り返される諸行無常〜」と口にするとき、語り手はどこか悟っている。傍観している。だが、「女の股ぐらに頭からつっこんで暖を取る」という口にするとき、その語り手は悟っているどころか固執している。何かのイメージに支配されている。男達が引き寄せられ、また生命の源でもあるあの謎の暗がり――そういうイメージとしての「女の股ぐら」というものは、向井秀徳の歌の世界を、この先深化させていくのではないかという予感がある。

 もちろん、普通のMCもあった。ライブの終盤、今回の「共騒アパートメント」という企画の趣旨を語り始めた。「コンセプトは、先輩の部屋に遊びにきて、「誰の曲ですか」とか言ってレコード聴いている――そんな感じです。そんな感じだと思います。発案者は吉野さんです」。そう語ってから最後の曲「はあとぶれいく」を演奏した。アンコールになって、ようやく吉野さんと向井さんがふたり揃ってステージに登場する。

 「やっと部屋が繋がりましたね」と向井さんは口を開く。そうして客席に向かって説明を加えるように「ええ、部屋なんです。鉄筋の――」と続ける。
 「鉄筋だったの? 俺のイメージは木造だったんだけど」と吉野さん。
 「丸聞こえですね、じゃあ。『アイツ、またやってんな』みたいな。うるさかったですか?」
 「砂壁だからね。『アイツ、8時ぐらいからガンガンやるんだよな。いつかぶっ殺してやる』って」
 「それが、壁が取っ払われて。『おお』って」
 「壁が取っ払われると仲良くなれるんだよ。壁があると、憎しみばかりがね」

 そんなふうに笑いあって、ふたりで一緒に「ささやかな願い」を演奏してステージに幕が降りた。


「共騒アパートメント」@甲府・桜座
 
吉野寿
 
01.「青すぎる空」
02.「ナニクソ節」
03.「泣くんじゃねえよ男だろ」
04.「二月はビニール傘の中」
05.「化粧」(中島みゆき
06.「ファイトバック現代」
07.(???)
08.「人生いろいろ」(島倉千代子
09.「有象無象クソクラエ」
 
向井秀徳
 
01.「sentimental girl's violent joke」
02.「鉄風鋭くなって」
03.「SAKANA
04.「感覚的にNG」
05.「The Days Of Nekomachi」
06.「SI・GE・KI」
07.「Young Girl 17 Sexually Knowing」
08.「KARASU」
09.「Omoide In My Head
10.「前髪」
11.「はあとぶれいく」
 
en.「ささやかな願い」

 終演後に甲府の街を少しぶらついたけれど、ライブですっかり酔っ払っていたので赤ワインを1杯だけ飲んでホテルに帰った。


01月13日(月)

 10時、ホテルをチェックアウト。せっかく初めて訪れた街なのだからと、少し散策してみることにする。まずは甲府駅北口に出てみると、駅前広場で何かイベントをやっていた。屋台もいくつか出ている。広場の中央には臼と杵。どうやらこれから餅つき大会があるようだ。和太鼓の演奏もあるようで、ちびっこたちが準備している。行列もある。近づいてみると大きなサイコロを持った係員がいて、その後ろにちびっこたちが大行列を作っている。「ジャンボすごろく」というイベントをやっていて、参加すると景品がもらえるらしかった。県庁所在地の駅前にしては地味な出し物だが大盛況だ。

 それを横目に向かったのは、駅から徒歩10分ほどの場所にあるワイナリー「サドヤ」だ。江戸時代に油屋をしていた「佐渡屋」は、明治42年、洋酒やビールを取り扱う「サドヤ洋酒店」に転業する。つまり酒屋だったわけだが、大正6年にサドヤ醸造場を甲府に創業し、「甲鐵天然葡萄酒」の醸造を始める。当時、日本で葡萄酒と言えば甘いものだったが、昭和11年甲府市善光寺町に自家農場を開設し、甲府の気候に合うボルドーの品種の苗木をフランスから輸入し、本格派の辛口ワインの醸造を目指し始める。昭和14年にワイン醸造に成功し、「シャトーブリヤン」ブランドで宮内庁にワインを納めるようになった、歴史あるワイナリーだ。

 午前11時、ワイナリーの見学で地下貯蔵庫へ(見学料は300円)。中は少し肌寒いくらい。古いワインが納めてある場所は監獄のようになっている。ここに貯蔵されているワインの一番古いものは1955年のものだが、これは販売されていない。ワインの細かい醸造方法も聞いたけれど、印象に残ったのは「なぜ甲府の土壌がワイン造りに適しているのか」という話。ワインに適したぶどうを収穫するために必要な条件は3つ。一つ、日当りの良い場所であること。一つ、水捌けの良い場所であること。ここまではわかる。最後の一つ、「痩せた土壌であること」というのが興味深い。他の作物の生産には適していない土地だからこそ、良いぶどうが獲れるのだ。

 もう一つ興味深かったのは、皇族の方々がワイナリーを訪問されたときの写真が飾られていること。さきほど「宮内庁にワインを納めるようになった」とも書いたが、なぜそうした繋がりができるようになったのか?――もちろん、東京からほど近く、また歴史あるワイナリーだからというのもあるのだろうが、どうもそれだけではないということ。

 サドヤがワイン醸造に成功した昭和14年というのは、盧溝橋事件の2年後の年であり、太平洋戦争勃発の2年前の年である。戦況が悪化するにつれ、葡萄酒は贅沢品と見做され、製造業は斜陽しつつあった。そんな時期――太平洋戦争勃発の翌年頃から、軍部からサドヤにある依頼が舞い込んだ。ミネラルや酸に富んだワインには、石が沈殿することがある。「酒石」と呼ばれるこの石は、潜水艦や魚雷の発する音波をキャッチするレーダーの素材や、海水から真水を作る脱塩剤の主原料ともなるため、海軍からも、南方で戦う陸軍からも大量の注文があった。そうした経緯もあって、宮内庁との繋がりも生まれたのではないか。また、甲府という街は昭和20年7月に大きな空襲を受け、市街地の8割近くが焼失しているが、そうしてある種の軍需産業にも携わる街であったことも空襲を受けた一因ではないかとされているそうだ。甲府を歩いていても、戦前から続いているような風景を見かけることは少ないなとは思っていたが、そんなに空襲の被害があった街だとは知らなかった。

 見学が終わると、少しだけ試飲ができた。高級なワインは別途お金がかかるとのことだったが、せっかくなのでサドヤの看板とも言うべきシャトーブリヤン(1992年のカベルネ・ソーヴィニヨン)を試飲する。500円ほどかかるが、チーズやクラッカーなどツマミもついてくる。どっしりした味だ。本当は1962年のシャトーブリヤンを試飲したかったところだけれども、さすがにそれは試飲できず。ただし販売はされているのだが、これは1本31500円(!)。到底手の出ない価格だが、ボトルの佇まいが素敵だ。せめてその雰囲気だけでもと、2009年のシャトーブリヤンを購入する。これでも1本5300円もするのだが。

[: h600]

 ワイナリーの近くに高台があった。そこまで歩いて、甲府の街並みを見渡す。そういう町に生まれ育ったせいか、盆地の風景というのは眺めていて落ち着く。ただし、僕の生まれた町が本当に山間の狭い盆地であるのに対し、甲府の盆地は広がりがある。それに、見える山々も、日本アルプスだけあって美しい。チリで見たアンデス山脈に似ている。チリの首都・サンティアゴに滞在したときも、街中のどこからでもアンデスの美しい山並みが見えていたけれど、甲府を歩いていても、建物のあいだから日本アルプスが見えることが多々ある。

 甲府駅南口まで戻る頃には13時をまわっていた。お腹も減ったところで、駅前すぐの立地にある「奥藤本店」の暖簾をくぐる。昨年で創業100年を迎えたこの店には、「元祖『鳥もつ煮』発祥の店」と看板が出ている。

「鳥もつ煮」は戦後間もない昭和25年頃、当店で誕生致しました。まだ砂糖が貴重だった時代、甘辛いタレをまとった鳥もつ煮はお客様に大好評で、いつのまにか山梨県内のそば店へと広まったのでした。

 せっかくだからチビチビお酒も飲みたいので、この店の名物である鳥もつ煮も、そばもついてくる「鳥もつ煮セット」を注文した。白飯もついてくるので、カロリーのことが気にかかっていたが、鳥もつ煮の甘いタレは白飯をかきこみたくなる味だ。この鳥もつ煮という食べ物は、B級グルメが話題になってから提供する店もちらほら見かけるようになったが、どの店で食べても口に合わなかった。どうも臭みが強くて箸が進まないことが多かった。それが、この「奥藤本店」の鳥もつ煮はなんともうまいのである。「発祥の店」と聞いて、評価が甘くなっているだけかもしれないが、いくらでも食べられそうなほどうまい。鮮度の良い鳥もつを使っているのかもしれない。

 17時過ぎ、東京に戻ってくる。アパートに帰ると、ようやく帰京した知人の姿があった。さっそくシャトーブリヤンを開け、久しぶりに乾杯。


01月14日(火)

 9時過ぎに起きて、週末に録画してあった番組を観る。「夏目と右腕」(テレ朝)、これまであまり観たことがなかったけれど、タイトル通り、夏目三久がホストを務める番組で、誰かの右腕として活躍する人にインタビューする番組だ。今回のゲストは佐藤可士和のマネージャーであり妻でもある佐藤悦子。VTRで流れるオフィスを見ていても、普段の暮らしぶりを眺めていても、「佐藤可士和っぽいなあ」という感想が漏れる。印象的だったのは、悦子さんが佐藤可士和と一緒に働こうと思ったきっかけの話。既にふたりは交際していたが、別々の仕事場で働いていた。ある日、携わっていたプロジェクトの発表会があり、悦子さんは久しぶりにバッチリ着飾った。だが、その姿を佐藤可士和に見せることはできなかった――その話を受けて、夏目三久が「『きれい』ののひと言でもかけてほしいですものね」と口にした。「いつも寝間着だけ見せあっているのも嫌ですものね」と。なるほど、そういう考え方をするものなのか。

 夕方、日本酒と赤ワインを手にして久が原へと出かけた。今日は18時から快快の新年会だ。楽しくてしこたま酒を飲んだせいで、この日も記憶はほとんど残っていない。22時過ぎには快快ハウスを出たはずが、雪が谷大塚駅で「終点ですよ」と駅員に肩を叩かれ目が覚めた。もう終電は出てしまっていた。つまり、快快ハウスを出てから2時間以上経っているはずなのに、久が原からは2駅しか進んでいないことになる。どうにもならないので、タクシーに乗車し、吐き気を堪えつつ「高田馬場まで」とあまり口を動かさずに運転手に告げて眠りに落ちる。「着きましたよ」と言われて目を開けると、何をどう聞き間違えられたのか、二子玉川駅がそこにあった。


01月15日(水)

 夕方、ポレポレ東中野にて「立候補」観る。最初から引っ掛かっていたのは、おそらく別録りで音を当てていること。それからもう一つ、何かを導くように進んでいくこと(たとえば西成で「誰に投票するか」「選挙で世の中は変わるか」と訊ねてまわるというのは、言い方が難しいけれど、やや予定調和に感じられた)。ただ、一番ラストのシーン、安倍晋三秋葉原で応援演説するところは素晴らしかった。マック赤坂に罵声を浴びせる群衆に向かって、それまで父親の選挙運動に対して冷ややかだったマック赤坂の息子が反論していく映像は、劇的というほかない。ああいう瞬間が映り込むからこそ、ドキュメンタリーは面白いのだろう。ただ、最後にもう一つ不満を上げるとすれば、泡沫候補と見做されながらも立候補し続ける、その“徒労”とも思える活動の根底に何があるのかという問いには答えが出ないままだったこと。その問いに対する答えは、どこかセンチメンタルに回収されてしまったところがある。

 映画を観終えたところで、高円寺「コクテイル」に急いだ。店主のKさんは甲府に縁のある方で、先日「甲府は良い街だ」と語っていたが、甲府の話などをした。このあとに約束があるので、ビール1杯だけで会計をしてもらった。バタバタと店を訪れたのは、『SKETCHBOOK』のゲラを手渡すこと。もう印刷にまわしているのにチェックも何もあったものではないのだが(本当に甘えてしまっていると我ながら思う)、ゲラを手渡し、「もし差し支えがあれば刷り直しますので」と言葉を添える。『SKETCHBOOK』(002)ではこの「コクテイル」のことを書いている。昨年の12月30日に「コクテイル」ではトークイベントが行われていたが、そのとき、Kさんが「今日は正直に話をしようと思って」と前置きしていたことが、今までも強く印象に残っている。その言葉がこびりついているからこそ、僕もその原稿を「正直に書かなければ」と思って書いたのだ。正直に書いたが故に、ひょっとしたら怒られてしまうかもしれない――そんな不安を少し抱えつつ、ゲラを手渡した。

 19時40分、待ち合わせの時間より10分遅れで南池袋にある酒場「升三」に入ってみると、まだムトーさんしか座っていなかった。今日は「ブックギャラリー・ポポタム」の大林さん、「往来座」のセトさんと4人で飲み会だ。テーマは映画「立候補」について(その前にと、今日になってようやく「立候補」を観たというわけだ)。レモンサワーを注文し、お通しのナマコをツマんでいるうちに4人が揃う。2杯目からは日本酒を飲んだ。どれもおいしい。何より美味しいのは牛すじ煮込み。「普段は飲みに誘っても来てくれない人も、ここなら牛すじ煮込みが絶品だから付き合ってくれる」とセトさんが語っていたけれど、なるほど、たしかにそれくらい美味しい煮込みだ。

 例によって飲み過ぎたため、この日も記憶は曖昧だが、手元のメモには「セミ300匹か、ヘビ100匹か」と記してある。それを見て思い出した、どういう流れでそんな話になったのか、「セミとヘビ、どっちを触るのが嫌か」という話題になった。僕はもう、迷うまでもなくヘビのほうが嫌だ。皆そうだと思っていたが、セトさんとムトーさんは「セミのほうが嫌だ」と頑に言っていた。それからもう一つ、「都知事選に十二支が立候補したら誰に一票入れるか」という話にもなった。まあ、酔っ払いらしい会話だ。へろへろに酔っ払っていると、「立候補」で、おそらく別録りで当ててあった、「ちゅー」っとストローを啜る音がよみがえってくる。演説のあいまに、マック赤坂はいつも紙パックの鬼ころしを啜っていた。大阪駅の地下で演説をしているときには、構内にある串カツ屋「松葉」で酒を飲むシーンが何度か映し出されていた。そんなシーンが甦ってくるということは、あの別録りの音が効果的に働いていたということなのかもしれない。