朝8時に起きて、トーストを焼いて食す。10時、自転車で写真屋に出かけ、フィルムを現像に出す。写真屋へと続く坂を走っていると、気がはやって立ちこぎになる。12時、現像された写真を受け取り、スーパーに立ち寄る。内臓をいたわるべく、今日は納豆オクラ豆腐うどんを食べるつもりでいたのに、棚にはオクラが並んでいなかったので、マルちゃん正麺(醤油)を食す。

 19時半、新宿へ。今日はピットインで「さあさ、即興どこ行く、あれれれれ」と題したライブがあるのだ。出演者は坂田明(As,Cl,Vo)、田中悠美子(三味線,大正琴,Vo)、七尾旅人(G,Vo)、向井秀徳(G,Vo)、Kan Sano(Key,Vo)、坂田明奈(As)の6人である。この6人に加えて、急遽山本達久の出演が決定していた。それは、新鮮早々に左手を骨折した旅人さんに達久さんが励ましのメールを送ったことをきっかけに、旅人さんが達久さんを急遽誘ったのだという。ただし、旅人さんは主催者ではないために、旅人さんと達久さんは「五体不満足DUO」として二人で一人ぶんの枠として出演となったそうだ。

 ライブの冒頭、経緯が語られたのちに五体不満足DUOによるセッションが始まったのだが、とにかく目を見張らされた。ほとんど圧倒された。最近ずっと考えているテーマだけれども、音楽家のライブというのもまた、その日まで生き延びて、からだが自由に動かせてはじめて可能になるものだ。左手を骨折し、楽器を奏でられないということが、音楽家の意識にどんな意識を与えるのか。僕はこれまで旅人さんのライブを観たことがなかった。映像で観たことがあっても、どこかフォニーに見えてしまっていた。その理由が、今日わかったような気がする。ライブ中のその姿は、何か“おおきなもの”と繋がっているように見えた。そうした姿は、記録映像を通して観ただけではフォニーなものに映ってしまう。とにかく今日はその姿から目が離せなかった。もっとライブを観てみたい。

 それにしても、即興というのは一体何であるのだろう。それを活字の世界に置き換えると何に当たるのか。パッと思い浮かぶのは対談や座談だが、それには構成者というフィルターを通して一つの音になるものだし、「執筆」と「談話」という違いがある。往復書簡はそれに近いのかもしれないが、同時に音を響かせ合う即興とはやはり違っている。僕は音楽のことはさっぱりわからないけれど、「即興」とはいえ、もちろんある傾向はあるのだろう。ただ、「こうきたら、次はこう」というだけのことであれば、即興をやってみても面白くも何ともないはずだ。あの時間に、舞台では何が起こっているのだろう。彼らの意識はどこにあるのだろう。