朝7時に起きる。入浴しつつ、エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か?』を読む。地震があって驚く。読書は一向に捗らず、序章だけしか読めなかった。「歴史の現実がわれわれの前に繰り広げるのは、経済的な試練とポスト宗教の精神的空白の中で諸国民がもともとの姿に立ち返って、たしかにかつてほど攻撃的でないにせよ、ますます自己陶酔的になっているありさまです」という言葉が意外だ。フランスもまた「ポスト宗教の精神的空白」にあるのか。

 9時半にアパートを出た。よく晴れている。ナンバーガールの『DRUNKEN HEARTED』を聴きながら池袋に出る。埼京線に乗り換えて、1缶目のアサヒスーパードライを開ける。前野健太『今の時代が一番いいよ』を聴く。『書を捨てよ町へ出よう』に密着しているとき、このアルバムをよく聴いた。いろんなことを思い出しているうちに電車はガラガラになっていて、立っているのは僕だけだ。恥ずかしいので、風景に観入っているみたいにして振る舞う。

 与野本町で電車を降りて、駅のスーパーでスーパードライの6缶パックを購入し、劇場を目指す。新幹線が走っている。ピンク色の帽子をかぶったちびっこたちが列をつくって歩いている。10時半に劇場に着いて、香ばしい匂いが鼻に飛び込んでくる。今日はケータリングを作ることにしたらしく、「それをツマミに飲んでてもいいですよ」と誘ってもらったのだ。

  楽屋の中で、廊下のテーブルで、皆が料理を作っている。不思議な風景だ。2本目のビールを開けると、「橋本さん、これ」とアボガドディップをのっけたバゲットを渡してくれる。炊き込みご飯、れんこん明太ピザ、白菜と豚バラ肉のミルフィーユ鍋、オニオンスープ、ポトフ……。皆がめいめいに動いていて、ちょっと芝居を観ているような気持ちになる。その風景を眺めながら、4缶ほどビールを飲んだ。12時半に劇場をあとにして、新宿へ向かう。インスタグラムを眺めていると、「橋本倫史さんによる「藤田版『書を捨てよ』ができるまで」がめちゃくちゃ面白い」と言ってくれている人がいて嬉しくなる。

 ZAZEN BOYSの「自問自答」を聴きながら街を歩き、13時半に「新宿中村屋」。ファミレスみたいな佇まいだが、昔からの常連とおぼしき方の姿が多く見える。まずはビールを注文して、純印度式カリーを待つ。ハーフ&ハーフを追加してカリーを食す。寺山修司は「ライスカレーは家庭の味」と書き記したが、それはライスカレーに限った話で、中村屋のカリーは街の味だ。食後はベルクに移動して、レバーパテをあてにビールを2杯。

 気づけば16時だ。夜を前に「らんぶる」で一休みして、ビックロ紀伊國屋書店(新宿本店)を冷やかす。17時、思い出横丁「辰乃家」でホッピーセットを注文する。季節によってメニューが変わるのだが、今日はほたて串バターしょうゆ(500円)があるのでそれをいただく。ホッピーセットがなくなるとハイボールを注文して、名物のつくねを食す。

 18時半、そばが食べたくなったので店を出て、新宿三丁目へと向かった。なかなか見つけられず、フォトグラファーズ・ギャラリーのすぐ近くにある蕎麦屋に入店する。おしんこと板わさをツマミつつ熱燗を飲んで、最後に鴨せいろを食す。

 気づけば20時になろうとしている。新宿3丁目「F」に入って、ハーパーのソーダ割りを飲んだ。1時間ほどで店を出て、少し歩いて新宿5丁目「N」。最後はこの店に来ようと決めていた。店に入り、21杯目となるお酒――角のソーダ割り――をいただくと、お店のKさんが「おめでとう」とハグしてくれた。3杯ほどお代わりして表に出る。すっかりへろへろになったので、まだ電車は動いているけれどタクシーでアパートに戻る。

  こうして新宿をぶらついていれば誰かに会えるかもしれないと思っていたけれど、誰とも遭遇しなかった――知人にそうLINEを送ると、「当たり前じゃん」と返信がある。しかし、誰かと遭遇することに何を期待していたのだろう。ふと、今月号の『文學界』に掲載されている青柳いづみ「ワタシトーク」のことを思い出す。

 舞台の上。
 わたしがわたしであることを超えて、あたらしいわたしが生まれなおすということ。

 舞台が終演するたびに、在ったわたしは死んでありえるわたしが生まれなおす。何度も何度もくりかえし、生まれなおす。
 照明が消えて、ふたたび光がつくまでの間に、わたしは死んで、生まれなおしている。

 「ワタシトーク」を読んでいて、思い浮かんだことがある。今回のドキュメントを書くために(あるいは、これまでにも何度か)青柳さんに話を聞いたことがあるのだが、それは目の前にいる青柳さんに話を聞いている感じがしなかったということだ。そこで話題にするのは、青柳さん自身のことではなく、舞台上にだけ存在する何者かについてだ。あるいは、目の前にいる青柳さんは仮の姿で、媒体で、代理人のようなもので、どこかにある“本体”について話しているような感覚がある。これは青柳さんに限った話ではなく、その“本体”について話を聞くことが僕の仕事だ。だとすれば、居酒屋で誰かに会ったって仕方がなくて、話を聞いて原稿を書くしかないのだと思う。