旅日記2016(6日目)

 朝7時に起きる。10月になっていた。午前中は街を散策するつもりでいたけれど、ビョーキが発動してしまう。日本で生活しているときはテレビがつけっぱなしで、バラエティ番組を浴びるように観ているせいか、こうして海外で数日過ごすと日本語が浴びたくなってくるのだ。そんなわけでバラエティ番組の動画を視聴しながら、まだ手配していなかった鉄道のチケットを手配する。クレジットカードが月末締めなので、支払いを分散させられるように、旅の後半のチケットはまだ手配していなかった。帰りの航空券も購入していなかったので、日本を出発するときに「入国を拒否される可能性もあります」と言われ、パリに到着するまでずっとそわそわしていたことを思い出す。

 10時51分、ボルドー駅から高速鉄道に乗車する。パリからボルドーまでの高速鉄道――ボルドーが終点だった――はガラガラだったのに、今日の鉄道はほぼ満席だ。人の顔立ちが少し違ってきたように感じる。ギターを抱えた人を3人も見かけた。食堂車に足を運んでみると、行列ができていた。前の人たちが購入しているものを見て、電車が混んでいた理由がわかる。まだ午前中だというのに、ビールやワインを買っている人がちらほらいる。今日は休日なのだ。電車が止まるたびにタバコの匂いがする。大きな荷物を持った乗客が多いせいか停車時間が日本より長く、愛煙家はその隙にホームに降りて、4、5口だけタバコを吸っている。

 バイヨンヌビアリッツと停車するたびに乗客が減ってゆく。小説で読んだことのある地名だ。ボルドーに比べると、車窓から見える屋根の色が鮮やかな色になってきたような気がする。ビアリッツで降りたハードロック風のバンドマンが着ているTシャツは、日本のDiscloseというバンドのシャツだった。フランス最後の駅・サン=ジャン=ド=リュズでほとんどすべての乗客がいなくなって、この車両は貸切だ。海が見える。空はどんより曇っている。ゆったりと電車は動き出し、国境の川を越えるとそこはスペインだ。

 イルンという駅で電車を降りて、ここから先の切符を買い直す。最後に「メルシー」と言ってしまったけれど、ここはもうメルシーの国ではなく、グラシアスの国だ。セキュリティチェックもパスポートの確認もないのに、言語が違うということにはどうしても戸惑ってしまう。イルン駅から30分も走るとそこはサン・セバスティアンだ。バスク地方にあるこの街は、1180年にナバラ王国から自治権を与えられたことに起源を持ち、海運上も重要な拠点であり、サンティアゴ巡礼路の中継路でもあることから発展することになった街だ。『日はまた昇る』にはこんな記述が登場する。

 暑い真昼にも、サン・セバスチアンには、どこか早朝のようなさわやかさがある。木々の葉は決して乾ききったことがないように見える。街はみな、いましがた水を撒いたような感じだ。真夏の日ざかりにも、涼しく陰の濃い街々が、ここにはある。私は前に泊まったことのある街のなかのホテルへ行って、街の屋根屋根を見はるかすバルコニーのある部屋をとった。屋根のむこうには緑色の山腹がある。

駅を出ると小雨が降っており、まさに今、水が撒かれているところだ。駅前にはタクシーが1台もおらず、15分ほど歩いてホテルを目指す。街の中心にあるホテルはアパートのような施設で、「君の部屋は“ピース”だ」と案内してくれる。扉にはピースマークが飾られていた。施設の案内が終わると、街の情報を色々教えてくれる。このホテルがある地区には、わずか200メートル四方の地区に200軒ものバルがひしめき合っており、街全体だと1000軒ものバルがあるのだという。この時間だとお昼の営業を終えて休憩に入っている店も多いので、200軒もの店が存在しているということがどういうことなのか、いまいち実感が湧かなかった。地図に何軒かオススメの店を書き記して渡してくれる。親切な人だ。

 時計を見ると、15時になろうとしているところだ。事前に調べておいた「ベルガラ」という店は16時まで営業しているようなので、お昼ごはんをまだ食べていなかったこともあり、まずはそこを目指すことにする。この店は街の中心部からは少し離れた場所にあるのだが、ピンチョス――小さく切ったパンに食べ物をのせた軽食――を最初に始めた店なのだという。店はこじんまりしており、テーブル席は満席だ。カウンターで飲み食いしているお客さんもいるけれど、カウンターにはずらりとピンチョスが並んでいるので、そこに立つと他のお客さんがピンチョスを選べなくなるのではないかと心配になる。

 日本で買っておいた『バルで使えるスペイン語』を繰り、「カウンターでもいいですか?」と店員さんにおそるおそる尋ねてみる。すると、こちらが質問を言い終えるよりも先に「あーどうぞどうぞ」と背中を叩いて案内される。ざっくばらんな雰囲気だ。店員さんはカウンターに置かれたナプキンをさっと手に取ると、それで鼻をかんで床にぽいっと捨てている。こまけえこたあいいんだよという世界だ。

 ビールを注文すると、店員さんが小皿を渡してくれる。他のお客さんの様子をうかがっていると、カウンターから自分でピンチョスを取り分けている。僕もそれに倣っていくつか選んで、さっそくいただく。うまい。この店の名物だという“チャルーパ”(きのこのグラタンパイ)もうまかったし、フォアグラのピンチョスも――フォアグラなんてほとんど食べたことがないので味の違いはわからないけれど――うまかった。特にうまかったのは蟹味噌とエビを使ったピンチョスだ。

 舌鼓を打ちながらも常に不安だったのは会計のことだ。店員さんが取り分けるわけではなく、勝手に取って食べているので、どうやってカウントしているのかとソワソワしていた。最後に会計をお願いすると、「いくつ食べた?」と店員に尋ねられる。5つだと答えると、そこから代金を計算したレシートを渡される。僕が嘘つきだったらどうするのだろう。いや、嘘をついたのであれば「嘘つき!」と言われるだけで済むけれど、酔っ払ってデタラメになってしまっていたらと考えるとおそろしくなる。

 街の真ん中まで引き返す。雨はもう上がっていた。2軒目に入った店は「ラ・ヴィーニャ」、ホテルの人に教えてもらった店だ。カウンターにはいろんな料理が並べられているけれど、最初に目についたフリット、それにビールを注文する。塩がきいていてウマイ。だんだん調子がつかめてきた気がする。食って食って食ってやろう。一息ついたところで、チーズケーキを頼んだ。この店を紹介するとき、ホテルの人は「サン・セバスティアンで――いやスペインで一番うまいチーズケーキを出す店だ」と言っていた。たしかに周りのお客さんも皆チーズケーキを食べているし、山のようにチーズケーキが積み上げられている。しかし、スペインで一番って本当かよと疑っていたのだが、食べて見るとたしかにうまかった。絶品とか上品とかいうよりも、誰もが懐かしさを感じる味だ。

 時刻は16時半、長めに営業していた店も夜の営業に向けて一旦閉店する時間だ。ほろ酔い気分で海を目指す。バルの密集する地域から数百メートルも歩けば、すぐに海が見えてくる。海辺にはメリーゴーラウンドがあり、オルセー美術館で観てきたばかりの名画が描かれている。変わった形の海岸線だ。クワガタみたいに湾曲している。サン・セバスティアンの街は一躍有名にしたのはこの海だ。海洋貿易で栄えたサン・セバスティアンだったが、スペイン独立戦争で火に包まれ、荒廃することになる。再建された街が賑わいを取り戻すきっかけとなったのは、1845年、皮膚病をわずらったイザベル2世が海水浴を勧められ、この海を訪れたことだ。それをきっかけに王族や貴族のあいだでサン・セバスティアンでの海水浴がブームとなり、街は高級保養地として賑わいを取り戻すことになる。

 少し肌寒い季節ではあるけれど、1300メートルにもおよぶ海岸線には海水浴をしている人たちが数組いた。触ってみると海水はすっかり冷たくなっているけれど、こどもたちは浅瀬ではしゃいでいる。泳ぐわけではなく、まさしく海水を浴びるように立ち尽くしている人もいる。こうして海を眺めて佇んでいると、熱海のことを思い出す。あれはもう7年前のことだ。当時ヘミングウェイの『日はまた昇る』を読んだ僕は、パンプローナにあたる場所はどこだろうかと考えていた。

 アメリカに生まれた作家が特派員としてパリに渡り、パリの喧騒を離れてパンプローナの街に出かける――この移動ルートを自分の縮尺に当てはめると、広島に生まれ、そこから上京したわけだから、その南西にある街といえば熱海あたりだろう。そんなことを考えながら酒を飲んでいたせいか、翌朝目を覚ますとインターネットで熱海のホテルを予約してしまっていた。予約してあるのはその日の晩で、キャンセルしたところで全額支払わなければならず、せっかくだからと熱海に出かけたのだ。予約していたのはカニ食べ放題つきのコースで、団体客に混じってひとりボソボソと蟹を食べたのを覚えている。うまくもない蟹だった。ひとりでは特にやることもなく、夕食の前にも夕食のあとにも海に出かけて、ぼんやり海を眺めていた。

 入江をめぐって、木立ちの下をカジノまで歩き、それから涼しい大通りをカフェ・マリナスまで歩いた。カフェではオーケストラが演奏していた。私は外のテラスに腰をおろし、暑い日の新鮮な涼しさをたのしみ、氷を入れたいっぱいのレモン・ジュースをのみ、それからウイスキーソーダをのんだ。ながいあいだマリナスの店の前で休み、本を読んだり、往来の人をながめたり、音楽を聞いたりしていた。(『日はまた昇る』)

 海岸を見渡せる場所にカフェがあった。ビールを注文すると3ユーロだ。やはりパリの物価は高かったなと思い返す。海沿いを散歩する犬をたくさん見かけた。小型犬は飼い主に飛びつくようにはしゃいでいる。おもちゃのボールを投げてくれと促すようにワンワン鳴くと、飼い主が投げるそぶりをした段階でもう駆け出している。スタートを切るのが早いせいで、犬はすぐにボールの落下地点にたどり着いてしまった。それを加えると、その場で伏せの姿勢で飼い主を待つ。ゆっくり歩いてきた飼い主がボールを受け取ると、犬はまた飛び上がってワンワン吠える。それをずっと繰り返して、海岸の向こうのほうに小さくなってゆく。また別の犬がやってくる。すごい勢いで砂浜を駆け回ると、そのまま海に飛び込んだ。「海だ!」という気持ちは人間も犬も同じなのだろうか。

 ビールを飲み終えると、今度はウィスキーのソーダ割りを注文する。ビールが安かったから安心していたけれど、これは8ユーロもしてびっくりする。『日はまた昇る』を気取る東洋人の私を、遠くで見つめる人がいる。コンチャ湾はクワガタのような地形になっているとさきほど書いたけれど、クワガタのハサミの先端にあたる部分には小高い丘がある。標高123メートルの丘は「モンテ・ウルグル」という名前で、かつて要塞が築かれていた場所には現在大きなキリストの像が立っている。このキリスト像は街の至るところから見え、人々の生活に視線を注いでいる。

 波の音がずっと聴こえている。曇ってはいるが、海はエメラルド色で美しい。少しずつ日が翳り、夜になっていく様子をただただ眺めていた。ひょっとすると贅沢な時間を過ごしているのではないかという気が少しだけする。日が完全に沈む前に海岸線を離れ、市街地へと引き返す。イヤホンを耳にねじ込んで、前野健太のライブ盤を聴きながら歩いているとすっかり楽しくなってくる。酔っ払ってスタスタ歩くときにとてもふさわしいアルバムだ。特に1曲目の「LOVE」と3曲目の「看護婦たちは」は早足で歩くのにぴったりだ。大勢の観光客のあいだを、縫うように踊るように歩いていく。

 夜の1軒目に選んだバルは「ラ・クチャラ・デ・サンテルモ」という店だ。有名な店で、店の前には行列ができている。ほどなくして開店し、人の波に飲まれるように店の中へとなだれ込むと、うまいことカウンターの目の前に陣取ることができた。カウンターの向こうには黒板があり、そこにスペイン語でメニューが記されている。『バルで使えるスペイン語』をめくり、PULPO=蛸という単語が含まれているメニューとシードルを注文する。瓶を高く掲げ、勢いよくグラスに注いでくれるのだが、まったくこぼれてなくて感心する。開店と同時にぎゅうぎゅうになった店内では、あっちからもこっちからも注文の声がかかる。店員は声を張り上げて勢いよく厨房にオーダーを通し、勢いよくシードルを注ぎおろす。こんなに混沌とした状況であるにもかかわらず、正確に注文を通して、注文を受けた順に料理を運んでゆく。「ちょっと待ってくれ」と言ったままほったらかされることもなく、すごい店員たちだと感心する。

 シードルは甘いだけの酒かと思っていたけれど、すっきりした味わいだ。ちょっと独特の匂いが癖になる。隣の客と肩が触れ合うほどの店内で、何杯もシードルを飲んだ。ローストされた状態で運ばれてきた蛸や、他のお客さんが皆注文していた手長海老のクリーミーリゾットを注文する。どれも絶品だ。飲んでいると様々な言語が聴こえてくる。世界のあちこちから観光にきているのだろう。その喧騒が心地よく感じられる。ぼんやりカウンターの向こう側を眺めていると、飾られている写真と目が合った。忙しそうに働く店員さんを呼び止めて、彼の名前は何かと尋ねてみたけれど、店員さんも知らないようだった。あまりにも良い店だったので、店のTシャツも購入して会計をする。

 2軒目に選んだのは、ホテルの人におすすめしてもらった「TXEPETXA」というバルで、こちらは程よい混み具合だ。おすすめのピンチョスをと注文すると、アンチョビに蟹のクリームソースのかかったピンチョスが運ばれてくる。「アンチョビが名物だ」とホテルの人から教わっていた店だが、クリームソースがうまかったので蟹のピンチョスを追加で注文した。時計を見ると21時過ぎだ。おすすめしてもらったバルはあと3軒――「ZERUKO」と「GANDARIAS」と「ATARI」の3軒――あるので、シードル2杯で切り上げる。どのバルも大勢のお客さんで賑わっていて、次々とグラスが空き、会話が空に消えていく。街の賑わいを眺めて歩いているだけで満足してしまって、瓶ビールを買って22時にはホテルに帰ってしまった。