3月7日

 5時過ぎに目が覚める。窓を開けて換気をして、布団に戻る。10分後に窓を閉めて、暖房をつける。6時過ぎに布団から這い出して、原稿に取りかかる。米を炊いて、冷凍用のパックに詰めておき、残りをたまごかけごはんにして食べる。納豆も混ぜた。コーヒーを淹れて、1杯だけ飲む。まだ眠っている知人に「コーヒーあるけ、冷めんうちに飲みいよ」と伝えて、9時半にアパートを出る。土曜日だというのに、それも3月だというのに、東京駅はあきらかに空いている。普段の2、3割という感じがする。東海道新幹線は、画面上に表示されているすべての便のすべての席種が「○」と表示されている。

 缶コーヒーを買って、10時10分ののぞみに乗り込んだ。出発するとすぐに「感染症対策にご協力をお願いします」とアナウンスがある。そわそわして手を洗いにいく。京都で新幹線を下りて、新快速と各駅停車を乗り継ぎ、13時27分に灘で降りる。初めて降りる駅だ。お腹が減ったので、駅前のローソンでR-1と一緒に豚キムチ味のスーパーカップを買って、お湯を入れる。駅近くのベンチに腰かけて、啜っていると、隠れんぼをしている小学生が何度も通りかかる。駅前はこどもが溢れて賑やかだ。

 パソコンを広げ、今日のトークイベントのプレゼン(?)パートで話すことをワードでまとめる。気づけば14時10分だ。急いで今日の宿に向かい、荷物を預かってもらう。セブンイレブンでさきほどまとめたデータを紙に出力して、14時35分、「西灘文化会館」にたどり着く。駆けつけ一杯とばかりに、生ビールを差し出してもらって、それを片手にあたりの風景を眺めて過ごす。今日のトークは、「畑原市場大感謝会」と題した企画のひとつ。大正時代に起源を持つ畑原市場が、神戸市の「密集市街地再生方針」により、この3月一杯で閉場を余儀なくされる。そこで、灘でほんとうにいろんな活動をしているnaddistさんが「畑原市場大感謝会」という企画を立ち上げたのだ。

 駆け足ながらも畑原市場を歩き、西灘文化会館の前に戻ってくる。トークを聴きにきてくださったH.Kさんが、出会い頭につまんでカムカム焼きほたて貝ひもを手渡してくれたので、もぐもぐ食べながら開演を待つ。15時過ぎ、トークイベントが始まる。那覇市第一牧志公設市場をめぐるトークだ。今日のトークは2時間で、前半がプレゼンテーションで、休憩を挟み、後半がディスカッションということになっていた。Iさんのプレゼンテーションが終わり、「じゃあ、次は橋本さん」と言われて時計を確認すると16時だ。どうしようか迷ったこともあり、ここで一回休憩を挟んでもらう。今日のトークは、本来Iさんおひとりがゲストだったところに、僕が追加ゲストとして割り込む形になっている。僕のプレゼンは飛ばして、もうディスカッションに移りましょうか――そう提案しようか迷ったけれど、でも、今日は「このことだけは絶対に言おう」と決めていたことがあった。それはここには書かない。僕は那覇で取材しながら、そこで感じたことや思い浮かんだことは、あまり書かずに済ませている。でも、こういうタイミングで読んでもらったからには、ここで言葉にしておかなければならない違和感があると思ったので、休憩あけ、手短にプレゼンをした。

 トークのあと、同じ会場でまた別のイベントが開催された。畑原市場にある「魚辰」の刺身盛りを皆で大人食いする企画だ。トークを終えて、話すことは話し終えてしまったという気持ちもあり、スーパーで買ってきた剣菱をビール用のカップになみなみ注ぎ、刺身をツマみながらごくごく飲んでいると、あっという間に酔っぱらう。大人数が参加する酒の席だと、いつもこうなってしまう。でも、このイベントは話すためのものではなく、あくまで「魚辰」の刺身盛りが主役なのだから、それでよかったのだと思うことにする。