7月7日

 つけっぱなしのテレビに、豪雨の被害が映し出される。豪雨のことは文字として知っていたけれど、次から次に流れる映像を見ていると、被害の大きさをまざまざと感じる。「豪雨」という文字だけでは想像できなかった風景が映し出される。台所でコーヒーを淹れていると、起きてきた知人がなにやら笑っている。「気づいた?」と知人が言う。何が、と返す。「あのサッポロ一番」と、冷蔵庫の上にのっけてある袋を指す。5食入りのサッポロ一番塩らーめん、東京を離れるまえに1袋だけ食べていた。残りの4袋を、僕が留守にしているあいだに、知人はみんな食べてしまったのだという。だから新しく買ってきたのだが、そのままだとバレてしまうからと、もう1袋食べて元通りにしたのだ、と。みずからひとしきり話したところで、「バレてしもうた」と知人は嬉しそうにしている。

 昼、セブンイレブンで豚骨ラーメンを買ってきて平らげる。マスクをしていない人の姿が目立つ。14時半に丸ビルに出かけ、取材を受ける。質問がぶつぎりになることがなく、「しっかり話を聞いてくれている」という感覚になる。こうして取材を受けるたびに、我が身を振り返る。自分が描いた問答に相手を付き合わせていないだろうか――と。15時半に取材が終わり、さてどうしよう。時間をつぶすように丸ビルの中を歩いてみたけれど、買いたいものは見当たらなかった。ゆっくり、ゆっくり大手町を目指す。横断歩道を引き直している。16時20分にYMUR新聞に到着したものの、まだ会議室は暗いままだ。

 廊下から外の景色を眺めていると、16時半、会議室に本が運ばれてゆくのが見えた。本がテーブルに並べられたところで、じっくり眺めてゆく。自分が持ち帰ったとしても、書評の順番がまわってくるのは月に2回程度で、書評できる本は限られてくる。僕はもう、ほとんど「今回はこの本だ」というのが決まっているので、それ以外の本を手に取るかどうか、迷ってしまう。もしも他の誰かが興味を持って、書評が掲載されるなら、ぼくが手にとったものの書評せずに終わるよりよいと思うからだ。今日の本の山には、店を取材した本があった。こういう本は、とてもカラく読んでしまう。それは、自分が書くときの基準で読んでしまうということだ。ぱらぱら読んでみると、やはり引っかかる部分がある。別に、自分の基準が絶対というわけではないのだからと、本の山に戻す。ほどなくして委員が集まってきて、本の山が減ってゆく。あの本はどうなっただろうと、何度か本の山の様子を見にいく。