7月8日

 10時20分、LINEの通知が届く。「沖縄で40代男性コロナ/感染ゼロ68日でストップ」と表示され、思わず「あー」と声が出る。ついにこの日がやってきてしまった。この男性がどういう経緯で感染したのかはまだ発表されていないけれど、ウイルスを「移入」する存在として「観光客」には厳しいまなざしが向けられるようになるだろう。午前中、ここ数日取り掛かっていた『D・V』のインタビュー記事を完成させ、えいやっとメールで送信。12時過ぎ、知人とアパートを出る。しばらく先に郵便配達員の姿が見えたので、玄関前で数分待つ。昨日注文した「日記」が届くかもと、期待に胸を膨らませる。結局「日記」は届かず、Amazonで注文した『「文壇」の崩壊』だけが届く。電車に乗って、読みながら移動する。

 13時、M&Gの事務所へ。『c』に向けた作業に同席する。今日はロコモコをいただく。ウマイ。17時に作業が終わり、駅に向かって歩く。T.Sさんと話していると、「アランニット制作日記の、橋本さんが撮った和平さんの写真、すごくよかった」と褒めてくれる。あの日、待ち合わせ場所まで向かいながら、「写真家の人を、これから撮るのか」と思うと、途端に緊張したことを思い出す。でも、電車に揺られているうちに、「よく考えたら、自分は写真の勉強をしたことがあるわけでもなく、『いかに写真で表現するか?』と日々考えているわけでもないのだから、緊張するのもおこがましい話だ」と開き直った。せめて「今この感じで撮られているのは嫌だな」と感じさせないようにしようと、それだけを考えながら撮った写真だったけれど、Sさんに褒められて嬉しくなる。

 17時半、「古書往来座」。『しるもの時代』と、そして太宰関連の本を数冊買う。ほどなくしてムトーさんがやってきて、飲みに出かける。缶ビール片手に歩き、首都高の高架をくぐり、信号を待つ。「あそこにブルーシートあんじゃん」とムトーさんが言う。「あそこ、ある日突然作業が始まって、何だろうなーと思ってたら、事故の慰霊碑作ってんだって」。信号が青になるまで、ブルーシートを遠目に眺める。信号を渡り、「串カツ田中」(池袋サンシャイン店)にたどり着く。テラス席が空いていたので、ほっとして入店。ちょうど夕暮れ時だ。メニューを眺めながら、「鍋もあるよ」とムトーさんが言う。「鍋はしばらく無理ですね」と答える。「もしかして、取り分けNG?」「うーん、この割り箸を贅沢に使って、(個人用の)菜箸と、食べる用の箸を分けるのであれば」。そんなやりとりをしていると、ムトーさんが面倒くさそうに「出たよ」と言う。こんなふうに思ったことをお互い口にしあえる相手でなければ、一緒に外食するのは大変だなと思う。

 ビールで乾杯。何の流れだったか、「本を出したら、もうちょっと反響があるかと思ってたけど、反響がなかった」とムトーさんが言う。もうちょっとこう、原稿依頼かなにかがあるのかと思っていたけれど、もっと自分から売り込んでいかないと駄目なのかなー、と。ぼくもさほど原稿依頼が増えたわけではなく、どう答えればよいのかわからなくなる。あれはいつだったか、坪内さんから電話があった日のことを思い出す。「はっちゃん、すごいね。新聞も各紙で書評が出たし、週刊誌でもほとんど全部書評されたでしょう。そんなことって滅多にないよ。これは何かしらの賞を獲ると思うよ。っていうのはね、編集者っていうのはこういう動きをきちっと見てるからね」。坪内さんからそう言われながら、もしも賞を獲ることがあれば嬉しいのだけど、と思っていた。ぼく自身は「賞が欲しい」という欲求はないけれど、「××賞受賞」という肩書があるだけで取材や企画が通しやすくなるのであれば、あるに越したことはない。でも、結局のところ、何かしらの賞の候補として名前が挙がることもなかった。

 この日、ムトーさんと約束したのは、室生犀星グッズ(「われはうたへどもやぶれかぶれ」の題字が印刷されたサコッシュ)を受け取るためだ。そのフレーズがとても似合う人がいることを話したところ、その人に手渡して欲しいという話になり、ぼくが預かることになったのだ。その人とはしばらく会える機会がなさそうな上に、その人のライブ配信を「面白くなかった」と書いてしまったので、向こうが会いたいと思わないかもしれない――と、そんなことをうだうだ話していると、「どうしてそういうこと書くかね」とムトーさんが言う。面白かったならともかく、つまらなかったって書く必要があるのか、と。どうしてかはわからないけれど、つまらなかったときこそ伝えてあげなければと余計なことを思ってしまう。

 話していると、テラス席の外を通りかかった女性が立ち止まる。見ればご近所さんのUさんだ。せっかくだから一緒に、と乾杯していると、セトさんもやってくる。セトさんは宮迫博之YouTubeを観ているということもあって、それで今日は「串カツ田中」を選んだのだった(宮迫が2千万寄付して、今月は「串カツ宮迫」に看板が替わっている)。セトさんは宮迫やカジサックのYouTubeを好んで観ているのだが、そのふたりがテレビではできなかったことをやっているというセトさんの言葉に、いや、あのふたりほど会社に押された人はいないわけで、その人たちがYouTubeにというのは云々と、余計なケチをつけてしまう。