7月15日

 目を覚ますと、隣で寝ている知人から風邪の匂いがする。ウィルスの匂いを嗅ぎ分けられるわけもなく、おそらく炎症を起こした粘膜が発するなにかの匂いを感じるのだと思う。知人も目を覚まし、「風邪かも知れん」と言いながらベンザブロックを飲んだ。布団から這い出して、パソコンを広げて琉球新報を読む。一面には昨日から始まった短期連載「米軍大規模感染」の第二回が掲載されている。その書き出しはこうだ。

「イエーイ!」。米軍関係者とみられる外国人たちがマスクを着用せずに肩を組み、大音量で流れる音楽に合わせ左右に揺れる。会員制交流サイト(SNS)に投稿された映像だ。上半身裸の人も確認できた。コロナ禍によって県民が自粛してきたムードとはほど遠い、にぎやかな様子だ。6〜7月、本島中部の米軍基地内外で似たようなイベントが開かれたという。米軍関係者ら数百人が参加したとみられている。

 言葉に詰まる。「マスクを着用せずに肩を組み」はまだわかる。それは感染を拡大させるリスクの高い振る舞いだ。しかし「上半身裸の人も確認できた」というのは、何のために書いたのだろう。この文の中で、その記述は、「米軍関係者とみられる外国人たち」は感染を拡大させかねない危険な存在だ、というニュアンスを強調させる。沖縄で「米軍関係者とみられる外国人たち」による事件が数限りなく繰り返されているのは確かだけど、でも、それでも新聞というメディアは対立や分断を煽るのではなく、正確に怖がるべきだ。感染を拡大するおそれのある行動をする人は、どこにだっている。

 もうひとつ、「コロナ禍によって県民が自粛してきたムードとはほど遠い、にぎやかな様子だ」も、とても気にかかる。最近はもう、「自粛」というのは集団圧力を意味する言葉だったのではと錯覚してしまうけれど、「自粛」はあくまで「自粛」で、「わたしたちだって我慢してるんだから、あなたも」と強いるものではない。そして、どんなに世界が大変なことになっていたって、にぎやかな様子で過ごす権利を手放す必要なんてないはずだ。感染を拡大させないように気を遣いながらも、にぎやかな様子で過ごすことだってできる。ここにあるのも、対策を施すか施さないかの差だけだ。密な状態でマスクも喚起もせずに賑やかに騒ぐのはよくないことだとしても、にぎやかな「様子」まで自粛する必要はないと思う。

 新聞を読んでいるうちに知人も起きてくる。立ち姿がコミカルだったので、何気なく「おいーっす」と声をかけると、知人は何故だか嬉しそうに「おいーっす」と何度か繰り返す。納豆入りのたまごかけごはんを平らげ、YMUR新聞の書評のゲラに赤を入れる。昨日のうちに何点か指摘を受けていたのだが、そのうち何点かは粘ってそのまま進めさせてもらうことにして、一般の読者に伝わりづらい点だけ、(自分の中にある文章としての)好ましさを崩さない範囲で直す。書評する本の著者のプロフィールについても「これでいいですかね?」と相談があった。プロフィールと言っても、生没年と、あとは過去の著作が入るだけの短いものだが、どの著作を入れるのかは大事な問題だ。普段はそんなところまでぼくがとやかく口を出さないけれど、今回だけはと、頭を悩ませる。この欄に掲載されるならこのラインナップがベストだという数冊を選んで、それも一緒にメールで送信する。

 11時45分、まだ届いてないだろうなと思いながら郵便受けを覗きにいくと、ぎっしり詰まっている。抱えて部屋に戻ると、「肩の上がりかたが嬉しそう」と知人が言う。構成を担当した鼎談が掲載されている『文學界』(なかなか届かないので編集部に確認して、再送してもらった)と、Amazon経由で注文した太宰関連の書籍、それに平民さんの「日記」――と、さらにもうひとつ封がある。こちらも平民さんからだ。どれから読もうか、やっぱりまずは日記からと開封し、鞄に仕舞い込んでバス停に向かう。外は小雨。バスはがら空きだ。池袋まで乗り続けると遠回りになるので、巣鴨駅南口で降りてJRに乗り換えようとしたところ、山手線は人身事故でストップしていた。Googleマップで検索すると目的地まであと2.6キロ、それならワンメーターちょっとだからとタクシーに乗り込んだ。降りてみると会計は1260円、よく確認しなかったけれど、コロナの影響で昼でも割増になっているのだろうか?

 セブンイレブンに立ち寄り、ペットボトルのアイスコーヒーを買う。お昼時だから、近所で働くサラリーマンが財布だけ持ってやってきて、お弁当を手に取り、列を作っている。マスクをしている人は少なかった。それはそうだろうなと思った。毎日のように通勤電車に乗り、会社で過ごす――そんな「日常」を過ごしていたら、元通りの世界になったように感じるのも無理はないだろう。12時45分にM&Gの事務所にたどり着く。「今日のゲームはキャメルアップなんですけど、橋本さん、ルールの説明できます?」とA.Iさんが言う。そのボードゲームがとても楽しかった記憶だけはあるのだけれど、ルールはぼんやりとしか覚えていなかった。Aさんと競馬の話。私は好きな馬を見つけた、とAさんが教えてくれる。ブチコという白毛牝馬が産んだソダシがデビューし、新馬戦で勝利を飾ったのだという。「でも、新馬戦って難しいね。何で判断すればいいんだろう?」とAさん。ぼくもそのあたりはわからないですけど――と前置きした上で、プロは歩き方でわかるものがあるんだろうし、生まれてまもない姿を見た時点で「この馬は走る」とわかるっていう人もいますよね、あとは厩舎ごとの違いもありますよね、今は厩舎ごとにどこまで個性があるのかわかりませんけど、ほら、あの、ミホノブルボンを育てた調教師とかは――と話しているうちに、ひとり、またひとりとやってくる。

 13時、『c』に向けた作業が始まる。状況が状況なので、今日はリモート参加する人もいるらしく、ゲームの時間にはぼくも一緒に混じる。競馬に近いゲームだが、1時間ほどでゲームが終わってみると、ぼくはビリから2番目。今日はお酒を飲みながらということだったので、ぼくはビールをいただきながら、皆が話す様子を見守る。16時半に会はお開きとなり、皆はゲームで遊んでいくみたいだったけれど、そんなふうにかかわるとただの友達になってしまうので、そっと帰る。地下街にあるスーパーマーケットをぶらつき、シュウマイとカツオのたたきの柵を買う。

 帰りの電車で、鞄に入れておいた「日記」を読み進める。山手線が西日暮里駅にたどり着くと、降車した客で混雑していたので、ホームの端っこに立ち尽くしたまま最後まで読み、付録の写真を広げる。19時過ぎ、帰宅してきた知人と『有吉の壁』を観ながら晩酌。今日は2時間スペシャルだと思っていたのに、1時間で終わってしまって、心底がっかりする。20時からは本を読んで過ごす。知人もしばらく本を読んでいたけれど、途中で飽きてしまったのか、「おいっすー」と嬉しそうに声をかけてくる。今本読み読んじゃと邪険に扱うと、「朝はあんなに楽しそうに言うてくれたのに」と言いながら、知人は布団にくるまる。