8月16日

 8時過ぎに目を覚ます。制作のK.Sさんから、昨日の企画「R」が少し変則的になってしまったことをおわびするメールが届いていた。まったく気にしていなかったのだけれど、そんなことより、メールが届いたのが午前3時過ぎだったので、余計な心配をしてしまう。そんな時間まで仕事していて大丈夫だろうか。その返信を書きながら、次回の企画「R」のことを考えて、コースの案を含め、メールで送っておく。あれこれ案を練っていたので、あっという間にお昼になり、知人が作ってくれたサバ缶とトマト缶のパスタを平らげる。テレビでは『スクール革命』が流れている。ごはんを食べ終わっても、番組でやっているクイズを真剣に考えていると、「なんでクイズだけはそんなに真面目にやるのか」と指摘される。

 午後は『AMKR手帖』の原稿を書く。7割くらい書き終えたところで17時、知人が散歩に行きたいというので、出かける。お盆だからか、それともこの暑さだからか、根津神社はめずらしく閑散としている。途中で葬儀屋の前を通りかかり、不動産情報のように葬儀の祭壇の値段が貼り出してある。一番安いのは無宗教の火葬式で18万円だ。火葬場で待ち合わせをし、火葬のみをやるプランでもそんな値段になるのかと驚きながら詳細を確認すると、「寝台車」や「ご遺体用布団」、「安置料」に「御棺」など、あれこれ書かれてある。こんなシンプルな内容でもそんなにするのか、俺はもうただ焼くだけでいいというと、「ちゃんとそれ、書いといて」と知人が言う。

 根津駅近くのセブンイレブンでお互い缶ビールを買って、不忍池まで歩く。ここも比較的空いている。それなのに、小学生くらいの男の子が、肩が触れるくらいの距離を――それも、ぜえぜえ息を切らしながら――追い抜いていくので、追いかけて首根っこ捕まえそうになる。さすがにそんなことをすれば事件になるので、ぐっと堪えたけれど、何してくれとんねんという気持ちが消えなかった。電車に乗っていても、街を歩いていても、少し前までは誰かの体が触れてしまうことは絶対になかったのに、今月に入ってからは誰かがぼくの荷物に少し触れたり、誰かの服がぼくの身体に触れたりすることが増えてきて、そのたび神経質になってしまう。池では蓮がかなり大きく茂っていた。

 帰りに裏路地を歩いていると、『不忍界隈』を創刊したときに「いつか話を聞かせてもらいたい」と思っていた中華料理店「広宴」に貼り紙が出ていた。「この度/残念ですが/閉店します/今まで/広宴愛して/下さいました/お客様ほんとうに/有がとうござい/ました」。根津のバー「H」に立ち寄る。カウンターに座ると、真後ろにあるテーブル席で男女が大声で話していて、落ち着かない。ハイボールを出してもらって飲んでいると、その若者がトイレに立つ。トイレからじょぼぼぼぼと聴こえてきて、店主のHさんがぴくっと反応したような気がした。ここのトイレには「感染拡大防止のため、男性でも座って用を足してください」と貼り紙がしてあるのに、こうだ。

 ハイボールを2杯飲んで、「海上海」でよだれ鶏と、紋甲イカとホタテのXO醬炒めをテイクアウトし、帰途につく。買ってきた料理をツマミながらチューハイを飲んでいると、今日の昼過ぎに、メルカリで注文していた日記「ごろごろ、神戸y」について、取引連絡が届く。昨日出品された日記は、日付が「8月3日〜9日」で登録されていたが、「8月9日〜15日」の間違いだという旨、記されていた(先週購入していた日記が「8月2日〜8日」なので、出品を目にした時からおそらく間違えて登録してしまったのだろうなと、迷わず購入していた)。商品説明に「熱中症ちゃんかこれ」という症状になったと書かれていたので、健康状態が気がかりだ。

 こないだ浅草に出かけた日もそうだけど、天気予報が「今日は暑い」と報じれば報じるほど、外に出かけたくなる。もちろんそれなりに対策をとりながら出歩くようにしているけれど、熱中症にしても、コロナにしても、どこかで「自分はかからない」と思っているのかもしれないなと思う。布団を敷く前に、録画したNHKスペシャル『忘れられた戦後補償』を観た。ぼくが物心がついたころには「傷痍軍人」の姿を目にすることはなかったけれど(今、タイプしてみても一発で変換されなかった)、昔は街中でよく目にしたと二回り上の世代が言っていたことを思い出す。番組を観終えたところで布団を敷き、ケータイをぽちぽちやっていると、それぞれの臓器にステージ1の癌が見つかった場合の5年生存率のデータを見かける。癌で死ぬのは苦しいだろうなと思う。これから先、自分の人生にどれだけ楽しいことがあったとしても、最後に苦しみながら死んでいくのだと思うと、やるせない気持ちになる。