10月13日

 7時過ぎに目を覚まし、洗濯機をまわす。思いのほか知人の洗濯物は溜まっていなかったので、ぼくが旅先で着た服だけ洗う。「ちゃんと洗濯もしよったし、クリーニングも取りに行ったし、裏地が破れとった服も修理に出しに行ったんよ。ウラジオストックよ」と、起きてきた知人が言う。久しぶりに部屋に自分以外の誰かがいるから、言葉をそのまま発語しているのだろう。その感覚は、どこかわかるような気がする。旅先でホテルにいると、目を覚ましたあと、ベッドでぐずぐず過ごす時間が自宅にいるときより長くなってしまう。布団の中で何をしているのかというと、誰かが話している動画(最近であれば芸人のYouTube動画)をだらだら眺めて、人が話している様子をしばらく聴いてしまう。「内容が面白いから」という以上に、誰かが言葉を発するところを聴いていたいと感じる。午前中は『AMKR手帖』の原稿を練る。昨日のうちに新幹線でテープ起こしを完成させていたのと、親子三代に話を聞くことになるはずだったのが、お一方にしか話を聞けなかったので、原稿の構成としてはシンプルになった。3人に話を聞かせてもらったとすれば、その3人の話をどう3ページに収納するかという、どこかパズルに近い作業になる。でも、おひとりの話をまとめるのであれば、そうした複雑さはなく、どの話をどの順序で、どういうニュアンスに仕立てるのか。聞き書きして原稿にするときに、どこかでやはり「仕立てる」部分が出てくる。その手つきがいちばんの問題で、妙に良い話に仕立てたり、ドラマチックに仕立てたりすることは避けたいと思う。もちろんこれは、「僕はそう考える」というだけで、書き手ごとに正解はあるのだろう。先日書評をしたときに、「連続テレビ小説のモデルになりそうなほどダイナミック」と書いたのは、そういうニュアンスもあるのだけれど、ほとんどの人にはポジティブな言葉として受け止められるのだろう。朝ごはんを食べていなかったので腹が減り、11時にそばを茹でる。オクラを買いに出かける余裕もないほど腹が減っていたので、冷蔵庫にあった納豆と豆腐をかき混ぜて、納豆豆腐そばにして平らげる。午後も引き続き原稿を練る。16時にアパートを出て、YMUR新聞に向かう。今日から読書委員会にお弁当が復活した。最初に依頼をいただいて打ち合わせをしたとき、「毎回お弁当をお出しします」と言われて、とても楽しみにしていた。そのお弁当というのは今半のお弁当で、会議室の片隅にはビールも何本か用意されていたので、とても幸せな時間だったのだけれども、今年の2月末からお弁当はナシになってしまっていた。それがようやく復活したのだ。本を選んで、お弁当を食べて、本のセリが始まる。20時過ぎに終了。お弁当が提供されていたころは、このあとに懇親会も開催されていたけれど、それもずいぶん開かれていない。もしも懇親会があれば、何人かの委員の方と親しく話せていただろうか。いや、たぶんきっと、ほとんど話さなかっただろう。話してみたい方はいるけれど、ほとんど言葉も交わさないままに、今年の終わりが見えてきている。