11月9日

 4日のお昼の便で沖縄に出かけ、8日の夜の便で東京に戻ってきた。4泊5日の滞在中は、ホテルの部屋で原稿を書き、合間の時間に市場界隈をぐるぐる歩き、混雑する時間帯を避けて「パーラー小やじ」と「うりずん」と「東大」で酒を飲んだ。何泊も滞在していても、同じところでばかり酒を飲んでいた。その毎日のことを書き始めると追いつかなくなるので、日記は省く。印象に残っているのは、9時過ぎに市場を歩いているときに、開店準備を進める店主と、通りかかったまた別の店の店主とが、あちこちで声を掛け合う姿を何度も見かけたこと。そういう風景を、前よりずっと見かけるようになった。今月のRK新報の取材先はここにしようと思っていたところから断られてしまったり、今回はここじゃないかもという判断に至ったりで取材しきれず、数日後にもう一度沖縄にくることに決めたので、スーツケースは那覇空港の荷物預かり所に預けてある。

 朝から雨が降っている。昨日が締め切りだった構成仕事、まだ送れずにいる。原稿の中に、ある雑誌の原稿を引用する形で語られている箇所があり、その雑誌は沖縄の書店では見つけられなかったのだ。家のどこかにあるはずなのに、探せども探せども見つからない。最寄りの図書館のサイトを検索すると、それは雑誌の最新号なのに、発売から2ヶ月経っているせいか、「貸出中」と表示されている。10時になるのを待って、「往来堂書店」に電話してみるも、「すみません、在庫がないです」との返事。もうこれはしかたないと、重い腰を上げて、朝から出かける。やはり雨足がそれなりに強く、暗い気持ちになりながら神保町に行き、「三省堂書店」でめあての雑誌と、読書委員会に向けてよさそうな本はないかと棚を見てまわる。11時になると「東京堂書店」もオープンしたので、そちらも見てまわる。「新世界菜館」で中華風カレーを2個テイクアウトして、今日は在宅で仕事をしている知人と一緒に平らげる。

 午後、引用箇所を正確な内容に整えて、メールで送信する。それが終わると、検討本を読んで過ごす。明日から沖縄に出かけることにするかもしれず、ズボンと長袖シャツだけは洗濯しておきたくて、洗濯機をまわす。15時半、乾燥機を求めて外に出ると、もう雨は降っていなかった。10分だけ乾燥機にかける。そのあいだ、コインランドリーの前に立って本を読んだ。小学生が遊びながら下校していく。洗濯物を持って帰宅したところで、電話が鳴る。さきほど電話をかけた人からの、折り返しの電話だ。電話の相手は、市場界隈で居酒屋「N」をやっているA.Nさん。今年の初めか、あるいは去年の終わりにはお店を開けていて、マスクをつけたままお店に伺ったのだけれども、今年の春からはずっと店を休まれていた。緊急事態宣言が取り下げられて、多くの酒場が営業を再開しても、「N」の扉は閉まったままだった。11月になり、時短要請がなくなってからも、営業を再開する気配はなかった。

 ずいぶん状況が落ち着いたとはいえ、コロナ禍で営業を再開することに、かなり慎重になっているのだろう。今月の取材先をどこにしようかと、沖縄滞在最終日に歩き回っているときに、「N」で話を伺うべきなのではないかという気持ちが降ってきた。街がもとの活気を取り戻しつつあるかのように見えるなかでも、まだ営業再開に踏み切れずにいるお店の声を、聞いて記録しておくべきではないか。営業を再開したお店には、「お久しぶりです」「休んでいるあいだはどうされてましたか」と話しにいくことができるけれど、シャッターが降りたままになっているお店の声は、普段の生活では触れることはできない。シャッターが降りたままの風景の中に、どんな声があるのか、聞いておくべきだと思ったのだ。それに、『市場界隈』の取材を始めたときからよくここで飲んでいて、何度も励まされたということもある。

「橋本さん、久しぶり」。電話からNさんの声がする。「もう、店閉めることにしたよ」。その言葉に、ショックを受ける。店を閉めるということもショックだったけれど(そこでショックを受けるという気持ちが自分の中にあるのかということにも驚いたけれど)、何より驚いたのは、Nさんの声が、記憶の中にあるよりか細くなっていたことだった。今はもう、お店を片付け始めているところだという。電話の最後に、「お世話になりました」とNさんは言った。お世話になったのはこちらなのに。「N」で話が伺えそうなら、明日のうちに沖縄に向かうつもりでいたけれど、出発は一日先送りする。

 16時過ぎ、再び出かける。16時45分に会議室に到着し、さっそく本を眺める。委員会は経を含めて残すところ2回だが、これという本は見つからず、1冊しか手に取らなかった。そうすると少し手持ち無沙汰になり、『文學界』の最新号も読んだ(まったく関係ない読書ではなく、前回検討本として持ち帰っていた本の著者が、その本を巡って対談しているから、ということでもあるのだが、それとは別の連載も読んだ)。

 前回に続き、今回もお弁当が出た。今半の「神楽」。ほうれん草白和え、縞ホッケ西京焼、姫長芋素揚げ、おいしい煮物、奥久慈卵温泉玉子、人形町今半自慢の黒毛和牛すき焼(モモ)、ローストビーフ稲荷とローストビーフ握り。今日からビールも5本だけ置かれていたので、いつも真っ先に手に取るHさんがビールを開け、Nさんがビールをテーブルに持っていくのを見届けてから、自分もビールをとってくる。久しぶりすぎて、なんだか悪いことをしているような気がして、テーブルの下でそおーっと開ける。小さくぷしゅうううと音がなる。左隣に座るSさんが、その音に気づき、ちらりとこちらを見る。いよいよ悪いことをしているような気がして、「あの、持ち込んでるわけじゃないんです」と弁明してしまう。

 20時過ぎに委員会が終わると、今日は懇親会があった。思えば今年になって初めての懇親会だから、今年度の委員の方と一緒に懇親会を開催するのは初めてのことだ。今日出席している委員の中ではぼくは最年少だから、率先して話を提供するべきなのかもしれないなとも途中で思ったのだけれども、そういうタイプでもなく、そういう気持ちで言葉を語ることを避けてきたから今のような生活になっているのだから、いろんな人の話を聴きながら過ごす。ここでもSさんの隣になって、SさんとTさんがアイルランドを旅したときの話をされている。ふとSさんが、「橋本さんも、アイルランドは絶対好きだと思います」と言う。なんとなくだけど、アイルランドは沖縄と似ている気がする、と。それはぼくも前に思ったことがある。F.Yさんにニットをめぐる取材をしているときに、アラン島の写真を見せてもらったことがあって、そこで目にした風景は、北国と南国とでずいぶん違っているはずなのに、どこか重なって見えた。その土地では男性は猟に出て、夫が漁に出ているあいだ女性が家を守り、夫の仕事着であるセーターを編むのだというエピソードも、沖縄ではセーターを編むことはないにしても、どこか重なるものを感じた。Sさんがケータイのフォルダをスクロールしながら写真を見せてくれているあいだ、自分が読んでいた著者の人の隣でこんなふうに過ごしているのは、ちょっと嘘みたいだなという気持ちになった。時間が経つと、委員の方は少しずつ帰ってゆく。ぼくは特に急いで帰る用事もないので、最後まで居座っていた。そろそろお開きに、となったところで、Sさんから、あの本の書評を見送られてましたけど、その理由はなんだったんですか、と尋ねられる。その理由をできるだけ誠実に言葉にして、タクシーに乗り込んだ。

 時計を見ると23時25分だ。閉店時間が迫っているけれど、家に帰る前に、自分ひとりでお酒を飲んで帰りたくて、バー「H」に電話をかける。全然、きてくださるのがわかっていれば、開けて待っておきますよと言ってくださったので、根津でタクシーを降りる。もうお客さんはいなくて、少し掃除を始めていた形跡があり、申し訳なく思いながらも、ありがたくハイボールをいただく。もう閉店後という時間帯だからか、いつもに比べるとHさんも少し饒舌だ。そういえば本を見てきてくれたお客さんもいましたよと言われて、え、本?とキョトンとしていると、これです、これ、と『ウイスキーヴォイス』を見せてくれる。あれは今年の春頃に原稿依頼があって書いた原稿で、送った翌月には原稿料は振り込まれていたものの、掲載誌が届かずに「おや?」と気になっていたのだけれども、緊急事態宣言下とあって刊行が延期になっていたのだろう。「今日はこれを買ってきたんです」。壁に飾られている小さな熊手をHさんは指差す。これまでも同じところで買ってきたんですけど、これまで名前を聞かれることがなくて、名前を書いてもらいそびれてたんですけど、今年は聞いてもらって、ここに名前を書いてもらえたんです。Hさんがどこか嬉しそうに語るのを聞きながら、ハイボールを1杯だけ飲んで店を出る。