12月7日

 6時過ぎに目を覚ます。たまに酒を飲まなかった日の翌朝は、いつも疲れが溜まっているのを感じる。酒を飲んで疲れが蓄積しているのだろうけれど、飲んだ翌朝はそれを感じづらい部分がある。布団の中で、『言葉を失ったあとで』の最初の章を読み終える。今日は雨の予報が出ていたのに、外は晴れている。ウェザーニュースだと17時まではずっと曇りマークで、今のうちにと洗濯機をまわす。コーヒーを淹れて、日記を書く。洗濯物を干して30分ほど経ったところで、外の暗さが気にかかり、アメダスを確認すると文京区の上に雨雲がかかっている。慌てて外に出ると、ちょうど小さな水滴が落ち始めたところだったので、すべて取り込んで部屋干しにする。1時間も経つとまた晴れ間が覗き、ここから先は日没頃まで降らない予報になっているので、もう一度外に干しておく。

 いつもは12時ちょうどにお昼を食べている。現場に密着するときでも、そのリズムできっかり食べたくなる。でも、もはや習慣で食べているだけで、ほんとはお腹なんて減ってないのではないかという気がしてくる。ちょっと胃を小さくしたほうがよいのではという目論みもあって、ほんとうに腹が減ったと思えるタイミングまで我慢する。14時過ぎ、パスタを茹で、落合シェフのボロネーゼソースと合えて平らげる。空腹だったせいか食べ終えると眠気に襲われ、30分ほど仮眠をとる。寝起きに『言葉を失ったあとで』を少しだけ読む。そうか、野田市で殺された女の子は糸満生まれだったのかと今更気づかされる。

 乾いている洗濯物だけ取り込んで、パソコンで作業をしているうちに日が暮れている。あ、と気づき、ベランダに出てみるとそれなりに雨が降り始めていて、ベランダの柵に引っ掛けるように干していた洗濯物はすっかり濡れていた。あーあと思いながら取り込んで、天気予報を見る。明日は一日雨の予報で、風も強そうだ。だったら今日の発売日のうちにと、散歩に出る。ドラッグストアでラップと消臭ビーズを買って、「往来堂書店」に立ち寄り、文芸誌の目次を確認する。『群像』は送ってもらってしまっているので、今月は『文學界』だけ買って帰る。帰宅後、さっそく平民金子「めしとまち」を読む。そこで主軸として扱われているテーマについては、仮定の仮定のような想像をしながら読む(男性性という問題は僕も抱えているはずなのに、それを「仮定の仮定のような想像」で済ませているのは問題だと言われればその通りだし、その点に無自覚で過ごせてしまっていることにも問題はあるのだろうけれど、もう自分は身体としてではなく気配のようなものとして存在したいと思うこともある)。

 どうしようか迷ったけれど、今日はビールを飲んだ。20時半、昨日の残りの白菜と、買ってきたベーコンと牛乳でスープを作り、平らげる。22時過ぎに帰ってきた知人を誘って、根津にあるバー「H」に出かける。ぼくが今の場所に引っ越すことに決めた理由の一つは、このバーまで歩いて通えたら楽しそうだなということだった(ただし、コロナ禍になってからは特に、あんまり通えていないけれど)。雨は少し弱まっていた。ほとんど人通りのない街を歩きながら、さっき読んだ「めしとまち」の話を知人とする。その話というのは、主題となるテーマではなく、3ページ目の下段2行目に登場する「なんだか(…)」から始まるフレーズをめぐる話だ。そこで著者は、「近所のホルモン屋さん」で、遠い世界にいるような感覚を得る。そのイメージの膨らませ方に、読んでいて「おお……」と圧倒された。

 我が身を振り返って考えてみる。たとえばバー「H」で過ごしているときに、かつて旅したヨーロッパの酒場や、どこか別の町の酒場にいるようだと感じることはできるだろうか。ぼくはわりと、自分が暮らしている町(の、何度も入ったことがある店)だと、どの場所にも想像を膨らませることができない。ただ自分が暮らしている町にいるというだけだ(どこか知らない町に出かけて、酒場に入ったとき、「ああ、この感じ、あのとき入ったあの店に似てる」と思うことはあるだろうけれど)。「想像する」という感受性が自分には不足しているから、ひとつの場所にじっとしているのではなくて、あちこちぶらついているのだろうかとさえ思えてくる。

 話が少し逸れたけれど、12月6日の「ごろごろ、神戸Z」で、常連客に「おかえり」と声を掛けるタイプの酒場の話が出てきて、「私は「おかえり」じゃない感じで酒を飲みたい」と書かれていた。ぼくは店主から認識されると呑気に喜んでしまうタイプだけれど――ちなみに知人は絶対におぼえられたくない派――認識されて嬉しいと思えるのは、自分が暮らしていない街の酒場だからかもしれないなと思う。普段の生活圏内で考えれば、酒場に出かけて「おかえり」と出迎えられると、そこの店主や常連客とのやりとりで、飲んでいる時間が埋め尽くされてしまいそうな感じがする。もちろん誰かと話したい日もたまにはあるにしても、酒場で過ごしているときはぼんやり考え事をしていたいから、あまり近所の酒場に出かけずいる。ただ、バー「H」は、ほっといてくれるから気軽に出かけられる店だ。

 ――というようなことを知人に話しながら歩き、あれ、何が言いたかったんだっけこれと出口を見失いかけたところでバー「H」にたどり着く。時刻は22時半、こんな天気の日はお客さんがいなくて早仕舞いしてるかもと心配していたけれど、二人組の客が1組と、ひとり客が2組いる。端っこに座り、ハイボールをいただく。前回訪れたときには見かけなかった貼り紙がある。ケータイで撮影したような、ハイボールの写真。その上に、マスク着用の上、手指の消毒にご協力くださいと白抜きで書かれている。Hさんが自分で用意したのだろうか。でも、マスクをしているのは僕たちだけだ。緊急事態宣言が取り下げられたばかりの頃は、「20時閉店に慣れてしまって、もう夜遅い時間には酒場にお客さんがこなくなってしまったのでは」と思っていたけれど、人はいちど手放した時間を取り戻せるものだなと思いながらハイボールを飲んだ。3人組の賑やかな客がやってきたので、2杯飲んだところで会計をお願いし、夜の街を歩いて帰る。