12月25日

 7時過ぎに目を覚ます。昨日の宴の片付けをする。たまごかけごはんを平げ、コーヒーを淹れる。9時を過ぎたあたりで、外がようやく明るくなってくる。複写した「家族が一番わからない」を読みながら、どうして僕は自分の家族に興味が向かないんだろうかとぼんやり考える。『あまから手帖』の「家族のあじ」も、『Coralway』の「家族の店」も、自分で考えた企画ではなくって、僕が取材した文章に「家族」というテーマを見出してくれて、依頼してもらった連載だ。だからきっと、僕は「家族」を取材しているのだろうけれど、自分の家族を深く知ろうとしたことがない。一度だけ、「エイチビー番外地」で祖母にインタビューしてみたことはあるけれど、それ以上その方向に向かうことはなかった。なぜだろう。

 昼はCoCo壱のカレーを注文。知人はチキン煮込みにほうれん草をトッピングした4辛、僕はカキフライカレーの2辛。昨晩観ながら眠ってしまった『検索ちゃん』を初めから見直しながらカレーを平らげ、ビールを1本半飲んだせいで眠くなり、軽く昼寝をする。15時からは年明けに締め切りを迎える原稿を練り始める。16時45分、知人と一緒に散歩に出る。混んでたら通り過ぎるつもりでバー「H」に行ってみると、人の話し声が聞こえてこず、入ってみると他にお客さんはいなかった。クリスマスは自宅で過ごす人が多いのか、あるいはクリスマスだともう少し深い時間になってバーに足を運ぶのか。

 ハイボールを飲みながら、来年どう過ごすかを考える。ここまで歩いているときにも、これからどうやって過ごしていくかという話になっていた(入口になったのは、知人が今年の年収を知って落ち込んだという話だった)。来年で40歳になる。60歳までは元気に過ごせて、平均寿命が80歳だとすると、別に「60歳以降は働かない」と考えているわけではないけれど、41歳の自分が61歳の自分の生活費を支払う、というイメージが浮かんでくる。だとすると、年金も大した額はもらえないだろうから、毎月結構な額の貯金をしておかなければならないのではと、たぶんきっと多くの人はもっと若いうちから考えているのであろうことを、今になって考え始めている。

 経済的な話はさておき、自分が物書きとしてどうやって生きていくのかを考えるとなると、今更幅広い教養や知識を身につけることは無理だとしても、もう少し頭に浮かぶ世界の幅を広げておいた方が良い気がしていて、来年は坪内さんと福田さんの本を読み返したいなと、話しているうちに思う。ハイボールをおかわりしたところで、60代ぐらいの4人組がどやどやと入ってくる。ひとりは外したマスクをカウンターに置き、ひとりは持っていたケータイをカウンターの酒瓶に立てかけている。2杯目のハイボールを飲み干したところでお会計をお願いして、ああいう人らって酒場は自分ちじゃないんだと誰かに教わらなかったのか、どうして商品である酒瓶に自分のケータイを立てかけるなんてことができるのかと、知人に向かってぐちぐち言う。

 せっかくだからと谷中銀座にも出る。かつて「砺波」だったところにハンバーガー屋さんがオープンしていて、中の様子が見える。「砺波だ!」と知人が言う。「越後屋本店」で生ビールを1杯。寒いのに、どうもありがとうございますとお店の方が言う。商店街の肉屋に美味しそうな鳥もも肉のローストが並んでいて、昨日食べたから今日はもう食べなくていいやと思っていたのに、それを見るとやっぱり食べたくなって、2本買う。スーパーにも寄り、マカロニサラダときんぴらごぼうを買って、帰途につく。散歩中に話していたこと――年の瀬に、悲観的になっているわけではないけれど、特に明るいとも言えない未来を思い浮かべつつ過ごしていることや、昨日観た『キッズ・リターン』もボクシングが登場することを考えると、今日はあの映画を観るしかないのではと、最初の10分だけ観て、もしつまらなかったら止めてもいいからと前置きして、『ロッキー』を観る。数日前にも一緒に見ようと提案したものの、小さい頃にテレビ放映されたのを観た記憶がある知人に反対されていた。途中で止められることなく、最後まで観る。