12月24日

7時過ぎに目を覚ますと、平民金子さんが「すいません、わざわざ来る人に宿題を課して悪いんですが12・29梅田蔦屋https://store.tsite.jp/umeda/event/shop/23838-1442021207.htmlに来る人(スズキナオさん含む)はドムドムの新商品カマンベールバーガーを食べといて下さい。久しぶりに「あ、語りたい味だ」と興奮したんで当日はカマンベールナイトにします。」と、日付が変わったころにツイートしているのを見かける。まだ眠っている知人に、「今日の昼か夜かにドムドムバーガー食べたいんやけど、食べる?」と尋ねると、小さく首を振ってまた眠ってしまう。

 12時過ぎに家を出る。最寄りの図書館で『小説新潮』のバックナンバーを手に取り、連載「家族が一番わからない」を複写する。浅草寿町行きのバスに乗ると、途中の停留所で乗ってきたご婦人たちが挨拶を交わし合っている。その人たちは皆、荒川区役所前で降りて行った。浅草六区でバスを降りて、リブロを覗いてみたものの、『小説新潮』最新号は見当たらなかった。花やしきに向かい、「ドムドムハンバーガー」(花やしき店)でカマンベールバーガーを買い求める。花やしき園内側にはイートインがあるのかもしれないけれど、園外からはテイクアウトしかできなかったので、隅田川べりに出て平らげる。「これは一体……?」と頭に疑問符を浮かべたまま食べ切る。ちらほら人が通りかかるけれど、今日はティッシュを持ってくるのを忘れてしまっているので、食べている途中で口の周りを拭いてしまうと紙ナプキンが足りなくなってしまいそうだったので、通行人は存在しないものだと思い込んでハンバーガーを平らげた。

 もう少し噛み砕きやすい味のものを食べておきたいのと、せっかく浅草にきたのだからというのとで、「水口」へ。一階の大テーブルの端っこに案内される。テーブルにはアクリル板が設置され、ひと席開けてお客さんが座り、静かにビールを飲んでいる。僕はサッポロの大瓶と、マグロの刺身と白菜の漬物を注文。紅白だ。13時のニュースが始まると、東京でもオミクロン株の市中感染が確認されたと報じられている。熱燗も一本つけた。ほろ酔い気分で田原町「Readin' Writin' BOOKSTORE」を覗くと、『食卓の韓国史』という面白そうな本を見つける。ここ最近、『中国料理の世界史』や『味の台湾』、『送別の餃子』と、面白そうな食の本が続々出版されている。『本の雑誌』は年間ベスト10の特集で、「自社の本は手前味噌になる」と除外されているのかもしれないけれど、ノンフィクションのベスト10をはじめとして、どこにも『東京の古本屋』の名前がなくてがっくりしつつ、棚に戻す。知人から「なんでそんなに自己肯定感が強いのか」と言われることがあるけれど、いやいやそこは自分の本だろ、と思ってしまう。

 地下鉄に乗り、上野に出る。上野広小路まで乗っていればよかったなと反省しつつ、すでに大賑わいのアメ横ではなく、一本隣の路地を歩く。今日の晩ごはんはどうしよう。知人にLINEを送ると、ケンタッキーのオリジナルチキンでも構わないと言うので、御徒町のお店を覗いてみる。店頭にスタッフが立っていて、オリジナルチキンは予約だけで完売で、当日だとクリスマスセットだけの販売だという。近くのコージーコーナーにも長い列ができている。上野松坂屋の地下を覗き、「RF1」の列に数分並び、クリスマスピンチョスセットとローストビーフ入りのサラダ、それにもも肉のローストを買う。これだけで5000円を超えている。クリスマスには浮かれていたいと思いつつも、結構な金額だなと怯んでしまって、いつもは2本買うローストを1本しか買わなかった。ケーキは知人が日暮里駅で買って帰るという話になっていたけれど、せっかくデパ地下にいるのだからと「ヴィタメール」の列に30分並び、ショートケーキとピスタチオ入りのチョコレートケーキを買い、バスに乗って千駄木に帰ってくる。

 『ミュージックステーション』のスペシャルが観たいらしく、知人は放送が始まる17時には帰ってくる。僕はパソコンを広げ、仕事をしながら横目で眺めていたけれど、ほとんど大人数のグループで、絵がずっと引きだ。19時、冷蔵庫からピンチョスセットとローストビーフ入りサラダを取り出して、ビールで乾杯。少し前の『オードリーのオールナイトニッポン』で話題になっていた(オードリーの二人は高校生の頃に観たけれど、40代を迎えて見返すと印象が違っていて、後輩の目を摘もうとするモロ師岡演じるキャラクターみたいな先輩って実際いたよなあ、と語っていた)『キッズ・リターン』をDVDで見返す。最初に観た時に比べると、青春の空疎さ――と書くと少し違うか、何者かにならなければと焦りながらも「これ」といったものが見つからない焦りのようなものが強く印象に残る。その何者にもなれない焦りは、北野武も若かりし日に感じていたのだろうし、身に覚えがある人が大勢いるだろう(だから多くの人に刺さるのだろう)。そういうことを考えていると、つい自分はこれから何を取材するかという方向に無意識のうちに考えが向きそうになる。

 なんかこの質感の映画って他にもあったよなと思い返し、ああそうだと、Netflixで『ディストラクション・ベイビーズ』を観る。チキンも温めて、知人と交互にかじる。柳楽優弥が圧倒的だ。最後に流れる向井秀徳の「約束」を心待ちにしながら赤ワインを飲んでいたのに、エンドロールが流れ始めると、画面に別のおすすめ映画(?)がポップアップで表示され、その映画の自動再生に向けた10秒のカウントダウンが始まる。「戻る」という表示も出ていて、いやいやこの曲を聴ききりたいんだよと思って戻るボタンを押すと、『ディストラクション・ベイビーズ』自体の再生が停まってしまう。あれ、と再生ボタンを押すと、また冒頭から再生が始まる。おいおいとラストまで早送りして、曲を聴こうとしては失敗してと何度か繰り返す。エンドロールはもう存在しないものとして扱われているのか。エンドロールの始まりを最初から見るのではなく、エンドロールが少し流れ始めたところまで早送りして通常速度に戻すことで、ようやく「約束」をきくことができた。