1月18日

 6時過ぎに目を覚ます。しばらく布団の中でケータイをぽちぽちいじり、8時過ぎにようやく起き出す。コーヒーを淹れ、昨日の鍋の残りを温めて雑炊にする。さあテープ起こしにとりかかるかと思っていたところで、FさんからLINEが届く。近いうちに「ふくろ」で飲みませんかと誘われて、明日か来週ならと返事をしていたのだけれども、9時15分に「一杯だけいきますか」と連絡があり、すぐにシャワーを浴びて、アパートを出る。10時過ぎに「ふくろ」に入ると、もうFさんはホッピーを飲んでいた。「これ、橋本さんがくるまえに食べようと思ってたんですけど」と申し訳なさそうに、生牡蠣をつまんでいる(Fさんは、僕が生牡蠣を食べないという話を独自に解釈して、「橋本さんは牡蠣の産地で生まれ育っているから、もう牡蠣は食べ飽きてしまっている」と思うことにしている)。

 Fさんの左隣に座り、瓶ビールを注文する。Fさんは実家に帰っていたそうで、実家や旅先でインタビューしたときの話を聞く。誰かに話を聞くことのむつかしさをFさんが語り、「いや、橋本さんはこういうことの繰り返しなんだろうなって思うと、途方もないなと思った」とFさんが言う。Fさんは里帰りしているあいだに、郷里の歴史について調べ物をしていたそうで、その話もあれこれ聞く。調べ物をする中で、これまで知らなかった悲劇にも触れ、そんなことがあったのかと思うのと同時に、悲劇を書き記すむずかしさについてもFさんは話していた。たとえば、遊郭に売られた女性たちに関する記述で、「器量が悪い女は」云々と郷土史のような資料に書かれていて、その言葉の選び方には違和感が残る――といったような話。歴史を書き記すときに、妙に仰々しい言葉遣いがなされたり、過度に言葉が立てられたりすることに対する違和感についても話が及んだ。「悲劇として言葉が立てられてしまうけど、そうやって切り取られる時間以外に、もっと普通の時間も日常の中にあったはずなのに、そこは書き残されることがない」と。その流れで、「でも、橋本さんの仕事はそこを言葉にしてるから、すごいなと思う」と言われ、どうしてこんなに褒めてくれるんだろう、自分は大病でも患っているんだろうかと思えてくる。瓶ビール2本と、清酒を2本飲んだ。

 12時近くにFさんと別れ、帰途につく。昼寝をするほどではないけれど、ほろ酔いなので仕事は捗らなかった。夕方からは荷造りをする。痔瘻のこともあるし、ドキュメントを書く準備を進めなければならないこともあるし、このまま家で過ごしていたいなという気持ちが、心のどこかにある。そんなふうに感じるのはずいぶん久しぶりだ。これから先は、こんなふうに生活リズムを調整して早朝の便で移動するのではなく、多少割高になっても普段通りの生活リズムで移動できる便をとろう。19時からは『有吉の壁』を観ながら赤ワインを飲んだ。なかなか眠くならなくて、22時からリアルタイムで『水曜日のダウンタウン』を観た。後半に放送された「愛煙家対抗 負け残りタバコ我慢対決」が抜群に面白かった。数年前から思っていることだけれども、バラエティ番組というより、人間の姿を映し出そうとする番組だ。