1月19日

 5時過ぎに目を覚ます。布団の中でぐずぐずして、6時にシャワーを浴び、アプリでタクシーを呼んで日暮里へ。スカイライナーの時間まで少し余裕があったので(そして、空港に着いてからは時間に余裕がなさそうなので)、入場券を買ってJRの構内に入り、コンビニでわかめのおにぎりと赤飯にぎりを買っておく。7時27分に空港に着き、改札を出ると、きっぷうりばに訪日観光客の行列ができていた。この数ヶ月、空港を訪れるたびに海外からやってきたのであろう旅行客が増えている。チェックインカウンターに向かうと、そこにも訪日観光客がたくさんいて、国内線に(米軍関係と思しき人以外の)海外の方が乗っているというのはもはや新鮮に感じる。おそらく僕と同じ那覇行きではなく、札幌行きに乗り、雪景色を見るのだろう。スノーボードを抱えた人もちらほら見かけた。

 荷物を預けようと、行列に並ぼうとすると、僕の数歩先に女性がひとりいて、列に加わろうとする。彼女はマスクをしておらず、スタッフがマスクの着用にご協力いただけますようお願いしております、と声をかけた。女性は満面の笑みを浮かべ、つけたくありません、と言った。その笑顔が印象に残った。テレビでは、屋内でもマスク不要に、と報じられている。飛行機でマスクをつけない人が多数になると、遠出する気力がかなり下がるだろうなという気がする。市場の取材はこの春で一区切りになりそうだけど、生活スタイルも変わるのかもしれないなと考える。

 機内ではずっと仕事をしていた。稽古場でつけていたメモと、テープ起こしたテキストとをドッキングさせる作業。メモだけで508ページ、34万字になる。稽古のある段階までだけで、この文字数になるものを、どうすればまとめられるだろう。那覇空港に到着する頃には正午になろうとしていた。いつもより時間がかかっているように感じるのは、季節風の影響もあるのだろうか(と思っていたけれど、あとで調べてみると、季節を問わずこの便だとこれぐらいかかっていた。くたびれているからそう感じたのだろうか?)。6時半に家を出たことを考えると、あらためて、なかなかの距離だ。預け荷物を受け取り、空港を一歩出てみると、思ったよりも肌寒く感じる。厚手のヒートテックに、長袖のシャツを着ていて、「ヒートテックを脱がないとさすがに寒いかな?」と思っていたけれど、少し肌寒いくらい。空港とゆいレールの駅のあいだにある動く歩道は、老朽化を理由に止まっていた。

 美栄橋に出て、「ホテル山の内」に荷物とコートを預ける。まずは「むつみ橋かどや」でロースそば。「寒波から逃げてきた?」とお店の方が笑う。沖縄も昨日まで寒かったそうだが、今日は暖かいのだと教えてくれる。市場本通りを歩くと、北海道の物産を売るお店や、射的のお店がオープンしている。Uさんのお店に立ち寄ったのち、界隈を散策する。出版社から郵送で原稿チェックをお願いしてもらったお店をまわり、よろしくお願いしますと挨拶しておく。14時、書籍の最後に掲載する予定をお店を訪ねる。先月の滞在時に取材は終えていたのだけれども、1月には新しい市場の内覧ができるはずだというので、その感想だけ追加で聞かせてもらう約束をしてあったのだ。10分ほど話を聞き、お礼を言って市場をあとにする。

 15時過ぎ、「P・K」へ。メニューに「ホヤ酢と干しホヤ炙り」があり、注文してみる。宮城県の協賛がついたメニューらしく、SNSにホヤの写真とハッシュタグをつけて投稿すると日本酒を1杯サービスと書かれてある。サービスしてもらうのも申し訳ないので、SNSをやっていないふりをして注文して、ビールを1杯と、日本酒を2杯飲んだ。会計の額を考えると、たぶん1杯分はサービスしてくれたのだと思う。飲んでいると、「末廣製菓」のSさんが通りかかり、こんにちはと声をかける。こないだ原稿届いたよ、一箇所間違っていたところがあるから、電話しようとしてたところよ、とSさん。

 小一時間ほど酒を飲んだあと、「プレタポルテ」へ。バゲットを買い、コンビニで赤ワインを買ってホテルにチェックインする。荷物を解き、テープ起こしを進める。日が暮れる頃からはワインを飲みながら仕事を続ける。22時半頃にホテルを出て、栄町まで歩く。やはり肌寒く、東京で来ていた上着を羽織って街を歩く。地元の人たちは秋ぐらいの服装で歩いていて、びっくりする。23時近くに「U」に入ってみると、ラストオーダーが近いせいかお客さんは数組だ。隣の出張サラリーマン二人組は、テーブルに酒場巡りの本を置き、次の出張先について(そこでどこのホテルに泊り、どこの酒場に立ち寄るかと)大きな声で語り合っている。そうした本に書かれている精神性とは真逆の態度ではないのかそれはと思ってしまう。

 そのお客さんだけはなく、今日は全体的に雰囲気がいつもと微妙に違っているが気がする。ほどなくして僕以外のお客さんはいなくなり、店員のHさんが「今日、お昼にTさんきてたんですよ」と教えてくれる。Tさんは写真家で、『C』の連載で一緒に仕事をしている方だ。お昼ってことは仕事でこられたんですかと聞き返すと、そう、物書きの××さんって方と一緒に取材で来られてて、のの××さんは取材が終わったあとにそのまま飲んでいってくださったんですけど、結構有名な方なんですか、とHさんが言う。酒場について書く書き手として有名な方がおふたりいて、そのうちのお一方です、と答える。ああ、だからか、とHさん。さっき橋本さんの隣にいたお客さんも、その方のファンだって言っていて、すごい喜んでたんですよ、とHさんが言う。雰囲気が違っていたのはそういうことか。そっか、そんなに有名な人だったんだ、と不思議そうな感じで繰り返すHさんの姿を前に泡盛を飲んでいると、この店は好きだなあとしみじみ感じる。

 公設市場近辺だと、「N」、「A」、「P・K」。栄町だと、「U」と「T」。この5軒は、2018年に取材を始めてから、何度となく足を運んできた。そのうち2軒は閉店してしまって、1軒はコロナ禍になって足が遠ざかってしまって、今では「P・K」と「U」にばかり足を運んでいる。昼間はひたすら市場界隈を歩き、取材のことを考える。夜になると酒場に入って、今日見聞きしたことを反芻する。その繰り返しだ。

 少し前に、友人のUさんとメールでやりとりしているときに、この3年半の取材をしながら感じたことを、あのときはこんなことを思った、このときはこう感じたということを書き連ねて送ったところ、「自分も、その時々には怒ったり悲観したりと色々あったはずなのに、今ではもう忘れてしまっているから、橋本さんはそんなふうにおぼえているのかと驚いた」といった内容の返事が届いた。たぶんきっと、僕にとって沖縄で過ごす時間は日常ではないから、記憶に残っているのだろう。自分が暮らしている土地だと、日々の些事に追われているうちに、だんだん薄らいでいく何かがある。ただ、僕の那覇滞在は何に追われることもなく、ただ、街を眺めて話を聞くだけだ。友人といえばUさんくらいのもので、それも軒先で立ち話をするくらいだから、滞在しながら感じたことを誰かに話す機会も限られている。その状態のまま、酒場で酒を飲んでいると、自分の中に芽生えた感情や感触を反芻することになる。だから、「U」で飲んでいると、Hさんから「今日は雰囲気が険しい」と言われることもあるし、「T」で飲んでいるときは気配を察したMさんから帰り際に「取材、大変だと思うけど、頑張ってよ」と励まされることもあった。カウンターで飲んでいても、普段は自分からあれこれ話しかけるわけでもなく、黙って酒を飲んでいるだけだから、気配としてなにかがたちあらわれているのだろう。もう「T」でおでんを食べられいのは悲しいけれど、まだ「U」がある。那覇に来てよかったなと思いながら、そーみんぷっとぅるーをツマミに白百合を飲んだ。