3月11日

 今日も5時過ぎに目をさます。昨晩もたくさんお酒を飲んだので、くたびれている。それより気に掛かっているのは、財布の中身がほぼからっぽになっていることだ。そして、今日は土曜日である。銀行口座にお金はあるのだけど、口座に残っているぶんは積立扱いになっているものだから、ATMで引き出せるのかどうかよくわからない。とりあえず積立してある金額の一部を「解約」してみたけれど、その「解約」は月曜日にならないとデータに反映されないようだった。もし引き出せなかったら、どうしよう。身元がはっきりしているのは、宿だろうか。宿の方に「月曜日に振り込みますから」とお願いして、お金を貸してもらうしかないのだろうか?――ぐるぐる考えてみたところで、今この場で結論は出ないので、思考を放棄して布団にくるまっていた。

 7時半には布団から這い出し、部屋の片付けをしつつ、もしもお金が引き出せなかったらどうしようかとボンヤリ考える。一番わかりやすいのは、こちらの身元を(旅行支援のために、こちらの身分証も含めて)確認している宿の方に相談して、「月曜日には振り込みますので、返してもらえませんか?」と相談することだろう。ただ、口座からお金が引き出せなくなっているような相手に、お金を貸してくれる人なんているだろうか? それよりは、取材で知り合った誰かに相談したほうが手取り早いだろうか?――しかし、そういう関係の誰かにお金を借りるのは、率直に原稿を書くためにも、よくない気がする。

 迷いながらも、8時半に宿を出る。まずは宿の目の前にあるセイコーマートに入り、お金を下ろせるか確認しようとしたところ、ATMは見当たらなかった。店員さんに尋ねると、「羅臼セイコーマートにはATMはないです、この近くだと、郵便局にしかないです」と告げられる。それならばと郵便局に行ってみると、今日は土曜日だから9時にしか開かないようだった。そわそわしながら、昨日訪れた喫茶店を再訪する。コーヒーを淹れるためのお湯が沸くのを待っているうちに8時57分になったので、「ちょっと、郵便局に行ってきます」と伝えて店を出た。まだ何も飲んでいないので、無銭飲食っぽくもならないだろう。開いたばかりのATMを操作すると、無事にお金を引き出せたので、ずいぶんホッとした。

 お金が下ろせたから、この街から空港までのバス代(2500円ほど)は現金で支払えそうだ(そのお金は現金払いのみだから、起きたときから不安に駆られていた)。お金が引き出せたとなると、次はバスの時間が気がかりになる。中標津方面へのバスは、9時21分に出発する。まだホテルをチェックアウトしていないので、しばらく喫茶店のママさんと言葉を交わさせてもらって、記念に写真を撮らせてもらったあと、いそいそと宿に引き返してチェックアウトをする。そうしてバス停まで歩き、バスを待つ。9時20分になったところで、「そうだ、記念にバス停を写真に撮っておこう」とカメラを向けたところで、バスの時刻表の表記に気づく。その時刻表は、平日と土日祝に分かれていた。平日は9時21分発のバスがあるけれど、土日祝は7時11分発があったあと、13時過ぎまでバスはないようだった。

 あー……。

 どうしようか。

 13時過ぎのバスに乗ったところで、中標津バスターミナルに到着できるのは、飛行機が出発する15分前になってしまいそうだ(しかし、どうして飛行機の時刻に合わせたスケジュールになっていないのか)。それだともう、間に合わない。他にバスはないから、可能性としてはタクシーだ。この街には一台だけタクシーがあると教えてもらっていたけれど、そんな遠くまで行ってくれるだろうか・・? なんにしても、まずは地元の方に相談しようと喫茶店に引き返し、店主に相談してみる。「ハイヤーはあるけど、お金がもったいないから、誰かそっちに行く人がいないか聞いてみる」と、電話をかけて探してくれた。その気持ちに、胸がいっぱいになる。最終的には5000円のアルバイト代で乗せていてくれる人が見つかり、その方に空港まで送ってもらった。片道60キロもあることを考えると、それぐらいの金額で乗せてってもらうのが申し訳ない気持ちは当然あるけれど、手持ちのお金はそんなにたくさんないので、その言葉に甘えてしまった。

 中標津空港には、熊が手指の消毒をするマークや、熊がマスクをつけるマークが張り出されていて、新しい生活様式を呼びかけていた。こうしたポスターもあと数日で入れ替わっていくのだろうかと思って、写真を撮っておく。帰りの飛行機でも、そこから気まぐれにバスタ新宿を目指すあいだも、明後日にインタビューする相手の新刊のゲラを熟読していた。昨日の夜も、酒を飲みながらこのゲラを読んでいた。バスタ新宿が近づくと、甲州街道沿いに数えきれないほどの人が行き交っているのが見えて、なんだこの街はとびっくりする。富士そばで小腹を満たしたあと、新宿3丁目「F」へ。この「F」はバーだ。ツマミメニューもいくつか存在するけれど、基本的にはバーだ。そんなこのお店に、あとからやってきた客が、ツマミが入った袋を満載にしてやってくる。その客が、そんなふうに食材を大量に持ち込む現場に何度か居合わせて、そのたび嫌な気持ちになってきた。ここはバーだ。もちろんフードを注文するのが悪ではないにしても、腹が減っているなら居酒屋に行けばいい話だ。しかし、特にコロナ禍の今、お店側がそれを受け入れているのだから、もう、それが正しいのだろう。こういうときに「Tさんが生きていたら、どう反応していただろう?」と想像してしまうのは、都合が良すぎるだろうか。Tさんは、どこで何を(どのタイミングで)注文するかに、とても意識を払っている人だった。少なくともこんなふうにビニール袋に満載の食材を持ち込むような人ではなかった。

 それとはまったく別の問題として、ひとりで酒場を訪れているのに、ひとりマスク会食をしている自分はかなり浮いているように感じられた(お店のふたりは、マスクをつけていたけれど)。「F」を出たあと、都営新宿線南北線を乗り継いでいるあいだも、マスクをつけていない人が1割ぐらい増えた感じがあった。本駒込を出て、ファミリーマートとんがりコーンを買って帰途に着く。