3月21日

 7時過ぎに目を覚ます。8時過ぎ、「洗濯間に合わんかった」と知人がSNSに投稿して、何が間に合わなかったんだろう、東京では今日雨なのだろうか(しかし、この時間に雨が降り出してしまったのだとしたら、最初から選択に向いてない日なのだから、「間に合わなかった」はおかしいよな)とLINEを送ってみると、どうやらWBCの中継が始まるらしかった。知人はほとんど野球のことを知らないはずだが、こういう層に支えられているものは世の中にたくさんあるのだろうなと思う。

 11時過ぎに宿を出て、のうれんプラザのポートでシェアサイクルを借り、県庁前に出る。リウボウの中の書店を覗くと、僕の新刊は並んでいなかった。マジか、、と思いつつ、タイミングを見計らってお店の方に声をかけ、新刊の案内をさせてもらう。シェアサイクルで58号線を走り、「アクセア」という印刷屋さんに立ち寄って、ウェブから注文しておいたB2サイズのポスターを受け取る。先日ジュンク堂書店にお渡ししたポスター、B2サイズに拡大コピーして貼り出してくださってあったので、そのサイズのものを出力し、届けておく。

 いちど宿に引き返すと、平和通りとサンライズなは商店街の交差点あたりで、タオル屋さんと雑貨屋さんが立ち話をしている。「大谷、大谷って言われてるけど、やっぱりあの四番よ」と、新刊で本を聞かせてもらった雑貨屋さんが力説している。ホテルを出るタイミングでは3対5になり、ちょっともうシビアだなあと思っていたけれど、もしかしたら追いついたのだろうか。シェアサイクルを同じ場所に返却し、今日も「上原パーラー」でネパール風カレーを購入し、ウララに急ぐ。

 「明日も店番やりますか」と、昨日の帰り際にUさんから尋ねられていた。今日は火曜日だから、ウララは定休日だ。ただ、今日は祝日だし、市場ではラジオの公開生放送がおこなわれることになっていたから、市場を目指してやってくる買い物客は一定数いる予感がある。せっかくなら、開いていて欲しい。そう思って、今日も昨日と同じ時間帯で店番させてほしいとお願いしていた。そして、昨日は半分だけ(展示をしている側だけ)あけてもらったけど、昨日「御嶽に関する本ってないですか」と尋ねられ、全部あけておけば売れたかもしれないのにと悔しい(?)気持ちになったのと、雑貨だといくらかわからずアタフタする可能性があったとしても、(昨日はクローズしていた部屋に並んでいる)古本なら値段がわからないという心配もないので、今日はフル営業の形で店番をさせてもらうことになった。

 斜向かいにある建物――かつて琉球銀行が入っていた建物の3階にあるスポーツバーから、野球の日本代表のユニフォームを着た若者たちが、晴れやかな顔で降りてくる。「野球、日本が勝ったんですかね」とUさんに尋ねてみると、「そうみたいです、さっき市場のほうからすごい歓声が聴こえてきて」と教えてくれる。「何かあったら連絡ください」と、Uさんは帰ってゆく。

「『ただのデブ』とか、悪口書いてあるようなTシャツないかな」。小学校高学年ぐらいの男の子が言う。特に太っている子でもなかったが、「そういうTシャツ好きなんだよ」と男の子は言っていた。「9回まで何が起こるかわかんないな」「ほんと野球って面白い」。土産物を下げた若者たちが、しみじみ話しながら通り過ぎてゆく。彼らにとって、沖縄のことを思い出すと、今日の試合が頭をよぎることになるのだろうか。いつだか友人と一緒にRIJING SUN ROCK FESTIVALに出かけたとき、札幌の街角に置かれていたテレビで高校野球の決勝が放送されていて、田中将大斎藤佑樹が投げ合っていた。そのときの光景を、今もたまに思い出す。

 

 スポーツバーから若者たちが降りてくる。戸締りをしているから、店員とその友人たちなのだろう。ひとりは日本代表のユニフォームを、ひとりはおそらくスワローズの緑色のユニフォームを着ている。知人からの情報だと村上がサヨナラ打を放ったということだから、さぞ嬉しかっただろう。5人組は空を見上げながら、「こんな真っ昼間だけど、もう夜明けぐらいの気分だね」と話している。近くのお店の店主が、若者たちに「勝ったねえ」と声をかけている。そうして声をかけている店主は、70代くらいだろうか。なんとなく、若者が切り盛りする酒場(しかもスポーツバーという業態)と、雑貨店の店主とのあいだには、同じ通りに店を構えていても微妙な溝があるのかと勝手に思い込んでいたけれど、勝手な想像だったようだ。

 13時過ぎ、ようやく1冊売れた。接客というものにあまりにも不慣れなせいもあって、昨日はそんなことを考える余裕もなかったが、なるほどこれが「みーぐち」(口開けのお客さん)かと納得する。最初のお客さんが入ると、自分のお店でもないのに「よしよし」という感じがあるから不思議だ。消防局の人たちが連れ立って市場の中に入り、しばらく経って外に出てくる。なにか点検業務があったのだろうか。市場の中から、車椅子に乗ったお年寄りが、後ろから押してもらいながら出てくる。お年寄りはチョコレートのアイスクリームをカップで食べている。今日は車椅子に乗ったお年寄りをよく見かける。市場がリニューアルオープンしたから、久しぶりに行ってみたいというお客さんだろうか。あるいは、普段から結構車椅子のお客さんも多いのだろうか。ぐるぐる歩いているときには目に留まらなかったなと思う。

 平和通りが分岐するあたりの洋服屋さんが、ふたりで通りかかり、「あれ、こっち?」と声をかけられる。今日はここ定休日なんですけど、僕の本も扱ってもらってるから、せっかくだからと代わりに店番してるんですと伝えると、「頑張って売ってね」と励まされる。あとからやってきた親子連れに、「野球の本ありますか」と尋ねられる。そうか、今日はそういう日か。ちょうど店頭に平積みされていた本が1冊売れて空きが出たので、少しでも野球に絡んだ本がないか探してみる。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』と目が合ったが、さすがにこれではない気がする。沖縄の高校野球を特集した雑誌はあるけど、これは空いたスペースよりひとまわり大きくて並べるのは難しそうだ。結局野球の本はあきらめて、公設市場にきた買い物客が反応するかもと、島豆腐に関する本を置いておく。「橋本君、今日も頑張ってるね」。出前帰りのジャンさんが颯爽と通り過ぎていく。

 こうして座っていると、取材させてもらった古本屋さんたちが棚をしきりに触っていた気持ちが、ほんの少しだけわかったような気がしてくる。ただ、ここだとまず立ち止らずに通り過ぎていく人が多いから、何か足を止めさせるような仕掛けがあったらなと妄想する。「江島商店」の息子さんが、不思議なフレーズが書かれた短冊(?)を掲げていた気持ちも、少しだけ理解できたような気がした。おそらく「山城こんぶ屋」で買い物した帰りだろう、スンシーのかおりがする袋を下げたお客さんがやってきて、これ、ちょっと置いていいですかと床に置こうとするので、椅子を出して置いてもらう。他人に対するやさしさというものが自分の中に存在していたのかとびっくりする。誰かのお店で店番をしていると、角が取れていいかもしれない。

「アイスクリーム食べるの、今年初めてだな」。あざやかなピンク色のアイスクリーム。紅芋でもなさそうだし、何の味だろう。公設市場から出てきた旅行客が、「いいなあ、夏だなあ。夏をもらったなあ」と独り言のようにつぶやく。今日はよく晴れている。角のTシャツ屋さんは、ファミリーマート冷やし中華を買っている。今日は冷やし中華がうまいだろうなあ。Mさんが通りかかり、「あれ、今日あけてるんだ?」と言う。今日は祝日でお客さんも通りかかりそうだから、店番させてもらってるんですと伝える。Mさんは棚の様子を見てまわり、あちこち補充していた。「いろいろ、ありがとうございました」。Mさんが言う。「ありがとうございましたっていうのも変だけど、市場の取材はこれで一区切りだっておっしゃってたから、やっぱり、いろいろありがとうございました」と。僕が市場の取材をすることになったのは、Mさんのふとした一言だった。

「日曜日は通常通り営業をおこないます」。粟国さんの声でアナウンスが流れる。第四日曜日は定休日だが、オープンしたばかりのタイミングだから営業するのだろう。「こうやって本屋に入ると、いくら時間あっても足んなくなるんだ」。高齢の女性の言葉に、東北の訛りがにじむ。何冊か本を買ってくださって、「あれだね、『舞いあがれ』のまんまだね」と、高齢の女性が言う。朝ドラは全然観ていないけど、たしか又吉さんが古本屋で出ていたはずだ。風貌はまるで違うけど、「一見すると物静かなのに、中身は激情型」というところはおんなじかもしれないなと思う。

 「今日、いっぱい売れてる?」向かいのアクセサリー屋さんが、市場の中から出てきた店員さんに声をかけている。「今日はラジオの中継もやってたから、お客さんいっぱいしてました。これが続くといいんですけど」と、店員さんが返すと、「だいじょうぶよ、あなたたちなら」とアクセサリー屋さんが言う。

 「もうあったかいね」
 「むわっとするよ」
 「中が寒過ぎるのよ」
 「うちはクーラーが真上にあるからね」
 「だからよ」

 市場から出てきた鮮魚店の店員さんと生鮮食品の店員さんが、そんなふうに話しながらファミリーマートに入っていく。水滴がついたカップを手にしたお客さんが入ってくる。展示された写真を眺めて、「これ、なんの写真なんですか」と声をかけられる。市場がリニューアルオープンしたばかりなんですけど、4年間も建て替え工事期間があって、その日々を記録した写真です、と説明する。自分が撮影者という言い方ではなく、あくまで店番をしている人という感じで説明したものの、「へえ、それで1月に1回通ってたんですか? 普段は東京なんですか?」と尋ねられ、名乗ってないのになと不思議な感じがする。普段のライフサイクルとしては何をしているのかと聞かれたので、そこに並んでいるような本を書いてます、と伝えると、妙に驚かれる。こちらを知った上で話しかけられているのか、そういうわけでもないのかはかりかねて、ちょっと警戒心が高まる。「このあたりで店をやっている人たちの声って、高齢の方だと、失礼な話、そのうち聞けなくなってしまうから、記録しておくべきだと思うんですよね」。さらに警戒心が高まりつつも、そういう言葉もこの本で書き留めてるんですと伝える。「動画で記録したほうがよい」という旨の話をされ、ちょっと今度、仕事で連絡してもいいですかと、相手が言う。「動画に関しては、僕がやるんじゃなくて、それが得意な人がやればいいと思うんですよね、僕は文章で記録するというのが向いているので」と伝えたのに、名刺を差し出される。店番中でなければ、自分の名刺は返さなかったかもしれないが、名刺を渡してしまう。水滴のついたカップを手に入ってきた段階でどうかと思っていたが、僕の本を買うこともなく、フリーペーパー版を持っていくこともなく、その相手は去っていった。

 17時過ぎ、通りかかった買い物客が「あれ、雨?」というのが聴こえてハッとする。気づけばどんより曇り空だ。アメミルというアプリを確認すると、雨雲が迫ってきている。このまま雨が降り出すと、国際通り側に設置されている棚はびしょ濡れになりそうだ。閉店時刻も近いし、ビニールカーテンの設置の仕方はよくわからないので、はじっこの棚を仕舞い込むことにする。この棚、どうやれば動かせるんだろうなと、いろんな角度から眺めてみる。向かいのアクセサリー屋さんがやってきて、「下のストッパーが下がってるんじゃない?」と教えてくれる。他のお店の方もやってきて、「もう少しオーニングを出したほうがいいんじゃない?」「いや、そんなには降らないはずよ」「オーニングを出すなら、もう少し角度を斜めにしないと、こっちに水滴が落ちてくる」と、あれこれ教えてくれる。旅行客として行き交うだけではわからない感覚に触れたような心地がした。

 17時半ごろにUさんがやってきて、「大丈夫でしたか」と声をかけられる。店番をしながら考えたことをいくつか話す。それと、さっきの名刺のやりとりに関連して、「やっぱり店番してると、拒否しづらいところがありますね」と言うと、「拒否してもらってもよかったですよ」とUさん。昨晩『水納島再訪』に関して言われたことのショックを誰かと話しておきたくて、Uさんに伝える。全然話は別なんですけど、と前置きした上で、ある記者が「『市場界隈』を読んで、あなたの人となりは大体わかりました」と言った上で、あれこれ話しかけてきたので、相手に何かを言われても無言でいたら、そのうち帰っていったそうだ。誰かの人となりがわかることなんてあるのだろうか。

 机の下にお弁当ガラを置いていたのが見つかり、「ここでお弁当食べたんですか」とUさんが言う。Uさんがお店を始めたとき、他の店主たちがそうしているのを真似して、店番しながらお弁当を食べていたら、他の店主から「ふてぶてしい」と言われたんです、と(Uさんが言っていたのは「ふてぶてしい」ではなく、もっと別の言葉だった気がする。そしてこのエピソードはエッセイにも書かれていた気がするけれど、今は仮に「ふてぶてしい」としておく)。ここで食べるのに抵抗なかったですかとUさんに尋ねられて、キッザニアみたいな感覚だったので、と素直に答える。この界隈を歩いていると、お昼時を少しずらした時間帯に、店主たちが店番をしながらお昼を食べている姿を見かけることが多々ある。せっかく代打で店番をさせてもらうのだから、そんなふうにお昼を食べてみたいと思っていたのだ(昨日のお弁当ガラはトートバッグにしまい込んでいたから、ここでお昼を食べたことはバレていなかった)。

 また4月にきますと言って、お店をあとにする。一度宿に引き返し、1冊だけ残っていた新刊とポスターを持って、取材させてもらった洋服屋さんへ。お店の方から、「よかったらうちにポスター貼りますよ」と連絡をいただいていたのだ。それとは別に、数日前になって編集者のMさんから、そのお店宛の献本が戻ってきてしまったと連絡が入っていた。そのあたりのお店は看板を出していない上に、郵便受けもなく、しかもそのお店は最近夕方から夜の営業に切り替わったから、郵便配達員が行き交う時間帯には営業していない。しかも、そこは水上店舗の中にあるお店だから、何百メートルかずうっと「牧志3-3-1」という住所なのだ。

 そのお店に本を届けたのち、「パーラー小やじ」に行き、ビールを飲んだ。勝手に店番をしていただけなので、仕事をしたわけでもなんでもないのに、一仕事終えたような心地がする。ビールを2杯と、日本酒(墨廼江)を2杯。どこか2軒目に流れようと思っていたのだが、定休日だったり混み合ったりしていてどこにも入れないまま、街を彷徨う。テレビではWBCの再放送をやっているようだった。結局どこにも入らないまま、ホテルに引き返し、野球を眺めながら赤ワインを飲んだ。