3月24日

 6時に目を覚ます。コーヒーを淹れてたまごかけごはんをかきこんで、書評を書き始める。9時にはおおむね書き終えて、今度はRK新報の連載の原稿に、取材させてもらった方からの修正を反映して、少し言い直しを推敲し、メールで送信する。そのあとで書評をもう一度読み返す。最初の原稿では「しみったれた」という言葉をあえて用いていたけれど、それは、あえてであっても用いるべきではないのではと思えてくる。特定の店を指す言葉でなくとも、「しみったれた店」という言い方を、お店を取材することの多い自分がするのは間違っているのではないか、と。結局、言葉を書き換えてから原稿を送信する。

 キャベツが冷蔵庫に残っていたので、昼は焼きそばにする。締切の迫った原稿はなくなったので、ホッとして、しばらくぼんやり過ごす。今後の日程のことを考えていたところで、免許の更新期限が迫っていたことを思い出す。ほんとは1月3日までだったのだけれども、コロナの影響で更新期限の延長ができるようになっていたので、4月5日までに延長してもらっていたのだ。27日から5日までは沖縄に出かけてしまうので、それまでに更新に出かけなければならない。更新の受付は8時半から15時までで、時計を確認すると14時33分、急いで身支度をして、タクシーを使ってギリギリ間に合うかどうか――。今日が無理なら、明日も明後日に行くしかないけれど、どちらも10時から企画「R」として街を散策することになっている。制作のKさんに相談し、明後日の散策は11時スタートに変更してもらって、その日の朝イチに更新することに決める。

 夕方になって、RK新報のゲラと、取材させてもらった方からの修正希望とがそれぞれ届く。ゲラが出たということは、レイアウトが決まったということでもあり、どうすれば修正希望を行数に収められるかと頭を悩ませる。19時に「こんなふうに修正するのでいかがでしょう?」とメールで送信したのち、日暮里駅へと急ぐ。日暮里駅の向こう側にある「又一順」の2階に上がると、ムトーさん、セトさん、サキ先輩、それにKさんが円卓を囲んでいる。おつまみセットを注文し、乾杯。2階にはお客さんがもうひと組だけいる。スーツ姿のサラリーマンで、ときどき大きな笑い声が起きる。不安になってちらりと振り返ると、全員マスクをつけたまま会食していて、妙に感動する。全員がこんなふうに過ごしていれば、飲食店もつつがなく営業ができるだろうに。21時ごろに店を出て、スーパーで各自お酒を買う。修正案に対するさらなる修正希望が届いていたので、電話をかけて少し相談させてもらう。谷中霊園に移動してみると、桜は見事に咲いているのだけれども、枝が切られていてこぢんまりしている。墓も区画整理(?)が進められているのか、空き地になった場所をちらほら見かけた。セトさんが「谷中霊園には広津和郎の墓がある」というので、セトさんがそらんじた住所を頼りに探し歩き、広津和郎の墓を見つける。散文精神。23時頃に解散し、アパートまで戻ると、修正案をRK新報の担当記者と、取材させてもらった方と、それぞれにメールで送信しておく。

 

3月23日

 10時、上野の西郷隆盛像で待ち合わせ。企画「R」、昨日で最終回を迎えたのだけれども、出演者の皆と歩き直す作業は続く。上野公園の入り口には警察の大型車両が停まっていて、どこか物々しいが、一年前の春とは違って人で賑わっていた。不忍池まわりも大賑わいで、サングラスに黒いマスクをした修学旅行生が、4人並んで水鳥を写真に収めている。修学旅行にきて、不忍池にこようと思うんだね、とFさんが言う。湯島から神保町に出て、「新世界菜館」で弁当を買う。ぼくは近くのコンビニに走ってアサヒスーパードライを2本買って、愛全公園に移動。ぼくが中華風カレーを選んだせいか、半数以上はカレーだった。九段坂を歩き、靖国神社に出る。武道館では大学の卒業式が開催されているのか、袴姿やスーツ姿の若者たちがあちこちにいる。卒業式が終わったあとに靖国神社で写真とか撮ろうと思うんすね、とFさんが言う。「宴会禁止」という看板だけ出ているのかと思ったら、「アルコールの持ち込み禁止」と書かれていたので、残っていたビールを慌てて飲み干し、ビニール袋にしまう。しかし、アルコールの持ち込み禁止とはどういうことなのだろうと、献酒会の樽酒を横目に鳥居をくぐる。

 1年前は道が塞がれていたけれど、今年はフェンスが撤去されていて、桜の開花の標準木の前にはひとだかりができていた。それを横目に歩き、招魂斎庭跡を見に行く。神社を抜け、飯田橋に出る。お濠端には「花見禁止」と貼り紙があったが、レジャーシートを広げてお昼を食べている人の姿があった。「あとで違うアングルでここを見ることになります」と説明しながら飯田橋の陸橋を渡り、後楽園にたどり着く。ここからようやく2ルート目。東京ドームシティアトラクションズのメリーゴーランドをしばらく眺めて、小石川を歩く。植物園の前を歩いていると、A.Iさんが小さい頃の記憶をぽろぽろと話してくれる。護国寺の陸軍埋葬地を見てから雑司ヶ谷霊園に向かい、そこから神田川のほうに下る。同じ大学出身のT.Sさんが「私、よくこのあたりを散歩してて、この坂を歩くのが好きでした」というので、当初は別の坂を歩くつもりでいたけれど、幽霊坂を選んで歩く。神田川沿いの桜は満開で、大勢の花見客が行き交っている。江戸川橋に出たところでタクシーに分乗し、かつて都電が走っていたコースを走って日比谷公園まで。東京駅の丸の内側にある広場では、新郎新婦が記念写真を撮影していた。海外の方のように見えたけれど、どんな思い入れがあってこの場所を選んだのだろう。17時半、東京駅丸の内北口で解散する。ぼくは入場券で構内に入り、駅弁屋「祭」をのぞく。取り扱う商品が年末年始に歩いたときよりも少なくなっていて、売り場の一部が閉じられている。エキュートにある寿司屋で10巻セットを2個買って帰途につく。今日が書評の締め切りで、帰宅してすぐに書評を練り始めたものの、今日は20キロほど歩いたせいか頭が働かず、担当記者のMさんにお詫びのメールを送信して、知人と寿司を平らげた。

3月22日

 3時半に目を覚ます。どうにかちゃんと寝ることができて、寝坊をすることもなかったなとホッとする。二度寝してしまわないようにとテレビのスイッチを入れると、カラフルな画面が斜めに流れ続けている。シャワーを浴びて歯を磨き、KさんとJさんにLINEを送っておいて、徒歩2分の場所にある日産レンタカーへ。昔は24時間営業のレンタカー屋がもっとあったように思うけれど、今では数店舗に減ってしまっている。手続きをして、車体の確認をする。ボディに水滴がついていて、昨日は大雨でしたからね、と店員さんが言う。いつも微妙に手間取ってしまうので、店員さんに確認して、iPhoneの音楽を流せるように設定しておく。

 4時15分にホテル・京王プレッソインの前でKさんとJさんをピックアップし、ここ数日間考えて続けていたプレイリストを再生しながら、Fさんの自宅の近くを目指す。プレイリストに入っているのは、ライブのSEとして使われる「マーキームーン」をのぞけば、すべて向井さんの作った曲だ。Fさんをピックアップしたところで、この1年続けてきた企画「R」として街を走り、目指していた場所にたどり着く。7時半ごろにFさんを送って別れ、Kさん、Jさんと一緒にレンタカーを返却し、ホテルに戻る。朝食付きのプランだというので、3人で朝食会場に向かい、カレーライスを食べながらしばらくしみじみ話した。

 チェックインまでの2時間で書評を練るつもりでいたけれど、ほとんど何も考えられないままチェックアウト時間になり、11時にホテルを出た。中央線で御茶ノ水に出て、開店直後の「ランチョン」に入り、入り口のすぐ近く、窓側の2人がけのテーブル席に座る。まずはビールを頼んで、窓の外を眺める。何か先にツマミでもと思ったけれど、おそらくそれだけで満腹になるだろうからと、メンチカツだけ頼んだ。2杯目のビールを飲み干したところでメンチカツが運ばれてきて、3杯目を頼む。昼間からビールを飲んでいる人は案外少なかった。高齢の一人客が、店員さんと「お元気でしたか」と挨拶を交わしながら会計を済ませ、帰ってゆく。なにひとつ変わっていないせいですぐに忘れてしまいそうになるけれど、今日で緊急事態宣言が取り下げられたのだった。最後にハーフ&ハーフを飲んで、店をあとにする。「東京堂書店」で新刊を何冊か買ったのち、「成城石井」で春雨サラダにオリーブ、麻婆豆腐、それにチーズ(ブリー)を買って帰途につく。書評のことをぼんやり考えながら(つまり具体的には考えられないまま)知人の帰りを待ち、数日ぶりに乾杯。

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3月21日

 6時過ぎに目を覚ます。昨日はミニストップまで歩いたけれど、すぐ近所にファミリーマートがあることに気づき、そこでハムのサンドウィッチとホットコーヒーを買って帰り、撮影のイメージを膨らませる。取材の一環として、今日は物撮りをすることになっている。いつも基本的にドキュメントとしてしか写真を撮らないので、セッティングをして配置を決めて撮影するとなると、勝手が違ってどぎまぎする。10時にホテルをチェックアウトして、小雨が降るなか会場を目指す。まずはM&Gが用意しておいてくれた照明をセッティングする。ええと、物撮りの場合の光源はと、ネットで検索した知識をもとに照明を立てる。昨日のうちに持ってきてくれていた参加者の思い出の品々から、まずは撮影を始める。

 あっという間にお昼になり、「スタンツァ」というイタリアンでお昼ごはん。一足先に会場に戻り、取材の準備を整えながら、昨日持ってくるのを忘れていた参加者の方たちから品物を預かり、撮影に取り掛かる。撮影を終えたところでワークショップの場に戻り、合間の時間を縫うように参加者の皆さんひとりひとりにインタビューする。昨日も10人近くに、今日も10人近くに話を聞かせてもらった。ひとりあたりの時間は5分ほどとはいえ、質問を練り、相手の話す感触を探りながら話をする、ということには変わりはなく、こんなにたくさんの人に話を聞いたことってなかったなと思う。

 18時にワークショップが終わり、後片づけをして、20時16分発の特急ひたちに乗り込んだ。今日はホテルに到着してすぐに眠らなければならないので――しかし車内で眠ってしまうと目が冴えてしまいそうなので――タオルで視界を塞ぎ、音楽を聴いて過ごす。最後に10数分うたた寝してしまって、22時40分、Jさんに肩を叩いて起こされる。ぴかぴかした照明を視界に入れないようにタオルで視界の大半を塞いだまま、東京駅八重洲口を出て、同じホテルに宿泊するKさん、Jさんの足元だけを見て歩く(KさんとJさんには申し訳ないけれど、ぼくは運転があるので、とにかくすぐに寝なければならない)。ホテルにチェックインし、とにかくケータイだけは充電器に繋いで、すぐに寝る。

3月20日

 7時過ぎに目を覚まし、コンビニに出かける。駅の近くにミニストップがあり、近所には店舗がなくてほとんど利用することもないので、せっかくだからとミニストップまで朝ごはんを買いに出掛けてみる。店舗で作っているというおにぎりがあったので、明太子と玉子のやつと、それにホットコーヒーをテイクアウト。11時半にワークショップ会場に移動し、まずは皆でお昼ごはん。駅前ビル・ラトブの1階にある(元・回転)寿司屋「おのざき」に入り、まずはいわき5品盛と瓶ビールを頼んだ。もちろんこんなタイミングで飲んでいるのは僕だけだけれども、寿司屋に入って酒を飲むなというのは無理だ。

 12時50分に会場に戻ると、すでに参加者の皆さんが到着し始めている。M&Gの皆は13時半からだと勘違いしていたけれど、13時からだったようだ。いそいそと取材の体制を整えているうちに、ワークショップが始まる。今月は2階と3階に分かれての作業になるのだけれど、自分の身を置けるのは片方のフロアだけだ。2階にはiPhoneの録音アプリを、3階にはICレコーダーを回しておき、3階のF.Tさんのワークショップの様子を見届ける。18時にワークショップは終わり、3階でひとり地図を眺めていると、誰かが階段を上がってくる音が聴こえてくる。とれと同時に、ギュインギュインギュインギュインと不吉な音が響く。階段を上がってきていたのは制作のKさんで、鳴り響いているのは地震速報だった。数秒後に建物が大きく揺れ始め、おーお、と揺れの状態を探りながら立ち尽くす。しばらくふたりで立ち尽くしていたのだけれども、おそらくほぼ同じタイミングで、同じことを考えつく。この建物はかなり古く、もしも3階と2階を結ぶ階段が塞がれてしまったら――顔を見合わせ、2階に降りると、皆が縁を描くように並び、身をかがめていた。

 ほどなくして揺れは収まり、劇場のTさんの運転するクルマで劇場まで移動する。控え室に案内されたところで、だけどこれ、トークイベントは開催するにしても、配信はやめておいたほうがいいんじゃないのとFさんが言う。地震があったときには、トークイベントの開始まで1時間を切っていた。この1時間のあいだに、今の地震で大きな被害が出た土地はなかったのだろうかとか、津波は大丈夫だろうかとか、トークイベントの会場は無事だろうかとか、いろんな心配をそれぞれがしていただろうけれども、地震が起きたばかりの土地からトークイベントの配信をするのはどうだろうかというところまで、あの時間の中で考えていた人がどれだけいただろう。ぼくは、ただ同席するだけの立場だったこともあるけれど、そんなところまで考えは及んでいなかった。結果的に、配信は後日アップされることになった。

3月19日

 6時に目を覚ます。からだが重い。どうにか布団から這い出して、少しストレッチをする。シャワーを浴びて、洗濯物を干し――とやっているうちに7時半だ。電車だと間に合わなそうなのでタクシーを拾って、上野駅を目指す。駅のホームで缶コーヒーを買って、8時ちょうど発の特急ひたちにギリギリで乗り込んだ。ひとつ後ろの席に、演出部のMさんと、Jさんが座っていたので、挨拶。先月は満席だった特急ひたちも、東北新幹線が運転を再開したおかげで、かなり空いている。車内では辞書のような厚さの本を読み返しながら、どう書評しようかと頭を悩ませる。「こういう本はなるべくスピーディーに取り上げたい」と思って、発売直後に委員会に諮っていたものの、それでも発売から2ヶ月経ってしまった。このあたりはもどかしいところ。

 10時23分にいわきに到着する。「いわきは寒いので、温かい格好で」と連絡をもらっていて、冬の出立ちでやってきたのだが、それでも少し寒いくらいだ。改札前には資料を手にした人がちらほら立っている。何だろうなと少し様子を伺っていると、運転免許の合宿にやってきた人たちを待っているのだった。薄着でやってきた若者たちは、寒そうに背中を丸めている。合宿ならしばらく滞在するのだろうけれど、大丈夫だろうか。迎えにきてくれていたTさんと合流し、ワークショップが開催される会場まで歩く。ぼくは今日のところはやれることがないので、荷物を預けるだけ預けて、駅に引き返す。10時53分発の常磐線広野行きは、ほとんど乗客がいなかった。車窓から見える景色まではおぼえていないけれど、この車両に皆がずらりと並んでいた風景は今でもよくおぼえている。あれは、「まえのひ」がいわきで上演されたときだから、2014年の3月中旬のことだ。

 四ツ倉駅で電車を降りる。駅舎は新しく建て直されているところだ。駅からまっすぐ延びている道を進んで、歩道橋で国道6号線を越えると、防潮堤が見えてくる。あのころは整備中だったところが、すっかり完成して、風景が変わっている。でも、あそこに見えているマンションは同じだったなとか、ここらあたりに祠のようなものがあったはずなんだけどとか思いながら、砂浜に出る。犬を散歩させている人が遠くに見える。ヤシの木のようなものが、一定の間隔を空けて植えられているけれど、あんな樹木は見かけなかった気がする。そして、何か建てるのか、波打ち際に土が盛られてちょっとした高台のようになっているのが見えた。7年前に皆でここを訪れたとき、防潮堤からA.Iさんが砂浜に飛び降りる瞬間を撮ったことを思い出す。あのときは飛び降りられるくらいの高さの防潮堤しかなかった。そして、あのときはA.Nさんの誕生日で、砂浜でAさんにケーキをプレゼントした。それから1年経った3月に、『まえのひを再訪する』という本を書くために、ひとりでこの砂浜を訪れた。あれからもう6年も経っているのか。

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 帰りの電車は13時7分発としばらく時間があるので、近くにある道の駅まで足を延ばす。2階にはフードコートがあった。寿司屋があったので、一番上等な寿司を注文する。テラス席もあるけれど、そこには誰も座っていなくて、お客さんは全員店内で食事をとっている。風は強いけれど、そこまで寒いとも感じないのと、店内の席は席の感覚がやや狭いこともあり、テラス席に荷物を置く。寿司を待っているあいだに、1階の売店から生ビールも買ってくる。出来上がった寿司を頬張りながら、ビールを飲んで、海を眺めて過ごす。お寿司は美味しかったけれど、福島、いわき、という感じのラインナップでもなく、もう少しリーズナブルなセットを選んだほうが近郊の魚が多かったのかもしれないなと少し後悔する。

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 駅まで引き返すと、電車は13分遅れで運転しているとアナウンスが流れてくる。駅のホームにあるちょっとした段差に腰掛け、書評する予定の本を読み返す。ホームにやってきた若者が、電車を待ちながら、鼻歌を歌っている。あんまり自然に歌い出すものだから、しばらくそちらに視線を向けてしまう。いわき駅に到着して、ワークショップに戻ると、F.Tさんや制作のK.Sさんも到着していた。しばらく会場で過ごしたのち、3時にホテルにチェックインをして、明日からのワークショップに向けて、過去のワークショップでのメモなどを読み返し、ぼくがおこなうインタビューの質問や、撮影のしかたを考えているうちに夜になっている。それぞれの時間は短いとはいえ、1日に10人インタビューするというのは初めてのことだから、今更ながら緊張する。

3月18日

 5時半に目を覚ます。6時に洗濯機をまわし、コーヒーを淹れ、たまごかけごはんを平らげる。10時に品川駅に集合。全員揃ったところで10時10分、第一京浜を歩き出す。スケジュールを組んだとき、念の為にと10時集合/10時15分出発としておいてよかった。高輪ゲートウェイ駅前は、まだほとんど空き地のままだ。泉岳寺のあたりも再開発が始まるのか、「まちづくりを進めています」という張り紙がちょうど貼られているところだ。増上寺の境内には袴姿の女性たちがいて、卒業証書と記念写真を撮っている。新橋に出て、「檸檬屋」で広島風お好み焼きを6個テイクアウトし、駅近くの公園に移動する。その合間にぼくはアサヒスーパードライを2本買っておき、皆が半分ずつ紙皿に取り分けて、ちょうど腰くらいの高さにある段差に腰掛けて食べている様子を眺めながら、ビールを飲んだ。たぶんこの皆と広島に行く機会はないだろう。F.TさんやA.Iさんと行く機会も、ないかもしれない。だから、こうして皆が広島風お好み焼きを食べているというのがとても不思議な風景であるのと同時に、感慨深く、対岸からしばらく眺めていた。

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 それにしても、1年前とはなんて雰囲気が違うのだろう。4月に歩いたときとはまるで街の雰囲気が違っている。何も変わっていないどころか、むしろ状況は悪化しているとすら言えるのに。ちょうどお昼どきということもあり、公園にはサラリーマンがたくさん溢れていて、何か食べたり、ぼんやり休んだりしている。同じルートを歩いていて面白いのは、かつて歩いたときに目にした風景だけではなく、「ちょうどこのあたりを歩いてたときに、こんなこと話しましたよね」という会話も含めて甦ってくるということ。去年の春に赤レンガ通りを歩いていたときは、これから飲食店ってどうなってしまうんだろうかと話していた。どんどん飲食店が閉店してしまって、そうすると家賃も下げざるを得なくなって、そこからまた新しいものが生まれてくるのかもしれない、と。空き物件は街に増えているけれど、家賃の相場は変わっているのだろうか。

 都営浅草線で東日本橋に出て、柳橋をちらっと見て両国橋を渡り、回向院と東京都復興記念館をめぐる。コンビニでアサヒスーパードライ(今度はロング缶)を2本買い、隅田川沿いを歩く。今戸橋跡にたどり着くと、この近くに船着場があったこと、ここから吉原に向かって川が流れていたことを説明してから暗渠の上を歩き出すと、後ろから「ブラタモリみたいだね」という声が聴こえてくる。思わずFさんに「そういうこと言われるに決まってるから、こういう説明ってしたくないんですよね」と漏らすと、Fさんが後ろの皆に「ブラタモリみたいっていうのが一番言われたくないみたいだけど」と伝える。品川からのコースを歩き始めた時点で薄々感じていたことではあるけれど、ほとんどの皆は、ここまで綴ってきたテキストのこと、読んでいないのだろう。そのことに特に傷つくこともないけれど、ざらざらした感触は残る。

 三ノ輪まで歩いてお開きとなる。誰か居残る人がいれば路上で缶ビールでもと思っていたけれど、皆地下鉄で帰ってしまったので、ひとりで商店街をぶらつく。餃子でも買って帰ろうか、いやでもバスで帰るなら匂いが車内に充満してしまうかと思ってやめにする。薬局でトイレットペーパーとティッシュを買い、バス停に向かおうとしていると、自転車で通りかかったZ先輩と遭遇する。こんなふうに偶然出会えて嬉しくなる。少し立ち話。バス停にたどり着いてみると、ちょうどバスが出てしまったところだ。足が棒のようになっているので、タクシーを拾えないかとうろうろしてみたけれどまったく通り掛からず、結局次のバスで帰途につく。今日は17キロくらい歩いて、ただビールを飲みながら歩いただけなのだけれども、芯からくたびれてしまった感じがして、何も仕事に手をつけられないまま床につく。