3月31日
朝からそわそわする。11時58分にアラームをセットしておき、インターネットで正確な時刻を見ながら12時になるのを待ち構えて、その時刻にトークイベントの告知をnoteに投稿し、SNSにも12時きっかりに投稿する。それだけで一仕事終えたような心地になる。夕方、北千住へ。少し前に、北千住駅前の東京電機大学のキャンパス内にもPCR検査センターが開設されていて、北千住なら乗り換えなしでいけると喜んでいた。ただ、キャンパス内のどこにあるのかはサイトに記されておらず、しばらくキャンパス内を彷徨って、ようやく検査センターにたどり着く。この検査センターは数ヶ月限定のもので、今月末には閉じるようで、だから案内がしっかり書かれていなかったのかもしれない。キャンパスから北千住駅の方向をみると、手前には古い商店があって、その奥に駅ビルが見えて、コントラストが強い風景だ。
大塚に出て、都電沿いを歩く。カメラを手に歩いていると、やっぱり気分が違う。那覇の市場界隈でカメラ片手に歩くことはよくあるけれど、そこには明確な目的意識がある。東京で特に目的もなくカメラを手にしているときは、目が変わる。ただ、そうしているあいだは書くことから少し意識が離れているので、ふたつを両立させるのはむずかしい。雑司ヶ谷に出て、「古書往来座」をのぞいたあと、副都心線で新宿へ。18時に新宿3丁目「F」。京都で買っていた漬物をお土産として渡す。開店したばかりで他にお客さんはおらず、ジャズが流れている。Bさんとぽつぽつ話していると、ふと、ピアノの音に聴き覚えがあるような気がする。今流れているのはと尋ねると、ビル・エヴァンス・トリオのライブ盤だと言う。最近は開店してしばらくは静かだから、あんまりロックを流す気分になれなくて、ジャズをかけていることが多いのだとBさん。「このライブ盤は、オーディオマニアの人たちに言わせると、最高のアンプで聴くと『地下鉄の振動が聴こえるらしくて』」。それはニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードで収録されたものだという。「地下鉄の振動はわかんないけど、でも、その真偽のほどはわからないけれど、「でも、これを聴いてると、食器を下げる音とか聴こえるんだよね。その音を聴いてると、ああ、人が生きてたんだなって感じがする」とBさんが言った。
3月30日
昼過ぎ、蔵前へ。どうにも写真の色味がいまいちで、森山大道モードみたいなやつで撮ってみたけれど、さすがにやりすぎ感が出る。C社に入り、打ち合わせ。のち、隅田川沿いを歩き、浅草に出る。平日でも若者で賑わっている。皆、何かを買い食いしている。伝法院通りにはあちこち「飲食禁止」の看板が出ている。昨日、やなか銀座を歩いているとき、お店がどんどん観光客向けのお店に変わっているという話にもなった。それではつまらないなと思う一方で、今の時代にはもう、観光客的な目線でしか生きていけないのかもしれないなとも思う。まだどこかに古い商店街が残っていて、地元の人だけが行き交っている町があるとして、そこを「良い」と感じることにも観光客的な視線が含まれてしまうし、そういう場所に住んで生きていこうと決めることにもその視線が含まれてしまう。なんだか八方塞がりだ。
「水口」は定休日だった。浅草に来るたびに、なんだか持て余す。寄席に通う趣味があるわけでもなく、買い食いをする気にもなれず、川べりでぼんやり過ごすのも自分の性に合っているようには思えなくて、「水口」を覗くか、あとはユニクロを冷やかすぐらいで、特に何をするでもなくバスに乗って帰るばかり。
3月29日
昼過ぎ、市川へ。気になったF2.8のレンズはカメラのキタムラ市川店に中古品の在庫があるらしく、お店まで行ってみる。大学時代の友人であるAさんが住んでいた頃はちょこちょこ遊びにきていたけれど、Aさんが引っ越してからは一度も訪れていなかった。キタムラは駅ビル「シャポー」の端っこに入っているらしく、そこを目指して歩きながら、「本当にここにレンズの在庫があるのだろうか?」と不安になる。フロアマップをみると、かなりこぢんまりした店舗のようで、そこで中古のレンズを販売しているのだろうか?と。予想通りこぢんまりした店舗だったが、店頭の小さなショーウィンドウに、僕が探していたレンズが並んでいた。すぐに購入し、カメラに装着する。駅前をぶらりと歩いていると、右足の付け根が一瞬痛む。数日前にも、外を歩いているときに一瞬痛みが走り、足が外れたような感覚があり、それ以降歩くのが少し怖くなっている。
16時に日暮里駅の改札で待ち合わせ。駅前のセブンイレブンでお酒を買って、Fさんを覗くボエーズの皆で谷中霊園を歩く。桜はほとんど満開だ。「すっばらしいなあ」と、桜を見上げてムトーさんが言う。自分は桜を見て「素晴らしい」と思っているだろうか、ただ漫然と「咲いているなあ」と思っているだけじゃないかと考えながら歩く。途中で広津和郎のお墓を見つける。散文精神――と、ほとんど広津和郎の本を読んだこともないのに、その言葉ばかり繰り返している。セトさんは丁寧にお墓に手を合わせていた。途中に公園のような一帯があり、まだ整備されてまもない感じがする。そこにあるのは渋沢栄一の墓だった。
墓地を歩いていると、人の家の前をぶらつているような感じもして、缶ビール片手に歩くのがどこか憚られるような心地もする。近くに住んでいるけど、霊園に普段から馴染んでいないからだろう。中には「お名刺拝受」と名刺入れが設置されている墓もある。故人(というよりその遺族)に対して「ちゃんと墓参りにきてますよ」と知らせないといけないような関係は窮屈だなと感じる。日が暮れたところで「こなや」に入り、乾杯。セトさんがある話をしているあいだ、Kさんがどんな気持ちでいるんだろうと気になってしまって、つい話に割って入って止めてしまう。普段ならきっと言わずに過ごしていただろうけど、きっと酔っ払っていたのだろう。
3月27日
京都駅に出て、お土産と淡路屋の駅弁を2個買う。春のお弁当。京都タワーが好きだ。9時半の新幹線で東京に引き返す。新幹線は思いのほか空いていた。ただ、2年前の春に品川駅に佇んでいたときのことを思い返してみると、あのときは新幹線に乗っている人がほとんどいなかったなと思う。新幹線の中では、20年近く前に書かれた日記を読んでいた。12時頃に帰宅し、知人と一緒に淡路屋のお弁当を平らげる。
「散歩に行きたい」と知人が言う。散歩ってどこにと聞き返すと、桜を見に、と知人が言う。それならばとバスに乗って浅草に向かう。お昼はもう食べたけど、なんとなく「水口」の前を通ってみると、行列ができている。「コロッケ売り切れ」と貼り紙も出ているから、きっとマツコの番組で「水口」が紹介された回が再放送された影響なのだろう。伝法院通りは人でごった返している。皆、何かしらの食べ物を買い食いしている。そこを突っ切り、隅田川に出てみると、桜はほとんど満開だ。僕の中ではようやく開花したくらいかと思っていたので、びっくりする。
缶ビールを買って、川沿いをそぞろ歩く。知人は桜の木を眺めながら、「ほら! ふかふか!」「ふかふかよ!」と、ずっと繰り返している。僕は看板をコレクションするように写真に撮って歩く。今戸橋があったあたりまで歩き、待乳山のほうに出る。池波正太郎生誕の地、葛飾北斎終焉の地と書かれた看板を見て、せっかく浅草にも近い場所に住んでいるのに、なんにも知らないままだなと思う。葛飾北斎の版画をあれこれ見てみたいなと一瞬思う。御徒町までぶらぶら歩き、「吉池」で魚を買ってバスに乗る。
3月26日
今日は雨の予報が出ている。が、まだ降り始めていないようなので、7時過ぎにジョギングに出る。まだ夜を引きずっている木屋町を抜け、鴨川に出る。広々として走りやすく、ここに住んでいたら楽しいだろうなあと空想する。川のある街にいちど住んでみたいと、ずっと思っている。デルタのあたりで引き返し、7キロほど走る。スターバックスコーヒーでホットコーヒーをテイクアウト。あれは「サラダラップ」というのか、春巻きみたいなやつを買おうかと眺めていたけれど、旅先とはいえ500円近い料金を支払うのもなあと冷静になり、コンビニでサンドイッチを買う。
午前中はトークイベントのテキストを構成する。お昼近くになり、せっかくだからと大阪へ。12時頃に梅田に到着し、お昼は何を食べようか、そんなにしっかり食べなくてもよいのだけど、軽く何かと思って、新梅田食道街に行ってみる。串カツ屋ならひとりで飲んでいるおじさん客も多いだろうし、穏やかに過ごせるのではと向かってみると、大声で談笑しながら飲んでいるお客さんで溢れかえっている上に、行列まで出来ている。が、もう串カツの口になっていたので、彷徨いながらGoogleマップで「串カツ」と検索し、阪急の地下へ。そこはわりと静かだったのと、すぐに入ることができたものの、メニューを開くと「10本3000円」とあり驚く。ただし、定食だと1000円ちょっとだ。ご飯も味噌汁も要らないんだけどなあと思いつつも、ご飯少なめの定食を注文し、ビールもつける。味噌汁とビールと串カツとごはんを交互に平らげるのは案外楽しかった。
御堂筋線で淀屋橋に出て、「Calo Bookshop & Café」へ。先日、水納島の祥さんから、「橋本さんの本を読んだというお客さんが泊まりにきてくれた」と連絡があり、どうやら書店に勤めている方のようだと教えてもらって、一体どこのお店の方だろうと気になっていた。すると、SNSで水納島について投稿されている方がいて、どうやらここのお店の方だと知った。お店にお邪魔してみると、僕の本も並べてくださっている。数冊買って、ご挨拶。再び御堂筋線に乗り、本町に出て、「toi books」へ。ここでも何冊か気になる本を買って、ご挨拶。「いつも面白く読んでます」と言っていただき、これからも頑張ります、と言ってお店をあとにする。
阪急で河原町まで引き返し、なんとなく新京極の「スタンド」を覗いてみる。わりと賑わっていたので通り過ぎ、いちど宿に立ち寄ったのち、京都芸術大学「春秋座」へ。今回の京都滞在は、「川を渡る」というワークショップ公演が目当てだった。案内表示が少なく、戸惑いながら入口に向かい、まずは展示を眺める。わりと字が小さめで、じっくり読もうとすると他のお客さんと密になりがちで、と、そんなことをいちいち気にしている人も少なくなっているのだろうなと思いながらも、どうしても気になってしまう。これはコロナと関係なく、どうしてそんな近い距離に立つのかと、気になってしまう。
いわゆる市民参加型の企画で、申し込んだ人たちをワークショップを重ね、そこから展示と上演作品が作り上げられている。展示は、誰かと待ち合わせた記憶や、服、料理といったテーマで参加者に尋ねたのであろう話が綴られている。その内容に目を通していると、参加者の半数以上はおそらく僕より年少だろう。と、「60年代、つまり子どものころ/食料事情がよくなくて/にわとりを飼っていたおじさんがいた」みたいな言葉に突然出くわして、その瞬間に一気に時間軸が変わり、歴史が駆け巡ったような心地がする。いくつか言葉をメモにとる。
どうしてだろう、訪れるのは ほとんど、夜
だれと「待ち合わせ」するでもなく
たとえば、じぶんと待ち合わせ するように
たたずむ、おおきな流れを 目のまえに
いつだって、シーンに合わせて
切り替えなくちゃ、いけない わたしは
ここで、ふたたび わたしに戻る――――――
・・・・・・(――NとZは、川にて佇んでいる)
N 川と、とくに親密だった時期ってあるんだよな
Z 川と、親密?
N うーん、それ以上 上手くは言えないんだけど
Z でも、いつも 川にいるよなあ?
N たしかに、いつも いるね
なんていうか、人間をやらなくていい時間なんだな
ここでの時間は
人間って、人間を やらなくちゃいけないでしょう
Z わかるなあ
1時間ほど経ったところで上演が始まる。「ワークショップ公演」となると、俳優ではない方が舞台に立つことも多い印象があるけれど、出演者の発声がかなりしっかりしていて新鮮な印象を受ける。ここは大学にある劇場で、ということは演劇コースもあるのだろう。おそらく舞台に立っているのは、そこで学んでいる学生たちなのだろう。おそらくきっと、俳優を志している、表現をやりたくて何者かになろうとしている人たちの姿を見ていると、ちょっと心の奥にあるどこかの部分が苦しくなる。
こうして劇場で演劇作品を見ていると、思い出す。ここから遠く離れた街では、劇場も攻撃されていて、そのことはニュースでも大きく報じられていた。ただ客席に座っているだけでも、そのことが頭をよぎるのだけれども、遠くの街で起こっていることについては劇中でも言及されていた。それは言わなくても――と、客席にいる自分は感じる。でも、それと同時に、展示の中にあったテキストを思い出す。そこには、「話さなくたって/わかることってある/でも」「言葉を尽くして/待っていた/劇場にて」と綴られていた。言葉に発さずにやり過ごしたってよいことを、どうにか言葉にしようとするのが演劇というものなのだろう。
終演後、宿に引き返す。日が落ちると肌寒く、コートを持ってくればよかったなと後悔する。「赤垣屋」の前を通りかかると、ちょうどお客さんが出てくるところだ。開店から2時間近く経ち、もしかしたら入れるかもと覗いてみたものの、やはり満席だ。木屋町を歩き、「大豊ラーメン」を覗くと、深夜に賑わう店だからかまだお客さんはおらず、せっかくだからと入店。まずはメンマとビールを注文し、しばらくぼんやりしたあとで、ビールをもう1本と、ミニラーメンを注文する。「まえのひ」のツアーで訪れてからというもの、その思い出に浸るように、ひとりでちょこちょこ訪れている。
Fさんから連絡があり、銀閣寺の近くに向かう。皆が泊まっている施設を訪れてみると、FさんとKさんがせっせと料理をしているところだ。マスクをつけたり外したりしながら、ビールを飲んで過ごす。ほどなくして学生たちがやってきて、Fさんが料理を振る舞っている。「橋本さん、大学生のこと嫌いですもんね?」と言われ、えっと、あの、まあ、ともごもごする。高田馬場に住んでいた頃は、夜になると駅前に学生時代を謳歌している若者が溢れ返っていて、そういう、「もうすぐ社会人になってこんなふうに過ごせなくなるけど、今は大学生ということで許されることもあるから、青春時代を謳歌しておこう」と言わんばかりに、道を塞ぐようにたむろしている若者たちのことは本当に嫌いだった。そんなふうに過ごすなら、一生そうやって過ごす覚悟を持てばいいのにと思っていた。
人によっては、学生時代というのはきらきらと眩しく、その思い出だけで残りの人生を過ごしていけるようなものであるのだろう。「またあの頃に戻りたい」と振り返るような日々なのだろう。でも、自分の学生時代を思い返すと――別に暗くどんよりした日々を過ごしていたというわけでもないのだけれど――あの頃に戻るのはしんどい、と思ってしまう。何者かになりたいと思いながらも、まだ何者でもなく、そこを脱する手立ては何も浮かばなかった時代。
3月25日
5時過ぎに目を覚まし、羽田空港へ。スカイマークの始発便で神戸に移動する。三宮に出ると、そこかしこに晴れ着姿の若者がいる。今日は卒業式があるのだろう。ロッカーにボストンバッグを預け、灘へ。H.Kさんにダイレクトメッセージを送り、時計を見て10時きっかりに某所のチャイムを鳴らす。来月開催予定のイベントに向けて、この状況下であることを鑑みて、どれぐらい座席を配置できるか考えていると、Hさんがするりと現れる(DMの返信をいただいていたのに気づいていなかった)。
今日はきっと、Hさんにとって慌ただしい日であることはわかっていたので、そんなタイミングで下見をいれたことを少し申し訳なく思っていた。当初の予定では「午後のどこかの時間でタイミングが合えば打ち合わせを」という話になっていたので、神戸の花屋で花を買ってお祝いに渡すつもりでいたのだけれども、まだ花屋には寄れていなかった。ただ、羽田空港でなんとなく美味しそうだなと目に留まったフルーツサンドをお土産に買ってあったので、それだけお渡しする。
1時間ほどで下見を終えて、「寿し豊」で寿司をテイクアウトし、川べりで平らげる。贅沢な場所。DMでやりとりしていたとき、Hさんからこの話が何度か出ていて、そんなに川の話が出ることにピンときていなかったけれど、なるほどなと腑に落ちる。Hさんは岩の隙間に生えている花に見入っていた。打ち合わせをしながら歩き、告知前に決めておくことをあらかた相談したところで駅に入り、ホームで別れる。僕は岡本に行き、「まめ書房」にご挨拶。神戸にはちょくちょくきているのに、『市場界隈』を出したあとに伺って以降、ご無沙汰してしまっていた。ご挨拶をして、何冊か購入し、元町に引き返す。もうすぐ閉店するという「淡水軒」はもう暖簾が外されていた。いつものように「丸玉食堂」に入り、ビールと肉めしを注文する。このシンプルなネーミングに、ある時代を感じる。頬張っていると力が漲ってくるような心地がするのはなぜだろう。
食後は「1003」へ。ここでも何冊か買って、ご挨拶。「まめ書房」でも、ここでも、来月末にトークイベントをすることになって、数日後に情報が出ます、とお伝えする。結果的にちょっと特殊なイベントとなり、「なるほど、それだと書店で開催するっていうのは難しそうだ」と納得してもらえるとは思いつつ、僕の本を仕入れてくださっていて、そこでトークイベントもときどき開催しているお店があるのに、それ以外の場所で開催するというときに、事前にひとことお伝えしておかなければと、少し気に掛かっていた。
三宮で荷物を取り出し、16時過ぎに京都にたどり着く。京都セントラルインにチェックインし、17時の開店時刻に合わせて「赤垣屋」に向かってみると、行列が出来ている。旅行客がすっかり戻っているのだなあと実感する。並んでいた人だけで満席になり、すごすご引き返す。木屋町を歩くと、元・立誠小学校がすっかり様変わりしていて驚く。もとの外観を残した“ふう”にして、まるで別の建物だ。こんなことなら取り壊してくれたほうがまだマシだと思ってしまう。無理やり延命措置をされているように見えてつらい。サンボアに入り、ハイボールを5杯。