3月26日

 今日は雨の予報が出ている。が、まだ降り始めていないようなので、7時過ぎにジョギングに出る。まだ夜を引きずっている木屋町を抜け、鴨川に出る。広々として走りやすく、ここに住んでいたら楽しいだろうなあと空想する。川のある街にいちど住んでみたいと、ずっと思っている。デルタのあたりで引き返し、7キロほど走る。スターバックスコーヒーでホットコーヒーをテイクアウト。あれは「サラダラップ」というのか、春巻きみたいなやつを買おうかと眺めていたけれど、旅先とはいえ500円近い料金を支払うのもなあと冷静になり、コンビニでサンドイッチを買う。

 午前中はトークイベントのテキストを構成する。お昼近くになり、せっかくだからと大阪へ。12時頃に梅田に到着し、お昼は何を食べようか、そんなにしっかり食べなくてもよいのだけど、軽く何かと思って、新梅田食道街に行ってみる。串カツ屋ならひとりで飲んでいるおじさん客も多いだろうし、穏やかに過ごせるのではと向かってみると、大声で談笑しながら飲んでいるお客さんで溢れかえっている上に、行列まで出来ている。が、もう串カツの口になっていたので、彷徨いながらGoogleマップで「串カツ」と検索し、阪急の地下へ。そこはわりと静かだったのと、すぐに入ることができたものの、メニューを開くと「10本3000円」とあり驚く。ただし、定食だと1000円ちょっとだ。ご飯も味噌汁も要らないんだけどなあと思いつつも、ご飯少なめの定食を注文し、ビールもつける。味噌汁とビールと串カツとごはんを交互に平らげるのは案外楽しかった。

 御堂筋線淀屋橋に出て、「Calo Bookshop & Café」へ。先日、水納島の祥さんから、「橋本さんの本を読んだというお客さんが泊まりにきてくれた」と連絡があり、どうやら書店に勤めている方のようだと教えてもらって、一体どこのお店の方だろうと気になっていた。すると、SNS水納島について投稿されている方がいて、どうやらここのお店の方だと知った。お店にお邪魔してみると、僕の本も並べてくださっている。数冊買って、ご挨拶。再び御堂筋線に乗り、本町に出て、「toi books」へ。ここでも何冊か気になる本を買って、ご挨拶。「いつも面白く読んでます」と言っていただき、これからも頑張ります、と言ってお店をあとにする。

 阪急で河原町まで引き返し、なんとなく新京極の「スタンド」を覗いてみる。わりと賑わっていたので通り過ぎ、いちど宿に立ち寄ったのち、京都芸術大学「春秋座」へ。今回の京都滞在は、「川を渡る」というワークショップ公演が目当てだった。案内表示が少なく、戸惑いながら入口に向かい、まずは展示を眺める。わりと字が小さめで、じっくり読もうとすると他のお客さんと密になりがちで、と、そんなことをいちいち気にしている人も少なくなっているのだろうなと思いながらも、どうしても気になってしまう。これはコロナと関係なく、どうしてそんな近い距離に立つのかと、気になってしまう。

 いわゆる市民参加型の企画で、申し込んだ人たちをワークショップを重ね、そこから展示と上演作品が作り上げられている。展示は、誰かと待ち合わせた記憶や、服、料理といったテーマで参加者に尋ねたのであろう話が綴られている。その内容に目を通していると、参加者の半数以上はおそらく僕より年少だろう。と、「60年代、つまり子どものころ/食料事情がよくなくて/にわとりを飼っていたおじさんがいた」みたいな言葉に突然出くわして、その瞬間に一気に時間軸が変わり、歴史が駆け巡ったような心地がする。いくつか言葉をメモにとる。

 

どうしてだろう、訪れるのは ほとんど、夜
だれと「待ち合わせ」するでもなく
たとえば、じぶんと待ち合わせ するように

 

たたずむ、おおきな流れを 目のまえに
いつだって、シーンに合わせて
切り替えなくちゃ、いけない わたしは

 

ここで、ふたたび わたしに戻る――――――

 

・・・・・・(――NとZは、川にて佇んでいる)
N 川と、とくに親密だった時期ってあるんだよな
Z 川と、親密?
N うーん、それ以上 上手くは言えないんだけど
Z でも、いつも 川にいるよなあ?
N たしかに、いつも いるね
  なんていうか、人間をやらなくていい時間なんだな
  ここでの時間は
  人間って、人間を やらなくちゃいけないでしょう
Z わかるなあ

 

 1時間ほど経ったところで上演が始まる。「ワークショップ公演」となると、俳優ではない方が舞台に立つことも多い印象があるけれど、出演者の発声がかなりしっかりしていて新鮮な印象を受ける。ここは大学にある劇場で、ということは演劇コースもあるのだろう。おそらく舞台に立っているのは、そこで学んでいる学生たちなのだろう。おそらくきっと、俳優を志している、表現をやりたくて何者かになろうとしている人たちの姿を見ていると、ちょっと心の奥にあるどこかの部分が苦しくなる。

 こうして劇場で演劇作品を見ていると、思い出す。ここから遠く離れた街では、劇場も攻撃されていて、そのことはニュースでも大きく報じられていた。ただ客席に座っているだけでも、そのことが頭をよぎるのだけれども、遠くの街で起こっていることについては劇中でも言及されていた。それは言わなくても――と、客席にいる自分は感じる。でも、それと同時に、展示の中にあったテキストを思い出す。そこには、「話さなくたって/わかることってある/でも」「言葉を尽くして/待っていた/劇場にて」と綴られていた。言葉に発さずにやり過ごしたってよいことを、どうにか言葉にしようとするのが演劇というものなのだろう。

 終演後、宿に引き返す。日が落ちると肌寒く、コートを持ってくればよかったなと後悔する。「赤垣屋」の前を通りかかると、ちょうどお客さんが出てくるところだ。開店から2時間近く経ち、もしかしたら入れるかもと覗いてみたものの、やはり満席だ。木屋町を歩き、「大豊ラーメン」を覗くと、深夜に賑わう店だからかまだお客さんはおらず、せっかくだからと入店。まずはメンマとビールを注文し、しばらくぼんやりしたあとで、ビールをもう1本と、ミニラーメンを注文する。「まえのひ」のツアーで訪れてからというもの、その思い出に浸るように、ひとりでちょこちょこ訪れている。

 Fさんから連絡があり、銀閣寺の近くに向かう。皆が泊まっている施設を訪れてみると、FさんとKさんがせっせと料理をしているところだ。マスクをつけたり外したりしながら、ビールを飲んで過ごす。ほどなくして学生たちがやってきて、Fさんが料理を振る舞っている。「橋本さん、大学生のこと嫌いですもんね?」と言われ、えっと、あの、まあ、ともごもごする。高田馬場に住んでいた頃は、夜になると駅前に学生時代を謳歌している若者が溢れ返っていて、そういう、「もうすぐ社会人になってこんなふうに過ごせなくなるけど、今は大学生ということで許されることもあるから、青春時代を謳歌しておこう」と言わんばかりに、道を塞ぐようにたむろしている若者たちのことは本当に嫌いだった。そんなふうに過ごすなら、一生そうやって過ごす覚悟を持てばいいのにと思っていた。

 人によっては、学生時代というのはきらきらと眩しく、その思い出だけで残りの人生を過ごしていけるようなものであるのだろう。「またあの頃に戻りたい」と振り返るような日々なのだろう。でも、自分の学生時代を思い返すと――別に暗くどんよりした日々を過ごしていたというわけでもないのだけれど――あの頃に戻るのはしんどい、と思ってしまう。何者かになりたいと思いながらも、まだ何者でもなく、そこを脱する手立ては何も浮かばなかった時代。