4月7日

 与那国で自転車をこぎまくったせいか、腰が爆発寸前だ。午前中はベッドに横たわったまま過ごす。お昼が近づいたところで、前に訪れたときに「今度お話聞かせてください」とお願いしてあったお店「O」に立ち寄り、これから向かいのおそばやさんでお昼を食べてくるので、もしよかったらそのあとでお話聞かせてもらえませんかとお願いする。おそばを食べたあと、お話を聞かせていただく。「あんまり私は、昔のこのあたりのことはわからないですよ?」とお店の方は言っていたけれど、とても印象深い話をたくさん聞かせてもらった。

 聞かせていただいたお話は、この通りをずっと行った先にある古本屋さんで配布するつもりですと伝えると、「ああ、そういえば昔、チラシをもらったのがあったはず」と、お店の方は棚を探し始める。そこから出てきたのは、Uさんが引き継いだお店が開店したときのチラシだった。これはなかなか貴重なものではと、少しだけお借りして、Uさんに見せにいく。日が暮れる前に栄町に出て、「東大」を覗くとカウンターが空いていたので、ゴーヤーのスライスと、ミミガーとマメの刺身を先に出してもらって、注文の順番がまわってくるのを待ちながらビールを飲んだ。開けっぱなしの扉から風が吹き込んでくる。きっと今の季節をうりずんと呼ぶのだろう。

 テレビでは「国頭村で1人だけの入学式」と報じられている。与那国島の小学校も今日が入学式だと言っていた。いろんなところで入学式が開催され、新入生がいるのだと考える。考えるだけで、そこに実感として何か広がりがあるわけでもないのだけれど。19時のニュースでトップに表示されていたのは、「ブチャ住民“私たちは忘れない」という文字だった。おでんを平らげた帰り道、街灯のところで立ち止まる。那覇滞在中に何度となく歩いているこのルートで、いちばん好きな風景だ。この風景のすぐ近くに、先月の公演のときには皆が宿泊していた。その思い出がよみがえる。

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4月6日

 自転車で走り回るには不便だからと、租納の宿にジョギングセットなど、ある程度荷物を預けてあった。それを引き取って空港のコインロッカーに預けておこうと、8時過ぎに宿を出て自転車をこぐ。昨晩は電動アシストの充電をしていたかったものの、残り30パーセントと表示されているから大丈夫だろうとたかをくくっていると、空港を通り過ぎたあたりで残り13パーセントにまで減っている。省エネモードで電動アシストを使いつつ、空港に荷物を預け、どうにかバッテリー切れにならないうちに久部良まで戻ってくる。

 9時15分ごろ、3人が泊まっている宿の前を通りかかると、軒先でAさんがコーヒーを飲んでいるところだ。これから船に乗るふたりはもう宿を出発しているらしく、「9時半ぐらいにお見送りに行こうと思ってました」とAさん。自分の宿に引き返し、荷物を片付け、シャワーを浴びて――とやっているうちに9時40分だ。フェリーのりばに向かうと、もうふたりは船の上にいる。「『見送りすると寂しくなっちゃうから、橋本さん来てくれないのかなあ』ってふたりが言ってましたよ」とAさんが笑っていた。Aさんは(まりんに倣って)飛び込んで見送るつもりらしく、タイミングを伺っている。就航時刻は10時だけど、9時50分にはタラップが外される。10時ちょうどに船が動き出し、「橋本さん、『いまだ!』ってタイミングで言ってください!」とAさんがそわそわしながら言う。船がある程度旋回しきったところで、もう大丈夫だと思いますと伝えると、Aさんは海に飛び込んで二人に手を振る。自転車を引き取りにきていたレンタサイクルのお店の方が、飛び込んで見送るっていうのは初めて見ましたと驚いていた。

 われわれの飛行機の出発時間も迫っているので、急いで空港を目指す。ちょうど飛行機が到着したところで、往路とは別の小学校の児童や先生が待ち構えていて、新任の先生を出迎えていた。飛行機で那覇に戻り、空港でAさんとポーたまおにぎりを食べる。僕はビールも飲んだ。2泊3日の与那国滞在は、とても楽しい旅だった。久しぶりに旅という感じがした。あちこち出かけているけれど、基本的には観劇なりライブなり、目的ありきの移動だ。沖縄には毎月のように通っているけれど、それも定点観測に近い。今回は久しぶりに何の目的もなく、気の向くままに過ごした感じがして、楽しかった。

 今回一緒に旅をしたYさんとOさんとは以前から面識はあったけれど、一緒に旅をしてみると性格が出るもんですねと僕が言うと、「橋本さんでもいらいらする?」とAさんが笑う。そんなに付き合いがないからいらいらしないけど、付き合いが深かったらあれこれ口を挟んだかもしれないです、と答える。ただ、僕がふたりのことを「小学3年生の男子みたいだ」と形容してからというもの、Aさんの中では腑に落ちるものがあったらしく、「それからはいらいらしなくなった」とAさんは言っていた。それに、私は私で小学3年生の女子だから、小3の女子って小3の男子にいらいらしますもんね、と。

 次会うのは『てんとてん』のときですかね、とAさんが言う。その言葉で思い出されたのは、今年であの作品が10年目に突入したということだ。2013年の5月にフィレンツェで上演されたあと、6月にはサンティアゴ公演があった。チリに向かう途中、アメリカでトランジットがあり、何人かで空港のバーに入り、ビールを飲みながらフライトを待った。あのとき、「Aは今、ひとりで沖縄を巡ってるみたいです」と、Fさんが言っていたことを思い出す。『てんとてん』が10年目ということは、沖縄に通い始めてからも10年目だ――と、そんなことを話すと、そんなに時間経ってる?とAさんが不思議そうに言う。

 空港で別れ、ゆいレールで県庁前へ。シェアサイクルを借り、コインランドリーで洗濯をする。今月取材させてもらう約束をしているお店「M」、ちょっとオープンしたばかりでお忙しそうで、1時間なら1時間インタビューのまとまった時間を作ってもらうのは大変そうだから、とりあえずお店に向かってみて、そこでお酒をいただきながら、お手隙のタイミングで少しずつ話を聞かせてもらう。

 18時半にUさんのお店の前で待ち合わせ、Uさん、それにNさんと3人で「パーラー小やじ」へ。前に同じメンバーで飲んだとき、ちょうどNさんが社内で表彰を受け賞与をもらったタイミングで、その日はNさんが「自分が払う」と言い、せっかくおめでたい日だからとありがたくご馳走になっていた。今日はあらためて、Nさんのお祝いとして、僕とUさんで会計を割る約束をしておいて、Nさんを誘って飲んだ。Nさんは魚が食べられなくて、旅行に出かけたときに困ってしまうことが多いと言っていた。その話の流れで、Uさんから「橋本さんは苦手な食べ物あるんですか」と尋ねられ、よくよく考えてみるとほとんどないかもしれないなと気づく。

 途中で電話が鳴り、画面を見ると仲地さんだ。すぐに出ると、「今日は嬉しいことがあって、これはショートメールには書ききれないと思って、電話しました」と仲地さんが言う。一体何だろうと思っていたら、M町の教育長が『水納島再訪』を読んでくださって、いたく感激されて、仲地さんのところに「こんどこの方が水納島にいらっしゃるタイミングがあれば、ぜひ自分もご一緒したい」と連絡があったのだという(仲地さんは校長先生まで務められているし、その教育長の方とは高校の同級生でもあって、仲地さんのところに連絡があったそうだ)。実は今週末に、と伝えたところ、その時期は仲地さんが島にいらっしゃらないタイミングだったので、またあらためて日程を相談することにする。

 Uさんとは1軒目で別れ、Nさんともう1軒。Nさんの行きつけのバーに入ってみると、僕たちが口開けの客だ。店内はまだ音楽が流れておらず、お店のママはこちらを眺めて、パフィーをレコードで流す。僕はマスクをつけ外ししながら飲んでいて、隣にいるNさんも同じように過ごしているけれど、もしかしたら僕がこうしていることで気を遣わせてしまっているのかなとも考えてしまう。あとからひとりだけお客さんがやってきて、僕とはほとんど言葉を交わしていないのに、名刺を渡される。それを見ると「議員」の文字があり、ああ、こういう神経の人が政治家になるのだなと思った。

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4月5日

 5時過ぎに目を覚ます。昨晩飲んだ酒が残っているが、約束があるのでどうにか体を起こす。よろよろストレッチをして、6時にジョギングに出る。昨日、自転車で東崎に向かったときにも、前にレンタカーで走ったのとは違う感覚を得ることができたけれども、自分の足で走るとまた感覚が異なる。ただ今は、そんなことよりも、急な坂を走るのが苦しい。次第にあたりが明るくなり、太陽がのぼる。日の出には間に合わなかったが、もしかしたら皆は起きられなかったのかもしれない。ヨナグニウマはもう、昨日と同じように草を食んでいる。ずっと草を食んでいるみたいに見える。腰を下ろして、馬を眺める。遠くの灯台のほうをみやると、人の影が3個動いているのが見えて、あ!と立ち上がり、走る。AさんとYさん、Oさんはちゃんと起きていて、自転車で灯台までやってきていた。しばらく草原に寝転がって、引き返す。売店でおにぎりと小さなフライやハンバーグが入っているお弁当を買って平らげる。

 3人とは別の宿に泊まっているので、9時半にDiDiという交流館で待ち合わせる。棚に並んでいた『与那国の歴史』という本を手にとって、皆がくるのを待ちながら読んでみる。歴史の記述を読んでいると、あくまで伝説として語り継がれている時代から、次はもう薩摩に平定された時代に飛んでいる。そこから明治維新/琉球処分に至る記述は思いのほか少なく、こんなに名前の知られている島でも、わからないことがたくさんあるのかと驚く(後日、聞き書きをした資料が他にも存在することを知ったけれど、それでも想像していたより書き残されていることは少ないように感じる)。

 皆が展示を見終えるのを待って、外に出る。郵便局と売店に寄りたいというので、立ち寄る。今日はここからしばらく自転車を漕ぐ予定になっているので、朝ごはんは軽く食べたけれど、売店ハンバーガーを買っておく。それに、昨日は頭にも日焼け止めを塗って凌いだものの、今日は昨日より陽射しが強そうだから、手拭いを買って首に巻き、帽子も買い求める。東崎を抜け、ぐるりと島の形に沿って時計回りに走る。途中でモスラのモデルになったという巨大な蛾が生息しているあたりを通りかかり、ちょうど山の小道があったので皆で捜索してみる。YさんとOさんはずんずん進んでゆく。Aさんは少し遅れて歩いている。Oさんは木の枝を拾って、そこらを叩きながら歩いている。結局、蛾を見つけることはできず、再び自転車を走らせていると、車に轢かれたのか路上で散り散りになりかけている蛾を見つける。

 13時半にようやく比川に辿り着き、「さとや」という食事処に入る。Yさんの電動アシストがあっという間に減ってしまったので、お店の方に充電させてもらえないかと相談したところ、「なに、出川なの?」と店主が笑う。カメラはどこにいるの、と言いながらも、快く充電させていただける。Oさんは八重山そば、あとの3人はソーキそば。ラーメンのような味わい。ソーキは巨大で、火で炙ったものがドーンとのっけてある。どういうグループなの。なんか、調査隊みたいだね。あなたが隊長みたいに見えるけど、と店主に指を指される。年功序列で並べるなら、たしかに僕が最年長ではある。口数が多いというわけではないけれど、なんだか面白い。

 Oさんは共同売店好きらしく、比川の共同売店に皆で入ってお買い物。カディブックスのメモ帳が販売されていたので買い求める。集落の小学校だよりを見ていると、昨日一緒に遊んだちびっこが写っている。Oさんは30分近く商品を物色していた。比川の浜(近くにDr.コトーのロケ地がある)を眺めたあと、海沿いを走り、久部良を目指す。途中で自衛隊の施設がある。YさんとOさんはずんずん進んでいってしまっていたので、Aさんにだけ、戦後の密貿易の時代には1万人を超えていた人口が1970年ごろには3000人にまで減り、2010年には1500人にまで減ってしまったことで、住民投票を経て自衛隊誘致に踏み切り、今は1700人が暮らしている、ということを伝える。そして、昨日少し話に出ていた戦争のときのことについても話す。この島には見張の部隊が15名ほどだけ暮らしていて、空襲の被害はあったけれど米軍には上陸されなかったこと。マラリアで住民の1割近くが亡くなったこと。昨日立ち寄ったティンダバナには、戦時中に建てられた巨大な碑があり、そこには「皇国」「防壁」という言葉があったけれど、日本軍からするとほとんど戦略的な拠点と見做されていなかったわけで、そのことを考えると胸がいっぱいになる――と話すと、Aさんも自転車をこぎながら頷いていた。

 宿に荷物を置き、ダンヌ浜へ。3人が海に入っているあいだ、僕は浜辺に寝転んで音楽を聴いていた。18時過ぎにダンヌ浜を出て、皆それぞれお酒を買って、日本最西端に位置する西崎灯台に出る。昨晩3人が宿泊していた宿の女将さんは、朝のうちに荷物を預けに行ったとき、島の名所をひとしきり説明してくれた。「ここは日本最西端の島だってことで、西側ばかり注目されるけど、東にも見どころはたくさんあるんですよ」と女将さんは話していた。ただ、今日ここまでレンタカーには何度か追い抜かれたはずなのに、見どころであるはずの(それも夕暮れ時――日本でいちばん遅い夕暮れ時の)西崎灯台には、他に旅行客の姿は見当たらなかった。空の低いところが雲で覆われていて、太陽が水平線に沈むところは見れず、これは、またいつかくるしかないですねと皆と話す。

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4月4日

 6時半、那覇空港のチェックインカウンターでA.Iさん、Y.Nさん、O.Iさんと合流して、与那国へ。窓から多良間の水納島が見えた。電動アシスト付きのレンタサイクルを借りて、租納の宿に荷物を預け、ナンタ浜を眺めたのち、ティンダバナに登る。お昼は前回訪れた「パネス」に行き、僕とYさんはイカ墨汁そばを、AさんとOさんはハンバーガーを食べる。食事も美味しいけれど、ここに飾られてある、1966年と1970年に撮影された、ティンダバナから租納の集落を撮影した写真を見せたかった。墓地を抜けて、東崎に行き、馬としばらく佇む。

 15時半に租納に引き返し、「よなは民具」へ。昔ながらの手法で、クバやアダンを使って民具を作られている方に、作業を見学させていただく。ちょうど草履を作られているところ。「一里靴」だったか、呼び方は忘れてしまったけれど、一里ぐらい履くと駄目になってしまうから、普段は懐に入れて裸足で歩き、街が近づいたところで履いていたのだという話を聞いて、胸が一杯になる。そのおうちのこどもたちがカメラに興味津々だったので、しばらく貸していたら、たくさん写真を撮ってくれていた。昔は水汲みに使っていたという籠や柄杓を編んでくださって、少年と一緒にナンタ浜まで水を汲みに行く。

 夕暮れ時にはこどもたちと一緒に海に出て、皆が浅瀬で泳いでいる様子を港から眺める。こどもたちに促されて、YさんとOさんは何度も海に飛び込んでいた。少年が夜光貝素手で捕まえて、皆で頬張る。近くの商店でビールを買ってきて、日が沈んでいく様子を眺めていた。

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4月3日

 昼過ぎ、那覇空港に到着する。15時過ぎ、今日オープンしたばかりの「MIYOSHI SOUR STAND」に行ってみると、開店直後からかなり賑わっている。パイナップルのサワーを1杯だけ飲んで、お店の方にご挨拶する(メールでやりとりをしていたけれど、お会いするのは初めて)。今日はいろんなお客さんが訪れるだろうから、長居しても迷惑だろうと1杯だけで店を出て、系列店である「パーラー小やじ」へ。本日のメニューに豚のホルモンのフライや焼豚など、珍しく肉系の料理が並んでいる。せっかくだからと注文し、季節の魚や野菜はよくメニューに並んでますけど、肉ってちょっと珍しいですねと伝えると、「そうなんです、ちょっと野菜に頼り過ぎてるなと反省して」と店主が笑う。このお店のことが好きだなあと思いながら、ハイボールを飲んだ。

4月2日

 早朝から成田空港に向かい、高松へ。空から見ると山に桜がもこもこ咲いていた。レンタカーを借りて、10時半、まずは「がもううどん」。例によって長い列ができていて、30分ほど並ぶ。前に並んでいたのは若い4人組だった。お店の入り口まで近づき、軒先にある「小(1玉)150円/中(2玉)250円/大(3玉)350円」という表示を見て、「どうする、にたま行っちゃう?」とひとりが言う。同じ看板を見て、自分は「ふたたま」と読んでいた。地域によって差が出るのだろうか。「いや、今日は4軒まわるから、さすがに1玉でしょ」と、別のひとりが言う。ぼくは中を頼んで、せっかくだからと玉子とちくわとゲソの天ぷらをのっける。盛りだくさんだ。

 せっかく近く(?)まできたのだからと、高速道路で瀬戸大橋を渡り、倉敷へ。「蟲文庫」を覗くと、Tさんがコーヒーを淹れてくれる。もしよかったらどうぞ、と丁場の横に椅子を置いてくださったので、しばらくぽつぽつ話す。以前、「将来的には、各地にある、いろんな謂れのある石を取材したいと思っている」と話したのをおぼえてくれていて、仕入れた本の中にある石の記述を教えてくれた。危口さんの話をぽつぽつしていると、弟さんがふらりと入ってこられて驚く。

 観光地について、最近考えていることもぽつぽつ話す。「私も、こういうところでお店をやっているから、そういうことをよく考えるんです」とTさん。かつて危口さんは「観光地とは土地の演技である」と書いていて、観光地として「昔ながらの風景っぽいもの」の演技を続けている美観地区と、昔ながらの建物でありながら、生活に合わせて適度に現代的に改変されている本町の街並みを対置していた。ただ、それから時間が過ぎ去って、ここ数年は本町もすっかり観光地になりつつある。

 取材を受けると、どうしてここでお店をやっているのかとよく質問されるとTさんが言う。その質問にうまく答えるのは難しくて、あくまでここで本屋をやっている理由に絞って答えているそうだ(観光地だから、普段は本屋にあまり立ち寄らないお客さんも入ってきてくれることがあるから、そういう方たちが本を手に取るきっかけを作れたら――と)。話は変わり、僕が名護のクリーニング店に立ち寄ったときのことを話すと、Tさんも同じようなこと(この先お店を閉じる日がやってくるのだとすれば、自分で片付けたいから、その体力があるうちに――)を考えると話していたのが印象に残っている。

 本来なら今日は高松に1泊して、明日は倉敷に宿泊するつもりでいた。ただ、急遽友人のA.Iさんたちと与那国に行くことに決めたので、倉敷には宿泊しないことになった。倉敷でもコンサートを観るつもりだったので、チケットが余ってしまう。そうだ、せっかくだから、もしタイミングが合えばTさんに譲ろうと思い立ち、相談すると「ぜひ見てみたいです」と言っていただけたので、ネットから分配手続きをする。Tさんにぴあの会員登録をしてもらって、分配したところでお店をあとにする。

 時計を見ると15時過ぎだ。長居し過ぎてお仕事の邪魔をしてしまったかなと反省しつつ、危口さんのお墓参りをする。コンビニで缶コーヒーを買ってお墓に向かうと、お墓にはいくつも缶コーヒーが並んでいる。自分で買った缶コーヒーを飲みながら、高松に引き返す。「本屋ルヌガンガ」と「YOMS」で何冊か本を買って、ホテルにチェックイン。開演時刻は30分後に迫っている。コンビニでビールのロング缶とおにぎりを買って、頬張りながら会場に向かう。同じ道を、少し急いだ足取りで歩いて行く人たちがちらほらいる。ヒールのある靴を履いていた人が、それを脱いで駆けてゆく。18時過ぎ、カネコアヤノ単独演奏会のツアー初日が始まる。「明け方」が印象に残る。私には歌しかないんだと、芯から叫んでいるような歌声だった。その歌に圧倒されると同時に、その切れ味が鋭過ぎて、歌っているとき以外の自分自身のこともすぱっと切れてしまいそうで、少し不安になってしまうほどだった。YUKI FUJISWAの布が舞台の奥に吊るされていて、そのひかりがとても美しかった。

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4月1日

 昼下がり、大手町経由で早稲田に出る。駅の改札前には待ち合わせをしている人たちがちらほらいて、ああ、上京したばかりの人たちも多い時期だなと気づく。地上に出てみると警備員も交差点に配置されていて、今日は入学式の日だと知る。早稲田通りを上がり、「丸三文庫」へ。気になった本をネットで検索すると「丸三文庫」の名前が出てきたので、お店に伺えばすぐに買えるだろうとやってきたのだ。高価な写真集なので少しだけ中身を見させてもらって、購入する。「古書現世」にもお邪魔して、高田馬場まで歩く。住んでいた頃とは変わっている場所ばかりに目がいく。ツタヤもなくなっていた。駅界隈のビルは工事中だ。かつて「近所」と呼んでいた居酒屋に立ち寄り、さくっと3杯だけ飲んで帰る。

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