3月3日

 7時過ぎに目を覚ます。コーヒーを淹れ、今日は納豆ごはんだけ平らげる。新刊の見本を写真にとり、告知文の内容を練る。8時50分に投稿を済ませ、シャワーを浴び、9時半には家を出る。千代田線で西日暮里に出て、池袋へ。西口の「F」に入ると、F.Tさんがたこの刺身を食べているところだ。お疲れっす、お疲れ様ですと挨拶を交わし、瓶ビールを注文。朝は生ビールが格安なので、瓶を注文するたび「生のほうが」と毎回勧められるのだけれども、朝は小さいコップで飲みたいから瓶にする。瓶でお願いしますと伝えると、店員さんはいつもより怪訝そうにしていたけれど、今日はいつも以上にコップでちびちび飲みたいのだから仕方がない。

 Fさんは最近も頻繁に朝から「F」にいるようで、向かいのお客さんは最近手術をしたらしいと教えてくれる。手術をした直後は来店する回数が減っていたのに、最近また増えてきているから、店員さんもときどき心配しているのだ、と。入院して手術すると決まったあと、「その前に一回飲みましょう」とFさんに誘われて、そのときもここで酒を飲んだ。だから、退院してお酒が飲めるようになったらFさんとまたここで飲もうと決めていた。そういう経緯で飲んでいるからか、しばらく健康状態に関する話をした。まわりの人たちで体調を崩したり入院したりする人が増えている。そういう年齢になってきているのだなと感じる。血液検査で尿酸値のところに「!」マークがついていたことを話すと、橋本さん、去年京都のとき、めっちゃそのこといじる感じでビール持ってきたじゃないですか、とFさんが笑う。Fさんはしばらく前から「尿酸値の数値が高い」と言われ、ビールを飲まなくなっている(イジる感じでビールを持って行った記憶はないのだけど)。

 そこから出汁文化の話になり、出汁のきいたものは酒に合うけど、それをツマミに飲んでいたら尿酸値が上がる、だからやっぱりコメで腹を満たすのは理にかなってもいる――という話に。「イタリアに行くと、僕らはサラミとかチーズとか買って、『これで延々酒が飲める』ってなっちゃうけど、イタリアの人たちだってそれだけで食べてるわけじゃなくて、それをピザにのせて食べたりするわけですもんね」とFさんが言う。最後にイタリアを訪れたのはもう4、5年前だ。次に一緒にイタリアに行くのはいつになるんだろう。

 Fさんがトイレに立ったとき、ああそうだと思い出し、新刊の試し読みに関する情報をツイートしておく。新刊の試し読みに関して、2軒ぶんは今日の正午までにアップしてもらえるようにお願いしておいた。というのも、今日の『ヒルナンデス!!』で那覇の公設市場界隈が特集されるという話をうっすら知っていたので、ほとんど影響はないかもしれないけれど、もしかしたら番組がきっかけで市場のことやそこで紹介されたお店のことを検索する人もいるかもしれないから、番組放送前までに試し読みをアップしておいてもらえるようにお願いしてあったのだ。

 Fさんは鞄を持っていなかったから、どのタイミングで渡そうかと少し迷ったけれど、飲み始めてすぐに新刊を渡す。Fさんは最初のページから最後のページまで、何巡かページを繰りながら、「ああ、この人、見たことある気がする」と手を止める。Fさんは最近、誰かにインタビューする企画をやっていて、ここ数日で最新回がアップされていた。池袋まで山手線に揺られているあいだ、僕はその最新回を読んでいた。Fさんがおこなっているインタビューは、人生の転機と、その人が暮らしている土地について語ってもらうというものだった。そういう広い間口でインタビューすると、その人が生きてきた時間を悠々と語る流れになる。僕も誰かにインタビューすることは多いけど、やっぱり「店」という枠があるから、話が絞られてくるところがある。その違いについて感想を漏らすと、「でも、橋本さんがこうやって話を聞いたものを読んでると、橋本さんがそこで話を聞こうとしなかったら、語られることがなかった言葉だったんじゃないかって感じがするんですよね」とFさんが言う。「誰かにインタビューされなくても、その人が自分から発信する言葉もあると思うんですけど、そういう感じじゃないから、すごいなと思うんですよね」と。なんだか褒める言葉をかつあげしたみたいで照れくさくなる。

 Fさんはホッピーの外を一度追加したあと、途中からレモンのセットに切り替えていた。そういえば、とポケットからビニール袋を取り出す。そこにはミックスナッツが入っていた。昨日、ここで一人で飲んでいたときにミックスナッツを注文したものの、量が多くて食べきれず、「これ、持って帰ってもいいですか?」とお願いして、袋に入れてもらったのだという。これまでも何度かミックスナッツを頼んでいたものの、食べきれなかったぶんを「持ち帰ってもいいですか」とお願いできなくて、昨日ようやく袋に包んでもらえたのだと嬉しそうだ。

 12時半ごろに会計をお願いする。「今日は退院祝いで」と、Fさんがご馳走してくれた。ちょっと入院していただけなのに、恐縮する。有楽町線江戸川橋に出て、中華の「S」の前でA.Iさんと合流する。大きなハット。もう13時近いが、「S」には行列ができていた。順番を待ちながら、最近の競馬の話をする。今年のソダシのスケジュールが発表されたんですけど、ヴィクトリアマイルと、あと――あれ、何だっけ、とAさんが言う。僕はそのニュースをまだ見ていなかったけれど、マイル戦線ならと「安田記念ですか?」と相槌を打つ。ああそう、安田記念。でも私、どっちも本番があって日本にいないから、橋本さんかわりに見届けてくださいとAさんが言う。15分くらいで順番はまわってきた。

 僕とFさんはニラそばを、Aさんは中華そばを注文した。Fさんはチャーハンも頼んでいて、皆で分け合って食べた。お店のお兄さんが「あれ? 今年初めてだっけ」と言う。ここはAさんの親戚のお店だ。「そう、初めて」「今年もよろしくお願いします」。いつもはふたりより先に食べ終わってしまうところだけど、ゆっくり食べているせいか、今日はAさんと同じぐらいのタイミングで食べ終わった。江戸川橋の駅まで歩いている途中で、Aさんにも新刊を渡す。Aさんはページを開き、あれ、サインは……?と言う。いやいやサインとかじゃないでしょとFさんは笑っていた。

 有楽町線南北線を乗り継ぎ、帰途につく。近所にある高校は今日が卒業式だったのか、胸に花を挿した子たちが下校している。今日は花粉がたくさん飛んでいる気がするので、帰宅後すぐにシャワーを浴びておく。ソファに転がりながらテープおこしをする。ビールを2本とホッピーを1杯(×1セット)飲んだだけでも眠気に襲われ、テープ起こしをしながら眠ってしまう。

3月2日

 昨晩は20時半には眠ってしまったらしかった。目を覚ますと1時過ぎだ。薬は――飲んでないよなと記憶を辿りながら身体を起こす。空腹で飲むのもなんだからとクラッカーを1袋食べて、薬を飲んで二度寝する。次に目が覚めたのは5時過ぎだった。朝からS・Iのドキュメントを書く。昨年度から書き継いできたドキュメント、いよいよ最後の回を書いている。8時過ぎ、納豆ごはんとインスタント味噌汁、ししゃも3匹で朝食をとる。

 シャワーを浴びて、10時45分に家を出る。数ヶ月ぶりにコートを着ずに外に出た気がする。千代田線で町屋に出て、病院へ。順番を待ちながら昨日の取材のテープ起こしをする。今日は午前中で診察が終わる日で、僕が順番を待っているところに、入院患者の診察の時間が差し挟まれる。部屋着でやってきた入院患者同士が、「今日は午前中なんですね?」「木曜と日曜は午後の診察がないから、午前中になるみたいです」と情報を共有し合っている。自分もついこないだまで入院していたような気がするけれど、まったく知らない患者さんだ。それもそのはずで、退院して今日で10日になる。入院は基本的に8日間だから、僕が退院したあとに入院した人ももういない計算になる。入院期間なんて短ければ短いほどいいのに、こんなことでも妙な寂しさを感じるものだなと思う。

 1時間近く待って診察を受ける。退院の日の診察からずっと同じ医師が診察してくれているのだけど、今日は患部を見るなり「あれ?」と医師が言う。カルテを確認するような間があって、「橋本さん、かなり順調ですよ」と言う。僕が受けた手術は開放切開術といって、一部が切り取られていて、その部分が盛り上がってきて傷跡が塞がったところで完治になる。その回復具合が普通より早いらしかった。

 食べ物にもしっかり気を配っているからだろうか。あるいは――と、「普段から患部に負担がかからないように、ソファに寝転がってるんです」と医師に伝えると、「おしりはこういう形になっていて、バイクとか自転車に乗るのでなければ患部に直接負担はかからないので、そこまで神経質にならなくても大丈夫ですけど――でも、この調子なら、もう1回だけ今と同じ軟膏を出しますけど、それを使い終わったらこっちの薬に変えても大丈夫そうですね」と医師が言う。ふたつの薬にどういう違いがあるのかはまったく説明されていないけれど、思ったより早く完治するのかと思うと嬉しくなる。

 近くの薬局で薬を受け取り、千駄木まで帰ってくる。「往来堂書店」に寄り、奥祐介『東京名酒場問わず語り』と『BRUTUS』を買う。誰か気になる作家が「久しぶりに短編集を出した」とツイートしていて、それはKindleではなく紙の本で買おうと思った記憶があるのだが、誰の短編集だったのか、棚を見ていても思い出せなかった。14時半、鶏胸肉ときのこをソテーしてカレー粉を振り、昼食をとる。

 食後は郵便局に出かけ、レターパックプラスをたくさん買っておく。出版社から献本してもらえるぶんもあるけれど、手元に届いた数冊を誰かに献本しようと、レターパックに宛名を書いておく。献本しようと思ったひとりは、まるで面識がなく、一方的にラジオを聴いている人だ。普通なら献本しても本人に届くことすらない気がするけれど、なんとなく届くのではないかという予感があって、献本に添える手紙を書く。本がきっかけとなって、その人が水納島や市場界隈を歩いたらいいなと思う(新刊だけでなく、『水納島再訪』も献本するつもり)。

3月1日

 7時過ぎに目を覚ます。いつもより早めに朝ごはんの支度をする。納豆ごはん、インスタント味噌汁、きんぴらごぼう、ししゃも3匹。S・Iのドキュメントに向けてテープ起こしをして、10時25分に家を出る。千代田線で西日暮里に出て、山手線を待つあいだも、パソコンを広げてテープ起こしをする。数分経ったところでホームにアナウンスが流れる。その音声を聴き、これから上野・東京方面に向かうはずなのに、いつもの癖で池袋方面のホームに来てしまったことに気づく。向かいのホームに目をやると、自分が乗るはずだった山手線が発車するところだ。これで遅刻が確定してしまい、Y.Fさんにお詫びのメッセージを送りつつ、反対側のホームに移動する。

 11時32分、目的地に辿り着く。駅前でY.Fさん、K.Kさんと合流して、MRYM邸へ。個人の住宅だが、建築の世界では有名な建物であるらしかった。そういうおうちに住んでいる方というと、癖が強めというか、趣味がはっきりしているというか、人に対してもちょっと圧が強めな印象があるので身構えていたのだが、出迎えてくださったMRYMさんは全然そんなタイプではなかった。建物を案内してもらいながら、ぽつぽつ話を伺う。来月開催予定の展示会について、ぼくも少しアイディアを求められたので、少しだけ意見を出す。意見というほどのものでもなく、「橋本さんの言葉をここに展示するなら」と言われて、いちばん自然に思えたことを伝えただけなのだけれども、Y.Fさんからも、MRYMさんからも「そんなアイディアがあるとは」と言われて、ちょっと嬉しくなる。

 しばらく経ったところで、テーブルにつき、皆でお茶をいただきながらぽつぽつ話を伺う。MRYMさんは普段、ひとりで過ごしているときはお酒を飲まないそうだけれども、誰かが遊びに来てくれたときだけお酒を飲むそうだ。お茶を出してくださったあと、少し申し訳なさそうにしながら、ノンアルコールビールを持ってきて飲まれていた。アルコールが入っているビールを飲んでくださっても全然いいんだけどなと思う。Y.Fさんに関連する取材は、かちっとした「取材」という感じでもないので、普段なら一緒にビールを飲んでいただろう。

 気づけば時刻は14時をまわっている。今日は何時に終わるんだろうかと、少しぴりっとした気持ちになってしまう。時間のことというよりも、普段はまだソファに寝転がって過ごしているから、こんなに長い時間立って過ごしているのは久しぶりだ。まだ万全ではないことを伝えておけばよかったなと思いながらも、途中で「そろそろ患部が不安だから帰ります」と言いだすと気を遣わせてしまうだろうし、まだ撮影が残っている感じなのに、現場の空気が変わってしまうのも微妙だななと思って、黙っていた。14時50分ごろ、お礼を言ってMRYM邸をあとにする。MRYMさんはこのあと、名物だという羽付き餃子のお店に僕らを案内しようとしてくれていたのだけれど、Yさんと一緒に駅に向かう(KさんはMRYM邸に残り、しばらく過ごしていくようだった)。こういうときのためにも、早く健康にならなければと思う。

 いちど家に帰り、ソファに横になって体力を回復させたのち、折りたためる円座クッションを持って神保町へ。17時過ぎ、「ランチョン」の前で知人と待ち合わせ。先週の段階で、「お酒を飲んでも問題はない」と医師に言われていたけれど、念の為にと2月いっぱいは酒を控えていた。もう3月になったことだし、ここらで一回ビールを飲んでみようということで、「せっかく久しぶりにビールを飲むなら」と、「ランチョン」を目指したのだ。ひと足先についた知人から、「ほぼ満席」で、店員に聞いたけど窓際の席は空いてないって言われたとLINEが届いていた。「ランチョン」の前で知人と合流し、2階を見上げてみると、窓際に空席があるのが見える。さっき知人が「店員に聞いたけど、窓際は空いてないって言われた」という言い方が微妙に気になっていたので、「ちょっと、先にひとりで入るから、1分経ったら入ってきて」と伝えて、ひとりで入店する。窓際の席は小さいテーブルだけ空いていた。階段を上がったところで、店員さんに「あとからもうひとりきて、ふたりになるんですけど」と伝えると、お店の奥のほうの空席を確認してくれている。店員さんに声をかけ、あ、ここの窓際の席でもいいですかと尋ねると、ちょっと狭い席になっちゃいますけどいいですかと、そこに案内してもらえる。僕はここの窓際の咳が好きで、テーブルが狭かろうが窓際がよいのだけれども、空席があってもそこに案内してもらえないことがある。

 席についたあたりで知人も階段を上がってきて、ビールを頼んで乾杯。18日ぶりに飲んだビールは苦く、発酵した味がする。たった18日飲まなかっただけで、ビールってこんな味だったっけと思うのだから不思議なものだ。知人からは数日前に「もう酒を飲まん生活でもええんやないん」と言われていた。「酒飲まんでも平気そうやん」と。たしかに、知人と一緒に夕飯を食べながらテレビを観られれば、それで楽しく過ごせるところはある。そこに酒がないほうが、観た内容もはっきりおぼえていられる。ただ、どうしても「酒を断つ」という発想には辿りつけない。酒が好きだという以上に、自分の生活を理性によってコントロールしようとすることに違和感がある。それに、酒を飲まないでいると、ずっと意識が明瞭なままだ。

 まずはサーモンのマリネとソーセージの盛り合わせを注文する。ソーセージって超詰めなんだなと実感する歯ごたえだ。店内はほぼ満席で、来店した客がしばらく階段のところで待っている時間が続く。奥のほうに数十人の団体のお客さんがいて、今日は大賑わいだ。もうマスク会食なんてしているグループは他には誰もいなかったけれど、まだ白い目を向けられるほどでもないなと感じる。店員さんもマスクをしないのが普通になれば、また変わってくるのだろう。ビールを2杯飲んだところで、メンチカツを注文し、ビールはハーフ&ハーフに切り替える。

 窓際の席だから、たっぷり風景を眺める。さっきまで近くのテーブルで熱燗を飲んでいた3人連れのひとりが、今は路上に佇んでいるのが見えた。わりと高齢の男性だけれども、スーツ姿だ。左端の車線の真ん中に立ち、タバコを吸っている。どうせ捨てるんだろうなと思って眺めていると、やはりタバコを路上に投げ捨て、手を挙げてタクシーを拾って去ってゆく。品がない。せっかく「ランチョン」で飲んだあとの時間ぐらい、もっとスマートに過ごそうと思わないのかと考えてしまうけれど、そんなことを考える人はもうほとんどいないのだろう。視線を店内に戻すと、デミグラスソースにはハーフ&ハーフがあう、やっぱりハーフ&ハーフにしてよかったと、知人が嬉しそうにしている。

 ひとりのときはメンチカツだけでわりと満腹になるけれど、今日はふたりだからもう少し食べられそうだ。「カレーライスも気になる」と知人は言っていたけれど、カレーを食べるならここじゃなくてもいいだろうと却下し(「別に、ここのお店にもカレーライスがメニューにあるのだから、カレーを頼んだっていいじゃないか」と知人は反論し、それは正論ではあるのだけれども、「ここはこのメニューを食べる店」という偏狭さもまた正しいのだということを「恩師」に教わったと思っているし、ここはまさに「恩師」に教わったお店でもあるので、カレーは却下して)、最後にビーフパイを注文する。

 ビールを4杯飲んだだけですっかり酔っている。帰り際にH社に寄り、ポストに封筒を投函しておく。本当は今日の夕方に「届けにいきます」と伝えておいたのだけれども、昼過ぎになって「今日は座談会が収録する予定があって、何時ごろ来社されますか」と確認のメールが届き、ただ添え状の入った封筒を届けにいくだけなのに、それと座談会が収録中なことと何の関係があるのかと、臍を曲げかけていた(誰かが来社することがノイズになるなら、別の場所で収録すればよい話だし、こちらとしても封筒を届けたついでに居座って話していくつもりもないのに、なにが影響することがあるのか――と)。添え状というのは、献本に同封してもらうつもりのもので、一昨年まで読書委員を務めていたYMUR新聞宛のものに添えてもらうつもりのものだった。その封筒を、ひとまわり大きな封筒に入れ、H社のポストに入れておく。

2月28日

 6時過ぎに目を覚ます。昨日までは術後の飲酒について調べてばかりいたけれど(診察を担当している医師からは「飲んでも問題はない」と言われているものの、その「問題はない」はどのレベルなのか、傷の回復や症状には影響しないということなのか、それとも「飲んでも、まあ、そんなに酷い悪影響はない」という話なのか、ずっと気になっている。お酒は飲みたくなってきているけれど、取材で遠出するのに不便ではあるから、回復が遅れるならなるべく控えておきたい気持ちもある)、今日は患部から出ている「浸出液」が術後何日目ぐらいまで出ている患者が多いのか、検索する。結局のところ手術の方法によって違うし、症状ごとに切開する範囲も異なるし、治り方も含めて「個人差」という話に尽きるのはわかっているのだけれども、調べてしまう。

 これは手術が近づいてきたあたりから感じていることではあるけれど、あれもこれも個人差があることばかりだし、医師によって考え方が違うところもあるし、すぐに堂々巡りに入ってしまう。痔瘻だから「そのうち治る」と思えるけれど、もしももっと深刻な症状で、不安に駆られているときに、断定的な言葉を言ってくれる人がいたら、そこに身を預けてしまても不思議ではないなと思う。

 朝から洗濯機をまわし、そのほとんどを部屋干しにする。9時過ぎに朝食の支度をして、納豆ごはん、インスタント味噌汁(わかめ)、ごぼうサラダ、ししゃも3匹で朝食にする。今日は資源ゴミの日だが、自分がお酒を飲んでいないものだから出すのを忘れていて、収集の音が聴こえてきて「資源ゴミの日だ!」と思い出す。慌ててゴミ袋を持って1階に降りると、もう収集車は走り去ったあとだった。パソコンを広げて仕事をしていた知人に、「今溜まっている空き缶はすべて自分が飲んだものなのに、どうして出しもせずに仕事を始めているのか」と八つ当たりをする。

 気づけば9時半になっている。そろそろ花粉症の薬をもらいにいかないと大変なことになりそうだと、近所の耳鼻科をネットで予約する。ここは9時半からネット予約の受付が始まるのだけれども、受付開始3分でもう46番、待ち時間は3時間近くと表示されている。ソファに寝転がって、S・Iのドキュメントを書きながら、こまめに呼び出し状況を確認する。

 今日は荷物が届く予定だ。昨日のうちに都内から出荷された荷物だから、午前中には届くはずなのだけれども、正午が近づいてもチャイムが鳴る気配はなかった。ふとクロネコヤマトのアプリで確認してみると、すでに「配達完了」と表示されている。僕はずっと在宅だったが、管理人が受け取ったのだろう。一階に降りて、荷物を手に取って部屋に戻る。届いていたのは新刊の見本だ。今回はいちども紙のゲラを見ていなくて、かつ表紙の紙に関する話もしていなかったのだけれども、勝手に「前著」と同じ質感の紙を想像していた。段ボールを開封して、見本を手に取り、「おお、こういう紙質できたか!」と興奮する。

 新刊の取次搬入日は3月7日だから、8日あたりから東京の書店には並ぶだろう。ただ――今回の本は沖縄で取材した本だ。沖縄の書店には船便で送られるため、東京より4、5日遅れて店頭に並ぶことになる。そうすると、取材してもらった方にすぐ献本すると、沖縄の書店に並ぶ日より2週間近く早いタイミングで届く格好になる。取材させていただいた方の中には、「見本ができたらお送りします」と伝えると、「知り合いに配りたいから、何冊か買いたい」と言ってくださる方もいた。1冊は見本をお送りできるけど、何冊か届けられるのは書店に並ぶ時期になってしまう。それに、見本をお送りした相手が、知り合いに「この本で取材してもらったんだ」と紹介してくださったとしても、沖縄ではしばらく買えない期間が続いてしまう。それならば、取材させてもらった方には、沖縄の書店に並び始める数日前――それでいて、東京の書店に並び始める時期より遅くならないタイミングでお届けできるようにしたい。そんなことをあれこれ考えずに、取材させてもらった方には一刻も早く送るべきなのかもしれないけれど、それを言うなら直接届けてまわりたいような気もするし、答えは出ない。

 昼過ぎ、新刊で取材させていただいたお店の一軒に電話をかける。開店直前でバタバタされている感じで、「いまお電話だいじょうぶですか」と確認すると、「どれぐらいかかりますかね?」と聞き返される。1分くらいで終わりますと伝えると、ああ、じゃあ今でだいじょうぶですよと言ってもらえたので、お店を取材した原稿を宣伝用に無料公開させてもらえないかと相談する。ああ、それはもう、全然好きに使ってもらっていいですよと言ってもらえて、お礼を言って電話を切る。通話時間はちょうど1分だった。

 12時45分になったあたりで、自分の番まで残り5人になったので、コートを羽織って外に出る。部屋にいるときは、トレーナーの上にもこもこした上着を着込んでいて、冬のあいだは(近所に買い物に出かける場合は)これにコートを羽織って出かけている。ただ、一歩外に出てみると明らかに空気がぬるく、すぐに部屋に戻ってもこもこを脱ぎ、ふたたび出かける。もう春の気配だ。団子坂を下っていると、車がもうもうと排気ガスを吐き出しながら遠おり過ぎてゆく。ずいぶん燃費の悪そうな車だなと思って車を視線で追ってみると、そんなに排気ガスを巻き上げそうな車でもなかった。おかしいなとしばらく考えて、排気ガスではなく花粉がもうもうと舞っているのか、と気づく。

 13時ごろに耳鼻科に到着し、数分待って診察を受ける。ここ数年、年に一度だけ通い、処方箋だけ出してもらっている。今年も先生は完全防備のよそおいで診察室にいて、ぱっと診断してもらって、去年と同じ薬を処方してもらう。僕の後ろにもまだまだ診察待ちの患者がいるはずで、先生は連日、お昼休みもろくにとれないまま診察を続けているのだろう。診察しても診察しても患者がやってくることを想像すると、ちょっとした地獄のように思えてくる。診察し続けてくれる先生がいてくれてありがたい限りだ。帰りにドラッグストアに寄って滅菌ガーゼを買い、「やなか珈琲」で豆を300グラム買って、スーパーで買い物をして帰途につく。

 午後もずっとS・Iのドキュメントを書き継ぐ。ソファに寝転がって原稿を書いていると、どうにも進捗が芳しくない。「もう術後2週間経っているから、座り仕事してもだいじょうぶなはず」と、円座クッションを敷き、座った状態で仕事をする(患部を甘やかせば甘やかすほど治りが早いのではと思っているから、まだなるべく座らないように、寝そべって過ごしていた)。カーテンを開けていると、近所の高校から生徒たちが下校していく。段々日が暮れてゆく。外の景色を眺めていると、なにか音楽でもかけようかという気持ちになる。昨日の余韻もあり、とりあえずMANNERSを再生しよとケータイを触ると、アルバムタイトルの下に「2014年」と表示され、ちょっとびっくりする。

 知人は18時半過ぎに帰ってきた。そこから1時間ちょっとは仕事を続けて、「晩酌」する。数日前とほぼ同じメニュー。ただ、砂肝のしょうが煮と書いていたものは「砂肝のオイスター炒め」だし、ホタルイカの沖漬けと書いていたものは「釜揚げほたるいか」だし、ヤンバルクイナと同じ色と書いていたのは「ヤンバルクイナの足と同じ色」だと、知人から校閲的な指摘を受ける。

 いくつかバラエティを観たあと、NHKで放送されたドキュメンタリー『ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の72時間』を観る。侵攻直後にチェルノブイリにやってきたロシア兵たちは、放射能で汚染されている土地であるにもかかわらず塹壕を掘り、そこで生活をしていたのだという。ウクライナ側によれば、その兵士たちは終始ヘラヘラしていて、送電線を切ろうとし、「そんなことをしたら死の灰がロシアにまで降り注ぐ」と必死に止められて、ようやく送電線を切るのをあきらめたのだという。あるいは、ウクライナに侵攻すれば歓迎されると思っていたというロシア兵や、侵攻した先でレストランを予約しようとしたロシア兵の話も。教育ということについて考えさせられる。テレビ画面のこちら側から観ていると、どうしてこんな、戦争だなんていう馬鹿馬鹿しいことが起こってしまうのかと思わざるを得ない。そんな態度で戦争が止まることは決してないということは、自分でもわかっているのだけれど。

2月27日

 7時過ぎに目を覚ます。燃えるゴミをまとめて出す。昨日(水切りカゴがいっぱいになってしまって)洗い切らなかった洗い物を片付け、コーヒーを淹れ、昨日スキャンした戸川幸夫「オホーツク老人」を読む。本当なら今頃羅臼にいる予定でいたけれど、今の状態からすると、遠出して(それも寒さの厳しい土地に移動して)取材するというのは無理だっただろうなと思う。朝は納豆ごはん、インスタント味噌汁(油揚げ)、昨日スーパーで買ったものの食べないまま終わったごぼうのサラダ、ししゃも3匹。

 ウェブ連載「KB」でお話を聞かせてもらった方に、原稿チェックのお願いをメールで送っていたが、念のために電話をかけてみる。金曜日の18時にもかけていたのだが、繋がらいないままだった。今日の10時過ぎにかけてみたものの繋がらなかったのだけれども、今日はしばらく経って折り返しの電話をいただく。お話を聞くと、「それはすぐに原稿チェックをお願いするのは難しそうだ」とすぐにわかり、メールをお送りしてある旨だけお伝えして電話を切る。連載を担当してくださっているM山さんには土曜日に原稿を送ってあって、ちょうどその返事がメールで届く。事情を説明し、原稿を戻してもらうまでにもう少し時間がかかりそうだと伝えると、電話がかかってきて、今後の掲載スケジュールを口頭で相談する。

 今度はH社のM田さんからメールが届く。新刊のプロモーション(?)について、投げていた話に返信をいただく。これにまた返信を書いているうちに、もう11時過ぎだ。今日もS・Iのドキュメントのことを考える。13時過ぎ、数日前にスーパーで買ってあった12個入りで100円のシウマイと、昨日作ったカボチャの煮物の残りと、もやし炒め、それにプチトマトでお昼ごはん。栄養素のことしか考えてなくて、食い合わせがちぐはぐになっているけれど、そういうことはもう少し経過が落ち着いてから考えることにする。

 日が暮れる頃までかけて、ドキュメントを1本書き上げる。19時過ぎ、晩飯の支度に取り掛かる。まずはにんじんは短冊切り(?)にする。生の感じが残ると嫌なので、レンジで「根菜類」の設定にしてチンする。温め加減はレンジに任せきりにして、ほうれん草を茹で、水に晒す。レンジが止まり、扉を開けるとモウモウと蒸気が立ちこめる。あきらかに茹だり過ぎていて、にんじんが縮んでいる。短冊切りにしたのだから、1分チンするだけでもよかったなと後悔しつつ、ニンジンはオリーブオイルで炒め、ほうれん草と一緒にサッポロ一番塩らーめんにのっける。らーめんをどんぶりに移したところで、あ、卵を入れるの忘れていたと気づき(患部の回復のために卵を1日1個は食べたい)、月見うどんみたいに卵を落とす。

 19時55分に家を出て、いそいそと団子坂を下る。今日はバーイッシーで「内橋和久新春11days」というライブがある。千駄木にライブをやっているバーがあるというのは知っていたけれど、住み始めて数年目にして初めて足を運んだ。今日は「11days」の最終日で、見汐真衣さんをゲストに迎えて開催される。ライブ情報を見かけたとき、「ああ、こんなに近所でライブがあるのに、その日は羅臼だ」と諦めていたのを数日前に思い出し、予約を申し込んであった。開演ギリギリに到着して、受付でドリンク代とチャージ代あわせて1000円を支払う。飲み物はウーロン茶にした。ライブ会場でノンアルコールを頼むだなんて、初めてじゃないかという気がする。

 会場には椅子が並んでいたけれど、お店の方に「すみません、痔の手術をしたばかりで、座ってるのがしんどくて、立って見ててもいいですか?」と相談して、入り口近くに立つ。ほどなくしてライブが始まった。ライブを観ているあいだ、生きることと死ぬことについてぼんやり考えていた。少し前の『ザ・ノンフィクション』で観た、病におかされながらも亡くなる直前までストリップ小屋に通っていた男性の姿がふと思い出された。死んだあとに何が残るんだろう。「何が残る」という言い方だとたぶん不正確で、生きている時間というのは何なのだろうかとぼんやり考えていた。これはライブに集中していなかったということではなくて、その反対の話なのだと思う。こないだの『タモリオールナイトニッポン』、タモリ星野源を相手にこんなことを話していたことも思い出された。

タモリ でも――あれだよ。年とってくるとね、まあ簡単なことを言えば、高校の頃、桜咲いてたって何も思わないでしょう。
星野 そうですね。『ああ、なんか咲いてんな』っていう。
タモリ 『咲いてんな、桜!』
星野 そうっすね(笑)
タモリ その桜に、感情がずっと入ってきたりするんだよね。
星野 歳を重ねていくと?
タモリ うん。
星野 街に咲いている桜ですか?
タモリ 桜とか――俺よく、環八にある砧公園――。
星野 はい、はい。
タモリ 一山10何本ある、広い――元ゴルフ場なんだ、あそこは。
星野 ああ、そうなんですか。
タモリ その、それぞれの――まあ家庭であり、ナントカカントカが、そこで飲んだり、こどもたちがボールを投げたり、何かしてるのを見ると、これが極楽だよなと思うんだよね。(略)桜の季節になると、ぼーっと観てんだよね。盛り上がってる。それぞれが関係ないことをやってる。関係も持たずに。

 あるいは、先日亡くなった笑福亭笑瓶が2015年、(亡くなったのと同じ)大動脈解離を発症し、ドクターヘリで運ばれたことについてインタビューを受けているなかで、「重い病気を乗り越えて、今後挑戦したいことは?」と尋ねられたときに答えていた言葉も思い出された(このインタビューのことは@maesanのツイートで知った)。

挑戦とかではなく、生きていることを楽しみたい。特に「五感」ですね。暑い夏の日に飲むキンキンに冷えたアイスコーヒーの美味しさや、飼い犬の毛のぬくもり、魚を焼いたときの匂い……。そんな日常が今は大きな喜びや楽しみです。死んでしまったら五感も何もない。忘れていた日常の喜びを思い出させてもらいました。

 その手触りは、死んだらどこにいくんだろう。僕自身は誰かに話を聞いてばかりで、自分の手触りには蓋をしているような気もする。

 会場には僕も含めて10人の聴衆がいて、思い思いに音楽を聴いている。数席だけ空きはあるけど、ほとんど椅子は埋まっている。この規模だと、演奏している人たちを凝視するのも少し照れくさく、それに壁に体重を預けながら観ていることもあって虚空を眺めながら聴いていたのだけれども、「と、おもった」が始まると、つい先日入院中に聴いたこと、10数年前に聴いていたことが蘇り、じっと見入ってしまう。そういう瞬間が何度かあった。ライブは途中で短い休憩を挟んで2時間弱続いた。ドリンク代付きで5000円ぐらいは払いたいとおもっていたのだけれども、財布の中には千円札が3枚しかなかった。入場時に千円札で払うんじゃなくて、もうあのタイミングで「投げ銭含めて、これでお願いします」と5千円渡しておけばよかったと後悔しながら、カゴに3千円を入れ、ひとけのなくなった団子坂をあがる。

2月26日

 6時45分に目を覚ます。花粉が飛び始めてからというもの、外に干すのは朝10時ごろまでに留めていて、顔に直接触れるタオルなどは天気が良い日でも最初から部屋干しにしている。そうすると厚手の服は乾かしづらく、洗濯をあとまわしにしてカゴの中に溜まっていたので、今日は早めに洗濯機をまわす。白湯を飲んで、日記を書く。今日は日曜日で、昼はパスタを食べる日なので、いつもより気持ち早めに朝食の支度をする。納豆ごはん、インスタント味噌汁(長ネギ)、ししゃも3匹。

 午前中はS・Iのドキュメントに向けて、メモを取りながら資料映像を観る。知人は確定申告を代理でやってくれている。去年も言ったのに、「いくらの売上で、いくら源泉徴収されたのか」が登録されてないから、ぶちめんどくさい、とボヤいている(freeeというアプリで、口座に振り込まれた額を登録するところまでしかやっていなかった)。2時間ほどで作業が終わったようで、「マイナンバーカードはないんよね?」と尋ねられる。通知カードしかないはず、通知カードはそこの上から三段目の引き出しに――と伝えると、「え、マイナンバーカードあるじゃん」と言われる。ここ最近のマイナンバー絡みの話をニュースで観ながら、酷い話だ、絶対に自分は申請しないぞと思っていたのに、もう取得済みだった。E-TAXで申請するにはパスワードが必要で、その確認方法で少し揉めながらも、どうにか申告完了まで辿り着く。2021年に比べると売り上げが下がっているから、還付金も半額近くだ。

 僕がシャワーを浴びようとしていると、知人が昼食の準備を始める。シャワーを浴びている途中で「もう麺茹でていい?」と言われ、今日は何分茹での麺なのかわからないのでとりあえず「いいよ」と返事をしてシャワーを浴びていると、最後に顔を洗っているあたりで「もう出来るけど」と声をかけられる。シャワーを浴びた後も、患部に軟膏を塗ったり時間がかかるのに、どうしてそんなに急いで作り始めたのかと揉めながらも急いで服を着て、サバ缶とトマト缶のパスタを食べ始める。ひとくち食べてみると、口の中がびりびりする。これ、唐辛子入れたのと尋ねると、「3本入れたけど」と知人が言う。数口食べてみたけれど、最近は刺激物を避けて過ごしていたこともあるのか、やっぱり口の中がわりとシビれる。口がシビれるなら、大腸や肛門にも刺激を与えてしまうだろう。さすがにこれを食べると症状が悪化してしまいそうだ。どうして唐辛子を入れたのか、いやだって唐辛子は別に食べても大丈夫って言いよったやん、いや言うわけないやん大体退院してきた日に台所に唐辛子の袋が置かれてあるのを見て「なんで痔の手術から退院してきてんのに、これみよがしに唐辛子が置かれてんの」って言ったじゃん、と揉める。知人が「なんもうまくいかんね、今日」と小さく言う。

 パスタの半分を洗って、別のソースと絡めて温めて平らげようと、セブンイレブンでボロネーゼのソースを買ってくる。知人はパスタを半分平らげて、残りをタッパーに移していた。別の麺を茹でて、インスタントのソースをかけて平らげる。午後も資料を見て過ごす。『ザ・ノンフィクション』ではウクライナから避難してきた家族が取り上げられていた。15時からは競馬中継を横目に仕事を続ける。今日は中山記念だ。マイルチャンピオンシップで2着に入ったダノンザキッド(2番人気)を本命にするか、熱中症で生死の境を彷徨って8ヶ月ぶりの復帰戦に挑むヒシイグアス(5番人気)を本命にするか迷う。ただ、ヒシイグアスは厩舎がかなり控えめなコメントをしていることに加えて、細江さんがパドックの一押しにダノンザキッドを挙げていたので、そちらを本命にして8点ほど3連単を買う。ダノンザキッドは差し馬だが、スタートがきれいに決まり過ぎて前目からの競馬になり、4コーナーあたりでずるずる後退してゆく。1着はヒシイグアスだった。

 今日は便意がやってこないのと、知人が散歩をしたそうだったので、16時半から散歩に出る。根津神社はなにやら工事をやっていた。立て札によると、森鴎外の旧居を境内に移築しようとしているそうだ(今はどこにあるのだろう?)。早く飲みたいなあと思いながらバー「H」の前を通過して、不忍通りを渡り、気の向くままに歩く。そういえばと思い出して、あかじ坂を経由して、建設中のマンションの囲いを眺める。そこからよみせ通りに出て、今日の晩御飯は何にしようかと考えながらぶらつく。もう日が暮れかけているけど、なかなかの人出だ。酒屋の「のだや」を過ぎてもさらに北に進み、「あれ、もう通り過ぎたかな?」と思ったあたりで、おしゃれな花屋さんに辿り着く。せっかくだから部屋に花でも飾ろうと、ラナンキュラスと、なんだかと、2輪買い求める。晩ごはんの買い物にと「マルエツプチ」に立ち寄ると、ごっそり空になっている棚があり、なんだこれはと値札を見るとたまご売り場だ。図書館で予約していた資料を受け取り、家まで帰ってくる頃には18時半になっている。

 テレビをつけ、『ベスコングルメ』を眺めながら、借りてきた資料のうち、ページ数が少ないものはスキャンしておく。猿之助が浅草の寿司屋を目指して歩いている。東京でカウンターの寿司屋に入ったことはほとんどない(新宿にあった「吉野寿司」は坪内さんに教えてもらって、2回くらいだけ自分で入ったことがあるけど、それくらいだ。もう40歳になるけれど、寿司屋に通うような人生ではなかったということなのだろうか)。ほどなくして『ベスコングルメ』が終わり、『バナナマンのせっかくグルメ』が始まる。2週間前は手術と術後の生活に怯えながら、この番組を観ていた。

 僕はかぼちゃを煮付け、知人はセリのオイスターソース炒めを作り、スーパーで売っていた親鶏の炭火焼きを温めて「晩酌」。買ってきた花、1輪は「やんばるくいな」という泡盛の小瓶に挿してテレビの隣に飾る。「ヤンバルクイナとおんなじ色なんよ」と、飾ってある花を見て知人が嬉しそうに言う。バラエティ番組を観たあと、昨晩放送されたETV特集『死亡退院』観る。人工透析ができる数少ない精神病院で常態化する暴力。人間はこうなってしまうのだと思いながら観る。こうなってしまうのだから、それを踏まえた上で、うまい制度設計ができないのか、この世の中にはきっと賢い人たちがたくさんいるだろうに、とぼんやり考える。

 入院していた患者が死亡して退院する「死亡退院」の割合は、この日記を書いている今正確な数字を覚えていないけれど、かなり高い数値だった。それでもこの病院が「必要悪」になってしまっているのだと語る医療関係者のコメントも紹介されていた。この病院に入院させられた患者や、この病院で家族を亡くした遺族や、この病院に入院させられた友人を退院させようとする人の姿が、ドキュメンタリーの中で映し出される。その姿を見つめながら、画面上にはあまり浮かび上がってこない人の姿を想像する。取材に応じてコメントを寄せていた社会福祉学を専門とする教授は、「棄民」という言葉を用いていた。家族から見捨てられ、遺骨の受け取りを拒否される例もあるのだと、番組内では紹介されていた。

 番組の終盤に、院長を直撃する場面が短く放送される。それは自宅を車で出発しようとする院長を待ち構えて、その姿をカメラに収めたものだ。その車が映し出された瞬間に、隣で観ていた知人が「ぶち高級車のりまわしとるやん」といろめき立つ。この場面だけは少し、なんとも言えない気持ちになった。もしもコメントをとりたいなら、もう少し別のタイミングを見計らうだろう(車を運転している状況を直撃しても、コメントがとれる可能性はほとんどない)。そのカットは、「ここの院長はこんな高級車を乗り回している」ということを伝えるためのカットだった。

 ずうんとした気持ちになりながらちゃぶ台を片付け、布団を敷く。布団を敷きながらも、「ヤンバルクイナと同じ色なんよ」と知人は嬉しそうに花を見ている。今晩だけで5回繰り返している。布団に横になり、『今夜すきやきだよ』を観る。ようやく4話まで観た。いかにも「演技がうまい!」と言わせるような出演者はいないけれど、こういうドラマにおいて、演技のうまさというのはうるさく感じられるものでもあるのだろう(『孤独のグルメ』でゲストの俳優に熱演されてもうるさく感じられるように)。毎話、とても説明的に物語が進んでゆく。第4話の最後には、登場人物たちが肉まんを食べるシーンが映る。登場人物は3人、せいろで蒸された肉まんは5個。テーブルに置かれた小皿にお酢が注がれ、そこに醤油が垂らされる。肉まんになにかつけて食べる地域と何もつけない地域で分かれるよなと思うのと同時に、昨日の『ジョブチューン!!』で、王将の餃子を食べていた「一流料理人」たちは、誰も小皿に醤油を入れず、酢(と胡椒?)だけで食べていたことが思い出された。

2月25日

 7時半に目を覚ます。洗濯機をまわし、コーヒーを淹れ、ウェブ連載「KB」の写真の整理を仕上げる。色々申し送り事項を書き添えて、編集者のM山さんにメールで送信する。それが終わると、今度はH社のM田さんにメール。無料公開するとしたら、どの回がよいかを吟味して、候補をいくつか挙げて、メールで送信しておく。そうこうするうちに知人も起き出してきて、布団を畳んで身支度をして、散髪に出掛けていく。気づけばもう9時半をまわっていて、朝食の支度をする。納豆ごはん、インスタント味噌汁(豆腐)、セブンで買ってきたひじきの煮物、昨日の豚肉とキクラゲの卵炒めの残りで朝食を取る。

 昨日のお昼、病院に出掛けているあいだに届いた荷物はランチョンマットだった。ダイニングにある木製テーブルは、特に加工されていないので、なにかこぼすと染み込んでしまう。そこで食事をとれるようにと、無印でランチョンマットを買ったのだった。今日の朝から、そのランチョンマットを使っている。自分の人生でランチョンマットを敷く日がくるとは思っていなかった。最近は起き抜けに白湯を飲んでいて、これもまた、自分の人生にそんな日が訪れるとは思っていなかったことだ。

 食後はソファに寝転がり、Kindleで買った『おひとりさまホテル』を読んだ。共感がベースにある物語のように感じられて、とりあえず1話を読んだところで閉じる(では、共感をベースにしないのだとして、たとえば旅に出た記事を書いて、自分は人に何を手渡したいのか)。ソファに寝転がった姿勢のまま、S・Iのドキュメントを書く。昨日は便通がなかったが、13時半ごろに便意がある。退院後も、傷が回復するようにと、便通がよい状態がキープできるようにと意識して過ごしているはずなのに、便秘のような感じで、お腹が痛くなる。水分も相当とっているはずなのに(昨晩も、テレビを観ながら1リットル以上は飲んだはずなのに)、なぜ。

 14時過ぎ、昼食をとる。冷凍食品の牛丼と、ブロッコリー、もやし炒め。のんびり頬張っていると、散髪に出かけていた知人が帰ってくる。居間で仕事を始めようとしていたので、食事を終えるまでダイニングで仕事をしてくれと伝える。自分が食事をしているときに、食事をしていない人がまわりにいると、どうしても落ち着かない。「何なん、そのルール」とブツクサ言いながら、知人はダイニングに移動する。日が暮れるころになって原稿を1本書き上げて、次のドキュメントに向けて映像を視聴する。

 そうこうするうち『ジョブチューン!!』が始まってしまう。今日は「餃子の王将vs超一流中華料理人」で、作業の手を止めて見入ってしまう。この番組はなんだかんだで好きだ。企業の体質が、受け答えに滲み出ている感じがする。王将の場合、ダメ出しをされても、すぐに「ありがとうございます」と言っている感じに、すごく体育会系を感じる。「今の速さで、絵が絵尾で『ありがとうございます』って答える感じ、怖えのう」とつぶやくと、「仕事しいよ」と知人に言われてしまう。そりゃそうだ、テレビを眺めていたら、資料となる映像を視聴できるはずないよなとイヤホンを外し、テレビの視聴を軸にしながら進められる作業に切り替える。

 従業員イチ押しメニューTOP10を、「一流料理人」が合格か不合格かジャッジする。従業員が推す4位は回鍋肉だ。皿が運ばれてきた瞬間に、「一流料理人」たちが「回鍋肉かー……」と漏らす。回鍋肉ってそんなに腕が問われる料理だったのかと驚く。「これ、豚バラじゃないもんね」と囁き合う料理人たちに、「本来であれば豚バラ肉を用いるのが回鍋肉ではあるんですけども、餃子の王将独自の回鍋肉ということで」と、企業側の誰かが説明する。しばらく黙々と食べていた料理人のひとりが「ごはんもらえますか」と手を挙げ、回鍋肉を食べたあとに白米をかきこんで「こうだよね」と言っていて、いいねえと画面に向かってつぶやいてしまう。

 回鍋肉は満場一致の合格だった。それどころか上位4品――3位の極上天津飯、2位の餃子の王将ラーメン、1位のにんにく激増し餃子――はすべて合格だった。満場一致で合格一致になるたび小さく拍手をしていると、「なんでこの番組そんなに好きなんよ」と知人が不思議そうに言う。単純に番組として好きなのもある。これまであまり「批評」の対象とされてこなかったチェーン店のあじのことを俎上に挙げているのも面白いし、(まんまと宣伝に乗せられているとはわかっているけれど)テレビで紹介されているいろんな店に比べて、「じゃあ明日食べてみようか」とすぐに味わってみることもできる。「一流料理人」の側もキャラが立っていて面白い。今回も「避風塘 みやざわ」というお店が気になった(梅田にあるお店らしく、横に並んでいる別の料理人が「関西の中華の料理人で知らない人はいない」「横に並ぶのは緊張する」と言っていた)。でも、やっぱり、いちばん面白がっているのは社風が透けて見えるところだろうなあと思う。番組の中で、王将の人たちが繰り返し「道場」という言葉を口にする。調理の研修施設を「道場」と読んでいるらしく、そこからしてもう社風が色濃く出ている。4品連続で満場一致合格となると、その場にいたほぼすべての社員が涙を流しながら喜んでいる。感情をむき出しにしあうことでメンバーシップを確認しあっているようにも見えて、自己啓発感が拭えず、自分がそこで働いていることを想像したらぞっとする。

 知人の作る砂肝の生姜煮と、菜の花のおひたし、ほたるいかの沖漬けで「晩酌」。もうすっかり春だ。僕はひたすら白湯を飲んだ。それに、知人が昨日職場から持ち帰ったミスドのドーナツの中からエンゼルクリームも食後に頬張る。食べるつもりはなかったのだが、今日は便秘気味で苦しかったことを知人に話すと、「糖質が足りてないんじゃない?」と言われ、たしかにそれは一理あるかもと腑に落ちる。ダウンタウンの浜田に関する報道の中にミスタードーナツが出てきて、「ほんとうに好きなのはエンゼルクリーム」という情報に触れ、「エンゼルクリームってどんな味だっけ」と思っていたところに向こうからやってきたので、それを選んで平らげた。やっぱりオールドファッションが好きだ。

 21時からはバラエティ番組の録画をいくつか観たあと、NHKで放送されたドキュメンタリー『ウクライナ 家族の戦場』を観る。ロシアの攻撃からほどなくして練習を再開したサッカーチームのコーチが、「こうやって好きなことに熱中しているあいだは、ひどいことを忘れられる」というような内容のコメントをしている。「将来の夢は?」と尋ねられた少年が「戦争が終わること」と答えていた。ある夫婦は、妻が手芸作家ということもあって、軍服や防寒着を縫い、前線の兵士に届けている。それが家内制手工業というか、「必要な方はいますか?」とSNSで発信し、前線の兵士に送るという方式で届けていて、今はもうこんな時代なのかと驚く。僕のイメージの中にある戦争は、「市民が参画して軍需物資を作り、前線に送る」というのであれば、国が運営する工場にひとびとが動員されて勤労奉仕する――という太平洋戦争のころの姿だ。国家が統率する総力戦ではなく、市民が「防寒着を作った」と発信し、ある部隊が「うちに送ってくれ」と連絡をとり、届けられる。今の戦争ってそんなふうに日常生活に溶け込んだものなのかと思うのと同時に、あまりにも日常と地続きでおそろしくなる。