2月27日

 7時過ぎに目を覚ます。燃えるゴミをまとめて出す。昨日(水切りカゴがいっぱいになってしまって)洗い切らなかった洗い物を片付け、コーヒーを淹れ、昨日スキャンした戸川幸夫「オホーツク老人」を読む。本当なら今頃羅臼にいる予定でいたけれど、今の状態からすると、遠出して(それも寒さの厳しい土地に移動して)取材するというのは無理だっただろうなと思う。朝は納豆ごはん、インスタント味噌汁(油揚げ)、昨日スーパーで買ったものの食べないまま終わったごぼうのサラダ、ししゃも3匹。

 ウェブ連載「KB」でお話を聞かせてもらった方に、原稿チェックのお願いをメールで送っていたが、念のために電話をかけてみる。金曜日の18時にもかけていたのだが、繋がらいないままだった。今日の10時過ぎにかけてみたものの繋がらなかったのだけれども、今日はしばらく経って折り返しの電話をいただく。お話を聞くと、「それはすぐに原稿チェックをお願いするのは難しそうだ」とすぐにわかり、メールをお送りしてある旨だけお伝えして電話を切る。連載を担当してくださっているM山さんには土曜日に原稿を送ってあって、ちょうどその返事がメールで届く。事情を説明し、原稿を戻してもらうまでにもう少し時間がかかりそうだと伝えると、電話がかかってきて、今後の掲載スケジュールを口頭で相談する。

 今度はH社のM田さんからメールが届く。新刊のプロモーション(?)について、投げていた話に返信をいただく。これにまた返信を書いているうちに、もう11時過ぎだ。今日もS・Iのドキュメントのことを考える。13時過ぎ、数日前にスーパーで買ってあった12個入りで100円のシウマイと、昨日作ったカボチャの煮物の残りと、もやし炒め、それにプチトマトでお昼ごはん。栄養素のことしか考えてなくて、食い合わせがちぐはぐになっているけれど、そういうことはもう少し経過が落ち着いてから考えることにする。

 日が暮れる頃までかけて、ドキュメントを1本書き上げる。19時過ぎ、晩飯の支度に取り掛かる。まずはにんじんは短冊切り(?)にする。生の感じが残ると嫌なので、レンジで「根菜類」の設定にしてチンする。温め加減はレンジに任せきりにして、ほうれん草を茹で、水に晒す。レンジが止まり、扉を開けるとモウモウと蒸気が立ちこめる。あきらかに茹だり過ぎていて、にんじんが縮んでいる。短冊切りにしたのだから、1分チンするだけでもよかったなと後悔しつつ、ニンジンはオリーブオイルで炒め、ほうれん草と一緒にサッポロ一番塩らーめんにのっける。らーめんをどんぶりに移したところで、あ、卵を入れるの忘れていたと気づき(患部の回復のために卵を1日1個は食べたい)、月見うどんみたいに卵を落とす。

 19時55分に家を出て、いそいそと団子坂を下る。今日はバーイッシーで「内橋和久新春11days」というライブがある。千駄木にライブをやっているバーがあるというのは知っていたけれど、住み始めて数年目にして初めて足を運んだ。今日は「11days」の最終日で、見汐真衣さんをゲストに迎えて開催される。ライブ情報を見かけたとき、「ああ、こんなに近所でライブがあるのに、その日は羅臼だ」と諦めていたのを数日前に思い出し、予約を申し込んであった。開演ギリギリに到着して、受付でドリンク代とチャージ代あわせて1000円を支払う。飲み物はウーロン茶にした。ライブ会場でノンアルコールを頼むだなんて、初めてじゃないかという気がする。

 会場には椅子が並んでいたけれど、お店の方に「すみません、痔の手術をしたばかりで、座ってるのがしんどくて、立って見ててもいいですか?」と相談して、入り口近くに立つ。ほどなくしてライブが始まった。ライブを観ているあいだ、生きることと死ぬことについてぼんやり考えていた。少し前の『ザ・ノンフィクション』で観た、病におかされながらも亡くなる直前までストリップ小屋に通っていた男性の姿がふと思い出された。死んだあとに何が残るんだろう。「何が残る」という言い方だとたぶん不正確で、生きている時間というのは何なのだろうかとぼんやり考えていた。これはライブに集中していなかったということではなくて、その反対の話なのだと思う。こないだの『タモリオールナイトニッポン』、タモリ星野源を相手にこんなことを話していたことも思い出された。

タモリ でも――あれだよ。年とってくるとね、まあ簡単なことを言えば、高校の頃、桜咲いてたって何も思わないでしょう。
星野 そうですね。『ああ、なんか咲いてんな』っていう。
タモリ 『咲いてんな、桜!』
星野 そうっすね(笑)
タモリ その桜に、感情がずっと入ってきたりするんだよね。
星野 歳を重ねていくと?
タモリ うん。
星野 街に咲いている桜ですか?
タモリ 桜とか――俺よく、環八にある砧公園――。
星野 はい、はい。
タモリ 一山10何本ある、広い――元ゴルフ場なんだ、あそこは。
星野 ああ、そうなんですか。
タモリ その、それぞれの――まあ家庭であり、ナントカカントカが、そこで飲んだり、こどもたちがボールを投げたり、何かしてるのを見ると、これが極楽だよなと思うんだよね。(略)桜の季節になると、ぼーっと観てんだよね。盛り上がってる。それぞれが関係ないことをやってる。関係も持たずに。

 あるいは、先日亡くなった笑福亭笑瓶が2015年、(亡くなったのと同じ)大動脈解離を発症し、ドクターヘリで運ばれたことについてインタビューを受けているなかで、「重い病気を乗り越えて、今後挑戦したいことは?」と尋ねられたときに答えていた言葉も思い出された(このインタビューのことは@maesanのツイートで知った)。

挑戦とかではなく、生きていることを楽しみたい。特に「五感」ですね。暑い夏の日に飲むキンキンに冷えたアイスコーヒーの美味しさや、飼い犬の毛のぬくもり、魚を焼いたときの匂い……。そんな日常が今は大きな喜びや楽しみです。死んでしまったら五感も何もない。忘れていた日常の喜びを思い出させてもらいました。

 その手触りは、死んだらどこにいくんだろう。僕自身は誰かに話を聞いてばかりで、自分の手触りには蓋をしているような気もする。

 会場には僕も含めて10人の聴衆がいて、思い思いに音楽を聴いている。数席だけ空きはあるけど、ほとんど椅子は埋まっている。この規模だと、演奏している人たちを凝視するのも少し照れくさく、それに壁に体重を預けながら観ていることもあって虚空を眺めながら聴いていたのだけれども、「と、おもった」が始まると、つい先日入院中に聴いたこと、10数年前に聴いていたことが蘇り、じっと見入ってしまう。そういう瞬間が何度かあった。ライブは途中で短い休憩を挟んで2時間弱続いた。ドリンク代付きで5000円ぐらいは払いたいとおもっていたのだけれども、財布の中には千円札が3枚しかなかった。入場時に千円札で払うんじゃなくて、もうあのタイミングで「投げ銭含めて、これでお願いします」と5千円渡しておけばよかったと後悔しながら、カゴに3千円を入れ、ひとけのなくなった団子坂をあがる。