4月8日

  午後5時半になっても、外はまだまだ明るかった。東京とソウルに時差はない。ソウルは東京より1000キロ以上西にあるから、そのぶん日の入りが遅いのだ。約束の時間ギリギリに劇場の前に行ってみると、青柳さんはマスクをして、ベンチに腰掛け本を読んでいた。青柳さんの綿のマスクを見ていると、給食の時間を思い出す。給食当番が身につけていた、あのマスク。

 「ようこそ、はるばる。すごいですね、韓国まで!」
 「いやいや。いつか観に来ようと思ってましたから」

 あれは、「cocoon」の公演が終わったあと、お礼参りにと皆で沖縄に出かけたときのこと。その最終日、残っていた五人で座間味島へと出かけたのだが、フェリーで隣りの席になった青柳さんが言っていたのだ。橋本さん、マームだけじゃなくて、チェルフィッチュも観にきてくださいよ、と。演劇を観るようになってからは、チェルフィッチュの公演は観に行っているので、ここで言われているのは海外公演のことだ。僕は去年、マームとジプシーの初めての海外公演にくっついてイタリアとチリに出かけたけれど、その作品に青柳さんは出演していなかった。

 「ちょうど来月、パリのポンピドゥー・センターで『現在地』と『地面と床』をやるから、よかったらぜひ」

 そう語る青柳さんに、僕は二つ返事で「行きます」と答えていた。パリには行ったことがなかったし、僕はそんなふうに誘ってもらえるのであれば、でき得る限り観に行きたいと思っているからである。でも、案外パリまでの航空券は高く、結局パリに行くことはできなかった。それ以来、青柳さんに会うたび、少し申し訳ない気持ちになっていた。

 チェルフィッチュが韓国公演を行うと知ったのは、4月4日の朝のことだ。どういうわけだか「まえのひ」全国ツアーのメーリングリストに僕も入れてもらっているのだけれども、そこに「青柳さんが韓国から帰ってくる一週間後に、ツアーがはじまるね」という文言があったのだ。調べてみると、チェルフィッチュがフェスティバル・ボムに参加し、ソウルで公演するという。カレンダーを確認すると、その時期は何も予定が入っていない――それを確認すると、僕は午前中のうちにエイチ・アイ・エスに出かけ、3日後の航空券を手配してもらった。そうして韓国までやってきたのである。

 劇場近くを少し案内したもらったあとで――インスタントラーメンを食べさせてくれる店なんていうのがあった、コンビニではなく、れっきとした食堂なのだが、そこで出てくるのはインスタントなのだという。それにおにぎりがついて450円で、出演者の何人かで食べにきたらしい――近くのカフェに入ることに決めた。カフェのメニューはすべてハングルで書かれていた。

 僕はビールを、青柳さんはホットティーを注文した。すると店員の女性は、「オーケー、オーケー」と言って厨房に引き返すと、缶を手にして戻ってきた。固い缶を必死で開けると、それを青柳さんの鼻先に向けた。「あっ、はい」と、青柳さんは日本語で返事をした。

 お茶を飲む、韓国の青柳いづみさん。

 「これ、横浜では観てないんですか?」と、青柳さんは言った。
 「観てますよ。だから、昨日のが二回目で、今晩が三回目です。横浜で観たときも『これを外国で観たら違う感慨があるんだろうなと思ってたんですけど、やっぱり、ありましたね』
 「ああ、あるんや?」
 「やってるほうはあんまり場所による違いはないですか?」
 「あんまり変わんないかな。むしろ、横浜でやったときのほうがあったかも。『地面と床』は、最初外国でしかやってなかったから、『これ、日本でやってどうなるん?』みたいな感じはあったけど」
 
  この日は、松本公演のちょうど一週間前だった。その公演を皮切りに、マームとジプシーは「まえのひ」の全国ツアーに出ることになる。これは、彼らにとって初めての本格的なツアーだ。去年、海外公演を行ったとき、藤田さんは一つの作品を全国ツアーとしてまわすことを少し否定的に語っていた。それが、こうして全国ツアーに出かけるということは、ツアーをまわすだけの強度がマームとジプシーに生まれたということなのだろうかと、藤田さんに訊ねたことがあった。

「ツアーをまわす強度っていうのは、僕らにはまだないのかもしれないんですよね」と藤田さんは言っていた。「もしかしたら、今回のツアーは限界を突破してるかもしれないんだけど、あの作品をいろんな場所に持っていきたいという意識が強いんですよね。いわきで言う『まえのひ』は3月10日になるかもしれないけど、沖縄には全然違う『まえのひ』があるだろうし、このモチーフをいろんなところに持って行ったときに、いろんな街の『まえのひ』が浮かび上がってくるのが絶対に観れると思ったんですよ。そのことについて、ぼろぼろになりながら考えるべきなのかもしれない」

 マームとジプシーが初めてツアーに出るのに対して、青柳さんは何度となく海外ツアーを経験している。青柳さんは、その点についてどんなふうに考えているのだろう?

 「いやー、でもね、海外とまた海外と日本って違うじゃないですか。私、日本でまわったことはほとんどないんですよ。ほとんどっていうか、ないね。いわきに一回行くとかはありますけど、こんなふうに何週間も続けてまわったことはないし、チェルフィッチュとマームとでも違うでしょうし」

 話をしていると、店内にカレーの匂いが漂ってきた。ハングルは読めないけれど、どうやらカレーがメニューにあるらしかった。

 カレーを食べる、韓国の青柳いづみさん。

 ところで、昨日の公演を観ているときに不思議な印象を抱いた。特にそんなに激しい動きをしているわけでもないのに、青柳さんの体が引きちぎれるんじゃないかって気がしたんです――そんな感想を伝えると、「案外ね、キツいんですよ」と青柳さんは言っていた。「全然動いてないから、そう見えないとは思うんですけどね。(そのキツさは)誰にも伝わんないんだろうなーって思いながら、やってます」

 青柳さんの口調は、10日前に上演された「名久井さんとジプシー」のときと同じしゃべりかたになっている。

 「そう、そうなのよ。でも、このしゃべりかたのほうが良いらしくて。名久井さんの、ふおぉーみたいなしゃべりかたのほうが全然良いって、言われます」
 「青柳さんのしゃべりかたでいいじゃないですか」
 「いや、もうないもん。私のしゃべりかたなんて、もうないもん」

 今度は、川上未映子さんの『先端』を読んでいるときのような関西弁になっている。青柳さんは東京生まれで大阪に暮らしたこともなく、また誰かに関西弁を指導されたこともないので、それは関西弁というよりもう青柳弁であるのだが、何にせよ、青柳さん自身から出てくる言葉はもう、何かの舞台のときの言葉遣いになってしまっているようだった。僕が「引きちぎれそうに見えた」と言ったのも、そういう意味で、だ。

 「これは僕の勝手な感想だし、ズームレンズで撮っていたからそんなふうに見えちゃっただけかもしれないですし、女優さんにこういうことを言うのは失礼なことなのかもしれないですけど……。名久井さんとジプシーの最後の公演のとき、ちょっと感極まっているようにも見えたんですけど」

 僕の回りくどい言い方に笑いながら、「ああ、うん、感極まってましたよ」と青柳さんは答えてくれた。

 僕がはるばる韓国までやってきたのは、単に青柳さんの公演を観るというよりも、何かに引き裂かれそうになっている青柳さんに、ツアーが始まるよりも先に話を聞いておきたかったからだ。ツアーが始ってからも話は聞けるだろうけれど、日本から離れた場所で、マームとジプシーからも離れたところで話を聞いたほうが、率直な言葉が聞けるのではないかと思ったのである。それに、何かに揺らいでいる今この瞬間に、話を聞いておきたいと思ったのだ。そうして僕はテープをまわして、青柳さんに話を聞いた。その話は、またどこか別の機会に書く。