メッシーナ公演3日目ーーツアー最終日

 今日はツアー最終日だ。今日もホテルから劇場まではクルマが手配されていたけれど、それに乗ったのは荻原さん、聡子さん、波佐谷さん、藤田さん、門田さん、それに僕の6人だけだ。残りの皆は、散歩に出かけたり、お土産を買ったりするべく、自分で劇場に向かったようだ。

「あの二人へのお土産、シーチキンにしたよ」
「あ、俺もシーチキンにした」
「え、どれどれ。かぶってないかな?」

 シチリアではバタバタする日々が続いて、あまりお金を使うタイミングもなく、皆お金を余らせているようだった。100ユーロ以上余らせている人もいる中で、きっちり使い切っているのが尾野島さんだ。昨日の時点で「15ユーロ残ってる」と言っていた尾野島さんは、今日の午前中にお土産やビールを購入して、残りは2ユーロ60セントだと言っている。

 さて、この日は公演だけでなく、メッシーナでは2日目となるワークショップも行われた。15時、会場に行ってみると、前回の倍近い人数が集まっていた。昨日と一昨日の公演を観た観客や、あるいはコラドの氏の知り合いが興味を持ち、「ワークショップをやっているのなら参加してみたい」と言ったようで、そのすべての人にコラド氏は「オーケー」と返事をしたらしかった。今日のワークショップは4日前の続きをやるはずだったけれど、半数を占める初めて参加した人に合わせて行われることになった。

 ここメッシーナでのワークショップは、おそらくコラド氏の希望によって、当初は3日間行われることになっていた。しかし、スケジュールを見る限り、3日間もワークショップをする余裕はなさそうだということで、「せめて2日間にしてもらえないか」と、日数を減らしてもらっていた。

「君に見せたいワークショップがある」

 このコラド氏の鶴の一声で、ワークショップは予定より1時間早い17時で切り上げられることになった。藤田さんはコラド氏に連れられて別のワークショップの見学に出かけてしまった。藤田さんが劇場に戻ってきたのは、開演時刻が3時間後に迫った頃だった。

「今日も21時15分に開演予定です」と、熊木さんがアナウンスをする。「それにあわせて、皆様、休憩とスタンバイのほう、よろしくお願いします。20時半に衣装を着た状態で集合して、集合写真を撮影して、21時に開場予定です。終演後はぱぱっと着替えていただいて、小道具、機材など、諸々パッキングをして劇場を出ます。よろしくお願いします」

「はい、えっと、最後ですけど、頑張ってください」――藤田さんは、そう短く挨拶をした。

 開演を待つあいだ、僕と波佐谷さん、それにはやしさんの3人で、大聖堂の近くのお土産ショップに買い物に出かけた。その帰り道に藤田さんと遭遇して、波佐谷さんをのぞく3人でディナーを食べることになる。適当に入った店は、バーガーショップだった。

「スシ・ショップは隣の店だけど、大丈夫?」と店員が訊ねてくる。
「毎日寿司食ってると思ってるのかな?」と藤田さんは言った。

 まずは地ビールを3杯注文して乾杯する。ビールは1種類しか在庫がなく、しかも黒ビールだったので不安に思っていたのだけれど、軽い飲み口の黒ビールだったのでグイグイ飲んだ。こうしてビールを飲んでいると、今日がツアーの最終日だということが信じられない気持ちになってくる。メッシーナでの日々は妙にバタバタしていて、あっという間に最後の日を迎えてしまった。

「今思うと、アンコーナはまだゆっくり過ごす時間がありましたよね」と藤田さん。「それに比べると、メッシーナは何の余裕もなかったですよね。これがもし、素晴らしい終わり方だったら来年のことを考えなかったかもしれないけど、既にもう、やり残したことが一杯あるんですよね。それが辛い」と笑っている。

「この店を出たあと、ハシゴしてビール飲んで帰るのってどう?」と藤田さんは提案したけれど、「いや、21時開演だからね?」とはやしさんは冷静に返事をした。

 20時頃に劇場に戻ってみると、小道具のプリセットが行われているところだ。

「くまちゃーん。ミニ四駆のつけかた、わかんなくなっちゃった」とあゆみさんが言う。『てんとてん』という作品には、犬のフィギュアをのっけた(つまり犬に見立てた)ミニ四駆が3体登場する。タロー、ジロー、サブローの3体だ。そのミニ四駆が、動かなくなってしまったらしかった。熊木さんは小さい頃、大会に出るために遠征をしていたほどミニ四駆少年だったようで、熊木さんに見てもらうと、ミニ四駆はすぐに動くようになった。

「くまちゃん、実はね、さぶちゃんも動かないんだ」とあゆみさんは言う。その様子を眺めていたはやしさんは、「日本に帰りたくないのかもね」と口にした。その言葉をメモに取っている僕もまた、日本に帰るのが惜しいという気持ちになっていた。

 僕が『てんとてん』という作品を追いかけているのは、仕事だからということではなく、「この作品をもっと観ていたい」と思ったからだった。日本では一夜限りの上演だったけれど、海外ツアーに同行すれば、この作品をもっと観ていられる――そんな思いで『てんとてん』という作品を観続けてきたものの、その日々も、今日で終わりを迎えてしまう。ひょっとしたら来年もツアーが行われるかもしれないけれど、今年のバージョンで上演されるのは、いよいよこれで最後だ。そう思うと、日記をつけるということも、ツアーに同行しているということも忘れて、一観客として公演を観ることにした。

 客席の最後列には、藤田さんも座っていた。今日まで気づかずにいたけれど、藤田さんは去年、あまり公演を観ずに済ませていたのに、今年はすべての公演を客席から見守っていた。

「去年はわりと、逃げ出してたんですよ」と藤田さんは言った。「去年は怖くて観れなかったんだけど、今年は納得が行くようになったから、客席から観れてるのかもしれないです」。

 終演直後――皆がバラシをしているあいだ、僕は劇場のロビーに腰掛けて、ICレコーダーをまわしつつ藤田さんに話を聞いた。

――今日でツアーは終わりますけど、このメッシーナ公演は一体何だったのか、最後まで謎でしたよね?

藤田 本当だよ(笑)。ほんと疲れた気がする。ビジュアルは綺麗でしたけど、一番掴めなかったかもしれない。ただ、すごい良かったなと思うのは、感想が細かくなってきてる感じはあるんですよ。去年は『なんかグッときた』みたいな感想が多かったんですよ。というのも、去年はわりと、音楽で意味の演出をしてたんですよ、でも、今年はもっと具体的に「駅での別れのシーンが良かった」「ああいうシーンはほんとにリアリティがあるよね」とかって感想を言われていて。

――たしかに、去年はそこまで具体的な感想はなかったですね。

藤田 そうですね。でも、こうなってくると、やれる幅は広がってくる気がする。っていうのも、この会場ですごいなと思ったのは、2回とか3回観てくれてる子が何人かいて、そういうハマりかたって、日本でマームを観てくれる人に近いなってことを思ったんですよ。そうすると、日本人にとっても複雑なことをやったとしても、もうちょっと伝わるんじゃないかっていう自信が持てたんですよね。

――今回のツアーは、訪れたすべての街でワークショップをやりましたね。

藤田 ワークショップは、ほんとにヤバかったですね。ほんと千本ノックだった。でも、各地に1人は良いなと思える人がいましたね。

――そうですね。ワークショップがあったぶん、去年に比べるといろんな人と関わらざるを得ないツアーでしたよね。

藤田 そうそう。去年はやっぱ、どこにいても「海外の人たち」だったんですよね。言い方は悪いけど、アメリカの人とイタリアの人が「海外の人たち」ってことで同列だったんだと思う。でも、今年はちゃんと「イタリアの人たち」として関われた気がする。ここまで関わろうとしてくれるのなら、僕もイタリアのことをもっと知りたいと思った。

――去年ツアーをしたときに、「ツアーをする意味」ってことについて何度か話をしてましたよね。ただ作品をまわすだけのツアーにはしたくないし、ツアーをする意味を持てなくなったら僕はこの作品を捨てる、と。去年のツアーと違って、今年は何都市も移動するツアーだったし、期間も去年より長くてタフでしたけど、この作品でツアーをする意味について、今藤田さんはどんなふうに感じていますか?

藤田 やっぱり、ツアーしてみないとわからないことがあるなと思ったし、「その土地でやる意味」みたいなことを、あまり力んで考えなくなった気もしていて。もちろん、いつも皆に言っているように、その土地に対して「考えなくていいや」って態度を取るのは駄目だってことは前提としてあるんだけど、その土地に対して譲歩しないってことができるようになった気がしてるんですよね。「その土地にあわせて作る」ってことだけになっていくと、もうこの作品でツアーをする意味はなくなっていくんだと思う。最初に守るべきものは作品世界だし、「ここまで旅してきた」ってことだから。その上で――今日であれば、現在地点としてイタリア、メッシーナにいる。そういう意味では、ラストに聡子が言う「目を開けると。2014年、イタリア、メッシーナだ」っていう一言に尽きるのかもしれない。そう思えたから、まだ続けられるなと思った。

――さっきも言ったように、藤田さんは今回のツアーはすべてのステージを観てましたけど、藤田さんの中でも印象が変わったところがあったんじゃないですか?

藤田 いや、アンコーナはありましたね。既に変更したいところが出て来ていて、それに来年は取り組むことになるのかもしれない。中盤のあたりは、実子とか波佐谷さんが意外とキーポイントなんですよね。あそこらへんをもっと描ける気はするし、中盤で家出をした“あやちゃん”のことを捜索しているシーンとかも、“はさたに君”が“あやちゃん”を見つけたところで止まっちゃってるけど、もうちょっとあってもいい気がするんですよね。なんか、子供って楽しいなっていう(笑)

――“はさたに君”が「ついに見つけたぜ!」と“あやちゃん”を発見するシーンは、その前後のシーンがシリアスだから押し切られちゃうけど、結構おかしくもあるシーンですよね。“はさたに君”はワンちゃん3匹と森の中に消えて行ったはずなのに、いつのまにかワンちゃんたちはいなくなってるし。

藤田 そうそう(笑)。あそこから大自然のシーンになっても面白いですよね。森を思い知る子供たちっていう(笑)。だけど、波佐谷さんの台詞は――「生きている限り、皆同じ長さの時間を過ごしているわけで、その時間の中で各々考えていることは違うわけで、俺は俺、お前はお前でテーマは違うわけだから、だから一概には言えねえし、何を言われても、痛くも痒くもねえんだけど」っていう台詞が出てくるけど、あの台詞っていうのは『てんとてんを、むすぶせん。からなる、立体。そのなかに、つまっている、いくつもの。ことなった、世界。および、ひかりについて。』というタイトルの話をしてるんだって、今日になって初めて思えたんですよね。

――……書いといて?

藤田 そう、書いといて全然繋がってなかったけど(笑)。でも、今後もイタリアとは取り組むことになるかもしれないですね。でも、帰国してから取り組む作品は――『カタチノチガウ』ってタイトルにしようと思ってるんだけど――青柳さんと聡子とゆりりの3人しか出ない三姉妹の話にしようと思ってるんですよね。っていうのも、今回のツアーで良かったなと思うのは、“さとこ”が“あゆみ”に対して語る「ごめん」って台詞の重さが変わったことによって、上京のシーンが必ずしも良いシーンではなくなった気がするんですよね。その手応えがあったから、もっとシビアに街を出るってことを、青柳さんで描きたくて。次の作品では、「母親のことがとても嫌いだった」と言って街を出ていくんですよ。それって今まで僕が描いてきた上京とは違う気がする。

――そうですね。今回の『てんとてん』では、皆が“ひかり”ってものを探している中で、“さとこ”は上京ってことを、街を出るってことを選択するわけですけど、「母親のことがとても嫌いだった」と言って出て聞くのは、それとはまた違った上京ですよね。

藤田 そうなんですよ。「母親のことがとても嫌いだった」と言って上京するとなると、妹たちも「お姉ちゃんを見送る」ってことではなくなる気がするし、出ていくほうもほんとに清々した状態で去るのかもしれない。「上京」ってモチーフは、マームの中で伝家の宝刀みたいになってるところがあるけど、それは今まで、ものすごく感傷的な瞬間だったんですよ。でも、それを感傷的だってことだけでは言えない年齢にきたなと思ったんです。

――たしかに、年齢によって変わる感覚もありますよね。でも、マームとジプシーの舞台としては感傷的なシーンとして描かれていたとしても、藤田さんの実感としては、上京っていうものは決して感傷的ってことだけで済ませられるシーンではなかったんじゃないですか?

藤田 年齢ってことで言うと、僕が来年30代になるうえで信じてないのは、「30になるともうちょっと大人になるよ」みたいな言葉なんです。これまでのマームは、「記憶が薄れていくってことを描いてる」と思われてるかもしれないし、実際にそういう台詞を言わせてもいるんだけど、僕の中ではそれはノーなんです。まったく薄れようもないってことを描いてるつもりなんです。僕が上京するとき、父親が見送ってくれたんですけど、あの風景っていうのは一生忘れようもないものだと思ってる。それは薄れようもないことだし、それを感傷的と言うなら一生感傷的なのかもしれない。

 あと、さっき「感傷的」と言ったのは、「どうしても感傷的になってしまう」ってことでもあるんです。上京っていうモチーフを繰り返し描いてきたときに、それがクローズアップされ過ぎていて、皆の中でも「街と別れる」ってモチーフが育ってきたんだと思うんですよ。街を出ていく人がいて、街に残される人がいる――このモチーフをずっと描いてきたんだけど、それは『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと----------』で描ききれた気がしたんですよね。

――だからこそ、次の『カタチノチガウ』という作品では、違うモチーフとして上京を描こうと思ったわけですね。

藤田 シンプルに言うなら、これまで僕らが感傷的だと思っていたシーンから始めたいってことなんです。上京のシーンをラスト間際に持ってくるんじゃなくて、そのシーンから始めたいってことなんです。これまで僕らは子供時代だけを描いてきたけど、大人にもならなきゃいけないって感じが出てきてるんですよね。

――『ΛΛΛ』には母親になった人も登場するけど、でも、それは母親を描いているというよりも、基本的には子供から見た親っていう存在を描いてましたよね。

藤田 そうですね。次の作品では、「わたしは母親のことがとても嫌いだった」と言って街を出て行った女が、母親になって帰ってくるってことをやりたいんです。そこではもう、上京ってものが感傷的な扱いは受けないと思うんですよね。というのも、最近、僕の知っている人が子供を残して亡くなったんです。その人は一体どういう気持ちだったんだろうなってことを、ずっと考えてるんです。今までのマームだと、それを感傷的に描いてしまったかもしれないんだけど、その人の話を聞いたとき、僕の中に浮かんだことは感傷的ってだけじゃなかったんですよね。子供を残して死ぬ瞬間って、すごくリアリティがある話だと思うんです。

――子供を残して死んでしまう人からすると、感傷的ではいられないし、美化もできないですよね。

藤田 「私が死ぬことが悲しい」ってだけにはなれないはずなんですよね。この子達がどうやって生きていくのか、どうすればみじめな気持ちにならずに生きて行けるのかってことを、誰かに託していくわけだから。ただ、僕の言葉はやっぱり詩的な部分があるから、どうしても繕っちゃうんだけど、それをどこまで剥き出しのテキストで書けるのかっていうところでせめぎ合いがあるんですよね。

――たぶんきっと、『カタチノチガウ』という作品は、マームとジプシーにとっても分岐点となる作品だと思うんです。それは別に、「これまでのモチーフを手放した」とかってことではないと思うんですけど、次のこの作品で考えたいことっていうのは何なんですか?

藤田 タイトルにもしてるけど、長女が産む子供は“カタチノチガウ”子供にしようと思ってるんですよね。何でそれを描きたいのかはまだ漠然としてるんだけど、今回のツアーで確信に変わったこともあって。というのは、海外だと言語も違えば姿形も違う人に――“カタチノチガウ”人に作品を見せてるわけですよね。でも、厳密に言えば、日本でも結局そうだと思うんです。波佐谷さんの台詞じゃないけど、皆テーマは違うし、少しずつ“カタチノチガウ”人たちだし、それは兄弟でさえ違うと思うんです。親とも結局のところ他人だし、子供が産まれたとして、子供とも結局他人だし、究極的には一人だっていうことがある。その隔たりについて言っていきたいんですよ。でも結局子供を残して自分が死ぬってことになったら、子供の誰かに託さなきゃいけないわけですよね。それはもう、一人とは言えないわけですよね。そこではもう、「一人で死んでいくわ」とは言えないってことをやりたいんだと思います。これをちゃんと描けたら次に行けるんじゃないかっていう気持ちを、久々に感じてるんですよね。

――今回のツアーの中で、藤田さんと何度か未来ってことについて話をしましたよね。話を聞いていると、次の作品はその未来ってこととも繋がってる気がします。

藤田 これは飴屋さんとかと話していて思ったことでもあるんだけど、子供を産むっていうのは未来なのかもしれないなってことが出てきたんです。自分が死んだあとの世界のことを、「自分より若い世代の人」みたいに漠然としたことではなくて、自分の子供としているかどうかってことは全然違うことなんじゃないか、って。そのことを、子供がいるわけでもない青柳さんがどうやって言ってくれるんだろうっていうところで、ワクワクしてますね。

――これはどの人にもあるとは思いますけど――次の作品は青柳さんが長女を演じるのだとすれば、青柳さんという人で描きたい世界っていうものは、藤田さんの中ではどういうものとしてあるんですか?

藤田 やっぱり……自分としてすごく怖いことかな。たとえば、僕がこれから子供を持つような人間になるのかどうかなんて全然わからないけれど、とにかくそれって怖いなと思うんです。

――それはきっと、子供を持つ怖さというだけじゃなくて、未来というものに対する怖さでもありますよね。

藤田 そうそう、今はそれについて考えようとしてるんだと思うんです。それは『ΛΛΛ』では踏み込めなかったし、『cocoon』を持ってしても踏み込めなかったと思うんです。踏み込めないときに踏み込むときに、やっぱり青柳さんが必要だったってことかもしれない。僕は18歳のときに上京して、そのことを繰り返し描いてきたけど――「大人になれば10代のことなんて遠くなっていくよ」と言う人はたくさんいるけど、それが遠くなるとは思えないんですよね。ただ、10代って時間のあとに20代っていう時間が生まれることは確かで、さらに来年30代になると――上京が色褪せるとかってことではなくて、時間が増えることになって複雑になっていく気がするんです。だから、次の作品は18歳以降の話として描きたいと思ったし、子供の話をするってことは何十年も未来の話をするかもしれないってことを考えてますね。

 こうして話を聞いていると、今回のツアーは本当に大きな成果だったのだということが実感として伝わってくる。今年の6月に上演された『ΛΛΛ』という作品は、これまでマームが描いてきた世界の総決算といった趣のある作品だった。その次に藤田さんが取り組んだのは、野田秀樹さんの『小指の思い出』という作品で、そこにも母親というモチーフが登場した。おそらく、他人の言葉で書かれた作品を演出していたからこそ、「自分の言葉で描くとしたら、こう書きたい」という気持ちが藤田さんの中で醸成されていったのだろう。その作品を日本に残したまま海外にやってきて、この『てんとてん』という作品でツアーを行った。その作品の中で描かれている上京というモチーフに変化が生じて、それが次の『カタチノチガウ』という作品にも繋がっていく――そしてそれは、マームとジプシーとしても新たな一歩になりそうなのだから。

 日記であるはずなのに、ツアー全体を振り返るようなことを書いてしまった。1ヶ月に渡って書いてきた同行記も、終わりが近づいている。ずっと書き続けた日記が終わってしまう――そう思うと少し寂しいので、ホテルに戻ってからの会話をぽつぽつと拾ってみる。

 今年のツアー最後となる公演が終わったのは22時半で、バラシを終えてホテルに戻る頃にはすっかり日付が変わっていた。すぐにでもベッドに横になりたいところだけど、明日の6時半の飛行機で帰国することになっているから、このホテルを朝4時には出発することになっているのだ。眠ってしまうと起きれないだろうからと203号室で飲みながら朝を待つ。

波佐谷 日本に帰ったらカツ丼食いたいね。日本に帰ると思ったら、急に日本食食べたくなってきた。はあ、眠たい。
――でも、出発まであと2時間半ですよ。
藤田 え、もうあと2時間半しかないんだ? いやー、ツアーが終わりますね。
――皆、終わったっていう実感はあるんですか?
尾野島 あるのかないのか、よくわかんないですね。
波佐谷 わかんないっすね。まず、明日日本に帰んなきゃいけないっていう現実がよくわかんないっすね。
尾野島 そうそう、現実がいろんなことを突きつけてくる。「飛行機は飛ぶのだろうか?」とか(この日もまた、外は嵐だった)。
藤田 え、今日のワンステはどうだったんですか?
波佐谷 今日のワンステ? どうだった?
尾野島 ……微妙。
波佐谷 俺はもう、犬ですべてが「ああ!」ってなっちゃった(※この日の舞台では、波佐谷さんが走らせるはずの、犬のフィギュアをのっけたミニ四駆が動かなかった)。
藤田 客席におじいちゃん、おばあちゃんがいたことについてはどう思った?
波佐谷 でも、おじいちゃん、おばあちゃんは「ありがとう」って言ってたよ。煙草吸ってたら外に出てきて、良い感じで声かけてきてくれた。

 一度自分の部屋に帰って、未開封のボトルを手にして203号室に戻る。

波佐谷 お、ともちゃん来ましたね?
――来ましたよ。ワイン持ってきました。
尾野島 いや、怒っていいですよ橋本さん。皆ちょっと、橋本さんのことを何だと思ってるの。
藤田 ああ、もうあと2時間しかないのか。パズドラやってる場合じゃねえな。
尾野島 うん、それはやってる場合じゃねえわ。早く荷造りしなよ。
藤田 荷造りに取りかかりながら)はあ、パソコン、預ける荷物に入れたいわ。でも、パソコンをこっちに入れちゃうと、機内での作業はゼロですよ。それでいいんですかね?
――いや、駄目じゃないですかね。『en-taxi』に載せる『カタチノチガウ』の第一稿、機内で完成させてくださいよ。
波佐谷 ようは飛行機の中で仕事したくないってことでしょ。
藤田 そうです。
尾野島 いちおうリュックに入れときなよ。いちおう、いちおうね? そしたら『やべえ、書かなきゃ」って気持ちになったときに取り出せるから。
藤田 そうだね、それは今納得した。パソコンをリュックに入れるとすれば、もう荷造りは終わりました。
波佐谷 橋本さん、こんな会話を記録して身になります?
――身にはならないと思います。
尾野島 いや、身になるためにやってるわけじゃないでしょ。この会話を聞いて「ああ、なるほど!」とはならないでしょ。でも、はさっち、最初の頃は「下手なことは言わないようにしないと」って言ってたのに、今はもう、いつも通りに話してるよね。
波佐谷 そんな話したっけ?
――ボスニア公演の初日に言ってましたね。「橋本さんの前でしゃべったことは記録されちゃうから、うかつなことは言わないようにしよう」って。
波佐谷 ああ、言ってたね。言ってたけど、もう関係ないね。すべてが俺です。
藤田 何それ(笑)
波佐谷 俺にNGワードなんてねえよ。
尾野島 それでこそはさっちだよ。

 最初の1時間は、男4人で飲んでいた。部屋の扉は開けっ放しにしていたけれど、2時半になろうというところで、はやしさんが部屋の前を通りかかった。

林 すごい、皆集まってる。
尾野島 今ちょうど林さんの噂してたところだよ。
藤田 いや、サラエボはほんとすごい空気だったなって話をしてたんだよ。サラエボの空港に着いた時点でツッコんじゃったもん。「何、この空気」って。
――誰も感想を言わなかったからね。
林 誰も何も言わなかったの? サラエボに着いたのに?
藤田 なんかもう、俺しかしゃべってなかったんだよ。
林 皆、たかちゃんの話を聞くモードだったんじゃない?
尾野島 違う、違う。
波佐谷 そういう感じじゃなかったね。
――それで話してたことが、「はやしさんがいたら、こんなこと言いそうだね」ってことでしたからね。「うわー、超日差しがまぶしいわー」とか。
林 私、メイナに着いた瞬間に言ったもんね。「何もねーーー!」って。そのとき私ひとりしかいないのに言ってたからね。
藤田 そうだ、橋本さん、アンコーナのときの話も書いてくださいよ。
波佐谷 何、アンコーナのときの話って?
藤田 僕がポトフを作ったとき、出来立てのスープの匂いを嗅いだ瞬間に「これはうまい!」って橋本さんが言ったんだよ。
――そうそう。はやしさんがよく、食べ物を見たり匂いを嗅いだ瞬間に「おいしい!」って言ってることを笑ってたはずなのに、いつのまにかそれが移っちゃって、ふとした瞬間に「これはうまい!」って言っちゃったんですよ。そのことに落ち込んで、間接的にはやしさんを傷つけるっていう。
林 そうそう。あんまり落ち込まれると、私が傷つくからっていう。
波佐谷 お、くまちゃん。荷造り終わった?
熊木 終わった。
尾野島 じゃあ、熊木先輩もワイン飲む? 今日で最後なんだから、皆で飲もうよ。
熊木 飲みましょう。あんな食事で終わりなんてないですよ(※ホテルには毎晩食事が用意されていたけれど、おいしくない冷凍食品だった)。
藤田 あ、生ハムもあるよ。
波佐谷 ああ、それね。俺、このサラミを食いたいんだけど、包丁がないんだよな。
熊木 ナイフあるよ?
林 あ、シチリアで買ったナイフだ。

 午前3時になる頃には聡子さんもやってきて、7人でワインを飲み続けた。

 

林 はさっちの買ってたゴッドファーザーTシャツ、私も買っとけばよかった。
尾野島 林さん、買ったって言ってなかった?
林 うん、お土産用には買ったんだけど。
――僕、お土産として2着買いましたよ。友達にあげようと思って。
藤田 え、橋本さん友達いるんすか?
尾野島 ちょっともう、謝んなよ。
藤田 いや、俺、友達いないから、橋本さんもそうかと思ってた。
尾野島 藤田君には石井君がいるじゃん。
藤田 石井君はもう、友達っていうか石井君だから。
波佐谷 くまちゃんも友達でしょ。
藤田 くまちゃんも友達だけど、くまちゃんはくまちゃんじゃん。もっと何もない友達っていたじゃん。
尾野島 何もない友達って何?
藤田 これはだって、仕事じゃないですか。そうじゃなくて、遊ぶだけの友達。
林 はさっちは一杯いるよね。海行ったりとか。
藤田 海に行く友達、います?
尾野島 それはいないわ。
波佐谷 じゃあ、来年行こうよ。
林 そうだよ、来年一緒に海に行けば、海に行く友達になるじゃん。
波佐谷 海に行けば、海でも友達できるじゃん。
林 でも、藤田君はそういう友達、ほんといないよね。山本さんは?
藤田 山本さんは友達だね。あと、橋本さんのことも友達だと認識してるよ。
――じゃあ、「橋本さん、友達いたんですか」って何だったんですか(笑)
藤田 いや、僕、「飲みましょうよ」って誘える人が実は少ないんですよ。橋本さんもそうなのかなって思ってた。舞台関係の人は、やっぱり友達としてカウントできないから。
林 それはわかる。

 
 
 
 こんな会話をいくら書き留めていても、どうしても日記の終わりはやってくる。朝の4時にホテルを出発して、1時間半ほどでカターニア空港に到着した。眠気と酔いでウトウトしながら飛行機に乗り込んで、ローマに移動した。

 ローマに延泊する荻原さんとは、ここで別れることになった。一人残される荻原さんは「さみしいー」と手を振っていた。延泊することに決めていたのは荻原さんだけではなく、聡子さんと僕も別の国に延泊することに決めていた。日本行きの飛行機にトランジットする皆とは、ここでお別れだ。

 最後列を歩いていたあゆみさんだけは振り返って「ばいばーい」と手を振っていたけれど、他の皆とは、さよならを言う暇もなく別れることになった。乗り継ぎの時間が迫っていたのだ。ほんとうに、また5分後に再会するくらいの感覚の別れだった。僕は誰にもきちんと挨拶をできなかったけれど、こんなふうに毎日同行して、写真を撮り、ICレコーダーをまわして話を聞き、それをチェックなしで書くことを許してくれたことには、ただただ感謝するばかりだ。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう。そして旅は続く。