マーム同行記26日目

 朝起きると、町は霧に包まれていた。今日はアンコーナでは1夜限りとなる公演が行われる日だ(だから文通はお休みする)。8時15分に駐車場に集合して、全員一緒に劇場に向かった。

 劇場に到着するとまず、映像の仕事のある実子さんをのぞいた役者の5人、それに藤田さんと一緒に、石を探しに出かけることになった。朝の街を歩いていると、本当に寒さが沁みてくる。浜風が寒さを増しているのかもしれない。「冬じゃん、これ」と藤田さんが言った。波佐谷さんはハーフパンツを履いているけれど、「もう寒さに慣れました」と言っている。

 劇場には住宅地が広がっていた。こんなふうに住宅街の中に劇場があるというのも少し不思議な感じがする。

「このプランター、一日だけ借りられないかな?」
「いや、無理でしょ。それは玄関にあるシーサーを持ってくようなもんだよ」

 住宅街だからか、なかなか石を見つけることはできなかった(見かけたとしても、敷地の中に置かれていた)。遠く離れた日本からやってきた人たちが、イタリアの住宅街で石を探して歩いているという姿は、なんだかおかしい。

 アンコーナは坂の多い街だ。歩いていると、急に街が見渡せる坂があらわれて、ハッと足を止めることになる。

 この日の収穫は、劇場のすぐ近くに転がっていたやや小さめの石、ゴミ捨て場に転がっていた煉瓦、それに木の枝。劇場に戻って、それをテントの重しとして舞台上に配置する。

 午前中、劇場内では音響、照明、映像の調整が行われていた。役者さんたちは別の場所でアップをしているらしかった。僕はこの日、締め切りに追われていたので、午前中は劇場の片隅で仕事をしていた。

 13時、お昼休みの時間になった。皆と一緒に、昨日と同じレストランに出かける。

「昨日、鳩が轢かれてるのを見ちゃったんですよね」と波佐谷さんが言った。
「え、鳩?」
「はい。このへん歩いてるとき、鳩が轢かれてるのが見えちゃったんですよ。アンコーナを歩いてると、この街では鳩が死んでるのをよく見る気がします」

 そうですかねえ、と少し訝しがって相槌を打っていると、レストランの近くで鳩が死んでいた。その鳩はクルマに轢かれたわけではないのだけれど、瞬間冷凍されたみたいに固まって、ころんとそこに転がっていた。ちなみに、波佐谷さんは鳩が嫌いだ。一度うっかり踏んづけてしまったことがあって、その感触は今でも足に残っていて、それ以来鳩が恐くなってしまったのだという。波佐谷さんは鳩を見るたびその話をしてくれる。しかし、こうしてみると、日本でも鳩の姿を散々見かけるのに、死んだ姿を見たことは一度もないことに気づかされる。皆は日本でも鳩の死んだ姿を見たことがあるかと訊ねてみようかと思ったけれど、食事前にする話題ではないような気がして、結局聞かずじまいだった。

 小一時間で食事を終えて劇場に戻ると、楽屋口の鍵は閉まっていた。あゆみさんと実子さんが長い階段で“グリコ”をやって遊んでいると、劇場のスタッフさんが偶然通りかかった。「もうお昼ごはんは食べたのかい? ずいぶん早いね」と驚きながら、鍵を開けてくれた。イタリアの昼休みは長く、お店も13時から16時まで閉まったりもする。

 14時、テクニカル・リハーサルが始まった。驚いたことに、昨日の時点ではバランスが崩れていた音が、いつものクオリティに近づいていた。午前中のうちに、角田さんがずっと調整を続けていたのだろう。藤田さんも「ツノ、音はこういう感じがいい」と後ろを振り返って伝えている。

 この日のリハーサルには、ワークショップに参加してくれていたサラ、テオドロ、マッテーロが見学に来てくれていた。彼らは今晩の公演を観ることができそうになく、せめてリハーサルを見せてもらえないかということで、見学にやってきてくれたのだ。ちなみに、彼らも役者やスタッフとして演劇に携わっている人たちで、藤田さんが音や照明、立ち位置を細かく調整する姿を見て、目を丸くしていた。「こっちでは、あんなに細かく演出をする人はいない」と。その細かさについて、3人は日本的な精密さとしてポジティヴに受け取ってくれたけれど、人によってはそれを、細部まで神経質に手を加えてしまう日本的な奇妙さとして受け取るかもしれないなと思った。

「音量任せでやろうとしたら、全部が聴こえない状態になっちゃうから、ほんともう、タイミングだと思うんだ」と藤田さんは言った。「タイミング良いところに入れば、この劇場を凌駕する音量を出そうとしなくても、『グルーヴが一致してる』ってことで行けると思うんだ」と。これは、去年のフィレンツェ公演に比べて大きな前進だと思った。去年のフィレンツェ公演は、駅として使われていた建物が会場だった。その巨大な空間に、彼らは音のボリュームが生み出すグルーヴで挑もうとしていた。でも、今年は音頼みではないグルーヴで挑もうとしている。

「ただ――全体的には今のボリュームでいいんだけど、もっと音量を上げていいシーンもあるはずだと思うんだよ。だから、『楽器だとしたらどう思う?』って話なんだ。ギタリストだったらエフェクターを踏むし、ドラムだったら絶対音量を上げるってポイントはあると思うんだよね」

 細かく修正が加えられていくリハーサルの様子を、客席の後ろのほう――公演のときにはお客さんを入れない位置から眺めていた。ただ、リハーサルが終盤に差し掛かった或るシーンに妙な感触をおぼえて、前のほうに移動した。そのシーンというのは、舞台の終盤、街を出る“さとこ”と街に残る“あゆみ”が駅で別れるシーンだった。

「ちょっと、駅のシーンだけもう1回やっていいかな」。最後まで一通りリハーサルを終えたところで、藤田さんはそう言った。「“さとこ”が“あゆみちゃん”と別れて、電車に乗るじゃん。そこで目を閉じて、しばらくして目を開けるわけだけど、その目を開けてからのところが速度として欲しいんだ」

 そう前置きして、駅のシーンをもう一度繰り返してみる。が、藤田さんは途中で中断させて、繰り返し駅のシーンを確認している。何度か繰り返したところで、「1回目と全然違うことをやってるじゃん。何で違っちゃうんだろう」ともどかしそうに言った。そう言われた聡子さんもまた、もどかしそうにそのシーンを演じていた。

 17時45分、リハーサルは終了した。少し休憩を挟んだ18時、藤田さんは役者の6人をロビーに集合させて、長い話をした。

「あの、ポンテデーラで皆に言ったことはその通りで、訂正するつもりも何もないんだけど、さっきリハーサルをしながら考えたことがあって。この『てんとてん』って作品を作った時期っていうのは、はせぴーたちが卒業する時期だったわけだよね」

 はせぴー、というのは、『cocoon』にも出演していた長谷川洋子さんだ。藤田さんは2012年の1月、いわき総合高校の学生(2年生)たちと一緒に『ハロースクール、バイバイ』という作品を再演していて、はせぴーもこの作品に出演していた。『てんとてん』という作品が作られたのは、彼女たちが卒業する春のことだった。

「いわきの高校生たちの感じを、原発とかとはまったく関係ないところで、18歳のときの自分に重ねてたところはすごくあって。あの子たちは演劇コースで、演劇部の子もいたけど、その中ではせぴーだけ役者さんを続けるっていうことで上京したわけだけど――はせぴーのことは自分の作品に出そうと思ってたけど、他の子のことは出そうと思ってなかったこともあって、おこがましいけど『はせぴーのことを上京させた』って気持ちもあったんだよね。それだけをモチーフにして作ったっていうのは釈然としないから、それを僕のオリジナルにしようとしたっていうことはあるにせよ、僕はこの作品と自分を重ねる部分があるんだよね。ドアが閉まった瞬間に、ものすごく悲しくもあったし、『もう帰れない』っていう決意もあったし、すっきりもしたし――その感じがね、出ればいいかなと思ったんですよ」

 今日の返し稽古、駅の別れのシーンを稽古しているときに、藤田さんはそのことを強く感じたらしかった。たしかに、今日の稽古には、これまで『てんとてん』という作品で描かれていた上京とは違う感触があった。去年の上京は、“あゆみ”が“さとこ”のことを見送っている、感傷的であり美しくもある上京だった。今年の『てんとてん』で描かれる上京は、街を出る側も残る側も等しく傷ついていた。それに加えて、今日の稽古では、藤田さんの言う「すっきりとした気持ち」も含めて、様々な感情が内包されているシーンになっていた。

「今日の返し稽古がよかったのは、汽車の扉が閉まったあと、速度が変わったことなんだよね。今までの『てんとてん』では、駅のシーンで流れる曲が一個体としてあった気がするんだよね。でも、今日の返し稽古では、あの曲の中にもいろんなシチュエーションがあるように感じられたの。音や風景が、自分の頭の中になだれ込むようにガーッと響いてくる――その状態を器用に作ることができれば、この作品はまた違う方向に行けるんじゃないかと思う」

 その新しい可能性は偶然によって生じたものかもしれないけれど、それがアンコーナという街で生まれたということに、どこか必然めいたものを感じてしまう。藤田さんが生まれた北海道の伊達という街だけれども、僕はアンコーナという街にきたときから、海の色が似ていると思っていた。伊達もアンコーナも、海のすぐ近くを列車が走っている。

「そろそろツアーが始まって1ヶ月の感じになってきて、どんどん記憶になっていくじゃん。サラエボのこととかも、まだ1ヶ月ぐらいしか経ってないのに、ちょっと記憶になってってるじゃん。いろんな移動手段で移動して、どんどん街っていうものと別れてきた――その感じがうまい具合にでればいいのかなと思っていて。こういうふうに土地土地で誰かのお世話になって、その土地土地で何かエピソードを聞いて、その土地土地でまた別れて……。それはやっぱり疲れることだよね。でも、それを経て熟成されていくものがあるし、その一つ一つが記憶になっていくわけだよ。マームの作品では「記憶が薄れていく」ってことをよく描いてるけど、でも、僕は薄れないってことを信じてる。薄れないからこそ、記憶のことを描いているわけで、その薄れないってことが感じられたから、さっきの返し稽古のときに興奮したんだよね」

 藤田さんは、その話に続けて「ちょっと、クラムボンの話していい?」と切り出した。

クラムボンの曲に、『ララバイ サラバイ』って曲があって。これまでは、特別その曲が隙だってふうには思ってなかったんだけど、こないだのライヴは本当に良くて。その歌詞は『もういくよ』『かえりたくはないさ』って内容なんだけど――その歌詞は何回も聴いてるはずなのに、そのライヴのときに『この歌詞って、「てんとてん」じゃん』と思って感動したわけ。それで、郁子さんが最後の歌詞を言ったあとに轟音の何分間かが続くの。僕は言葉の人だから、その時間にストーリーをつけて考えちゃうんだよね。その轟音の時間に、『もういくよ』と言って街を出ていく人の存在も感じられたし、残された人の存在も感じられたし――その感じは『てんとてん』の最後のシーンじゃんと思えたときがあった。

 今年観たライヴの中でも、その日の『ララバイ サラバイ』は今年一番ってぐらいに良かったんだけど、その良さっていうことを、それは偶然かもしれないけど、1回目の返し稽古で感じられたんだ。それはね、やっぱ演劇としての良さなんだよ。音楽にしても小説にしても、僕がいいなと思う瞬間って、頭の中で演劇してる瞬間なんだ。じゃあ演劇って何かと言うと、シチュエーションもある、空間もある、時間もあって音楽もあるって状態のことを言ってるんだけど――それをちゃんとした計算のもとにやって、それにプラスアルファしてライヴ感のある状態で僕らが作れるかどうかってことが問題になってくる。

 アンコーナでの公演は1回限りだからすごくリスクが高いと思うんだけど、一方ではチャンスだとも思うんだ。この公演を、自分らとしても手応えのあるものにできれば――それはもう、劇団とかって速度じゃないと思うんだよね。1日で紫紺で、次の日には本番って、それはもはやバンドだから。それが出来たらいいよね」

 時計を見ると、19時になろうとしていた。藤田さんの話を聞き終えると、役者の皆は舞台に戻って小道具をセッティングしている。僕は公演を観ながらビールを飲もうと、近くの酒屋に走った。帰り道、楽屋口ではなく表の入口をのぞいてみると、もうそこにはお客さんが集まり始めていた。ロビーにはスーツ姿の案内係が控えていて、少し緊張感のある雰囲気が会場を包み始めている。

 21時、公演の幕が上がる。さすがに会場が埋まるほどではないにせよ、60人を超す観客に見守られて始まった公演は、ここまでのツアーの中でも出色の出来だった。終演後、藤田さんが「完璧だった」と語るほどの公演だった。

 ただ一つ――僕は気にかかることがあった。たしかに公演は素晴らしかった。でも、公演の後半あたりから、聡子さんは声を出しづらそうにしていた。そのことは決して疵となるものではないと思ったけれど、本人はどんな気持ちでいるのだろう――。そのことが気にかかって、終演すると僕はすぐに舞台袖にまわった。そこにいた聡子さんの後ろ姿からは、悔しさ、という言葉が立ち現れていた。

 ほどなくして、ワークショップに参加してくれていたアンドレアやチーチ、ロベルタたちがやってきて、「グラッチェ!」と言いながら皆とハグを交わしている。

「ルイーサがね、めっちゃ泣いてるよ」と言って入ってきたのははやしさんだった。その後に続いて姿を見せたルイーサは目を真っ赤にして、ぼろぼろ涙をこぼしている。

 「ちょっとルイーサ、可愛過ぎるやろー!」と皆はルイーサに声を掛けていたけれど、泣いているルイーサの姿を目にした瞬間に、聡子さんはこらえきれずに涙を流していた。それは嬉し涙ではなく、悔し涙に思えた。ルイーサも涙が止まらないようで、トイレットペーパーで涙と鼻水を拭きながら洗面台の前に立ち、「アイ・ステイ・ヒア」なんて言っている。

 楽屋口を出たところでは、波佐谷さんが煙草を吸っていた。
「今日の公演は素晴らしかったですね。波佐谷さんの手応えはどうでしたか?」
「そうですね。手応えってこととは違うかもしれないけど、放物線を描くようにのぼっていった感じはあるんですよね」
「僕は客席から観ていて、今日の公演は初めて『あ、日本語をしゃべってる』と感じたんです」
「ああ、それはあったかもしれないです。いや、成果を残せてよかった」

 波佐谷さんは煙草が短くなる前に火を消して、劇場の中に戻って行った。今からすぐにバラシに取りかからなければならないのだ。藤田さんとはやしさん、それに門田さんと僕は、劇場の人たちと一緒に会食に出かけることになった。

 今日の公演は、マームとジプシーにとって成果と言うに値する公演だったのではないかと思う。今日の音のボリュームは、普段のマームとジプシーの公演に比べて――なんて言い方をしなくても、ポンテデーラ公演に比べて音楽のボリュームが絞られていた。その環境だからこそ、皆の声が普通に日本語として届いてきたのだろう。ただ、音のボリュームは下がっていても、いつもマームとジプシーの作品に感じられるグルーヴはたしかにあった。

 「ちょっと、今の回は良かったですよね?」と語る藤田さんは、まだ少し興奮しているように見えた。「タイミングも全部合ってたし、完璧だった」

「うん、良かったですね。正直、昨日の段階ではどうなることかと思ってたから、こんなに素晴らしい公演になるとは思ってなかったです」

「いや、これは一年に一回あるかないかの感じなんじゃないですか。マームの成功イメージって、ほんとライヴなんですよ。正直、今日は返し稽古のときから手応えがあって、サラエボとポンテデーラに比べると一つレベルが高い議論ができてると思ったから、『もし公演でコケたとしてもポジティヴでいられるな』と思ってたんですけど……。いや、全体的に一致した感じがある。それはたぶん、ツノに対して『それ、楽器だとしたらどう思う?』って話がよかったんだと思うんですよね。『ギターだったら絶対そこでエフェクター踏むでしょ』って話をできたのもよかったし、それを理解してくれたのがよかった。それはツノに向けて話したことだったけど、南さんのライティングもそれを理解してくれたライティングだった。今日のライティングは、かなり音でやってくれてた。演劇の照明って、基本的に台詞を基準にしてやるんですよ。そうじゃなくて、南さんが音でやってくれたのも本当によかった」

 会食は1時間ほどで終わった。藤田さんはよほどくたびれているのか、珍しく1杯も酒を飲まなかった。

 レストランでは、皆の晩ごはんをテイクアウトできるようにしてもらっていたので、それを抱えてクルマに向かう。歩いていると、少し先に、路上でたむろしている集団が見えた。近づいてみると、ゾンビや死神の仮装をしている。そういえば今日はハロウィンなのだった。「ヨーロッパだと、やっぱりハロウィンは伝統行事なんですね」――僕らを宿舎まで送り届けてくれるイタリア人女性に訊ねてみると、「いや、最近になって仮装してる人が増えてるだけ」と語っていた。

 1時近くになって宿に戻り、皆で乾杯をした。ルイーサが美味しいワインを2本も用意してくれていた。ルイーサも、今日の公演のことを「ワンダフル!」と絶賛してくれて、楽しくお酒を飲んだ。

 2時過ぎに食事を終えると、皆で片づけをする。明日は9時に宿舎を出発することになっているから、皆早めに部屋に戻っていく。僕は一人でキッチンに残り、今日の公演のことを反芻しながらワインを飲んでいた。

 気づけば3時近くになっていた。そろそろ戻るか、とグラスを洗って、階段をあがる。すると、廊下にある椅子のところに、聡子さんが腰をかけていた。この宿舎は、部屋にいるとWi-Fiに接続できず、ネットに接続するためには廊下に出なければならないのだ。

 一度会釈だけして通り過ぎたものの、どうしてもこれは今日のうちに話を聞いておかなければと思い直し、廊下を引き返す。

――今日の公演は、聡子さんがすごく悔しそうだなと思いながら観てたんです。ただ、『声が出しづらそうになってることが良い』という言い方をするのは違うと思うんですけど、声が出なくなったわけではないし、出しづらそうであるってことはそんなにマイナスでもないと思うんです。あの作品は、「わからないことだらけだよ」って台詞もありますけど、そのわからなさの中で皆もがいてるわけですよね。それに、これは去年のツアーのときに藤田さんが話してたことだけど、シーンがリフレインしたとき、あきらかに身体に負荷がかかっている、身体が疲れてるってことが観客に与える印象があるって話もしてたわけですよね。だから、僕はそのことも含めて、今日の公演はよかった気がするんです。

聡子 そっか。よかったのか。なんか……そうですね。どれもそうだけど、今日の公演は忘れちゃいけない一回みたいな感じでしたね。

――忘れちゃいけない一回?

聡子 悔しい、悔しかったでしょうってことかな。ルイーサがすごい喜んでくれたりしたことが、余計に、つらい。でも、それは個人的なところで思ってることだから、全体としてはそんなことないと思うんですけど。

――今日はでも、リハのときから悔しそうにしてるなと思いました。

聡子 リハのときは――そうですね、それはそんな深いことじゃなくて、単純に、一回できたことができなかったりして……。何でできないんだろうなとかって、普通に思うし。すごいそれが不思議なことなんです。一回歩けてるのに、それが歩けなくなるとか、変ですよね。出来たことが出来なくなる――気力も体力も全然使えるはずなのに、それができなくなるのって不思議だなと思って。3回とか4回とか繰り返しただけで、すぐ使い物にならなくなるし。悔しいなと思って。ねー……。でも、アンコーナでの公演は1回でよかったのかなと思った。2回とか3回とかあって、今の気持ちが解消されちゃってもよくないのかもしれないですね。

――それはでも、解消されたほうがラクなことですよね。さっき「忘れちゃいけない」って話もありましたけど、何で忘れちゃいけないと思うんだろう?

聡子 何だろう。お客さんは皆平等なはずなんだけど、今の気持ちが解消されちゃうと、今日のお客さんのことをないことにしちゃうんじゃないかなって気がするのかもしれない。今日みたいに悔しい日もあれば、全体的に良いと思える日もあれば、自分としてすごく良いと思える日もあって――そういうことがあるのがいいことかどうかはわからないんだけど、まあでも、やってかなくちゃいけないからやっていくんだけど……。でも、アンコーナでの公演はこの1回だけってなると、行き場がなくなる感じが――ああでも、その行き場がなくなる感じが、よかったと思えた。それを「よかった」と思えたことは、よかったのかもしれないです。