昼――シチリア到着と皆のキャリーバッグ

 ロビーでマイクロバスの運転手と合流して、空港の外に出てみる。シチリアの最初の印象は、とても静かな場所だということだった。

「暑いねー」とはやしさんが、本当に暑そうな言い方で口にする。「さっきタンクトップの人がいたよ」
「ほんとに暑いね。ここまで予想が外れてばっかだったけど、やっと『南下してきた』って感じがする」
「はさっち、どう?」とはやしさんが訊ねると、「言わなくてもわかるでしょ」と波佐谷さんは返事をした。そして、「Welcome to CATANIA」という看板の文字を声に出して読み、その看板の言葉に「ありがとう」と答えた。

 波佐谷さんは、1年前にフィレンツェ公演があったときから「シチリアに行きたい」と言っていた。波佐谷さんが楽しそうで、こちらも楽しくなってくる。窓の外を流れる景色は、これまで観てきたイタリアの風景とは違った趣きだ。風景に見取れていると、「ポテチあるよ?」とあゆみさんは袋を取り出し、後ろの座席に向けって放り投げた。

 シチリアには、小高い丘や急な坂がいくつもあった。そのせいか、カターニアとッシーナを結ぶ道路はずっとトンネルが続く。その風景を眺めていた藤田さんは、「昔、北海道でトンネル崩落事故があったんですよ」と話を切り出した。藤田さんのお父さんの実家は、そのトンネルを抜けた先にあったのだという。「その先に神威岬ってところがあって、そこにある海水浴場は最高なんです」と藤田さんは言う。藤田さんの地元は宮城の人が多いけれど、その神威岬のあたりでは皆津軽弁をしゃべっていたそうだ。

 1時間半ほど走ると、一軒のホテルの前にバスは停車した。あゆみさんが調べたところによると、メッシーナのホテルは三ツ星だという話もあったけれど――。

「あっちゃん、このホテルっぽいけど、リゾート感ある?」と藤田さん。
「あるよ!」とあゆみさん。
「だって、飾ってある国旗がぐちゃぐちゃになっちゃってるよ」とはやしさんが笑う。
「いや、いいところだよ。ほら、ベランダもついてるし」と尾野島さんがフォローする。
「でも、植木もぐちゃぐちゃだよ。サボテンが1本あるだけだよ」とはやしさん。
「いや、1本あるだけでも十分だよ」と尾野島さん。

 ただ――三ツ星というほどではないかもしれないけれど、部屋に入ってみると思っていた以上に広々として良いホテルだった。部屋に入るなり、今日は順番に皆の部屋を巡る。今日は皆に、キャリーの中身を見せてもらえるようにお願いをしていたのだ。

 今日のツアーでは、大きなキャリーバッグを持った人が多くいる。今日の飛行機に乗るときも、オーバーウェイトになってしまっていて、急遽荷物の整理をする人がチラホラいた。それは、一緒に旅をしてくれているルイーサの荷物がとてもコンパクトであることと対照的だった。一体、皆は何をそんなに持ってきているのだろう。それが知りたくて、皆のキャリーの中身を見せてもらうことにした。皆に共通してした質問は一つ――「他の人からは余計と思われるかもしれないけれど、それでも持ってきた荷物は何ですか?」

 まず最初に302号室を訪れて、照明の南香織さんの荷物を見せてもらった。

「そうですね、このトクホンチールAは塗り薬なんですけど、私は肩こりが酷いので、これは持ってきてますね。でも、これはそんなに荷物にはならないですよね。あとは、サブバック的なものですかね? これはちょっと出かけるときとかに、リュックは邪魔だなと思ったときに使ってます。あとは――そうだ、ランプですね。最近、ランプ集めにハマっていて、自分でも作ったりしてるんですよ。それで、このランプをボスニアで見かけたんですけど、さすがにこのクオリティの物は作れなくて。ちょうどこういうランプが欲しいと思って探してたんですけど、日本で買うと1万円ぐらいしちゃうんですよ。それがボスニアだと4千円しない感じなんで、買っちゃいました。っていう感じですね」

 次に見せてもらったのは、南さんと同じ302号室に滞在している音響の角田里枝さん。

「マジて特に何もないんですけど――ラーメンは目立つところにあるかもしれないです。私、食べるのが好きなんですけど、出発の日に「しばらくラーメンが食べれないんじゃなかろうか」と思って、成田空港で走って買ったんです。本当はカップラーメンがよかったんですけど、こういう生麺タイプのやつしかなくて。生麺タイプのやつをつくれるかわからないけど、淡い期待で千円出して買ったんです。これは4食べ入りなんですけど、まだ封を開けてなくて、結局まだ食べてないですね。それと、何だろう、普段から使ってる、顔を洗うときに髪を留めるヘアバンドは持ってきてます。これは別にお金出して買ったやつじゃなくて、付録でついてきたやつなんですけど、使えるからずっと使ってて、絶対にこれを旅に持ってきてますね。あとは、パジャマですかね? 私、3着ぐらいパジャマを持ってきてるんです。ほんとに『ザ・パジャマ』って感じのやつで。1ヶ月の中で、パジャマを洗濯できるかわからないぞと思って――それでも減らして3着だけ持ってきたんですけど、皆からは『1着でよかったよね』と言われてます。でも、パジャマは絶対必要でしたね」

 302号室をあとにして、次は202号室に向かった。そして舞台監督の熊木進さんのキャリーを見せてもらう。熊木さんは、ひと際小さなキャリーを使っている。

「僕はほんとに必要最低限のものしか持ってきてないから、特にないんですよね。他の人に比べて変わってるものと言えば、これですかね。洗濯バック。この中に洗濯物を入れて、水を入れて洗剤を入れて、こうやってゴシゴシ洗って、排水して、また水を中に入れてすぐいで――だから今回、洗濯には一回も出してないです。洗うのに3分、すすぎに3分、脱水に3分、全部で10分くらいで洗濯できちゃうんですよ。だから、持ってきてる服も、普段着が3枚、仕事着が1枚ぐらいです。普段着を3枚持ってきたのも多いくらいで、2枚に減らせばよかったかなと思ってるんですよね。皆はきっと、減らせないからあの量になってるんだと思うんですけど、僕は必要なぶんだけ服を持ってくるより、荷物がコンパクトであることのほうが快適なんです。やっぱり、旅をしているときの生活のリズムってあると思うんです。一日を終えて帰ってきて、今日着た服を洗濯して、乾いた洗濯物を着て次の日に生活する――そういう生活のリズムが全然苦じゃないので、これだけコンパクトになったんだと思います」

 熊木さんと相部屋の尾野島慎太朗さんもまた、比較的コンパクトな荷物で旅をしている。

「僕の荷物は、ほんと何もないっすね。このへんはフィレンツェで買ったお土産で、あとは洗剤とか、充電器ぐらいです。でも、このジップロックはすごい便利っすね。液体を機内持ち込みするときにも使えるし、食べ物とかも、切っておいて、このジップロックに入れて保存できたんです。お肉とかも、オリーブオイルに入れておいて冷蔵庫に入れておいたりして。意外と便利でしたね。あとは――ティッシュも別に要らなかったし、薬も今のところ使ってないですね。あ、ビールの蓋は集めてます。いろんな種類のビールを飲もうと思って、記念に持ってるんです。こっちに来てから、種類がかぶらないようにビールを飲んでますね。僕はビールが好きなんですけど、日本のビールのほうがじっくり飲むにはいいんですけど、ごはんを食べながら皆でワイワイするならこっちのビールのほうが美味しいかもしれないです」

 次に訪れたのは303号室、まずは召田実子さんのキャリーバッグを見せてもらう。キャリーバッグは比較的すかすかで、リュックの中にはまだ何も入っていなかった。

「今でもわりとスカスカですけど、最初はもっとスカスカでした。このリュックはまだ何も入ってないんですけど、もし重さがオーバーしちゃったときのために持ってきたんです。最初からお土産のことばかり考えてたから、ガラガラで行こうと思ってました。ボスニアでは結構お土産買いましたね。このへんは全部サラエボで買ったお土産です。ああ、もう懐かしいわ既に。これは煙草を取り出してくれる鳥の置物ですけど――とにかく「サラエボ」とか「ボスニア」って文字が入ってるお土産を買おうと思ったんですよね。あ、今着てるTシャツも、ボスニアで買ったお土産です。サラエボはもう、行く機会が限られてるから、名前入りを買っておこうと思って。ただ、イタリアではまだお土産買ってないんですけど、これから買います。ここからはもう、帰るまで飛行機に乗らないから、ここからは全力でお土産を買います」

 実子さんと同室なのは、いつもオーバーウェイトぎりぎりになっている成田亜佑美さんだ。

「でも、こうしてみると、そんなにパンパンじゃないでしょ? スーツケースが重いって噂もあるんだけど――えっと、まず重いのはリンスかな。リンスがね、850ミリリットルも持ってきちゃって。500じゃ足りないと思って、350のボトルも入れたから、合わせて850ミリリットル。でも、これはもう使い切りそうだよ。あと、化粧水も1本じゃ足りないと思って、2つ持ってきた。それと、スリッパもずっと同じのはキツいと思って、百円ショップのスリッパを3個持ってきた。でも、1個は実子にあげたし、2個目はもう捨てたから、今は3つ目に突入しました。あと、洗剤もね、これだけじゃ足りないかもと思って、詰め替え用も持ってきたんだ。私、心配性なのかもしれない。でも、洋服はそんなに持ってきてないよ。ワンピースが3着と、ズボンが3着ぐらい。そんなもんかな。あ、あと、櫛は3つあります。1つは、お風呂の中でリンスをするときに使う櫛。1つは、髪を結ぶときに使う櫛。もう1つ、髪を梳かす用の櫛。髪を結ぶ用の櫛だと髪を全部梳かせないし、髪を梳かす用だと大き過ぎて髪を結べないから、3つ必要なの」

 次に訪れた304号室は、吉田聡子さんの部屋。

「私はでも、そんなに変わったものはないですよ。このドライヤーは、途中でドライヤーが壊れちゃって、ボスニアで買ったんです。変圧のドライヤー持ってたんですけど――それは白いプラスチックのドライヤーだったのに、真っ赤になって、怖くてもう嫌だと思って捨てちゃって。一番多いのは服ですね。この辺は全部服です。まだ着てないのもあるんですよ。あと、これは、ルキノさんの息子さんのけいとが作ってくれた人形です。すごい複雑なブロックになってるんですよ。そうそう。『小指の思い出』の最初のほうの稽古のとき、けいとが遊びにきて、そのときに作ってくれたんです。それを藤田さんに『ツアーに持ってきて』と言われて、それで持ってきてたんですけど……持ってきたこと、言い出せなくて。それから――これは今回のメインですね。キューピーちゃん。これ、オフの日にフィレンツェの蚤の市で買ったんですけど、これと同じキューピーちゃんを持ってたんですよ。恵比寿にあるアンティークショップで、まるが小道具で使ってる双眼鏡を探してたとき、そのキューピーちゃんを見つけて。そこに『メイド・イン・イタリー』ってシールが貼ってあったんだけど、こないだフィレンツェの蚤の市で偶然同じキューピーちゃんを見つけて。30ユーロで売ってたんですけど、28ユーロにまけてもらいました」

 聡子さんと同じ部屋に滞在する荻原綾さんのキャリーにも、人形が荷物の中に入っていた。

「この人形は、でこちゃん(高山玲子さん)からもらったやつです。3年ぐらい前の誕生日のときにもらいました。普段は窓際に置いてるから、色褪せちゃった。なんか、フリマで買ってくれたらしいんですよね。それ以来、旅するときには一緒に連れてきてる。一回、連れてこなかったときがあるんだけど、そのときに『やっぱ持ってくればよかった』と思ったから、やっぱり必要なんだなと思った。それで、未映子さんの(「まえのひ」ツアーの)ときはリュックに入れといたんだけど――松本に着いてすぐ、取り出そうとしたらファスナーに髪の毛が絡まっちゃって、髪の毛が全部抜けちゃったの。でも、抜けるのはそれで3回目ぐらいだったんだよね。そしたら不吉なことが起こって、松本に着いた初日に、いしりょう(石井亮介)が怪我をして。で、わ、ヤバいと思って、いしりょうが抜糸をした大阪できれいに付け直した。そしたらもう、何事もなかった。あとはね、これ。スーパーボール。これはね、拾ったんです。このかたつむりの殻は、棚の下に落ちてたやつ。で、これは栗。だいぶしおれちゃったけど」

 夜になって、ロビーで明日の予定についてミーティングがあったあと、荻原さんと聡子さんに「写真を撮ってもらいたいものがあるんですけど」と声をかけられた。部屋に行ってみると、二人の人形や持ってきた本、各地で拾ったものが棚に飾られていた。こうして各地の宿に飾られてきたのだという。

 話をキャリーバッグに戻す。残るは203号室だけれど、ノックをしてみても返答はなかった。どうしよう。とりあえず近所を少し散歩して様子を伺うか――そう思って表に出てみると、波佐谷さんがいた。藤田さんは部屋で眠ってしまったから、散歩に出ようかと思っていたところだという。それならばと、波佐谷さんと一緒に海まで行ってみることにした。歩いていると、「2千年前から交易で栄えた港町」ということがよくわかる。本当に古い建物ばかり並んでいる。そして、今は少し寂れた雰囲気がある。歴史を感じさせる建物が、落書きだらけになってもいる。この街もまた地震津波におそわれて大きな被害を受けたのだと、波佐谷さんが教えてくれた。

 夜20時、ミーティングが終わったあと、僕は203号室で波佐谷さんとビールを飲んだ。話しているうちに、波佐谷さんの地元の話になった。

「僕の実家があるのは、石川県の羽咋って地区なんですけど――知ってます?」
「あ、羽咋って加能作次郎の出身地ですよね」
加能作次郎さん、知ってます? その文学碑がうちの近所にあって、加能作次郎さんの子孫にあたる人が幼なじみです。いや、初めて会いましたね。加能作次郎さんを知ってる人」

 飲みながら、波佐谷さんのキャリーバッグの中身を見せてもらう。

「僕の荷物は、特筆すべきことはないかもしれないですよ。あ、シャンプーは詰め替え用のやつをそのまま持ってきてます。僕、家でも詰め替え用のやつをそのまま使ってるんですよ。面倒くさくて。あとは、バスタオルですかね? バスタオルは4枚持ってきてますね。去年のフィレンツェ公演のとき、宿舎にバスタオルがなかったんですよ。今年もバスタオルがないところが多いかなと思って4枚持ってきたんですけど、どの宿舎にもありましたね。圧縮袋から出してもないです。あとは服もそんなに持ってきてないし、衣装と、稽古の靴と、百均のサンダルぐらいですね。ほんとそれぐらいです。思いと移動するとき大変だなと思って、最小限にしました。でも、空港で集まったときに皆との荷物の差を感じて。スーツケースがもうちょっと大きかったらもうちょっと入れてたと思うんですけどね。このスーツケース、『1万円以内でスーツケースを買おう』と思って、新宿の鈍器で新しく買ったやつなんです。これでも皆のより大きいかなと思ってたんですけど、一番小さかったですね」

 ちなみに、同じ部屋に滞在している藤田さんは現地のプロデューサーと会食に出かけていて、部屋にはいなかった。23時になって帰ってきた藤田さんに、キャリーバッグの中身を見せてもらう。

「僕が持ってきてるのは――このポーチは、薬入れにしようと思って買ったんですよ。でも結局、イブと赤玉しか入れてないですね。僕の健康状態は、頭痛と腹痛しかないから(笑)。それと、橋本さんにもあげた綿棒は一杯持ってきました。あとは……ほんと何もないっすよ。生活感はマジでないです。荷物はほぼ本です。本だけが多いっす。最近、視覚のこととか、身体に関する本を持ってきて。はい。全部次回作ですね、これは」

「藤田さんって、「自分の記憶を描く作家だ」と言われてもいるし、自分でも言っていますよね。でも、最近は、という言い方が正しいかどうかはわからないけど、特に次回作は思考を抽出して考えてる感じがありますよね?」

「そうですね。僕がやってることって常に、今時分が世の中に対して疑問なことをやるってことだと思うんです。お客さんに何を伝えたいかとかってこと以前に、その違和感っていうものを日常では抱えきれなくて、それを演劇というツールを使って考えるてことが自分の解決策なんだと思います。それは昔から変わってないと思うんですけど、その違和感っていうものが年々大きくなってる感じはありますね」

「昔から、作品を作るときに本を読んでたんですか?」

「読んでましたね。たとえば、初演の『まってた食卓、』を作ったときは、武田百合子さんの『ことばの食卓』を読んでいて。ただ、最近は、一緒にやる人の小説は読むし、今後関わることになるだろうなって人のは読むんだけど、昔に比べると読みあさらなくなって、論文みたいなのばっか読んでるんですよ。でも、極論を言うと、演劇作家である自分は面白いもん書いてなんぼだって思うんですよね。面白い者を作れてないやつに『劇作家とは××である』と言われても、誰が聞くのって思っちゃうんですよね」

「でも、そうなるところはあるんじゃないですか? 経験が積み重なっていくと、一つの大系になっていくところはあると思うんです。それは論文という形でも記述可能なものだと思うんですけど、藤田さんはそういうこととは対極にある人だと思うんですよね。だとすると、論文なり書籍なりを読むことが、劇作にあたってどういう位置づけにあるんだろう、と」

「最近思うのは、ファッションショーって究極だなってことなんですよ。台詞もないし、歩いてるだけだし、ライティングもそんなに凝ったことはしてないのに、何でこんなにパフォーマンスとして成り立ってるんだろうってことで。ただ、ダンスの人が『身体が言葉を言っている』とか『身体があればそれでいい』とか言ってるのは好きじゃないんだけど、でも、歩いてるだけで成立してるのは何なんだろうなってことを考えるんですよ。それで、このバーナード・ルドフスキー『みっともない人体』(鹿島出版会)とかを読むと、最初はアダムとイヴの話から始まってるんですよね。論文っていうか、こういう本になると『人はなぜ服を着るのか』ってことまで遡っちゃうんだけど、でも、それを言っちゃおしまいじゃないですか。だから、そういう言葉には触れてたいけど、それを僕が言っちゃおしまいってことですね」