8月2日

 6時過ぎに目を覚ます。知人は急遽昨日のうちに里帰りしてしまったので、しばらく一人暮らしだ。やたらと腹が減るのでセブンイレブンに出かけ、とみ田のつけ麺を買ってきて食す。とみ田がどこにあるのかも知らないけれど、ここで名前をよく見る。午前中は一昨日送信した構成に少しだけ修正を加えて、メールで送信する。お昼を食べる時間もないまま千代田線で大手町に出て、新聞社で取材を受ける。『市場界隈』の著者インタビューということで、今日のために買っておいたサトウキビ柄のシャツで写真を撮ってもらう。前にここで取材を受けたとき、ちょうど陽が射してくるのを窓から眺めていた。あれは3週間ぶりに目にした晴れ間だった。あの日はあんなに貴重なものだと感じたのに、今ではもう陽射しにうなだれている。

 小一時間ほどで取材が終わり、担当編集のTさんと近くのカフェに入る。入り口で編集委員の方と出くわし、面識があるTさんが紹介してくださる。ご挨拶を終えて中に入ったところで、どこかで接点がある気がするんです、Tさんが言う。さすがにビールは早いかとアイスコーヒーを注文しようとすると、いやいや、アルコールもありますよ、気にせず頼んでくださいと促され、アイスコーヒーとビールがほぼ同じ値段なので、ビールを注文。今やりたい企画――2020年の東京の風景を記録するためのいくつかの切り口――の話をする。そのうちの一つは、やはりこの出版社に相談するのがベストではという企画なのだが、Tさんも乗り気になってもらえて、嬉しくなる。あとの3、4本をどうするか。あと4ヶ月で2020年がやってきてしまう。

 カフェを出たところでTさんと別れ、東京駅まで歩く。駅の売店でわかめごはんのおにぎりを買って、ホームで食べる。中央線で高円寺に出て、さて、どこで飲もう。時刻はまだ16時20分で、高円寺といえども営業している店は少なかった。散々迷った挙句、「大将」(2号店)に入り、屋外の席に座って瓶ビールを注文。赤星だ。ツマミは焼き鳥盛り合わせ(3本)と長芋わさび漬とマカロニサラダにする。すぐに隣の席にワイシャツ姿を着た二人組が座り、生ビールを飲み始める。こちらは文庫本を読んでいるけれど、席が近いのでどうしたって会話が聞こえてくる。職場の先輩と後輩なのだろう、ジョッキを傾けながら、「今日このあとどうします?」「いや、それはもう、楽しい店に行くしかないでしょ」「そうっすよね。高円寺だと、楽しい店は何時からやってるんすかね」「さっき調べたけど、20時からしか開いてないんだよ」

 ふたりが話しているのは風俗店のことだろうか、それともキャバクラ的な店のことだろうか。キャバクラに関しては一度だけ、「朝キャバクラ」というものがあると何かで知り、ちょうどワールドカップで盛り上がっている時期に渋谷の朝キャバクラに「一体どんな風景が広がっているのだろう、きっと店内総出で応援しながら盛り上がっているのだろう」と想像しながら行ってみたところ、他に客は誰一人おらず、テレビのある席でキャバクラ嬢と淡々と観戦した記憶はある。でも、どちらの店も、たとえ人に奢ってもらえるとしても行きたいとは思えない。そんなところで、心の底から「会話した」と思えるだろうか。性欲を発散させるためだけに誰かと触れあえるだろうか。どうしてそんな商売が成り立っているのか、そこに楽しみを見出す人がいるのか、どうしてもわからない。隣のテーブルの二人組とこちらの差は一体何だろう。まあでも、誰としゃべるわけでもなく、ただひとりで酒場に入ってぼんやり過ごしている僕だって、「それの何が楽しいのか」と質問されると、答えに窮してしまうけれど。

 ビールを飲み干すと、次はレモンサワーを注文する。店員さんの感じがとてもよく、注文したいなと思ったタイミングで顔をあげると、呼ばずともこちらに気づいてくれて、小さく手を上げ、注文を取りに来てくれる。働きながら通行人を呼び込むときも、「はい2名さん、お席空いてますよ、一杯いかがですか」と、ひと組ひと組に声をかけている。レモンサワーをチビチビ飲みながら、そうして声をかけられて通り過ぎていく通行人を眺める。隣のビルの2階にある酒場が、幟や看板を出して開店準備を進めている。そこにベビーカーを押した若い夫婦が通りかかる。酒場の店員と夫婦は知り合いだったのだろう、しばらく立ち話をしている。ベビーカーの中にいる赤ん坊は、見知らぬ大人の姿をまじまじと眺めている。店員は、幟で顔を隠し、いないいないばあをしてみせる。赤ん坊はその姿をただじっと見つめている。

 レモンサワーを飲み干したところで会計をしてもらう。時計を見ると18時になろうとしているところだ。北中通りを歩き、「コクテイル書房」へ。まだ開店準備中の様子だったけれど、カウンターに案内してくださる。落ち着くまではハートランドをチビチビ飲んで、トリスハイときゅうりのみょうがもみを注文する。このツマミがとてもうまく、自宅でも作ってみようと思う。

 ツイッターを開くと、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」に脅迫めいた批判が相次いでいるという。そこに「税金を使ってどうしてそんな展示をするんだ!」という批判があるのを見て、ああ、もうやってきてしまったかと思う。特に石原都政の時代には、オリンピック誘致に向けて「さまざまな文化事業が行われている都市だ」とPRするためにも、助成が積極的に行われてきた。でも、それはあくまでオリンピック誘致に向けたものだ。それに、この10年のあいだに、たとえば生活保護を受給している人たちが「何で我々の金で養ってやらなきゃいけないんだ」と言わんばかりの口ぶりで非難される姿というのは何度となく目にしてきた。そうであれば、「どうして我々の税金が文化・芸術に使われているんだ!(そもそも俺たちの生活がこんなに苦しいのに)」という批判が行われ始めるタイミングが、オリンピック以降にきっとやってくるだろうなと思っていた。今は特に、地方都市でもアーティストを招聘して滞在制作させたりする企画が増えているだけに、どこかでそうした声が出始めてしまうだろうなと思っていた。でも、東京オリンピックよりも先にそうした声が起きてしまった。

 脅迫めいた抗議もあるという。それについては到底正当化されるべきではないし、「表現の不自由展・その後」を何も観ずに批判しているのであろうことはわかる。ただ、ヘイトスピーチが跋扈し、気に入らない表現があればクレームを入れてスポンサーを攻撃し、口を塞ごうとする動きというのは、ほとんど常態化してしまっている。そういった状況は、「表現の不自由展」が東京のギャラリーで開催された2015年に比べて改善されたかといえば、むしろより悪化しているように思える。これだけ酷いことが起きてしまっている今、脅迫めいた抗議が殺到するのは、不思議なことではないだろう(リスクについて協議を重ねたというけれど、芸術監督はここまでの事態を想定しなかったのだろうかということだけはどうしても思ってしまう)。「脅迫は言論封鎖であり、テロリズムだ」という言葉は、とても正しく、繰り返し語られるべきだ。わたしたちの社会ではとてもそのようなものは容認できないという価値を、共有し続ける必要がある。ただその一方で、どうすれば脅迫めいた抗議に走ってしまう人たちを再び「わたしたち」の中に取り込むことができるのかということが、何より深刻な問題であるように思う。人生に絶望し、テロリストとして命を捨てようとする人に対して「テロリズムは悪だ」という言葉は届かないだろう。どうすればそこに語りかけることができるのだろう。

 もう酔っ払い始めているのか、考えが大きな方向に膨らんでしまう。トリスハイを追加で注文して、前にここで飲んだの日ことを思い出す。その日、隣の席に座った白髪の男性に、店主のKさんは「こちらの方は、この本を書いた方なんです」と『市場界隈』を紹介してくれた。ああ、そうでしたかと白髪の男性は本を受け取り、パラパラとめくっている。数分経ったところで、ところでこの本には高円寺の店も出てくるんですか、と白髪の男性が言う。いえ、これは沖縄の那覇にある市場周辺のお店だけを取材した本なんです、と答える。ああ、そうでしたかと白髪男性は本を置き、沖縄ねえ、私も昔行ったことがあるんですけどね、あそこは気候が全然違うでしょうと語り出す。そうですねえ、この一年で何度も行ってますけど、空港に着いた瞬間に湿度を感じます。僕がぼんやり答えていると、古事記なんかを読んでいてもね、琉球のことは出てこないから、あそこはやっぱり、元々は日本じゃなかったんだなと白髪男性が言い始める。琉球とね、それからアイヌ、あそこは日本とは違う神話を信じてきた土地だから、やっぱり根っこの部分ではわかりあうことなんてできないと思うな――真顔でそう語り続ける男性に、僕は何も言い返すことができなかった。僕はあなたとのほうがよっぽどわかりあえないと思う、そう思ったけれど、そう言ったところで鼻で笑われるか、喧嘩になるだけだろうと思った。どうすれば人に何かを伝えるということができるのだろう。その夜のことを思い返しながら、中央線に揺られて帰途につく。