8月20日

 8時過ぎまで眠っていた。書評を依頼されていたことを思い出し、その本を読み進める。たしかに関心のあるテーマではあるのだが、それだけに細かくひっかかるポイントがあり、申し訳ないけれど書評を辞退できないか(もしそれによって紙面に穴が開くようであればすぐに別の本で書きます)とメールを送信する。了承してもらえてホッとしたが、なるべく早めに連絡するようにしなければと反省する。那覇に電話をかけ、RK新報の連載にむけて6月下旬に話を聞かせていただいた方に、今の状況を聞かせていただく。電話を切り、数週間前の『オードリーのオールナイトニッポン』を聴きながらコーヒーを淹れる。若林が夜に公園でバスケの練習をしている話は以前から披露されていたけれど、公園でバスケをすることで「ざまあみろ」という気持ちになる、と語っていてギョッとする。皆、なんとなく居酒屋に出かけてなんとなく話をして何千円というお金を使わされているけれど、自分はそんなことにお金を遣うのではなく、ボール1個で楽しんで、「経済をまわしてやらない」と。

 知人は在宅で作業をしている。その様子を伺いにいくと、鞄からフェイスシールドを取り出し、嬉しそうに装着してみせる。え、いや、なんでそんなのつけてんのと、冷ややかに言ってしまう。「喜ぶかと思ったのに」と知人が残念そうにこぼす。いやいや、それ、全然飛沫を防げてないやろ、口から下はダダ漏れやんと文句を言うぼくに、「しょうがないやん、××××××××が主催の事業で、××××××××が『フェイスシールドをつけてくれ』って言うんやけ」と知人は反論し、外したフェイスシールドをキッチンに置く。いやいや、身につけたフェイスシールドをそこに置いたら、フェイスシールド上で増殖した雑菌がキッチンにつくやろ、何しよんじゃと言い合いになる。

 昼、「メルカリ日記」届く。ぼくが今書いている企画「R」の原稿に、東京都復興記念館で目にした、「太平洋戦争記念」と書いて木箱に保管された焼夷弾の破片のことを思い出す。そして、自分の8月15日のことを思い返し、「山東」を訪れたとき、テーブルとテーブルのあいだにハンガーラックが設置され、そこにビニールカーテンが吊るされていたことを描きそびれていたなと思い返す。読み終えたところでオマケ(?)の写真を開き、おでんが食べたくなる。日記を読んでいるうち、知人は散髪に出かけてゆく。ぼくはといえば、14時からは人生初のオンラインミーティングをやる予定になっていたのだが、打ち合わせをするはずだった相手の家族に予期せぬ事態が起こり、いやいやそれはそちらを優先してくださいと延期となる。その打ち合わせで何を話すのか、あまり把握できていなかったので、何を話すことになっていたのだろうかとぼんやり思いを巡らせる。

 15時あたりから、ようやく企画「R」の原稿を書く。あまり捗らず。18時頃に知人が帰ってくる。少しだけ粘って原稿を練ったのち、サバのミリン干しを焼き、ししとうの煮浸しとこんにゃくの麺つゆ炒めを作り、ビールで乾杯。録画してある『ロンドンハーツ』を観たのち、『白い巨塔』をFODで観る。2003年に放送されたとき、財前(唐沢寿明)は傲慢な男に、里見(江口洋介)はまっとうな男に感じたはずなのに、今観返すと里見の言動があまりにも理想主義的に映る。一緒に観ていた知人も「そうなんよね、若い時は里見みたいなんを良いやつと思いがちやけど、この年になると『財前……!』てなるよね」と言っている。これは、年齢を重ねて世間に揉まれたとか、そんな話になってしまうのだろうか。この感覚は何だろうなと思いながら、何話か続けて再生する。