9月2日

 9時まで起きれなかった。昨日の夜のうちに資源ゴミを出しておいてよかった。休肝日を挟んだせいか、酒の影響を強く感じる。つけっぱなしのテレビに「“令和おじさん”の素顔」みたいなテロップが表示されており、自民党の若手議員たちが「意外と冗談が面白いんですよ」なんて話す様が流れている。な、何を言っているんだ。先週末のどこかの番組でも「これでまた短命の政権が続くようでは困る」と“安定した政治”をのぞむ声が発信されていたけれど、政権側も、メディアの側も、“安定した政治”を生み出すために腐心しているように感じる。それが何を生んでしまうのか、考えているのだろうか。

 午前中は仕事が捗らず。昼前にメルカリで購入した「日記」が届いたので、すぐに開封して目を通す。たしかに、書籍の『ごろごろ、神戸。』ではほとんど存在を感じなかった「妻」の気配が強いなとは感じていたけれど、それも意図を持って書かれていたのだなあ。ぼくはぼんやり日記を書いてしまっているのではないかと考えてみたけれど、今日はどうも頭がぼんやりしている。メールを確認すると、e plusから9月12日と13日に八ヶ岳で開催されるフェスティバルの案内が届いている。一体誰が出演するのだろうと開いてみると、クラムボンが出演するらしかった。この状況になって初めてクラムボンが観客を前に演奏するのであれば、見届けなければならないのではと、あと先考えずにチケットを購入する。

 昼は納豆オクラ豆腐そば(冷)を平らげ、資料を少し読み進める。現在放送中のドラマ『MIU404』が今週金曜で最終回を迎えるというので、第1話から観始める。『アンナチュラル』と同じく、脚本は野木亜紀子だ。番組が始まる頃に、朝の情報番組で「綾野剛星野源がタッグ!」「なんと本人によるカースタントも!」と宣伝されていて、まったく興味が持てなかったのだが、再生し始めてみると「どうしてこのドラマの告知をあんな形式でしかやれないのか?」と疑問が湧いてくる。そして、『MIU404』を観ているうちに、どうして『アンナチュラル』を「きっちり描かれたドラマ」だと思いながらも、どこか乗り切れない部分を感じていたのか、わかった気がした。それは、組織の中で生きる人間の苦闘が描かれているからで、『アンナチュラル』も、『MIU404』も、「仕事中の私と、オフの私」のあいだの葛藤にヨレることなく、きっちり仕事上の苦悩に焦点が当てられているから、ひとりでぼんやり過ごしているぼくは、どこか遠さを感じてしまうのだろう(前も書いたけれど、「だからこのドラマは面白くない」という話ではなく)。

 第1話と第2話を観ながら、アイヒマンのことを連想する。『アンナチュラル』の主人公は法医学者として、『MIU404』の登場人物たちは警察官(それも初動捜査に当たる機動捜査隊)として職責を全うしようとする。しかし、上から言われた案件や命令を忠実にこなしているだけでは、不正義を黙認することにもなりかねない。自分に与えられた権限だけでは、正義を貫けないかもしれないけれど、それを逸脱してしまうのは遵法精神に反してしまう。その境界線をめぐる葛藤は、『アンナチュラル』にも、『MIU404』にも描かれている。特に後者では、「正義」に駆られてネットを通じて告発を行おうとする人物や、何かタガが外れてしまった人物も登場する。このあたりがどう着地するのか気になるところ――と、知人がすでに試聴済みである第5話まで観ながら、そんなことを思い浮かべる。断片的な感想を知人にLINEで送ると、「だいぶお気に召したようやね」と返ってくる。

 日が暮れたころに近所の八百屋に出かけ、晩ごはんの買い出し。枝豆と、エノキと、それに鶏胸肉が目に留まったのでこれも買う。そういえばSNSで「鶏胸肉を弱火で30分焼くだけ」というレシピが話題になっていたなと思い出したのだ。知人が帰宅する時間を目指して、鶏胸肉を弱火にかける。が、あまりにも弱火過ぎたのか、30分経ってみても半分はまだ生の状態だ。少し火力を強めて様子を見て、適度なところでひっくり返し、とりあえず完成する。これがレシピ通りの味なのかはわからないし、ジューシーさは感じなかったけれど、それなりに美味しく平らげる。「タタキみたい」と知人は言っていた。今日は20時頃になって飲み始めたのに、どういうわけか早めに酔いがまわり、『MIU404』は第7話でストップする。録画したバラエティ番組を再生しているうちに眠りにつく。