9月11日

 7時半に起きる。コメを炊き、たまごかけごはんにして平らげる。最近はずっとプレーンだ。買い物に出かけてネギを買っておく心の余裕がなくなっている。こうして書くと「ネギを買うのに余裕も何も」と自分でも思うし、毎日のように買い物に出かけているし酒を飲んで過ごす暇もあるのだけど、「ネギを買ってきて刻んでおく」ということを思い浮かんで実行する余裕がなくなっている。つけっぱなしのテレビでは『グッとラック』が放送されており、飛行機でマスクを着用せずに緊急着陸した件について、本人にZOOMで取材している。途中から見始めたから意図があるのかないのか把握できなかったけれど、ブルーのボカシが顔にかけられたり、ボカシが外れて顔がそのまま流れたりしている。「人様に迷惑をかけたらごめんなさいというのが日本人」だとと志らくがいい、コメンテーターのアンミカが「人に迷惑をかけないということは親から習っているはずなのに」と言う。君らは何を言っているのだ。

 来週からのツアーに向け、着替えのシャツを洗濯する。洗濯してしばらく経つと、「洗濯してしばらく経った服」の匂いになるのがなんとなく嫌で、今日まで待っていた。洗濯物をベランダに干し、『AMKR手帖』の原稿に向けて資料を読んでいると、バラバラバラと音が聴こえてくる。1分くらい経ったところで、え、雨かと気づく。晴れの予報が出ていたのにと腹を立てつつ、洗濯物を取り込む。雨雲レーダーを確認すると、通り雨のようだ。酷く濡れてしまったものは洗い直し、残りは雨がやんだタイミングで再び干す。が、すぐにまたバラバラバラと雨音が聴こえ出す。それを何度か繰り返して、13時にようやく雨がやんだ。

 昼、キッチン焼き肉のときに食べきれなかった肉を使って焼きそばを作る。もやしとニラも入れた。午後は『AMKR手帖』の資料を読んだのち、『cw』誌の原稿を完成させて、メールで送信。気づけば15時45分になっていて、急いで歯を磨き、水を2杯飲んでアパートを出る。予約の時間が迫っていたので、時折走りながら根津のクリニックへ急ぐ。受付で体温計を渡され、熱を測ると37.5℃と表示されている。違うんです、今、予約の時間に遅れそうだったから走ってきて、と言い訳していると、別の体温計を差し出される。今度は37.0℃まで下がっていたのでホッとする。診察室に案内され、「どういったきっかけで検査を受けようと思われたんですか?」と医師に尋ねられる。文章を書く仕事をしてるんですけど、取材で県外に出かけるにあたって、検査を受けるようにと言われて、と素直に答える。「わかります、今、仕事の関係で検査を受けるように言われて、それでいらっしゃる方も多いんです」と言われる。わかりますとは、と引っかかりそうになったけれど受け流し、検査室に通される。そこには看護師さんがひとりいて、「ここのラインまで唾液を出してくださいね」と試験管を手渡される。そのラインに数字は書かれていないけれど、「10」の目盛りの半分位だ。半分くらいはすぐに溜まったものの、そこからが大変だ。レモンや梅干しを思い浮かべればいけるだろうと思っていたのだが、そんなに簡単に出てこず、キツめのレモンサワーを思い浮かべながら唾を吐く。5分足らずで基準を満たし、試験管を返す。受付で27500円支払ってクリニックをあとにする。

 根津から副都心線に乗る。比較的空いている。やけに大きな声で話す若者に目を向けると、マスクを顎にずらしている。そんなに長い時間視線を向けたわけでもないけれど、若者はこちらを直接見ないままぼくの視線に気づき、マスクを正しい位置に戻す。明治神宮前副都心線に乗り換えて、終点の元町・中華街を目指す。田園調布を過ぎたあたりから、ぼんやり車窓の景色を眺める。一軒家が建ち並び、庭にビニールプールが置かれている。こんな風景が東京に実在しているのだなあ。東急東横線多摩川を越えて進んでゆく。ぼくは一番後ろの車両に乗っていたのだが、菊名で停車すると、目の前に古びたアパートが建っていた。壁はひび割れ、扉のトタンは剥がれ、屋根はブルーシートで覆われている。よく見ると部屋のひとつは扉が全開になっていて、停車しているあいだ釘付けになる。

17時39分に元町・中華街に到着し、まっすぐ「山東」に入店。狭めの席(隣の客と肘が触れそうな席)に案内されかけ、「ああ、それならいいです」と階段を降りようとすると、それならこっちに、と適度な距離が保たれた席に案内される。昨日までだって絶対感染しないようにと細心の注意を払って過ごしてきたけれど、どこまで精度があるかはわからないにせよPCR検査を受けたのだから、それ以降にウィルスをもらうわけにはいかない。ぼくが苦しむだけならともかく、帯同するツアーにまで影響が及んでしまう(と思うと同時に、そんなふうに「団体や組織のために」と考えてしまっていることに、自分自身で違和感をおぼえる)。生ビールと水餃子を注文し、腹を満たす。ビールを1杯、さらに紹興酒をグラスで追加した。気づけば時刻は18時半、そろそろ程よい時間だなと会計を済ませ、劇場に向かう。19時開演だと思い込んでいたけれど、劇場手前のローソンで発券してみると、19時半開演と書かれている。これは誤算だったなと缶ビールも一緒に買っておく。ビールを開け、道路の向かい側にそひえる劇場に目を向けると、隣にハイアットのホテルが建っていた。ここにホテルが建っていただなんて知らなかった。劇場の入り口は、エントランスの段階で厳戒態勢が敷かれていて、スタッフが何人も立っているのが見えたので、劇場の外でビールを飲んだ。

 19時過ぎ、入り口で手と靴を消毒し、感染者が出た場合に連絡が届くシステムに登録し、神奈川芸術劇場大ホールに上がる。チケットのもぎりも、まずはチケットを係員に示し、自分でもぎって半券をカゴに入れる仕組みになっていた。客席は前後左右が空席に設定されている。これだとフルの状態に比べて50パーセント弱だ。しかし、ソーシャルディスタンスに慣れてしまった今では、それでも客が近くに感じられ、ソワソワする。19時半に開演してからも、近くにいる観客がお茶を飲んだり咳き込んだり、その気配に気が向いてしまう。演劇でもライブでも、前々からまわりの観客のふるまいに気を持っていかれがちだったけれど、前にもましてそうなってしまう。そして、そんなものを忘れさせてくれるほど強度のある舞台だとは思えなかった。戯曲として書かれた言葉がどんなによかろうとも、それが舞台上で演じられる様が圧倒的でなければ、満足できない。

 移動する電車の中でも「感染しない/させないように」と気を張り、検査を受けつつ入り口を抜け、収容人数を半分以下にしてもこの距離に他の誰かがいるのかと感じながら客席に座り、「観劇中もマスクを」と書かれたボードを掲げたスタッフが通路を歩くのを眺め、しかし当然ながら俳優はマスクなんてなしに歩いていて、どんな時間を経てここにいるのかわからない人たち同士でこんなふうに過ごして、「劇場という空間には十分な換気能力がある」と頭ではわかっているけれど、でもだとしたらなぜ発語しない観客がマスクをつけて俳優がマスクをつけずに発語しているのか、と、これは「コロナ禍の中で舞台表現をするなんて」とケチをつけたいわけではなく、わかりきっていたことではあるけれど、以前のように当たり前のように透明人間として客席にいることはできなくて、まわりに見知らぬ人たちがいること、俳優がそこに立って発語していることの不思議をあらためて突きつけられて、「何が観たくて俺はリスクを背負いながら劇場に足を運んでいるのか?」と自問自答させられる。その答えはもちろん人それぞれだと思うけれど、ぼくはとにかく圧倒的な瞬間に出会いたいのだなと思った。そんな瞬間なんて、そうそう出会えるものではないのだけれど。

 帰りの東急東横線はガラガラで、最後尾の車両だと端っこの席がずっと空いたままだった。ぼくは座らずに、車窓の景色を眺めていた。22時に根津駅で知人と待ち合わせ、バー「H」に向かう。マスターのHさんは久しぶりに頭を刈り込んでいる。カウンターは埋まっていて、テーブル席に案内される。隣のテーブルにも男女が座っていて、やかましいというほどのボリュームではないのだけれど、テーブルとテーブルの距離が近いぶん飛沫がどうしても気にかかってしまうので、「やっぱりまたきます」とお店をあとにする。わざわざ根津まで歩いてきた知人に申し訳なく、お詫びにビールを買ってアパートまで引き返す。