1月12日

 8時に目を覚ます。ジョギングに出てみると、さすがに寒い。日本医科大学の前にはガードマンが複数人いて、普段からこんなにガードマンがいたっけなと記憶を辿る。S坂を下って根津に出ると、登校するこどもたちを見守っているのだろう、黄緑色のジャンパーを着た人たちがあちこちに立っている。その数が2、3人どころではなく、こんなに見守られていたっけと、また記憶を辿る。ジョギングをするのは今日で5回目で、スピードを上げたつもりもないのに、急にペースが速くなっている。ジョギング後にセブインイレブンでクノールカップスープ「スープDELI」を3種類買い求め、明太子味をさっそく食べる。

 午前中は機内誌『C』の原稿を書く。昼は納豆オクラ豆腐そば(温)。午後になってどうにか原稿を書き上げ、プリンとアウトして知人に手渡す。しばらくすると、にやにやしながら知人が近づいてきて、「テトリスやりよん?」と笑う。「手を取り合って」と書くべきところを、「テトリを」と書いてしまっていた。修正して、メールで送信。一息ついていると電話が鳴る。編集者のOさんだ。用件のひとつは、先月出版されたムックの原稿料のことだった。その金額は、正直に言って自著の印税より高額で、ありがたく思う。自分の仕事を、それだけ評価してもらえているということもである。ただし、金額を伝えてくれたあとで、どうしても今は経理の目が厳しくなっていて、今後はこれほどの金額を出すのは難しくなってくると思う、とOさんは言い添えた。これからどうなっていくんだろう、今日のこの電話をどんなふうに思い返すだろうと、他人事のように思い浮かべながら、電話に向かって相槌を打つ。時刻は15時を過ぎたあたりで、窓の外では高校生たちが下校しているところだ。いつにも増して声が賑やかなように感じられる。コーヒーを飲んで、今度は書評原稿を考える。18時、オンラインで読書委員会。画面に映し出される、いろんな委員の方の書斎が見えて不思議な感じがする。皆、本をたくさん持っているのだなあとアホみたいな感想が浮かぶ。

 19時半に委員会が終わると、すぐに餃子を焼き、作り置きしてあったコールスローと一緒にツマミながら晩酌を始める。ただし、今日締め切りの書評が完成していないので、ぼくは原稿を書きながらビールを飲んだ。20時半になると、服を着替えてアパートを出る。今日は1月12日だ。坪内さんが亡くなったのは1月13日の未明だから、1年前のこの夜だ。坪内さんが生きていたら、この状況下の東京をクルージングしていただろうなと、様子を眺めに行く。もっと早い時間から出かけられるのであれば、神保町―渋谷―新宿と複数の街を移動することもできたけれど、こんな時間だからとまっすぐ新宿を目指す。地下鉄の構内はどこも静かだ。

 21時に新宿三丁目駅に到着する。すれ違う人たちは、どこかで飲んできたのだろう、楽しそうに改札に向かってゆく。地上に出てみると灯りがともっている店は格段に少なく、静まりかえっている。大箱のワインバーは、さすがに補助金だけでは乗り切れないのだろう、営業を続けていて、店内にはいくつも笑顔が並んでいる。馴染みの店はどこも休業中で、路上で缶ビールでも飲んで帰ろうかなと思っていると、あるお店の扉が数センチだけ空いていた。なんとなく、そんな予感はしていた(もしも完全に閉じていたとしても、ドアノブをまわしてみるつもりでいた)。店内に入ると、お店のふたりがカウンターに佇んでいる。せっかくだから飲んでいく?と、ハーパーのソーダ割りを作ってもらう。坪内さんが生きていたら、今、どんなふうに振る舞って、何を言っていただろうかと思い浮かべながら、ソーダ割りを8杯飲んだ。気づけば日付が変わっている。

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