8月2日

 6時過ぎに目を覚ます。喉に少し違和感がある。ここ最近は毎日のように明け方に一度目が覚めて、扇風機を調整している。扇風機をとめると寝苦しく、かといって回したままだと風邪のひきかけのような感じになる。「うちわ風」という微風に設定して、足にだけそっと風が当たるように設定して寝てみたら、足が冷えて寒くなる。首振りをさせると、顔にも当たって喉が痛くなる。去年まではどうやって寝ていたんだっけと不思議になる。思い返してみると、クーラーをつけっぱなしでも平気だったような気がするのだけれど。

 コーヒーを淹れて、ごはんを炊く。たまごかけごはんを平げて、残りは冷凍しておく。ゴミ出しの準備をする。ダイソンが吸引したホコリをゴミ袋に入れていると、ヘッド部分の汚れが気になり、分解してきれいにする。吸引口のところにへばりついたホコリも、爪楊枝でほじる。歯石の除去をする歯科衛生士もこんな感覚なんだろうかとぼんやり思う。ゴミ袋を玄関にまとめておいて、出勤するとき知人に捨ててもらおうと思っていたら、ゴミ収集車の音(このあたりではゴミ収集車は特にメロディを流しながら走るわけではないので、エンジン音と、ゴミを回収する音)が聴こえてくる。月曜日は普段12時過ぎに回収するのに、今日はもう走り去ってしまった。仕方がないので、ゴミ袋の口をクリップできっちりとめて、虫が入らないようにしておく。

 コーヒーを飲みながら朝刊を読む。「東京五輪・パラ 語る」という連載企画で、森喜朗がインタビューを受けている。組織委員会会長をやめることになったあと、「辞めるので、後任の人事を考えました」と語り、川淵三郎に打診したのち、橋本聖子を「説得」したときのことを振り返る。「橋本さんにはこう言いました。あなたは昭和39年(1964年)生まれ、お父さんが東京五輪開会式に感激して、聖子という名前をつけた。つまりはオリンピックの申し子だ。そのお父さんは去年亡くなられた。あなたは冬季、夏季計7回オリンピックに出たが、お父さんへの手向けに8回目に出なさい。組織委員会の会長として参加しなさいと。彼女は『わかりました』と言って涙を流した。それが最後の決め手でした」。

 このくだりから、いろんなことを考えさせられる。組織委員会の会長という職務は、「お父さんへの手向けに」と選ばれるものなのだろうかという、率直な疑問点はあるけれど、それだけではない。そんなふうに点と点をつなげて星座を描くという発想から、自分は無縁なのだろうかと考えさせられる。たとえば誰かが亡くなったときに、後任に――というほどでなくとも、追悼の言葉を述べたり弔辞を読んだりするときに、故人とのかかわりを考えたときに、“故人もきっとそれを喜ぶだろうから”と、誰かを指名するということは往々にしてある。別に亡くなった人でなくても、あの人の後任には、(それまでの交流やさまざまな背景を鑑みて)この人がふさわしいと誰かを選ぶとき、点と点に線を結ぼうとしてしまう。あるいは、ある人の後任に誰かが選ばれたときにも、「前任者と後継者のあいだにはこういう流れがあって」と、線で結ぼうとしてしまう。

 ……と、記事を読んだときはそんなことを考えて、ううむ、と考え込んでしまっていたのだけれど、こうして日記を書いている今(翌日)になってみると、「いやいや、それとこれは話が別だな」と思う。世界で起こっていることに線を見出そうとする作業と、線によって世界を作り出そうとすることはまったく性質が異なる。後者の振る舞いは、端的に下品だ。

 ただ、インタビューのこの箇所を読んで、もうひとつ考え込んでしまうところがある。それは、誰かの思いや人生を、物語として消費してしまっているところだ。この人にはこんな人生があって、それで今はこんなふうに過ごしていて――と、この人事はそうやって情緒に訴えかけてくる物語を描こうとしている。ぼくが物書きとして書いているのはロジカルな論文ではなく、誰かの語りや、端的な事実を「配置」することで、読んだ人が何かを感じてくれるだろうと書き綴っている散文であり、それも広く言えば情緒に訴えようとするものではないのか、と。もちろん、「お父さんへの手向けに」なんて下品な書き方はしないけれど、でも、ぼくが「そんな描き方は下品だ」と言ったところで、より多くの人を「動員」しうるのはそちらのほうだろう。ぼくは「動員」を目指して文章を書いているわけではないけれど、その手の言葉のほうが世の中を動かし、塗りつぶしてしまうのだとすれば、「下品だ」と言っていることに何の意味があるのかと思ってしまう。

 インタビュー記事の中で、森喜朗は(オリンピックを1年延期すれば)「大丈夫だなと思いました。日本の科学技術を信頼しようと考えたからです」と語っている。自身が病をわずらったときに、「日本のすばらしい医学・科学技術によって助けられた人間だから信頼したかった」と。とても政治家とは思えない発言だ。政治家とは、自分の経験だけに基づいて物事を考えるのではなく、自分ではない誰かの不満や困難や問題に耳を傾ける仕事であるはずなのに。そして、「信頼したかった」というのは、「考えた」とは言わない。そして、「走り出したのだから、この『東京2020』号が無事に帰還できるように祈るしかないと思っています」という言葉には笑ってしまう。いくら現職ではないとはいえ、総理大臣経験者で、つい先日まで組織員会会長の職にあった人が「祈るしかない」と語る。それが今の惨状を物語っている。

 ページを繰ると、投書欄に65歳パート職の投書が掲載されている。タイトルは「五輪への不信 払拭願う」(読売は完全にこの路線だ)。投書した人は、ガイドヘルパーの仕事をしている。普段は「政治や宗教といった話題を避け、天気やスポーツなどの話をするようにしている。ところが、以前から多くの人が開催に反対していた東京五輪の話は、いまだにすることが出来ない」。自身は聖火ランナーに選ばれ、とても良い経験だったと自分では思っているけれど、職場の利用者から「聖火リレーは感染拡大に加担している」と言われたので、オリンピックの話はできなくなった。「この不自然な空気が払拭されることを願っている」と、投書をしめくくる。職場というものがなく、テレビと新聞とインターネットしか世の中との「窓」を持たないぼくからすると、世間はもうオリンピック一色に見えるので、同じ時代に生きていてもこんなにも景色が違うのかと不思議に感じる。でも、新聞に投書するという能動的な振る舞いをしておきながら、「空気が払拭“される”ことを願っている」と書いていることに、違和感をおぼえる。その主体性のなさ(より正確に書けば、主体性とは無縁のようによそおった書きぶり)は何だろう。もっと主体性を引き受けて、「オリンピックを応援したいから、この不自然な空気を払拭したい」と書けばよいのに(実際、「払拭されることを願っている」わけではなく、「払拭されるべきだ」と主張したいから、わざわざ投書までしているのに)。

 新聞の話が長くなった。

 この日はずっと、『G』誌の連載に向けたテープ起こしと、ゆうえんちの「経営」。つけっぱなしのテレビでは情報番組が流れていて、芸能人の感染を報じている。最近また「誰々が感染しました」と報じられる機会が増えていて、これはよっぽど気をつけないとと不安になる。16時過ぎ、数日前のリリースに違和感を感じて送ってしまったメールから派生して、HさんとZoomで意見交換をする。19時になったところで、こんにゃくの麺つゆ煮を作っておき、帰宅した知人に枝豆を茹でてもらって、晩酌。仕事が(おもに「ゆうえんち」のせいで)追いついていないので、テープ起こしをやりながら酒を飲む。知人はワクチンの大規模接種に申し込もうとパソコンを見つめ続けているが、すぐに埋まってしまうとぼやく。テレビにはオリンピックの野球中継が映し出されている。これが決勝戦で、日本がリードしていて、このまま行けば金メダルが獲れそうだ――というわけでもないのに、画面右上には日の丸に続けて「悲願の金メダルへ」と表示されている。この試合はまだ準々決勝だと気づいた知人は、「金メダルへっておかしいやろ」と、テレビに向かって文句を言う。