10月28日

 13時過ぎにアパートを出る。まずは新橋に行き、PCR検査を受ける。新橋駅から検査場までの道すがら、靴磨きの女性を見かけた。場所は維持されたのだなと思う。いつも受けている秋葉原店だと梅干しとレモンの写真がブースに飾ってあるのだけれど、ここでは梅干しだけだ。すぐに検査を終えて、時計を見ると14時8分。電車だとギリギリになってしまいそうだから、タクシーを拾ってASH新聞社へ。タクシーの運転手さんは慣れたもので、するすると小さな路地を走っているうちに、新聞社前にたどり着いている。

 14時20分には新刊の受付にたどり着き、緑の受付票に記入する。14時半、インタビューの現場に同席する。ぼくは聞き手ではなく、構成役なので、じっと話を聞いていた。インタビューが終わると、写真撮影になった。「もし後ろのご予定があるようでしたら、お帰りになっていただいても」と編集の方が声をかけてくださったけれど、最後まで同席する。というのも、せっかくだから今日は本館の入り口近くにある「アラスカ」というお店でビールを飲んで帰りたかったからだ(別にそんなことを咎められることはないとわかっているけれど、「じゃあ、僕はお先に」と帰っておいてビールを飲んでいるというのは、どうにも決まりが悪い)。

 16時45分、まだ店内にお客さんの姿はなかった。ビールを注文すると、クマがビールを飲んでいるイラストの描かれた可愛らしいジョッキが運ばれてくる。なにかオツマミをお持ちしましょうかと尋ねられ、ああ、じゃあ、メニューをいただけますかと聞き返すと。「メニューには載っていないんですけど、ナッツですとか、チーズもご用意がございますとのことで、チーズを頼んだ。ビールをおかわりすると、さっきとは違って黄色のジョッキが運ばれてくる。全部で5色あるのだと店員さんが教えてくれた。

 2杯目を飲み干したところで店を出る。築地市場があった場所は、フェンスで囲われているけれど、ぽっかり空洞になっていて、遠くにビルやマンションの群れが見えている。地下鉄に乗り、17時半に茅場町に出る。昨日の演説を聴いて、選挙戦で優位にあると報じられている自民候補はどんな演説をするのか、気になっていた。昨日の晩は後楽園で首相と一緒に演説をして、今日は茅場町で演説をすると書かれていたので、聞きにやってきた。演説場所として書かれていたのは大通り沿いではなく、大通りから一本入った路地だ。そこにはもう、結構な数の「支援者」の姿があった。ぼくはコンビニで買ってきたビールを手に、その輪の一番外側で、演説を聴いた。最初のほうに応援演説をしていたのは地元関係者で、地元の婦人部の働きを誉める言葉があり、なるほどなと思う。

 応援演説には大臣も駆けつけていて、候補者からメールをもらって、「いや、辻さんに頼まれたら行くしかないなと思って、やってまいりました」と語る。ぼくの目の前には、お年寄りが佇んでいる。もしも自分がこの候補者を応援していたら、嬉しくなるだろうなと思う。自分が地元の町内会のような組織に参加していて、その流れで候補者を応援していて、その候補者がメールを送ると、「辻さんに頼まれたら」と、大臣が応援演説にかけつけてくれる。つまり、自分の活動が、権力の中枢にも繋がっているのだと実感できる場なのだ、ここは。

 大臣は途中で、自分は千代田区生まれだと切り出す。これは演説では語られなかったことだけど、ネットで検索すると中学から慶応に入り、セゾングループ堤清二の秘書をしていたとある。「中央区、やっぱり商業の街ですよね」と大臣は語る。祖父母や上司に連れられて、このあたりにもよく足を運んでいたのだ、と。その流れで、「さっきから気になって仕方がないんですけど」と大臣が言う。「目の前のうなぎ屋さんなんですけど、僕は鰻が大好物なもんですから、この時間になるとお腹が空いてくるので、困ったなと思っているんですが」と語り、笑いを誘っている。大臣になる人間はさすがだなと思う。その角にある「宮川」という店はうなぎ屋ではなく焼き鳥屋なのだが、「宮川」という屋号から「ああ、ここにもうなぎの『宮川』があるのか」と推察し、それを演説に取り入れる。結果的にチョンボになったとはいえ、昨日の演説とは対照的だ。

 候補者本人の演説が始まる。硬さはあるけれど、昨日よりはまだ上手だ。そして、自民党の政策立案には自分が携わっていることをアピールしている。そして「経済安全保障」について語っている。あまり聞き馴染みがない言葉かもしれないけれど、必要なものが海外にあるような状況から、日本で作れるようにしようということだと、噛み砕いて説明している。「これ、ワクチンって、皆さん、何で日本で、このコロナワクチン、作れなかったのか」と候補者が切り出す。現状ではファイザーもモデルナもアストラゼネカも全部外国の会社から買い付けて、かなりのお金を支払って、日本に持ってきているのだ、と。相手が欧米だったからよかったけど、「たとえば相手が、日本がそこまで仲が良くない国だったら、あえて、国名を言うと、たとえばですよ、中国だったら、どうしていたか。相手の国が、自分たちが必要なものを持っている、日本はそれを持っていないけど、どうしても必要だ。そうなったときに、外交は、表面的には、穏やかだけど、確実に、相手が、もし、日本に対して、さまざまな外交交渉を持っていたら、必ずそれをカードとして使います」。ワクチンを例に出したけれど、ワクチンに限らず、「そういった、いざというときに必要なものは、国内で作れて生産するような体制を作らないと、足元を見られますよ。足元をみられるだけだったらいいんだけど、これが、本当に日本の、国土や主権に関わってきたら、われわれは自分たちの子供たちや孫たちに、今の日本を残せなくなってしまう」。そう語ったところで、この日初めて、聴衆から「そうだ」と声があがる。

 この物言いだけとってみても、ぼくはこんなふうに危機感を煽る語り方をする人には投票できないなと思う(外交においてすべてが交渉材料になるのは当たり前のことで、相手がどんな国であっても生じることだから、それは「粛々と交渉してください」というだけの話だ)。ただ、聴衆に高齢者が多いことを考えると、きっと効果はてきめんなのだろう。かつての日本の繁栄を知っている世代がぼんやりと抱えているだろう、「どうして日本が開発できなかったのか」という気持ちや、中国に対する不安を掬い取っている。そして、これからは日本でもワクチンや治療薬が開発できる体制づくりが必要だという話になると、たとえばそこの××小学校に通うこどもの中で医学部に通いたいと思う子がいた場合――と、すらすらと地域の小学校の名前が出てくる。この点をとってみても、昨日の候補との差を感じさせられる。

 演説の最後を「古い言い方ですけど、男にしてください」と締めくくったことにぞっとしながら、その場を去る。千代田線で根津まで引き返し、バー「H」へ。先客がふたりいたけれど、ほどなくして帰ってしまって貸切になる。ぼくも含めて、「酒場には早い時間に行って、さっと帰る」というのが習慣になってしまった人が多いのだろうか。ハイボールを3杯。晩ごはんをテイクアウトしようと、20時近くになって「海上海」をのぞくと、お客さんの姿は見当たらなかった。テイクアウトで料理を注文し、せっかくだから料理を待つあいだ生ビールを飲んだ。