1月4日
7時過ぎに目を覚ます。身支度をして、牡蠣ごはんと、鍋の残りを味噌汁にアレンジされたものを平らげる。9時過ぎに実家を出て、山陽本線で広島に出る。新幹線改札口をくぐり、少しだけお土産を買って、ドトールでアイスカフェラテのMサイズを購入し、ホームに上がる。僕が切符を買った新幹線が発車するまで、あと10分くらいはある。実家にあった、今年読み返したいと思うかもしれない本を何冊か持ち帰ったこともあり、ボストンバッグはすっかり重くなっている。かといってアスファルトに置くのはどうにも憚られて、左手にボストンバッグを提げたまま、右手でアイスカフェラテを飲んだ。博多駅で安全確認を行った影響で、広島駅到着が3分ほど遅れる見込みだとアナウンスが流れる。あたりを見渡しても時計がなく、腕時計は左につけているせいでうまく確認できず、一体あと何分で新幹線がやってくるのかと、しばらくもどかしい思いをする。
5号車の最後列のE席を予約しておいたのだが、乗車してみると先客がいた。すみません、5号車のE席を予約されてますか?と声をかけると、先客はチケットを確認して、ああ、こっちでしたとD席に移動する。新幹線の車内では、コンテナ弁当のことを調べていた。神戸の駅弁屋「淡路屋」がコンテナ弁当というのを売り出したのだという。これがお土産にぴったりなんじゃないかと思い直し、小一時間ほどで新幹線は新神戸に到着すると、さっそく駅の売店に向かってみる。コンテナ弁当のところには当然のように「売り切れ」の札が出ていたので、店員さんに「何時頃に入荷されるか、決まっているんですか?」と尋ねてみる。1〜2時間待てば入荷があるようなら、しばらく時間を潰すつもりでいたけれど、「朝に1度入荷があるだけで、すぐに売り切れてしまうんです」と店員さんが言う。
想像以上に人気なんだなと思いつつ、地下鉄に乗り換える。行き先の「西神中央」という文字にどこか見覚えがあり、あれ、何だったっけと少し考えたところで、コンテナ弁当が販売される「淡路屋」の店舗一覧にその名前があったのだと思い出す。地図で確認する限り、そんなに旅行客が訪れる場所とも思えず、だとすれば駅弁はそんなにたくさんは売れないのではないか。これも何かの縁だと思い、終点まで地下鉄に揺られる。電車は途中で地上に出る。Googleマップを開き、ああ、僕が中学2年生だったころに報道を通じて眺めていたニュータウンはこのあたりだったのかと思う。あのとき、ニュータウン、郊外という場所が事件を生み出したのだという言説を見聞きして、そんな特殊な場所が日本のどこかにあるのかと思っていた。自分が暮らしているのは、昔からある(といって特に名前が知られているわけでもない)農村だけれども、日本のどこかには、まったく新しく作り出されたニュータウンがあるのかと思っていた。もちろん、神戸には神戸ならではの土地開発がおこなわれた歴史は少し検索しただけでも知ることができるけど、山を切り拓いて住宅地が造成されたのは、うちの近所でも(規模の差はあるにしても)よくあることだ。妙法寺という駅名もあることだし、昔から続いているお寺もある。そう考えると、あの事件に関連して、しきりにニュータウン、郊外という言葉が語られていたのは一体何だったんだろう。
西神中央駅で電車を降り、駅前のショッピングセンターにある「淡路屋」に行ってみる。が、ここでもコンテナ弁当は売り切れだった。ちょうどお昼時だったので、お昼ごはんにと「ひっぱりだこ飯」を自分用に買う。コンテナ弁当は売り切れなんですねと店員さんに尋ねてみると、そうなんです、ほんとに少ない数しか入ってこなくて、朝のうちに売り切れるんです、と店員さんが言う。駅の東側に広場があり、そこで弁当でもと思ったものの、広大な広場があるのにベンチはどこにも見当たらず、駅の西側、バス乗り場の端っこのほうのベンチに座り、ひっぱりだこ飯を平らげる。三ノ宮まで引き返し、少し街をぶらついたあと、14時過ぎにPCR検査センターへ。12 月28日、12月31日に受けた検査も陰性だったけれど、最近は移動が続いているので、東京に戻る前にも念のために検査を受けておく。ここでは感染が落ち着いているのか、他に検査を受けている人は誰もいなかった。
14時半、メリケンパークの「オリエンタルホテル」へ。普通のビジネスホテルだと、ちょっと早くても清掃が終わっていればチェックインさせてもらえることもあるけれど、こういうかっちりしたホテルだとそうもいかないようだ。ロビーにあるベンチに座って休んでいると、バイキングをやっているレストランで食事を終えたお客さんが、スタッフに見送られている。きっと常連客なのだろう、「今度なんかご馳走したらんとな」とスタッフに語りかけていて、すごいなあ、そんな世界が存在するのだなあとぼんやり眺めていた。チェックイン時刻の15時になり、フロントに向かうと、長蛇の列ができている。10分ほど並んで手続きを終えて、部屋に向かう。
岸壁でお酒を飲んでいるとき、いつもこのホテルが見えていた。今回、東京に戻りがてらに神戸に一泊しようかと思いついたとき、何気なくこのホテルの料金を調べてみると、あまりお客さんが宿泊しない時期だったのか思ったより安く、1泊1万円以下で宿泊できるようだった。ただし、じゃらんから予約すると、部屋の向きは選べず、どきどきしながら部屋の扉を開けると、ベランダの向こうには神戸の山々が見えた。普通は反対側(海向き)の部屋が人気なのだろうけれど、個人的にはこっち向きの部屋のほうが嬉しい。眼下にメリケンパークがあり、ポートタワーがあり、神戸の街並みが広がっている。岸壁の様子も、どうにか見える。しばらくベランダに佇んで、風景を眺めていた。
16時過ぎにホテルを出て、ハーバーランドでレンタサイクルを借りる。スマートフォンで操作して借りられるレンタルサイクルだ。自転車をこいで、まずは松尾稲荷神社に行ってみる。賽銭箱に100円を投じ、境内をしばらく眺めたあと、マンションの工事が進んでいる様子を眺める。商店はまだどこもお休みだ。どこかで小腹を満たしておこうと、高速道路の下を走る国道2号線を越えて自転車をこぐ。すぐに新開地という地名が目に入ってくる。しばらくまっすぐ走ると、また大きな道路を超える。地元の人たちは自転車に乗ったまま移動しているけれど、ところどころで「自転車は降りて通行してください」と書かれた看板が目に入るので、押して歩いていると、たこ焼き屋さんが目に留まる。軒先に「新開地名物 だしソース」の文字が目に留まり、あ、日記で読んだのはここだったっけと思い出し、自転車をとめる。名物と書かれていることもあり、まずはここからと、だしソース6個入りをテイクアウト。そのまままっすぐ通りを進んでいくと、ああ、ここも名前に見覚えがある、「ふく井」という立ち食いの店があり、その先に広々とした公園が見えてくる。観光客として電車と徒歩で移動しているのでは掴みきれない距離感に少しだけ触れたような心地がする。
ここで自転車を止めて、ベンチに座り、パックを広げる。これは――どうやって食べるものなんだろう。たこ焼きにはソースがかかっている。それとは別に、だし汁が入った器がある。もちろんたこ焼きを出汁につけて食べるのだろうけれど、そうするとソースがとれてしまうのではないか。とりあえず、最初の2個はソースだけで頬張り、出汁は出汁だけで啜る。どちらもうまい。3個目からはたこ焼きを出汁につけて食べてみたけれど、その奥深さはまだ把握できていないように思う。もう暗くなり始めた公園で、ちびっこがお互いの名前を叫びながら駆け回っている。初めてこの公園を訪れたのは2年前、どんなふうに書評しようかとぐるぐる考えていたときだった。あのとき、どういう経路でここに辿り着いたのだろう。Googleで検索すると、さっきの神社までも20分くらいの距離だから、歩いてきたはずなのだと思うけれど、途中の商店街の風景はあまり記憶に残っていない。前日に坪内さんが亡くなったという知らせを受けたからだろうか? 記憶に残っているのは、新開地駅3番出入り口あたりの風景と、「丸萬」という酒場の佇まいと、行きあたったところにあるたこ焼き屋さんと、あとはここ湊川公園だ。公園以外の場所は、まっすぐ直線で繋がれているけれど、公園は少しそこから逸れている。どうしてあのとき、公園に立ち寄ったのだろう。その広々とした公園を歩いているときに、K社のSさんから電話がかかってきて、追悼文を書いてもらえないかと依頼があったのだった。その依頼をきっかけに何度かやりとりした経緯がなければ、水納島のことを原稿に書く機会は持てないままだったかもしれない。
せっかくだから「ふく井」でも何か食べていこうかと思ったけれど、さすがに満腹になってしまうのでやめにする。同じ道を引き返すのではなく、大通りに出て自転車を走らせる。歩道を走り、車道にある横断歩道を渡り、また歩道に戻る――それを繰り返しているうちに、段差の大きさに気づく。自転車で走っていると、路面の状態が悪くてがたがたすることは割合よくあることだけれども、舗装の状態が悪いというのでもなく、横断歩道(車道)か歩道への継ぎ目のところが、くっと勾配が大きくなっていて、歩道にあがるたびにがくんとなる。他の街に比べると、歩道が高くて、勾配があるのだろうか。もしもカゴに荷物を入れて走っていたら、飛び出してしまいそうな気もする。
国道2号線を海側に越えられず、ずっと東に進んでいるうちに、ホテルオークラの前にたどり着く。BE KOBEそばの駐輪場にレンタルサイクルを駐輪したあと、一度ホテルに戻り、お土産を持って再び出かける。自転車をピックアップしようとしたところで、駐輪場に「バイク専用」と書かれていることに気づく。ハーバーランドの駐輪場に自転車を返却し、umieで買い出し。一階の酒売り場で福壽の小瓶を買い、2階のカルディを覗いてみるも外で飲むときのツマミになりそうなものは見つけられず、1階のファミリーマート。レジに並ぶ時は「ここに並んでください」という印が床に描いてあるタイプのコンビニなのだが、高校生くらいの二人組が、微妙な位置に並んでいる。なんとなく、まあ、先に買い物を済ませてもらおうと、カゴを持ったまま微妙な距離感を保ち、「お待ちのお客様、どうぞ」と店員に呼ばれ、二人組がレジに向かったところで「ここに並んでください」という場所に立つ。レジに立つ店員さんは、僕の動きを把握していたようで、会計する前と会計したあとに二度、若者たちに「今度から並ぶときは所定の位置に並んでください」と注意していて、なんだかこちらが申し訳なくなる。
岸壁でHさんと待ち合わせ。今の時点で2℃、このあと1℃になる予報だから覚悟はしていたけれど、さすがに冷える。ただ、それでも岸壁には散策する人たちがちらほらいる。コンチェルト号の近くに腰をかけてみると、まわりにゴミが散らばっているのが気にかかり、それを無視して座っているのもどうだろうかと、拾っておく。ほどなくしてHさんがやってきて、風が当たりづらい場所を案内してもらう。今度のトークイベントは観客ありなのかとHさんに尋ねられる。これからの時代、トークイベントをしながらどうやってお酒を飲むか。マスクをアゴにずらすのも微妙だし、いちど外して飲んで、またマスクをつけて、とやっているとモタモタする。そのひとつの解決策として、Hさんはストローを持ってきてくれていたので、お酒を飲みながら滞りなくトークイベントを開催できるようにと、マスクの下からストローを入れて、ちびちびビールを飲んだ。最初のうちはうまく距離感が掴めなくてもたついていたけれど、岸壁で数時間飲んでいるうちに、コツが掴めてくる。
Hさんはお土産にお寿司を買っておいてくれた。巻き寿司と、あなご寿司。どちらもおいしい。それとは別に、松前寿司というのもあって、「これは一本食べるとくどいから」と、半分ずつ分けていただく。「松前」という名前から連想されるのは松前漬けで、何か漬け込んだお寿司なのか、あるいはちょっとなれ寿司っぽいものかと少し身構えていたけれど、おいしい鯖寿司だった。お店の名前を忘れないようにと、包み紙はトートバッグに閉まっておく。いろんなことを話したけれど、文章を書くということは、誰かにメッセージを発信するということでもなく、誰かとわかりあうということでもなく、ただひとりきりであることだと、改めて感じる。23時過ぎに立ち上がって、少し歩く。ホッカイロの中身が散乱していた。Hさんと別れてホテルに引き返し、夜景を眺めながら缶ビールを飲んだ。きっとスケートボードをしているのだろう、暗闇の中、小さな影が動いているのが見えた。