3月7日

6時過ぎに目を覚ます。洗濯機を回し、この10日近くちびちび読んでいた大竹聡『ずぶ六の四季』を読んで思ったこと、読む手をとめたところのこと、noteに書く。版元から献本をいただいたから――ということでは全然なく、読み始めたときからずっと、この本を読んで感じたことは自分なりに言葉にしておかなければという思いに駆られていた。

 

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 書ききれなかったのは、「なみだのホッピー」(p.142)を読んで思ったこと。その回は、市ヶ谷の居酒屋の店主から閉店を報せるメールが届いたところから始まる。そこは「かつての勤め先」にほど近いお店で、「足しげく通ったのは二十代後半の一時期、ざっと数えて三十年前」だ。市ヶ谷を離れてから10年ほど顔を出さない期間があったが、「それから後は一年に一度くらいのペースでがらりと扉を開けたが、ここ数年、ご無沙汰していた」。

 久しぶりに扉を開け、挨拶をする著者に、「皮肉だよ。やめるって挨拶したら、予約でいっぱい」と店主は笑う。6時になるとお店は混み始めて、大将は休む暇もなくなり、「私はただただ、黙々と飲む」。

 

 私にとってこの三十年はあっという間だったが、眼はかすむし、身体はガタガタ。それでも、手羽先の肉の内側から、ニンニクを利かせた餡が出て来ると、いつも腹を空かせていた若い頃の記憶が蘇る。塩をふった明日葉の天ぷらをぱりぱり食べる。ホッピーを飲む。手羽餃子にかじりつき、ホッピーを飲む。おセンチで恥ずかしいが、涙堪えて、ホッピーを飲むのだ。

 

 僕は「再訪」という言葉を使いがちで、新しい場所を「開拓」するよりも、すでに訪れたことのある場所を「再訪」することのほうが多いけれど、それでもやはり限界があって、住んでいるわけでもない町/街に足を運べる回数はごく限られている。「あのバーに歩いて通えるというのも、今住んでいる場所に引っ越す理由の一つだった」と名前を挙げることのあるバーにだって、そこまで頻繁に通えているわけではないし、ここ2年は足を運ぶ頻度がさらに少なくなっている。でもそれは、「自分はこの店と添い遂げると決めたから、365日ここに通うんだ」と決めない限り、どこかで「ご無沙汰」するタイミングが生じてしまう。

 坪内さんは、閉店が決まってからお店に足を運ぶのははしたないことだという考えの人だった。この本には坪内さんの名前も出てくるから、そんなことも考える。移り変わってゆくこと、なくなってしまうものに対してどういう立場でいるのか。答えが出ないまま、ぐるぐる考えているうちにお昼過ぎだ。サッポロ一番塩らーめんにニラ・もやし・豚バラ炒めをのっけて平らげ、ちょっといいシャツにスチームアイロンをかけて皺を多少なりとも伸ばし、地下鉄を乗り継ぎ音羽へ。約束の時間の5分前に到着し、受付でプレートをもらって最上階の応接室に上がり、インタビューを受ける。取材し、書く上での姿勢というのが話の中心で、僕みたいなもんがこんな応接室で自分の話をしていて大丈夫でしょうかとそわそわする。このあたりはもうちょっと、堂々としなければ駄目だ。

 取材後、今後計画しているふたつのトークイベントについて打ち合わせというか報告というかをして、16時半に発つ。地下鉄で東池袋に出ると、再開発の工事がまた少し進んでいる。iPhoneで写真を撮りながら歩き、「古書往来座」へ。新入荷の棚にある田中小実昌を数冊買い求める。終点をテーマにしたルポルタージュ、こないだ思いついたばかりだけど、結構面白いんじゃないかという気がしている。まだ出会っていなかったどこかに出会う入り口にもなりうるし、久しぶりにいろんな場所をめぐるきっかけにもなりそうだ。そうしてぶらぶら歩きながら書く原稿をどんなふうにするか、考えるための栄養素として、田中小実昌の本を買った。

 帰りに三省堂書店にも立ち寄る。『水納島再訪』、少し配置が変わり、『海をあげる』の隣に平積みされている。数日前にamazonの本部門で「終点」と検索したところ、フィクション以外でヒットしたのは宮脇俊三『ローカルバスの終点へ』と、バス専門誌を創刊された方のバスの終点をめぐる本が2冊ヒットした程度だった。河出文庫の棚で、『ローカルバスの終点へ』、『終着駅』、『終着駅へ行ってきます』の3冊買う。そうか、「終着駅」では検索していなかったけれど、そのフレーズだと他にも何冊か出てきそうだ。西武の地下で「母家」の焼き鳥をテイクアウトし、山手線に乗る。さっそく『終着駅』を読み始める。没後に単行本未収録の原稿を集めて出版されたもので、その中に「終着駅」のタイトルで連載していたものがあり、この題名になったようだ。その最初の原稿は、稚内の話だ。ただ、稚内の街の成り立ちや、その現在、そこに流れている時間といった方向ではなく、描かれるのはやはり旅情だ。バス専門誌を創刊された方の本の紹介にも「旅情」という惹句があり、これなら書く内容がかぶることはないだろう。最近出した2冊の本を経て、今はそこに流れる時間を書きたいという気持ちが強くなっている。

 日暮里で電車を降りて、日が暮れたあとのやなか銀座を歩く。「E本店」はお店の改装工事に入っており、向かい側にある週貸し店舗で臨時営業を始めている。表で角打ちのように飲めるのは変わっていないので、生ビールを1杯飲んだ。よみせ通りを右に折れて、しばらく進み、おしゃれな花屋さんへ。ここならきっと、今日にはミモザがいくつか並べてあるんじゃないかと思ってみたら、やはり数種類並んでいる。どれにしようかと迷っていると、お店の方が声をかけてくださって、まだ並べてないんですけど、イタリア産のミモザも、と言う。僕が3月8日は国際女性デーで、誰でも手に入れられる花を飾ろうということで「ミモザの日」となったと知ったのはフィレンツェに滞在していたときだったので、迷わずそのミモザを買い求める。

 「I本店」で墨廼江と西条鶴を、最寄りのコンビニで角瓶を買って、両手がふさがった状態で家にたどり着き、知人に玄関を開けてもらう。郵便受けには『群像』最新号が届いている。さっそくぱらぱらめくると、石原慎太郎西村賢太への追悼文が掲載されている。さっそく阿部公彦「西村さんが「やばかった瞬間」」を読むと、こんな言葉に出くわす。

 

 私の中では西村さんといつも結びつくのが坪内祐三さんである。明治・大正の文学に通暁し、圧倒的な読書量と記憶力をお持ちの二人は、明らかに文学趣味の方向も重なるが、それよりも重要なのが、二人とも屈指の癇癪持ちだったことだ。

 

 どこかひっかかるものを感じながらも読み進めると、「亡くなる数週間前に起きた大噴火は私は見ていないが、佐久間文子さんの『ツボちゃんの話――夫・坪内祐三』によれば、「大人があんなに地団太を踏むのを初めて見ました」と居合わせた学生が驚嘆するほどのものだった」と書かれている。僕はその場に居合わせているはずだから、「亡くなる数週間前」という言葉が浮いて見える。学生のひとりが「大人があんなに地団太を踏むのを初めて見ました」と漏らすほどの「大噴火」は、あの日の出来事を指していたはずだよなと、『ツボちゃんの話』を取り出し読み返す。やはりそれは、2018年5月8日の還暦の誕生日の出来事だ。坪内さんが亡くなるのは2020年だから、「亡くなる数週間前」ではなく、「亡くなる数年前」だ。

 こんなふうに書くと、自分はその場に居合わせていたことを特権化しているようにも思われそうだけれど、当然そんなつもりはないし、僕も何かを勘違いしたまま書いてしまうことはある。坪内さんも「誤記憶」を大切にする人だった。ただしそれは、「誤記憶」も含めて記憶であり、間違えやすい誤りだとか、その誤記憶の向こう側に文脈が見えることを楽しむ人でもあった。ただしそれは、いい加減な記述を許容するということではない(そこで思い出されるのは、映画『マイ・バック・ページ』を批判していたこと)。

 この誤りは、どういう誤りなのだろう。「「大人があんなに地団太を踏むのを初めて見ました」と居合わせた学生が驚嘆するほどのものだった」という言葉は、「地団太」というフレーズの表記も含めて、『ツボちゃんの話』にある通りだ(このことを反射的にツイートするとき、僕は「地団駄」と誤変換してしまっていた)。だから、『ツボちゃんの話』を参照して書かれたことなのだろう。だとすれば、その同じページに「2018年」の「還暦」のときのこととして書かれている。なのに、どうしてこんな誤りが生じてしまったのだろう。

 そんなことを考え始めると、ひっかかる箇所が増えてくる。この追悼文は「一回、いや二回だろうか。すると、「いや、三回ありましたね」と言われた」という書き出しになっている。西村さんの講演会が開催された日、打ち上げを終えて西村さんを見送ったあと、筆者は編集者から「今日の西村さんはけっこう“やばい瞬間”がありましたね」と耳打ちされる。この追悼文によれば、著者は「そうですか? 何回くらい?」と返している。だとすれば、この段階では「やばい瞬間」があったことを察知できていなかったということになる。それに、担当編集者のいう「三回」のうち、2回は筆者が居合わせていなかった場面だし、残る1回も「ぜんぜん気がつかなかった」とある。その上で冒頭の「一回、いや二回だろうか」という言葉を読み返すと、これは一体どういうつもりで書かれた書き出しなのだろうかと思ってしまう。

 そもそも「屈指の癇癪持ち」という言葉も引っかかる。それを言うなら、「西村さんと坪内さん。癇癪持ちの二人に共通するのは、文章にデリケートなリズムがあることだ」という一文も。物書きであれば誰しもリズムについては意識しているはずで、ただし西村さんも坪内さんも、「デリケート」という、神経質という感触のする言葉がふさわしい感じではないという気がする。何より思うのは、「明らかに文学趣味の方向も重なる」というのは不正確だということ。試しに『本の雑誌坪内祐三』を本棚から取り出して、ふたりの対談を読み返してみる。明治・大正の作家たちについて、縦横無尽に語り尽くしている。ここまで固有名詞とその文脈を共有しながら話せるのは、ごく限られた人たちだけだろう。ただ、ところどころに、微妙な温度差がある。

 

西 むしろ女性の作家のほうがモテてたというか奔放なのが目立ちますね。宇野千代とか真杉静枝。ただ、真杉静枝なんて小説は一つも面白くないでしょう?

坪 いやあ……ただ男のタイプは全然違うよね。

 

西 借りまくって書かない作家は、本当にクズだと思いますね。たとえば大坪砂男。ただでさえ寡作なのに、さんざん借りまくって。しかも編集者を誘い出してはメシをたかって、書くって約束しても書かない。

坪 ただ、大坪砂男は本当に凝り性というか。書こうって気持ちはあるんだよね。だから当時の編集者が大坪砂男のことを書くと、わりといい思い出になってくる。

 

 このあたりに、微妙な温度差を感じる。前者の「いやあ……」という言葉に含まれている文脈をぼくは読み解くことができないけれど、後者については、この対談のテーマにもなっている「ダメ人間」とは何であるのか、何をもって「ダメ」とするのか、ふたりの微妙な違いがにじんでいる。こういうところはあまりにも重箱の隅をつついているように思われそうだけれども、読書傾向が重なっていて、縦横無尽に語り合えたとしても、やはりひとつひとつの作品に対する態度は文学者ごとに違っているはずだ。それを読み解くのが文芸評論家なのではないか。