3月8日

 5時過ぎに目を覚ます。かすかに雨の音がする。天気予報のアプリだと、雨だなんて言っていなかったのになと、出しっぱなしになっている自転車が濡れている様を想像する。ジョギングは諦めて、たまごかけごはんを平らげ、コーヒーを淹れ、風呂に湯を張る。湯に浸かりながら、川上未映子『春のこわいもの』を読み始める。そのうちお昼になり、風呂から一度上がってサッポロ一番塩らーめんを作って啜り、また湯に浸かりながら読書をする。毎日の中にある、ほとんど言葉にされることもなく消えていく感慨、気分、雰囲気、生きていることへのなぜ、取り返しのつかなさ、いつか訪れること、過ぎていくものの不確かさ。印象深い箇所に出会うたび写メに取り、すぐにその行を読み返せるようにしておく。

 

「うまく言えないんだけど」彼女は言った。「書いてしまうと、残ってしまうから」

「残るって?」

「うまく言えないんだけど」

「うん」

「一度書かれたものは、どうしたって」

「うん」

「残ってしまうから」彼女はしばらくして、つぶやくように言った。

「わたしは、それがとても怖い」

 

「ブルー・インク」まで読み終えて、残りはあと一篇だ。それは50ページ以上あるようだから、これは風呂から上がって読むかと思いながらも最初の数行を読む。それは久しく連絡を取り合っていなかった「親友」から連絡があり、動揺する場面から始まっている。ふいに高校の同級生を思い出す。上京してからも、よく一緒に遊んでいた同級生がふたりだけいて、そのうちひとりとは大学卒業後は疎遠になったものの、SNSでは繋がっていた。もうひとりとは、大学卒業後もしばらくのあいだは連絡を取り合っていたのだが、連日何時間も残業を求められるような業界に就職したこともあり、あるときからぷつっと連絡が途絶えた。その友人はSNSの類を一切やっておらず、たまにネットで名前を検索してみても何一つヒットすることはなかった。

 その友人のことを久しぶりに思い出し、何気なくTwitterで検索してみると、1件だけツイートがヒットする。えっ、と動揺しながら詳細を確認すると、今週末に開催されるトークイベントの告知ツイートで、就活生向けの業界案内的なイベントが開催され、その聞き役として友人の名前が掲載されていた。写真も添えられており、間違いなく友人である。聞き役のプロフィールとして、現在どんな仕事をしていて、前職はどんな仕事だったのかも書かれてある。それは僕が連絡を取り合っていた頃の勤め先とは別種の業界で、動揺したまま身支度をして、14時58分にYMUR新聞社へと向かう。

 久しぶりに訪れたビルの1階で待ち合わせ、新聞社とはまた別の会社の編集者の方。隣のビルの地下にあるカフェに入り、初めましてと名刺交換をする。打ち合わせというよりも、今後なにかやれたらと、とりあえずお茶でもという話になった(本当は『東京の古本屋』を出す前に最初の連絡をいただいていたのに、バタバタしているうちに春になってしまって申し訳ない)。個人的には「RK新報の連載を本にする」というのが目先の課題としてありつつも、「こんな企画を『いつかやれたら』とぼんやり考えてます」というアイディアを事前にふたつお送りしたところ、編集者の方はそのひとつに反応してくださったようだった。話の流れで、市場の本や島の本はどうしても場所が限られた話になると思うんですけど、ドライブインや古本屋はもっと広がりがあるような印象があって、そちらの路線でご相談できたら、という話になり、あれこれ話す。そっか、そこに線を引く読み方もあるのかと思う。個人的には最新刊がいちばん広がりがあると思っているけれど、それを今このタイミングで伝えると、なんだかムッとして反発しているように受け取られかねないので黙っていた。

 16時45分にカフェを出て、丸の内線に揺られて新宿に出る。今日は知人が少し遅くなると言っていたので、新宿で軽く飲むことにした。丸の内線で大手町から銀座に移動すると、遠回りしているように感じるのはなぜだろう。17時10分に思い出横丁「T」を覗くと、先客がひとり。サッポロの瓶ビールを注文し、一口飲むと、アルバイトの子を含めて干支の話題で盛り上がっている。ここでアルバイトしているのはミャンマーの子で、ミャンマーには干支がなく、かわりに(?)生まれた曜日ごとに動物が決まっているのだという。月曜はタイガーで、火曜日はライオン。話を横で聞いていたけれど、自分が何曜日に生まれたかだなんて、気に留めたこともなかった。

「日本人はすぐに離婚するから驚く」と、アルバイトの子が言う。「違う違う、それはミャンマーに比べれば女性が自立してるからだよ」とマスター。「日本でも、地方に行くと女の人は経済的に男に頼らざるをえないってケースはいっぱいあって、離婚したくても離婚できないって人はいっぱいいるよ。だから、ミャンマーでももっと教育が進んで、女性が自立できるようになったら、離婚しても何しても、自分で好きなように生きていける人は増えると思うよ。でも、そうなってほしくない男っていうのも世の中にいて、女性が自立できないように仕向けようとするんだよ」。今日は3月8日だということを改めて感じながら、瓶ビールを追加する。

 ひとり、またひとりとお客さんがきたところで会計をお願いする。靖国通りを歩くと、これから飲みに出かけるのであろう若い人たちが、たのしそうに歩いてる。その浮かれた感じに、なつかしさと、隔たりを感じる。新宿3丁目「F」へと階段を降りると、僕が口開けの客だ。ママのHさんは怪我をして(その知らせはメールで受け取っていた)、まだ大事をとってお店には出ていないようで、週の前半は僕と同世代のBさんがひとりで店を切り盛りしているようだ。大竹さんの本が面白かったという話をしながら、キープしてある焼酎のボトルでお湯割を作ってもらう。どうする、梅干しとか入れる?と聞かれ、ああ、ぜひ、とお願いする(『ずぶ六の四季』のラストには、このお店とおぼしきところで梅干しをかじりながら飲む話が綴られている)。

 Bさんは最近、自分よりひとまわり以上若い世代と話す機会があったらしく、その人たちがマネタイズがどうのという話しかしなかったことに衝撃を受けたと話していた。それは大事なことかもしれないけど、それより先に、もっと話すことがあるんじゃないのか、と。気づけば自分も(Bさんも)40歳になる。自分たちが二十歳そこそこだった頃に、初めてこのお店に連れてきてもらったときには、なんて大人な世界があるんだと緊張したことを思い出す。それはきっと、「大人だ」と感じさせる価値観をまとった人たちがいたからで、自分はまだまだそんな存在にはなれていないなと思う。梅干しをちびちび齧り、途中でお湯わりのグラスに投入して湯割りを飲みながら、Bさんとふたり、ちゃんとおじさんになろうと語り合う。