2月13日

 昨晩は2時近くまで眠れなかった。7時過ぎに目を覚まし、洗い物をして、知人のためにコーヒーを淹れ、燃えるゴミをまとめておく。「早起きして仕事に行こうかな」と言っていた知人は、8時過ぎても一向に起きてこなかった。緊張しているせいか思ったほど空腹感もなく、シャワーを浴びて歯を磨く。念入りに磨く。知人はまだ眠っていて、今日は家で仕事をしようかと布団の中で言う。「タクシーアプリ「GO」でタクシーを呼んで、9時に病院に辿り着く。9時から診察開始の病院なので、入り口には少し行列ができている。この時間でも「会計」のところでやりとりしている人がいて、なんでこんな時間帯にと思っていたけれど、そうか退院する人たちかと気づく。1週間後の自分の姿だと思って、じっと見る。どのタイプの痔かわからないけれど、特におしりをかばったような動き方をする人はおらず、少しほっとする。今日の朝起きてからは、痛みのことより、退院後の生活のことが気にかかっていた。退院の日に観劇の予定があり、6日後には北海道行きが控えている。

 血圧を測り、保証預け金みたいなのを支払って、診察を受ける。執刀医ではない、若手の先生の触診。特に痛みもなく終わると、看護師の方とトイレに行き、浣腸を施される。浣腸を挿され、「はい、肛門に力淹れてくださいね」と言われ、頑張れ俺の肛門括約筋、と思いながら力を入れる。薬剤(?)の投入が終わると、立ち上がるように指示され、便意が来るまで立っていて、便意が来たら普通に排便するようにと指示される。あんまり早くに催してしまうと、浣腸の効果が不十分で手術に支障をきたすのではないかと不安になり、なるべく我慢する。さっき浣腸を受けた台には、スポーツ新聞が敷かれてある。「立民は沖縄の声を聞いたのか」という見出し。浣腸の影響でお腹がぐるぐるして、切ない気持ちになる。

 ひとしきり排便を終えると、待合室に戻る。おそらく今日から入院するのだろう、小型のキャリーバッグを持った同世代ぐらいの男性が並びにいる。僕はといえば、これからの手術に怯えて診察時に手渡された「入院中の流れ」と「腰椎麻酔について」みたいな書類を、なにかおそろしい通知のように熟読し、「腰椎麻酔 痛み」だとか調べてしまっているのに、となりの人は普通に携帯電話をいじっている(ように見える)。自分は深刻に考え過ぎているのだろうか。診察のときにも、若い医師に「術後の鎮痛剤は、あくまで痛みを感じ始めたタイミングで飲むものなんですか(それとも麻酔が切れて痛みが出そうな時間帯に飲んでおいたほうがよいのか)」と尋ねたときに、その若い医師は一瞬とまり、「そうですね」とだけ答えた。その間は、そのぐらいの質問を医者にしてくるなよ、という間に感じられた。けつの穴が小さい、という言葉が思い浮かぶ。けつの穴の病気である。

 やがて看護師に引率されて、病室に案内される。案内された部屋は3人部屋で、これが大部屋らしかった。10年前に入院したのはいかにも「大部屋」という感じだったけど、今回のはかなりゆったりとベッドが配置され、ベッドの隣にテレビと冷蔵庫がセットされた小さな棚と、クローゼットのような箱もあって、小さなテーブルもある。これなら快適だ。明日から飲む薬と、術後に股間にあてるナプキン、それに明日から飲む整腸剤の説明を受け、手術着を手渡される。最初に案内されたときは空だった病室に、あとからもうひとり入居者がいた。貸切である必要はまるでないけれど、先に入院していた人――先輩風を吹かすような人がいたら面倒だなと思っていたので、ほっとする。

 スーツケースを広げ、荷物を部屋に配置する。暗い気持ちになったときに視界に入ると明るい気持ちになれるものをと、あるくまくんを持ってきた(知人によく似ている)。10時半になるとナース(看護師と打つよりこっちのほうが早いと今気づいた)がやってきて、点滴用の管を刺される。顔は前回も(そして今日も)見ていないけれど、腕を見て、ああ、こないだ検査の時に点滴を打ってくれた人だと気づく。「これ、明後日までさしっぱなしですので」と言われ、なんかもっとうごいておけばよかったかなと思ったけれど、まだ管が刺されただけで、特に不自由があるわけでもなかった。ここで痛み止めの薬も配られる。不安なので、この薬はどれぐらいで効きますかと尋ねると、うーん、これ、なかなか効かないんですよねとナースが言う。でも、痛みが出始めるまで飲むのは我慢したほうがいいですかと質問を重ねると、「だいたい手術が終わって2時間ぐらい経つと、足が動くようになってきて――でも、最初から動く方もいるので、そうですね、手術が終わって大体2時間から2時間半ぐらい経ったところで飲んでいただくと」と教えてくれる。ただ、痛み止めをまったく飲まない人もいるのだそうだ。一縷の望みを託して、「じゃあ、そんなに痛いってわけでも――?」と聞くと、「個人差もありますけど――でも、肛門は結構痛いです」と言われる。ですよね、と思いながら話を終える。ナースの方は、同じ業務を同室の患者に施している。管を打たれるときに、隣の患者が「痛いの嫌なんで、抜けないようにしないと」と言って笑い合っているのを見ると、自分はコミュニケーション能力がないように思えてくる。

 水が飲めるのは11時までで、術後は点滴が2本うち終わるまで飲めないそうなので、今のうちに飲んでおく。手術の順番はお昼頃に決まると言われ、ぼんやりした時間が流れる。術後に動画を観たりラジオを聴いたりして気を紛らわせられるようにと、ケータイとAirPodsをしっかり充電しておいたのち、いくつかメールを返し、ウェブ連載の原稿を書く。原稿を書いていれば気が紛れるからか、あるいは他にやることがないからか、思いのほか捗る。

 正午近くになって、入院中の患者に「お食事の用意ができました」とアナウンスが流れる。ふしぎと空腹感はなかった。しばらくしてナースがやってきて、僕と同室の患者が1番目に、僕が2番目に手術を受けることが知らされる。1番目の人は13時25分ごろまでに、2番目は13時30分ごろに迎えにきますと案内がある。この日の手術は全部で3件だそうだ。まだちょっと、大腸に便が残っている感じがするんですけどと伝えると、「どうぞ」と病室のトイレを手で示される。ただ、手術までに出せるかどうか自信がなく、「出しきれなかった場合、手術に支障が出たりとか――」と尋ねたところ、「ああ、別にだいじょうぶですよ」と言われてほっとする。

 13時過ぎたあたりからは、さすがに原稿を書いていられなくなってくる。術後に部屋に戻ってきたときを想定して、部屋の配置をあらためて整えておく。部屋を離れる際は、貴重品ボックスに貴重品をしまって鍵をかけておくようにと言われていたけれど、真っ先に音楽が聞きたい気がするので、枕の下にケータイとイヤホンを隠しておく。便は出そうになかった。しばらく体を動かせないかもしれないなと、無駄に腰を捻ってみたりしていると、ナースが笑い合いながら「もっと早く言ってよねえ」と言っているのが聞こえてくる。ひとりが自分の病室に入ってきて、「オペの時間がちょっと遅れるみたいです」と言う。予定より10分遅れで、同室の患者がよばれていく。その5分後に僕も呼ばれて、エレベーターで手術室のある3階に降りていく。「その『手術中』のランプがついてる部屋です」と告げられ、部屋に入り、ソファに座るように案内される。膝に毛布をかけられて、「しばらくお待ちください」とナースはどこかに去っていく。部屋の外から、医師と患者が言葉を交わすのが聴こえてくる。どうやら麻酔を打ち始めたようだ。

 「おねがいしまーす」と、小さな声で言い合うのが聴こえてくる。オペが始まったのだろう。どれぐらいで終わるんだろうか。両手を頭の上に置いて――こういうときは何を考えていればいいんだろう。自分の好きな音楽でも聴いていたい。何か頭の中でBGMを流そうと思って浮かんできたのはDragon Ashの『Deep Impact』で、途中までは脳内で再生できていたのに、ラップだから途中でわからなくなり、頭の中で流れていた音楽もやんでしまった。死刑囚のことを想像する。去年読みあさった資料のこと、『最後の学徒兵』の中に記されていた、戦犯として死刑が決まった兵士たちの巣鴨プリズンでの日々のことが甦ってくる。「たかが手術を受けるだけのことと、死刑とを一緒にするな」と激怒されるのはわかっているけれど、こういう状況になってみると、自分で決められることはなにもなく、ただ受け身であることしかできない。何分後に自分の番がくるのか、その手術がうまくいくのか、術後はどれぐらい痛みが出るのか、僕が左右できることはほとんどない。頭の上に両手を置いて座っていると、手術技を着たナースが入ってくる。僕がよほど青い顔をしていたのか、「何かあったら、この扉の向こうにいますから、遠慮なく声かけてくださいね」と言われる。

 ずいぶん長い時間が経ったように感じる。ほどなくして医師が患者に語りかけるのが聴こえてくる。「ここと、ここにあるいぼ痔を切ったから」と説明している。はあ、いよいよ自分の番がやってくる。名前を呼ばれ、案内されたのは、さきほどナースが「この扉の向こうにいますから、遠慮なく声かけてくださいね」と言っていた部屋だ。いやいやそんな部屋に声かけられないだろうと思いながら、歩いて手術室に入る。ドラマのセットみたいだ。羽織っている服を脱ぐように言われ、紙パンツ一丁なって手術台の前に立たされる。その周りに手術着姿のナースや医師がいる。あまりにもシュールだ。まずは手術台に座らされ、背中を丸めた姿勢になる。医師が背骨の出っ張りを確認し、かなり広い範囲を、何度も丁寧にアルコールで拭う。なにかの儀式を受けているかのようにも感じる。

 たっぷりアルコールで消毒されたあと、麻酔を打たれる。瞬時に何かが染み渡っていく感触があり、すぐに腰から股間が、そして足先が痺れてくるのを感じる。手術室には音楽が流れていて、今はスピッツの「チェリー」だ。背中を丸めたままの姿勢で、麻酔が行き渡るのを待っていると、サビに合わせて若い医師が足をパタパタさせているのが見えた。曲のセレクトは、患者の世代に合わせてくれているのだろうか。だとしたら少しはリラックスできるかもなと思っていたけれど、次の曲からはまるで知らない曲ばかりだった。ほどなくして麻酔が行き渡ったのか、執刀医が入ってきて、手術に向けて手術台に腹ばいに寝かされる(寝かされると言っても、全身麻酔ではないので、自分でよたよたと腹ばいになる)。頭の位置が高く、足が下にさげられている。足は肩幅より気持ち広めに開かれている。スキージャンプみたいな体勢だ。「おねがいしまーす」と周囲の人たちが口々に言い、手術が始まる。執刀医から、モニターを見るようにと言われる。肛門がアップになって映っている。目が悪くてよかったなと思う。ここに瘻菅ができてて、これはもう切らないと治らないから、切っていきますねと執刀医が言う。その箇所を指で押される。押される感じだけはあるけど、痛みもなにもないままに、びゅっと膿なのか液体が押し出される。目が悪くてよかった。頼む麻酔よちゃんと聴いていてくれ、と思ったが、(どうやら)メスが入り始めても、特に感覚はなかった。ただ、身体は動く。なるべく身体が動いてしまわないようにと、神経を払う。途中でまた医師からモニターを見るように言われ、見るふりだけしようと顔の角度を変えると、画面の中に真っ暗な暗闇が見えて、あれ、これは肛門のあたりをべろんと切開してめくられているんだろうかと動揺する(実際のところは、麻酔で肛門括約筋が弛緩していただけなのだろうけど)。ここが瘻管だから、今から切ってくからと言われ、「はい」と答えるのが精一杯だった。リラックスしようと深呼吸すると、自分の身体も動いてしまう。それで手元が狂わないだろうかと不安になりながら、どうか執刀医の先生よ、あなたのベストパフォーマンスが発揮されますように!と祈る。祈ることしかできない。執刀医の先生よ、朝9時過ぎに診察室からケータイを手に病院の外に出ていき、薄着のまましばらく話し込んでいたけれど、どうか万全のコンディションでありますように、と。

 手術室には嫌なにおいが立ち込めていた。ぼくの肌が焼かれるだかなんだかしているにおいなんだろう。どうやら切除は無事終わったらしく、執刀医が僕の顔があるほうに回ってきて、はい、これが切除した瘻管ね、と近くまで持ってくる。こればっかりはメガネをかけておけばよかったなと思う。裸眼だからはっきりとは見れなかったけど、サイズ的にもやきとんか何かの部位のようだった。この執刀医はGoogleマップの口コミで対応の悪さを批判されているが、寿司職人が切り出した赤身を客に見せるような感覚なんだろうなと思う。だとしたら、やっぱりここはメガネをかけて見たかった。

 手術が終わり、ストレッチャーに移し替えられる。ストレッチャーには僕の手術着がセットされていて、ナースが服を着せてくれる。腕と足がぶるぶる震えだす。特に寒いと感じているわけでもないから、麻酔の作用だろうか。ナースに尋ねようかと思ったが、手術室という場の雰囲気におされているのか、口を開けなかった。ふたりのナースにストレッチャーを押されて、手術室を出る。がたんとしますよーと言われながらエレベーターに乗り、部屋に戻る。部屋に入るタイミングで、後ろから押すナース(この部屋に案内してくれた人)が「左でーす」と言ったところ、ストレッチャーの先導役のように後ろ向きで歩いていたナースが、自分の左手、部屋に入ってすぐの区画のカーテンを開ける。そこは僕のベッドではなく、現状では空のベッドだ。後ろから押すナースが「なんであんたから見て左なのよ」と笑い、「違う違う、一番奥」と伝えている。文字にするとつんけんしたやりとりにも読めるけど、仲の良さが滲み出ているように感じられた。介助されながら自分のベッドに移る。腕が震えていることに気づいたナースが、「毛布も出しましょうか」と気を遣ってくれたけれど、だいじょうぶです、と答える。このあたりではもう、手術というものがおそろしく、それがもう終わったのだということで身体が震えているようだと気づいていた。イヤホンを耳にねじ込んで、カネコアヤノの「わたしたちへ」を聴く。

 ここからはまた別のカウントダウンが始まっている。入院のしおりには「麻酔は3〜4時間で切れてくる」と書かれてある。はたして、麻酔はどれぐらいで切れるのか。麻酔が切れたら、どれぐらいの痛みになるのか。不安だ。抗生剤と、出血を止める効果がある点滴を打たれながら、ぼんやり考える。先に手術した同室さんは、「14時15分ぐらいに手術が終わったから、そうねえ、15時15分ぐらいに飲んでもいいですよ」とナースに声をかけられていた。もちろん早めに飲むにこしたことはないのだろうけれど、明日の朝までに3回、5時間おきにしか飲めないのだとすると、麻酔が効いているうちに飲むのはもったいない気がする。iPadを開き、書評を依頼されたゲラを読む。読書委員をやっていたときも、基本的には書店で見つけた本を書評していたし、発売と同時に出る書評を見かけるたびに、心のどこかで「けっ」と思っているのに、なぜか今回は引き受けてしまった。それは、依頼をしてくれた編集者が「観光地ぶらり」の感想も書き添えて、その橋本さんだからこそお願いしたい、と書き添えていてくれたからなのだと思う(ただ、書評するかどうかは読んでから考えさせてくださいと返事をしてある)。

 麻酔の影響なのか、手術の影響なのか、点滴の影響なのか、お腹がすごくぐるぐるする。術後に下痢をするとよくないと、どの病院の案内にも書かれてあったので不安になる。もしかしたら、術後すぐにiPadを抱えて読書しているのがよくないのかと反省して、ときどき休憩時間を設けては芸人のラジオを少し聴いたり、ケータイで退院の日の食事を考えたり。退院の日に、お芝居を観る予定がある。会場は北千住のマルイの上で、一つ下のフロアはレストラン街になっている。知人にもそのフロアガイドを送りつけながら、何にしようかと頭を悩ませる。入院前夜に観ていたテレビで、生田斗真濱田岳が食べていたとんかつがとても美味しそうだった。このレストランフロアだと「かつくら」かなあと思っていると、「かつくらかしゃぶ菜かな」と知人からLINEが届く。

 僕の手術が終わったのは14時35分ごろだった(20分ぐらいで終わったんだと思う)。飲むペースをシミュレーションする。16時半に飲み始めれば、次は21時半、26時半、31時半となる。21時半、2時半、6時半か。これなら「麻酔が切れたあと、痛み止めが効くまでツライ時間帯がある」ということにもならずに済む気がするし、夜中に痛みで目が覚める可能性は消せないけれど、なんとかなりそうだ。というわけで、16時半に痛み止めの薬を飲んだ。特にナースから説明はなかったけれど、どれぐらいで効き始めるのか、効果はどれぐらい続くのかを知りたくて、薬の名前で検索したところ、「食道でとまってしまうとナントカ炎になるおそれがあるため、服用の際は大量の水で飲むこと」みたいな注意書きが出てきて、錠剤を飲むたび喉につまった感じが残りやすいこともあって、300ミリリットル近い水とともに流し込んだ。

 手術から3時間近く経つ頃には、もう足の痺れもなくなり、「ちょっと股がかゆいな」みたいな感覚も漂ってくる。あれ、ということはもう、麻酔は切れているのか。ごくかすかな疼きみたいな感触はあるけれど、痛みが顔をのぞかせる気配はまるでなかった。入院前に気を休めるべく読み漁ったいろんな病院の説明が思い出される。「昔は身悶えするほどの痛みと言われてましたが、今は技術も進歩して、思ったほどの痛みはなかったと言われる方がほとんどです」と、どこかの病院が書いていた。僕が入院しているのは肛門科に特化した病院で、それなりに歴史のある病院だから、蓄積もあるのだろう。なによりあのシェフのような執刀医である。もしかしたら痛み止めなくても平気なんじゃないだろうか、たかだか痔瘻の手術で深く考えすぎていたんじゃないかと思えてくる。

 枕元には500ミリのペットボトルが3本ある。自分で買ってきたぶんと、入院時にもらったぶんと、ベッドから動きづらい期間のためにと院内の自販機で買ったぶんだ。夜中にたっぷりの水で痛み止めを飲めるようにと、あまり飲まずに温存していたせいか、一向に尿意は訪れなかった。「術後の最初のトイレは、麻酔の影響でふらつくおそれがあるので、必ずナースコールを」と言われていたのだが、尿意は訪れないまま日が暮れた。ほどなくしてナースがやってきて――17時あたりで勤務が替わるのか、昼間とは別の人になっている――まずは同室さんに「このままおしっこが出ないと導入になっちゃうから、頑張って出して」と声をかけている。おしっこがでないとまずい、という説明は何も聞かされていなかったので、少し動揺する。「年配の人だと、どうしても術後におしっこが出ない人もいるんだけど、まだ若いんだから、お水いっぱい飲んで」と。そのナースは僕のベッドにもやってくる。僕がiPadを広げているのを見て、「え! そういう細かい文字を見るのは、今日はやめてください」と言われる。そんな指示も特にうけていなかったが、細かい文字を見ていると、麻酔の副作用で頭痛が生じやすくなるらしかった。ここでも「水を飲んでおしっこを」と言われる。「水が足りなくなったら、ペットボトルに水を入れてきてあげるから」と言われ、焦りつつ(でも、水は持ってきてもらえるのかと安心もしつつ)水を飲んだ。ただ、お腹がずっとぐるぐるしているので、あんまり水を飲むのは別の不安もある。

 18時半あたりから、少しずつ、うっすらした感覚が近づいてくる。時間が経つにつれて、それが痛みに近いものだと、感覚の輪郭が見えてくる。20時過ぎには尿意がやってくる。と、同じタイミングで同室さんがナースコールを押して、トイレに行く。それが終わったところで、「あの、僕も」とナースに声をかける。手術のあとに、股にナプキンをあてがわれていた。そこに掠れたように血と、手術の瘡から染み出す液とが付着していて、臭い。これからはトイレに行くたびに自分でこれを取り替える必要があるとのことで、その説明を受ける。ナプキンを取り出し、軟膏みたいなのを付着させて、あてがう。ちゃんとやれるだろうかと思いながらベッドに戻る。16時半に飲んだ薬の効果が切れ始めているのか、痛みが少しずつ強くなる。しばらく便秘をしたあとに、硬い便が出たあとのような痛みがずっと続く。21時の消灯時刻を迎えたあと、15分早いけどもう飲んでしまおうと、痛み止めを飲んだ。気が安らぐようにと、『オードリーのオールナイトニッポン』を聴く。ただ、痛みが和らぐ気配はなかった。「もしかしたらほとんど痛みはないのかも」なんて思っていた数時間前の自分は何だったのかと思う。叫びたいほどの痛みではないけれど、しかめっつらにはなる。ぼんやりとまた、去年読み漁った資料が思い出される。学徒隊に監護されていた人たちの声、声、声。いろんな証言・手記に出てくる声をひとつのワードファイルにまとめてFさんに手渡したのは僕だった。その時期は夢に見るほどだったけど、半年以上経った今、その言葉が蘇ってくる。これもまた、「一緒にしてくれるな」と怒鳴られるだろうなと思う。病院壕の中では麻酔もなしに手術をしていて、術後の痛み止めどころではなかったのだし、「痛い」と言っても聞いてくれる人はいなかった。ナースコールを押そうかと思ったが、消灯時間を過ぎてわざわざきてもらうのも気が引けるし、手術をした箇所が痛むのは当たり前のことだ。どこかのクリニックのホームページには、「横向きで、少し膝を曲げて寝ると、肛門括約筋に力が入らずに済むので痛みが和らぐ」と書かれてあったが、全然痛みは和らがず、ナイツの漫才を音声だけまとめた違法動画を聴いているうちに意識が途絶えた。