2月19日

 5時過ぎに目を覚まし、日記を書く。ふと、6時39分に、Facebookのチャットでメッセージが届いていることに気づく。同業者の人だ。「橋本くん、AMKRで原稿書いてなかった?」とだけ、メッセージに書かれている。2020年なので、今とは体制が違うと思いますけど、書いてましたよーと返す。この時点でそんな予感はしてたけど、「僕も次号から書くことになって」「今の編集長はdから来た人みたいです」と返ってくる。それは当然知っている。この同業者とは、親しくやりとりしたことがあるわけでもないのに、なにか仕事が決まったときだけこんなふうにメッセージを送ってくる。僕も、もし酔っ払ってるときに嬉しいニュースが舞い込んだら誰かに伝えたくなるかもしれないけど、さほど親しくない同業者にこんなふうに連絡してしまったら、あとになって恥ずかしくてたまらない気持ちになる気がする(普段から付き合いがある相手だったり、お互いに敬意を抱いている間柄なら全然別だけど――と思ったけど、やっぱりこんなふうには連絡できないと思う)。

 7時56分にアナウンスがあり、今日はいち早く食堂に向かう。今日で同室さんは退院だ。8時半には荷物をまとめて一階に降りるようにと案内されていたから、いつものようにのんびり朝食を食べていると、退院の挨拶が交わせなくなる。ただ同じ時期にたまたま同じ病室だっただけだし、お互いどんな人間かも知らず、今後会うこともないだろうけれど、挨拶ぐらいはしておきたいので、一番乗りで食堂に行き、食べ始める。一時期は3人だけだったのに、昨日また2人入院したので、今日は8人にまで増えている。痔で悩んでいる人は結構いるのだ。

 食堂にやってきた同室さんは、「いよいよ退院ですね」と言う。僕は退院ではないけれど、気持ちはとてもよくわかるので、「そうですね!」と返事をする。同室さんは、少し遅れてやってきたもうひとりの同室さん――昨日入院してきた方に、「どうですか、痛みは平気でしたか」と声をかけている。そんなふうに声をかけるという発想は、僕の中にはまるでない。誰かに声をかけるとすれば、知りたいことがあるか、取材のとっかかりを探しているか、何かしら目論見があるときだ。社会人なら、そうやって声をかけるぐらい当たり前なのかとも思うけども、他の入院患者に自分から声をかけているのは、隣の大部屋のおばあさんぐらいで、皆、距離を保ったまま入院している。同室さんが営業職だから、そうやってとりあえず挨拶するのは板についているのかもしれないが、「それをなりわいとしているから」というよりも、「そういうことが自然にできる人だから、今の仕事にたどり着いた」という感じがある。さらに遅れて食堂にやってきたおばあさんは、挨拶をするかのようにして、同室さんの背中にそっと手を置いて通り過ぎてゆく。同室さんがおばあさんの話を聞いてあげていたからだろう。おばあさんは昨日もそうして背中にタッチしていた。

 部屋に戻ると、同室さんは荷造りをしている。しばらくして、昨日同室に入院してきた方に、「お先に退院します」と声をかけている。「大変かもしれませんけど、過ぎてしまえばあっという間だと思いますので」と。僕のほうにも、ナースのように壁をノックしながら顔を出し、「一週間お世話になりました、1日早く退院しますけど、お大事になさってください」と挨拶される。ああ、いえ、どうもと、まごまごした言葉しか出てこず、「お大事に」と見送る。同室さんが退院して10分と経たないうちに清掃スタッフの方がやってきて、ベッドと布団と枕からシーツを引き剥がして、新しいものに取り替えて、清掃作業を進めていく。自分が退院したあとの光景というものを、自分は見ることができない。でもきっと、明日は自分のベッドでこうした作業が繰り返されるのだろうなと、白湯を汲みに部屋を出ながら眺めておく。

 今日は快便だった。昨日あまり出なかったぶんまですっきり出た感じがあってほっとする。数日前に同室さんが痛みを訴えていたとき、用を足す回数が増えるにつれて痛みが出てくるのかと怯えていたけれど、(便意を催しそうな時間に合わせて痛み止めを飲んでいるとはいえ)ほとんど痛みは感じていない。部屋に戻り、ウェブ連載の原稿を書く。最後の何割かを書きあぐねている(ただ、書きあぐねているのか、この環境だとやはり原稿が書きづらいだけなのかは判別がつかなかった)。頻繁に集中力が途切れるのは、明日退院だからというのもある。9時ごろに部屋の清掃が終わると、スーツケースを広げて少しずつ荷物をまとめておく。

 気になるのは明日の観劇だ。はたして医師は何と言うだろう。それに、もしも「それぐらいの長さならだいじょうぶ」と言われたとして、Amazonで注文した円座クッションは無事届くのだろうか。最近はもう、「×月×日8:00-12:00までにお届け」と表示されていても、その時間内に届くことはなくなってきている。円座クッションは明日の午前中に届いてくれないと観劇の際に大変なことになりそうだ。念のためにと、いつものように「お急ぎ便」での配送ではなく、月曜午前指定の日時指定便での配送を選んでおいたけれど、あとで配送業者を確認するとAmazonとなっていたから、時間内に届くかどうか――。

 ふと、この病院は待合室にも病室にも独特なクッションが敷かれていたことを思い出す。あのクッションは、あまり他で見ない感じがする。それが院内のあちこちに配置されているということは、もしかしたら一階の受付で販売されているのではと思い、一階に降りて尋ねてみると、やはり3種類のクッションを取り扱っていた。詳しく尋ねてみると、どれも5000円近い値段だ。もしもAmazonが指定通りに配送してくれたら無駄な出費になってしまうのだと思うと、買うのを躊躇ってしまう。

 11時27分になってようやく、入院患者の診察のアナウンスが流れた。すぐに病室を出て、一階に降りると、今日は待ち時間なしで診察室に呼び込まれる。経過は良好で、予定通り明日退院になることと、入院費用の暫定値が書かれた紙を手渡される。大部屋だと差額なしで、およそ7万円と聞かされていたのだが、値段を見ると6万3千円ほど。安く収まってくれてホッとする。それで満足して帰りそうになるが(それに、今日は入院患者をひとりの医師が診察するようで、ふたつの診察室を使い、片方の診察室で患者に診察の準備をさせておき、交互に診察をしていく方式をとっているようで、隣の診察室にもう入院患者を待機させているので、医師を引き止めるのは少し気が引けるところもあったけど)、すみません、ひとつ伺いたいんですけど、と観劇の件を相談する。「いや、それはちょっとまだ難しいと思います」と言われたら諦めざるをえないと思っていたのだが、「いや、それぐらいの時間なら、うん、問題ないですよ」と言われて拍子抜けする。昨日の看護師の意見は何だったのだろう。

 今日はいつもより少し早く、11時52分には昼食のアナウンスが流れる。お昼はナポリタンだ。今日の朝は一気に人数が増えた感じがあったけど、ポリープの手術だった患者さんもいたようで、ふたり減っている。食事を終えて部屋に戻ると、相談のメールを書く。送り先は明日感激予定の演劇カンパニーである。その会場で何度か観劇した経験があるけれど、座席はパイプ椅子だったような記憶がある。はたして円座クッションを敷いて感激できるのかどうか。それに、医師からは「問題ない」と言われたものの、手術を受けてからというもの、30分以上座り続けたことがないから、観劇に耐えられるかどうか心許ないところだ。自分の状況を説明した上で、クッションを敷いて観劇できるかどうかと、もしも座っていられなくなった場合、他の観客の邪魔にならないように最後列のはじっこに座らせてもらえないかと、相談のメールを送る。正直に言って、面倒な問い合わせだと思う。「とりあえずチケットを押さえておいた」ぐらいの作品なら、早々にあきらめてキャンセルの連絡を入れて済ませていたと思う(そのカンパニーは前売りではなく、当日精算を貫いているから、まだお金のやりとりは発生していなくて、メールを送れば手続きは済ませられる)。ただ、ずっと気になって観ているカンパニーでもあるし、その前作はどうしても予定が埋まっていて観に行けなかったので、今回はどうしても観ておきたい。退院後に観劇の予定があることも、入院中に楽しみにしていた、

 今日は昼と夜の2公演であるにもかかわらず、30分と経たないうちに返事が届いてびっくりする。誰が制作で入っているのかわからないけど、すごい仕事のできる人なんだろうなと思いつつメールを開く。座席はパイプ椅子であること、クッションを敷いて観劇することはできること、ただクッションの高さによっては最後列での観劇をお願いすることになるかもしれないこと、もし立っているほうが楽であれば立ち見席もあり、そこには寄りかかれる手すりもあること、書き添えられている。ほとんど感激して、こんな短時間でこの返信を送れるって優秀すぎじゃない?と、知人に内容を共有する。知人も「ほんまやね」と言っていた。いろいろ考えて、立ち見で観劇することに決める。

 気づけば15時、競馬中継が始まる時間だ。普段はあれだけテレビ漬けの生活なのに、今回はテレビカードを買わなかった。自分はテレビのことを「課金に値する」と思っていないのだろうかと自問自答したけれど、仕事が山積みなのと、ワイヤレスにすっかり慣れてしまって、有線のイヤホンで見るのが億劫になったのが大きい気がする。情報番組をなんとなくつけておく、ということから遠ざかっているから、世の中が今どうなっているのか、ほとんど知らない。

 競馬中継はテレビの実況で観たいし、細江さんのパドック解説も聴きたいけど、そのためにはテレビカードだけでなく有線イヤホンも買うことになるので、あきらめてパソコンでグリーンチャンネルにアクセスして、パドックを観る。今週はフェブラリーステークスだ。ダートはほとんど追っていないので、馬もわからず、あまり熱心には予想していなかったが、4番人気のメイショウハリオを1着と予想して3連単を6点(600円)買う。15時40分、今年最初のGIのファンファーレが鳴り響き、ゲートが開く。メイショウハリオは1頭大きく出遅れ、ああ――と顔がゆがむ。直線に向いたところで、メイショウハリオは一番外に持ち出し、懸命に追うが、3着に入るのが精一杯だった。この日で福永祐一はジョッキーを引退となるが、メイショウハリオばかり観ていて、福永祐一が乗る馬のことを追っていなかった。競馬に関しては、15年以上観ていなかった時期があるせいか、浦島太郎みたいな感覚がある。熱心に競馬を見ていた25年前で、どこか時計が止まったままの部分があるから、福永祐一が引退するというのがちょっと信じられないような感じがする。

 16時56分にアナウンスが流れ、食堂へ。最後の夕食はなんととんかつであった。テーブルに備え付けのソースはイカリソースで、これをかけて平らげる。薄めのとんかつで、なかなかウマイ。キャベツの千切りにはきゅうりも混じっている。しっかり咀嚼していると、これまでで一番時間がかかり、17時半になってしまった。夕食は17時30分ごろまでに食べ終えてもらいたいと壁に貼り紙があるので、最後は少し慌てながら完食する。

 お膳を下げにいき、「明日で退院なんです」と食堂のおばちゃんに声をかける。「あら、そうなの? 何日入院してたの?」「一週間です」「そっか、一週間ね。夕食は半分近く出前になっちゃって、申し訳なかったねえ。出前になると、毎日同じとこになっちゃうからねえ」。そう考えると、出前が3日というのはちょうど良かった気がする。1日目が牛丼で、2日目が鴨南蛮で、3日目がカツ丼と、ちょうどいい感じでローテーションが組めた。ここでもう1日出前が続けば飽きてしまったかもしれない。「入院は嫌だなと思ってたんですけど、毎日の食事が楽しみで。どうもごちそうさまでした」と、食堂のおばちゃんに伝える。「食堂のおばちゃん」と書いているけれど、食堂のスタッフの方は朝昼晩で異なる。僕がよく言葉を交わしたのは夕方のスタッフの方だから、その方にお礼を伝えておく。「お大事にね」と言われて、食堂をあとにする。