マーム同行記12日目

 朝、ホテルの前であゆみさん、実子さんと待ち合わせ。今日は念願かなって、ホテルで飼われている犬のパブロと散歩に出かけるのだ。

 散歩に行けると決まったのは、昨日の朝のこと。ホテルで朝食を取っていると、パブロが僕のテーブルに近づいてきた。宿の人が「パブロ、戻れ」と叱ると、一度奥に引っ込んだものの、また戻ってきて僕の隣にやってきた。

「パブロ、あの日本人に懐いてるな」といったニュアンスのことを宿の人たちが話しているのが聞こえた。これはチャンスだと思って、「パブロは散歩に行ったりするのか」と訊ねてみると、「行きたいのか?」と返ってきた。「もし可能なら、明日の朝に散歩したい」と伝えると、「オーケー、あとはパブロと相談してくれ」とのことだった。

「パブロ、散歩に行く?」と訊ねてみると、「まあ、行ってみてもいいけど」という顔をしていたので、散歩に出かけることにしたのである。

「まあ、行ってみてもいいけど」と言ってそうな顔。

 8時半、リードを繋いでもらってホテルを出発する。パブロにとっては久しぶりの散歩なのか、リードを引っ張る力が強くて、ほとんど引きずられているような格好だ。はふはふ言いながら走る彼に、「おい、パブロ。もうちょいゆっくり!」と日本語で何度か声を掛けていると、少しずつパブロはゆっくり歩いてくれるようになる。

 パブロを散歩させていると、ジョギングをするルイーサとすれ違った。朝から健康的な生活だ。さらに歩いていくと、一緒に散歩をするべくホテルに向かっていた荻原さん、聡子さん、波佐谷さん、藤田さんと出くわした。パブロは数メートルおきにマーキングをしていた。久しぶりの散歩で、自分の匂いの残った場所が少ないせいで、頻繁にマーキングをしているのだろうか。植木のある場所を通りかかると、パブロは茂みの中に突進していく。一体どうしたことかと思っていると、トイレをしたかったようだった。トイレのときは茂みに入って人目を避けるなんて、なかなかに紳士だ。

 15分ほど歩くと、湖が見えてきた。パブロは湖に入りたそうだったけれど、波打ち際――湖にも波があるのが不思議だ――で留めておいた。皆でしばらく湖を眺めて、ホテルに引き返した。

 12時20分、今日も全員揃ってのアップからワークショップは始まった。昨日に引き続き、僕もアップとボクササイズに参加する。昨日よりほんの少しだけ身体が動かせる感覚があって、楽しくなってくる。そして、アップを終えた瞬間から、内臓が活発に動いている音がする。効果が感じられるのは楽しくもあるけれど、普段僕の内臓はちゃんと働いているのだろうかと不安にもなる。

 ボクササイズ後に皆で昼食を取り、そろそろワークショップを再開しようかというところで、制作のはやしさんがやってくる。はやしさんは『小指の思い出』の現場についていて、それが千秋楽を迎えてからこちらにやってきたのだ。

 実子さんが参加者の皆に「かなやん」と紹介している。皆「カナヤーン」と復唱している、はやしさんも気さくに「チャオー。誰が誰だかわかんないけど」と手を振り返している。マームの女子たちは、はやしさんとハグを交わしていた。

 15時27分、昨日皆に再現してもらった、ワークショップ初日の朝をもう1度おさらいしていく。発表会を含めて2日しか時間のなかったボスニアのワークショップでは、“皆に地図を作ってもらうこと”と“どこからどこまでをシーンとして採用するか”ということが大きな要素になっていたけれど、時間に余裕のあるこの土地でのワークショップは、もう少し演出が加えられていく。

 たとえば、バレンティーナ、マリアルイーサ、ジュリオ、サリータの4人部屋のシーン。昨日も書いたように、このシーンは最初から「4人が同じ部屋で朝を迎えた」ということがわかるように設計されているわけではなく、1人ずつが朝を再現していくと、徐々に全貌がわかるように演出されている。最初に描かれるバレンティーナのシーンでは、バレンティーナと、彼女が最初に会話をした相手であるサリータだけが登場人物になっている。次のマリアルイーサのシーンには、引き続きバレンティーナとサリータも登場している――ただしマリアルイーサが起きたのはバレンティーナが起きるよりも前のことだから、少し時間は巻き戻っている。そして、次のジュリオのシーンで、4人部屋の全員が揃う。ちなみに、この部屋で最初に起きたのはジュリオだから、ここでもまた時間は少し巻き戻ることになる。

 ボスニアのワークショップ発表会も、時間軸が行きつ戻りつして描かれてはいた(ボスニアでも、同じ部屋で朝を迎えた参加者はいたのだから)。ただ、ベルバニアでのワークショップでは、この“タイムラインが複数存在している”ということが、単にエピソードして語られるだけではなく、藤田さんによる演出として表現されていた。

 演出として表現されていた――なんて書いても伝わるわけがないので、具体的に書き残しておく。この4人部屋のシーンを描くとき、部屋自体の向きを90度ずつ変更して行ったのだ。

くるりと90度。

 藤田さんはまず、「皆がどこに寝ていて、どっちに向いて寝てたのかをハッキリさせよう」と4人に質問をした。「あと、皆階段を下りてキッチンに降りてくる描写をやってくれてるんだけど、階段の場所が人によって微妙に違っちゃってるんだ。部屋の配置――どこにトイレがあって、どこにシャワーがあって、どこに階段があるかってことを、ちゃんと揃えよう」

 そうして寝ていた向きと部屋の配置を確認した上で、もう1度、バレンティーナから順番に再現させてみる。バレンティーナのシーンが終わり、次のマリアルイーサのシーンになるところで、部屋の配置を時計回りに90度、ぐるりと回転させる。さっきは北向きに寝ていたバレンティーナは、今度は西向きに寝ることになる。次のジュリオのシーンでは南向きに、同じ部屋で寝ていた最後の1人・サリータのシーンでは東向きに――といった調子で、4人が寝ていた部屋という空間そのものがぐるぐると回転させられていくのだ。

 こうして角度を変えながら同じシーンを繰り返して見せる演出は、藤田さんの演出の特徴の一つと言える。僕は「あ、マームっぽい」なんて暢気な感想を抱きながら眺めていたけれど、途中から、これは藤田さんの演出手法が、イタリアの人たちの身体を用いて表現することができるのかどうか、試しているのではないかという思いに至った。休憩時間に「覚えることが多くて大変だよ」と笑っている人もいたけれど、皆、藤田さんの演出にしっかりと対応している。それは、ワークショップ初日に番号ゲームをやって、空間を把握するということ、空間を回転させるというアイディアを参加者と共有していたからかもしれない。

 もう一つ、今日のワークショップを観ていて印象的だったのは、モノローグとダイアローグのありかたについて。

 昨日のワークショップでは、藤田さんに朝の出来事を説明するために「何をしたのか」ということを言葉で説明しながら再現してくれていたけれど、今日の場合、(一度説明したから、何をやっているかは伝わっただろうと思ったのか)会話のシーン以外は黙ったまま再現する人が多かった。全員のシーンが終わったところで、藤田さんが話を始めた。

「今のはちょっと、パントマイムになっちゃってる。昨日は僕がインタビューして、皆も僕に対してプレゼンをしてくれたじゃん。『朝は何時に起きた』とか、『自分はいつもこういう姿勢で寝てる』とか、『冷蔵庫からヨーグルトを取り出した』とか、細かく言葉で説明してくれたよね? 発表会のときも、それをお客さんに言葉でプレゼンしながらやりたいんだ。そのことによって何をしているのかもわかるし、リズミカルに見えてくると思うから」

 話が終わると、もう一度、1人目のバレンティーナの朝からやってみることになる。難しいのは、やはり同じ部屋に暮らす4人のところだ。バレンティーナのシーンは、ずっとバレンティーナのモノローグだけが続いて、最後にサリータと「チャオ」と挨拶を交わすだけだから、わかりやすい構造だ。ただ、2人目以降になると、先に起きていた人が部屋の中を動いたり、会話を交わしたりしている。

「他の人がモノローグを言っているときでも、私も自分の行動を説明し続けていたほうがいいのか」と、マリアルイーサが訊ねる。

「いや、たとえばバレンティーナのシーンのときは、バレンティーナだけがモノローグを言うってことにしよう。それで、マリアルイーサのシーンだったら、マリアルイーサだけがどんどんモノローグを言うってことにしよう」

 もう1つ難しいのは、4人のタイムラインをそれぞれ同時進行で再現するとなると――たとえばバレンティーナとサリータが会話をするシーンがあったとして、バレンティーナとサリータは、それぞれがぞれぞれの動き方で自分の朝を再現している。そうすると、二人が会話をするシーンにたどり着くまで、微妙な時差が生じてしまう。

 その時差に焦ったバレンティーナが、サリータと言葉を交わすタイミングまでに自分の動きを間に合わせられるように、少し慌てた様子で動きを再現した。それを見た藤田さんは「バレンティーナ、走ったりしなくていいよ」と声を掛けた。「バーレは別に、サリータがモノローグで何を言ってようが、バーレはバーレのリズムでやって大丈夫だから」

 そう演出されて再現される4人の朝のシーンは、4人が4人、バラバラのタイムラインで生活していることがよく見える。そして、そのバラバラのモノローグたちをかろうじてつなぎ止めているのが、朝に最初に交わした会話――ダイアローグだ。

 ふと、ボスニアで記者会見が行われた朝、藤田さんがモノローグとダイアローグの関係について最近考えている、という話をしていたことを思い出した。が、そのとき僕は、荻原さんに「酔ったフリをしているだけだ」と言われたことにショックを受けていたせいで、藤田さんがどんな話をしていたのか、思い出すことができなかった。

 稽古を繰り返しているうちに18時になり、今日のワークショップは終了した。少しぼんやりしてから外に出てみると、テーブルのところに藤田さんがぽつんと座っていた。

「なんか、難しいな」と藤田さんは言った。「時間をかけて人を動かしてるから、ボスニアのときみたいに『飽きてきてるな』って人はいないんだけど――細々難しいな」

「それは、何が難しいんですか?」

「たぶん、『僕が何を面白いと感じるのか』っていうコツを掴んでもらうのが難しかった気がする。何て言えばいいんだろう。『この演出家に求められてることを、自分はできてるのかな?』っていう参加者の人たちの視線に、途中で気づいたんです」

「ああ、今日になって気づいたわけですね?」

「そうですね。皆が僕に対して探り探りやってんだなってことに途中で気づいて――それがショックなんですよ。ワークショップもそうだし、劇場に対してもそうなんだけど、瞬発力が必要だと思うんですよね。その瞬発力は、役者さん以上に必要なんですよ。たとえば、『まえのひ』ツアーの熊本公演だとわかりやすいですけど、あの会場には奈落みたいな装置があって、会場に入った瞬間に『これ、使いたい』って言ったじゃないですか。もちろんそれが駄目なアイディアだったら意味がないんだけど――マームがやってることって、やっぱかなり特殊だと思うんですよ。単純に作品の数も多いし、そうすると必然的に公演をやる会場の数も多くなるから、場所に出会っていく速度がはやいんです。今回のツアーとかになると、特にそうなりますよね。こういうツアーだと、劇場ごとのクリエイションになってくるんだけど……ボスニア公演の初日とかは正直、普通にミスったなと思ったんですよ。ああいうことは普通にショックだよね。弱いなっていう感じがある」

 今回のツアーでは、藤田さんが自分に対して批判的な言葉を吐く場面によく出くわしている気がする。おそらくそれは、数年前の彼の基準では出てこなかった言葉なのだと思う。来年30という年齢を迎えるにあたって、もっとタフにならないといけない――そういう焦りが、藤田さんの中にはあるのかもしれない。

 19時、ホテルに戻って皆で乾杯をした。2時間ほどビールを飲んで、それぞれの宿舎に引き返す。夜道を歩きながら、はやしさんは空を見上げている。

「星がキレイだよ――あ、こういうことを言っちゃいけないんだった」とはやしさん。

「さっそく始まったよ」と藤田さん。

「今日、ワークショップの会場を出た瞬間も『わー、湖キレー!』って言っちゃった」

「言ったねー。誰も言ってなかったよ、これまで」

「気づいてないでしょ、皆。あの湖、すげえキレイなんだよ?」

 はやしさんがくると、旅に彩りが出る――と書くのは美し過ぎるけれど、旅が賑やかになってくる。これでようやく全員揃ったという感じがする(ここに去年のツアーにもいた植松さんが加わればさらにパワフルだ)。

 賑やかな夜散歩を後ろに感じながら、僕はICレコーダーをまわした。そして、藤田さんにもう一度話をしてもらった。それが移動日のところに掲載したインタビューだ。