別れを惜しんで手巻き寿司パーティーが開催されている様子を眺めながら、僕はキッチンの隅でグラッパを飲んでいた。度数の高い酒を飲めば、最終日の宴を楽しみながらウィルスを殺せるのではないかと期待していたのだけれど、そんな都合のいい話があるはずもなく、しばらくすると身体の節々が痛くなって、僕は部屋に戻ってベッドに倒れこんだ。

 誰かがおでこを触る感触で目が覚める。目を開けると、視界の中には黒い影が見える。眼鏡を外しているのと、部屋の中の電気は消えていて、廊下の灯りで逆光になっているのとで、顔はよく見えない。キッチンからはまだ宴の声が聴こえていてホッとする。「橋本さん、大丈夫っすか」「ちょっと、汗ふきますね」と言う声で、その二人が藤田さんと実子さんであることに気づく。何枚か布団をかけてもらって、おでこをキッチンタオルで拭い、冷却シートを貼ってもらっているうちに、僕はまた眠ってしまった。

 次に目を覚ましたのは、朝5時を過ぎたころだった。部屋はもう静まり返っていて、ときどき寝息を立てるのが聴こえるくらいだ。そおっと身体を起こしてみると、すっかり楽になっている。最後の最後に迷惑をかけてしまった。皆は8時50分に集合して出発すると言っていた。僕は7時過ぎの電車に切符を買ってある。物音を立てないよう慎重に荷造りをして、そっと部屋を抜ける。

 駅まではルイーサのクルマで送ってもらうことになっていた。すぐに駅まで送ってもらおうかと思ったけれど、顔も見ず、言葉も交わさず帰るのが少し寂しく感じられて、書置きを残すことにする。飲み会のときでも、楽しく時間を過ごせば過ごすほど別れの瞬間が嫌になって、お金だけ置いてそっと姿を消してしまうことの多いというのに、どうしてそんな気持ちになったのかはわからないけれど、とにかく書置きを残して劇場をあとにした。ポンテデーラはようやく空が白んできたところだ。

 一旦フィレンツェに出て、高速鉄道でミラノを目指す。ミラノの駅は「Rho Fiera Expo Milano 2015」という名前で、その名の通り、ミラノでは今国際博覧会が開催されている。少し時間があったので、駅の外に出てみると、入場ゲートまでずうっと行列ができている。そういえば最近、島耕作も(漫画の中で)ここを訪れていたことを思い出す。僕はその列を眺めながら、近くにあるカフェでカプチーノを飲んで過ごす。

 さて、僕の目的地はミラノではなく、ここからさらに乗り換える。Gallarate、Casorate、Sempione、Vergiate、Sesto Calende……。ミラノから先は、地名の響きが違っているように感じられる。もう少し進めばスイスだ。45分ほど走ったところで湖が見えてくる。去年も目にしたマジョーレ湖だ。さらに進むと、どこか見覚えのある風景が近づいてくる。そこは、去年のツアーのときに滞在した湖畔の町・メイナだ。

 去年のツアーで訪れた場所は、どこも思い出深いところだ。サラエヴォにも、ポンテデーラにも、アンコーナにも、メッシーナにも、いくつも思い出が詰まっている。でも、一番再訪したいと思っていた町は――でも再訪する機会はないだろうと思っていた町は――イタリアの北端にほど近い、人口わずか2千人ほどの小さな町であるメイナだ。

 メイナでは3つの宿泊先に別れて滞在した。僕はマームと皆とは別のホテルに宿泊していた。このホテルには、今回の滞在制作にかかわったルイーサ、アンドレア、ジャコモ、カミッラの4人も泊まっていた。ホテルといっても、観光地でもビジネスの町でもないメイナにあるホテルは、家族で経営されている3階建てのホテルだ。滞在期間中は、皆でまずこのホテルに集合し、テラスでコーヒーを飲んで、それから出発するのが決まったコースだった。

 ホテルにチェックインしたのは、遅い時間になってからだった。ホテルに入った瞬間から、僕はその存在を感じていた。その姿を目にしたのは、もうすっかり電気の消えたロビーでチェックインの手続きをしてもらっているときのことだ。チャッチャッチャッチャッと足音を立てて、地下室から階段を上がってきた彼は、ゴミ箱を漁り始める。それに気づいたおじいさんは厳しく、しかし静かに叱る。「おい、もうそれをやるなと言っただろう。もう許さん、地下に戻れ」。もちろん、イタリア語のわからない僕が想像した会話でしかないのだけれど、おじいさんに叱られた彼はしゅんとした顔になり、とぼとぼ地下に消えて行った。

 彼の名前はパブロ。パブロ・ピカソの「パブロ」なのだと、おじいさんが教えてくれた。一目見たときから、僕はパブロと一緒に散歩に出かけたいと思っていた。僕は犬を飼ったこともなければ、犬のことを「怖い」と思って生きてきたのに、どうしてそんなふうに思ったのか、いまだによくわからない。でも、とにかく僕は「一緒に散歩に出かけたい」と思って、数日かけてパブロと(それにホテルの人とも)関係を築いて、一緒に散歩に出かけることができた。もう年寄りだというパブロは、久々に出歩いてくたびれたのか、散歩から帰るとずっと寝そべっていた。

 メイナで思い出すことの大半はパブロのことだ。メイナを出発する日の朝、パブロは表で日向ぼっこをしていた。じゃあね、パブロ。元気でやるんだぞ。僕はパブロにそう声をかけた。僕はもう、メイナという町を訪れることはないだろうと思っていたし、だとすればもう、これが今生の別れだと思っていた。勝手にセンチメンタルな気持ちになって、荻原さんに頼んでパブロとのツーショットを撮ってもらったのだが、僕の感傷なんて知る由もないパブロは全然カメラとは別の方向を向いていた。

 あれから1年が経った。僕は街で大型犬を見るたびにパブロのことを思い出していた。それだけではない。今年の1月に東京で上演され、この滞在制作の直前に北京公演が行われた『カタチノチガウ』という作品の中にも、パブロという犬が登場している。だから僕は、このイタリアでの滞在制作を観にくると決めたときから、ひとりでメイナを訪ねてパブロに会いに行こうと決めていた。イタリアに来てからは、少し気が急いてもいた。ポンテデーラで上演された『IL MIO TEMPO』の台本の、僕がもらったバージョンの最後のページには、「おわり」という文字の先――つまり上演されない箇所――に、こんなテキストが書かれていたのだ。

イヌ/
YURIKO/ANDREA 老犬
ゆりこ パブロー、、、、、、
パブロをよろしくね、、、、、、

 1年ぶりにメイナに降り立つ。駅から徒歩30秒ほどの場所に、「La Locanda Dei Fiori」というホテルは建っている。少しそわそわした気持ちで、玄関の扉を開く。1階はロビー兼レストランになっている。入って正面に立っていた男性は、僕の顔を見るなり、「おお、よく来たな」と手を差し出してくれた。え、覚えてるんですかと聞き返すと、「シー、シー」と頷く。たった数日滞在した町に、もう訪れることはないかと思っていたこの町に、僕のことを覚えてくれている人がいる。少し不思議な感じがする。

 いきなりパブロの話を切り出したのでは、パブロに会いにきたみたいになってしまう。いや、実際パブロに会うためだけに、フィレンツェから片道4時間もかけてメイナまでやってきたわけだが、お店に対して少し失礼にあたる気もしたので、まずはレストランで食事をいただくことにする。このホテルはシチリア出身の家族で経営されているから、料理を魚を使ったものが多い。勧められるがままにサーディンのパスタを食べて、生ビールを飲み、魚の揚げ物を食べた後にカプチーノを飲んだところで、勇気を出して話を切り出す。

 「たしかここ、パブロって犬がいたと思うんですけど……」
 「オー、パブロ」
 「はい、パブロ」
 「ノー」
 「ノー?」
 「パブロ、モルト。パブロ、モールト」

  モルトという言葉が何度か繰り返されるが、僕にはその意味がわからなかった。僕にイタリア語が通じないのがわかると、ケータイをタイプし、イタリア語を日本語に変換して僕に示してくれる。そこには「invested by train」と書かれていた。「invest」という言葉の意味がわからなくて、僕は「ジャスト・ア・モーメント」と自分のアイフォンで「invest 意味」で検索する。投資を行う。職場や地位に、仰々しく、または形式的に設置する。権力と権限を与える。力か権威を与える。特性または能力を与える。どの意味もピンとこなかった。

 「ユー・アンダスタンド?」
 「ノー」

 すると、レジに立つ女性は、キッチンの奥に一度下がり、奥からインド人風の女性を引き連れてやってきた。「この日本人に英語で教えてやってくれ」と伝えると、インド人風の女性は少し困った顔になった。そうして少し気を落ち着かせてこう言った。

 「デッド」
 「デッド?」
 「イエス。パブロ、デッド。バイ・トレイン」

 英語で聞いてみても、その意味がよくわからなかった。いや――本当は、ホテルに立ち入った時点で悟っていた。そこにはもう、パブロの匂いはしなかった。

 パブロが亡くなったのは、今から2週間前のことだという。インド人風の女性が僕に教えてくれる。それは日曜日の朝のことだ。ちょっとだけ開いていたゲートからパブロは抜け出してしまって、線路で電車にはねられてしまったのだ。身体に外傷はなく、頭にだけダメージを負っていた。急いで病院に連れて行ったのだが、手の施しようがないと言われたそうだ。

 パブロとの再会を楽しむつもりでいた僕は、4時間後の電車の切符を予約していた。何をすればいいのかわからなくて、そのホテルに荷物を預かってもらい、1年ぶりに町を歩いた。歩いていると、「ここでパブロはおしっこをしていた」だとか、「この茂みに隠れてうんちをしていた」だとか、「この横断歩道を渡るとき、ちゃんと車がいなくなるまで待っていた」だとか、「この場所から一緒に湖を眺めた」だとか、そんなことばかり思い浮かんできた。

 たった数日間滞在した町、日本人はおろかイタリア人でも知る人は少ないこの小さな町で、1度散歩しただけの犬のことを思い出している。一体どうしてそんな気持ちになるのだろう。その理由はわからないけれど、ただただ悲しかった。間に合わなかったとも思った。滞在制作を見届けたあとにメイナを訪れるのではなく、滞在制作が始まる前にメイナを訪れていれば、パブロに会えていた。でも、何にしたって、パブロはもうどこにもいないのだ。涙は出なかった。

 ホテルに戻ったところで、パブロのお墓はあるのか訊ねてみる。パブロのお墓は、裏庭にあるらしかった。そこまで案内してくれないかとお願いすると、ホテルの主人は「ああそうだ、この日本人はパブロと仲良くしてたんだ」と言って、従業員に「連れて行ってやれ」と指示をした。雑用係兼子守役のインド人風の女性と、キッチンで働く黒人男性、それにレストランのボーイの3人がお墓まで案内してくれた。

 裏庭には少し盛り上がった場所があった。「あそこだ」とボーイの男性が指さす。グッド・ドッグ、とインド人風の女性が涙声でつぶやく。その盛り上がった土の規模が、パブロのことを思い出させる。墓標はなかった。僕はその盛り上がった土に手を合わせ、目を瞑った。数秒後、後ろで電車の通過する音が聴こえた。電車の音が聴こえなくなるまで、手を合わせていた。