6時50分頃に起きる。テレビをつけると都内各地と中継を結んでおり、「この1時間で雨が雪に変わった」と報じている。新宿の中継のあとに渋谷に繋いだりと、かなり細かく刻んでいる。今の気温は3度で、正午には1度になると不思議なことを言っている。ジョギングに出ることもできず、ゆで玉子(2個)とヨーグルトで朝食をとる。14時、食材を買うべくスーパーに出かける。アパートを一歩出ると芯にくる寒さだ。雪はまだ降り続いている。積もるようなら昼間から浅草あたりに飲みに出るつもりでいたけれど、積もるほどではなさそうだ。

 麻婆豆腐丼を食べたのち、録画したドキュメンタリー「オーストラリア 難民“絶望”収容所」を観る。オーストラリアでは、「2013年7月19日以降に密航船で到着した難民はオーストラリア国内での定住を許されない」という法律がある。船でやって来た難民は、パプアニューギニアのマヌス島とナウル共和国に設置された難民収容センターに移送されることになっている。この難民収容センターの実態を暴くドキュメンタリーだ。

 かつて難民収容センターで働いていたスタッフたちがカメラの前で証言をする。彼らは皆、Facebookの広告などを通じて難民収容センターでの仕事を知り、「難民の助けになれば」という気持ちでボランティアスタッフに応募する。半ばリゾート気分で応募した人もいるが、現地に到着してすぐに「来るべきではなかった」と後悔することになる。ある女性は、到着するとまずナイフが保管されている場所を知らされ、使い方を覚えておくようにと命じられる。一体なぜと不思議に思っていると、「首吊りをした難民のロープを切るためだ」と伝えられる。

 難民収容センターの環境は劣悪だ。南国だというのにテントを建てただけの施設であったり、第二次世界大戦の頃から使われている倉庫であったり、そこに難民が押し込められている。衛生状態も悪く、破傷風で死亡した難民もいる。また、彼らはいつまでそこに収容されるのかも――場合によっては自分は今どこにいるのかも――知らされずに過ごしており、精神に異常をきたして自傷行為に走る難民はあとを絶たないのだという。壁には「WE HATE NAURU」という落書きも見える。元ソーシャルワーカーの女性は「難民が二度と来たくない場所に仕立て上げているのは明らかです」と語る。

 2013年、ナウルの難民収容センターでは難民による暴動が起こり、100人を超す難民が逮捕された(ただし有罪となった者は誰もいないという)。2014年にはマヌス島でも暴動が起こり、警備員らと難民とが対立していたところに現地住民が棍棒を手にして押し入り、警備員や現地住民によって60人を超す負傷者が出た上、1人が死亡する事態となった。暴動が起きるずっと前から、難民収容センターの環境の劣悪さを問題視する声は多く寄せられていたが、政府はそれを黙殺し続けていた。それどころか、2015年には内部告発者には(たとえそれが難民に対する性暴力を告発するものであっても)2年の禁固刑に処するという法律を作ってのける。

 政府は一貫して「我々の難民政策は間違っておらず、(難民を受け入れないという姿勢を打ち出すことによって、オーストラリアを目指す難民を減らしているのだから)海難事故を防いでいるのだ」と主張する。難民の取り扱いに対しても「まったく問題はない」と語り、マヌス島の暴動に対しても移民相は「難民による抗議行動がなければこのような事態にはならなかった」とキッパリと語る(しかし、移民相なんていうポジションがあることにも少し驚かされる)。

 ところで、難民収容センターの運営には莫大な金額がかかっている。これはパプアニューギニアナウルの政府に難民の受け入れを肩代わりしてもらうために支払っているもので、50億円近い額を払ってマレーシアに受け入れを依頼したりしている。「難民どもに我々の国土は踏ませない」と言わんばかりのなりふり構わない態度にゾッとする。ただ、「オーストラリアは国民一人あたりの難民受け入れ数は67位だ」と批判的なテロップが途中で表示されるのだけれども、オーストラリアは1000人で1人の難民を受け入れている計算になるが、日本はおよそ5000人で1人程度しか難民を受け入れていないのだ。

 夕方頃から夕食の支度に取り掛かる。冬将軍が到来した日だから、何か冬らしいものを食べようと思っておでんを作ることにした。適当に出汁を作り、大根、厚揚げ、こんにゃく、ちくわ、つみれ、たこ、それにシウマイを入れる。他に焼き豆腐とじゃがいもも買ってあったのだけれども、鍋に入りきらなかった。自宅のおでんに鍋を入れるのはリスキーだと、煮込み始めて気づく。味を染みさせるのも大変だし、何よりかなり場所をとる。23時頃になって帰ってきた知人は「おでん屋の匂いだ」と嬉しそうに言う。「冬の匂いだ」と。特に面白い番組がなかったので、知人と一緒に「オーストラリア 難民“絶望”収容所」をもう一度観る。平然と難民を排除する政治家の姿に、知人は「やっぱり白人は宇宙人だ」と、このドキュメンタリーのどこを観ていたのかと言いたくなる言葉をつぶやく。