腰に違和感があり、6時頃に目が覚めてしまう。背中にタオルを敷いてみたり、ストレッチをしてみたり。8時過ぎにジョギングに出る。昨晩はタンメンを食べきった3秒後に寝てしまったので、少し長めに走ることにする。不忍池から上野の山をのぼり、美術館が建ち並ぶエリアを駆けてゆく。朝早くから美術館や博物館に出かける人がこんなにいるのだなあ。プラド美術館展が一番人気だろうと思い込んでいたけれど、多くの人たちが吸い込まれてゆくのは国立科学博物館の人体展で、整理券まで配布されていた。上野桜木を経由して、千駄木に帰ってくる。距離としてはいつもとあまり変わらなかった。

 昼、キャベツと酒盗のパスタを食す。午後、日曜日に出演する番組のために、あれこれ資料をまとめる。依頼されたわけではなく、「この情報を発信したい」ということでもないけれど、参考までにとスタッフの方にもメールで送信。17時になってアパートを出て、缶第三のビールを片手にぶらつく。まずは谷中銀座にある刃研ぎ堂へ。上京するときに母からもらった包丁、すっかり切れ味が悪くなり、ネギがスパッと切れないのがストレスになっていたのだが、ここに研いでくれるお店があるとつい先日知った。仕上がりは6日になるとのことだが、他にも包丁はあるので、料金を支払って預ける。

 包丁を研いでいたのはまだ若い方だが、爪の縁が墨色になっている。手があらわすものがある。以前出かけた小さなドライブインでの会話を思い出す。僕がお店を訪れたとき、常連客がひとりだけいて、お酒を飲んでいた。その常連客はケータイのストラップを買ったのだが、それがつけられなくて困っていた。店主の方が「お兄さんはお若いから、どうやってつけるかわかるんじゃない?」と言うので、僕が代わりにつけたのだが、「はあー、きれいな手をしとる。わしらのような百姓とは違う。弁護士か何かをしよってんじゃないんか」と言われたことを思い出す。

 平日だが人で溢れた谷中銀座を抜け、「古書信天翁」で文庫本を購入し、缶第三のビールを飲みながらベンチで読書。風が大変強く、ベンチごと吹き飛ばされそうになる。向かいの酒屋さん、ゴールデンウィークで孫たちが里帰りしているのか、ちびっこたちの姿もある。明日は資源ゴミの日で、店の脇には空き缶が積まれているのだが、外国人観光客がおそらく洋菓子が入っていたのであろう丸い缶を手に取り、1分くらいしげしげと眺めていた。買ったばかりの永六輔『芸人たちの芸能史』を少し読んだところで顔をあげると、知人が立っている。乾杯し、台湾風唐揚げをツマミながら15分ほど飲んだ。今日はくもりだんだんだが、最後には綺麗な夕焼けが見えた。

 せっかくだからと、すずらん通りにあるカラオケ酒場へ。知人と一緒に入るのは初めてだ。入店した瞬間から、お店のお母さんがいつもよりおめかししている気がしていたのだが、今日が誕生日だと言う。おめでとうございますとお祝いを言って、乾杯。せっかくだから歌いなよと言われて、知人が平井堅「瞳を閉じて」と歌うと、なんと92点を出してしまう。この店は90点以上を記録したお客さんにはボトルをプレゼントするというサービスをやっている。僕も何度かカラオケを歌ったことはあるが、そんなに歌がうまいわけでもないので、特に気にしてこなかった。それを知人は一発で出してしまった。「次は93点以上出したらまたサービスするから、それを目指して頑張ってね」と言われ、もう一度知人が歌う。選曲しているときに「絶対出すなよ」と小声で忠告しておいたのに、とあっさりと93点出してしまう。さすがに1日2本もボトルをサービスしてもらうわけにもいかず、「これだと楽しみがなくなっちゃうから、今回のはノーカウントで!」とお願いして、サービスは固辞する。

 僕は安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」を歌った。ライブバージョンの本人映像が流れる。そのライブは、僕がよく聴いているライブ盤になっているものだ。いつも聴いていた安室奈美恵はこんな姿で、こんな表情で歌っていたのか。東京ドームでは今まさに最後のコンサートが行われている。何度か抽選に申し込んだが、当たり前のように落選してしまった。僕の人生は安室奈美恵を観ることのない人生だったのだなあと、最近しみじみ思う。最後に知人の歌う「また逢う日まで」を聴き、アパートに帰る。NHKスペシャル憲法と日本人 1949-64 知られざる攻防』観る。アメリカの極東戦略の転換により、日本は再軍備を求められるようになり、1949年に「憲法GHQに押し付けられたものだ」とするレポートが出たことがきっかけとなって自主憲法制定を目指す動きが生まれ、憲法調査会も発足するが、その憲法調査会が現行憲法の制定過程をアメリカにまで飛んで調べた結果、憲法は押し付けられたものだというのは誤りだったと判明し、改憲論議も収束していく――という一連の流れが紹介される。

 憲法改正の機運が生まれるのと同時に、護憲運動も巻き起こる。記録映像が流れ、そこでは若者が「僕は憲法改正に反対でね、ぜひとも社会党に3分の1以上の議席を取ってもらいたかった」と語っていた。街頭に立つ普通の若者が、少し照れくさそうにそう語っていた。それは政治的な立場でもなんでもなくて、「戦争中より今の時代のほうがよっぽどマシだ」という感覚からくるものだろう。これは『月刊ドライブイン』最終号で詳しく書くけれど、あるドライブインで話を聞いたとき、店主の方は終戦の日の記憶を聞かせてくれた。その日は村の人たちが皆集められて、大人たちは皆暗い顔をしていたという。ラジオの音はあまりよく聞こえず、最初のうちは何が起きているのかわからなかったけれど、伝言ゲームのように「戦争が終わったらしい」と伝わってきた。店主の方はまだ小学生だったが、嬉しくて仕方がなくて、笑いをこらえきれずに同級生たちと「終わったって」とささやきあったという。いばりくさった大人たちが取り仕切り、冗談の一つも言えない戦前の空気は本当に嫌だったから、終わってくれてせいせいした。そう語っていた。その記憶がある人たちが、二度とあんな時代はごめんだと思って憲法改正に反対していたのだろう。憲法改正の是非はともかく、そんな人たちはほとんどいなくなってしまった。