4月20日

 4時にアラームが鳴る。シャワーを浴びて、歯を磨き、4時38分にアパートを出る。日暮里駅近くの質屋「おぢさん」には、「コロナ対策/支援/新規お貸付/4月分お利息/無料」と貼り紙が出ていた。日暮里駅から始発の京浜東北線に乗車すると、ほどほどに人が乗車している。ひと席空けながら座っている状態で、ぼくは座らず、扉の前に立ったままでいる。

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 ケータイを取り出し、なにげなくタイムラインを見ていると、宮古島に貼り出されたという貼り紙が流れてくる。そこには「宮古島社交飲食業組合」という名の下、「新型コロナウイルス感染拡大防止対策といたしまして、島外、県外、外国からのお客様の入店をご遠慮いただいております」とある。嫌な時代になってしまった。少し前に「日本人客お断り」と貼り出した石垣島のお店は批判に晒されたが、今回は好意的に受け取られるのではと不安になる。境界線がどんどん引かれてゆく。

 電車が次の駅に到着し、扉が開く。鶯谷駅から乗車してくる客はいなかった。まだ外は暗く、窓が鏡のように車内の様子を映し出す。乗客の9割はマスクをしている。ひとりだけマスクをしていない人が、鼻の周りをこすっている。目で追ってしまう。窓越しに様子を窺っていると、駅が近づいて誰かが立ち上がるたび、乗客の視線が動く。誰かが動くたび、乗車してくるたび、目線が静かに動いている。有楽町を過ぎると、車内はがらがらになったが、座る気にはなれなかった。イヤホンで耳を塞ぎ、お守りのようにカネコアヤノを聴く。電車に乗るのは3月31日ぶりだ。あの日も、今日と同じように品川に出て、路上を歩いたのだった。

 品川駅の中央改札をくぐると、M.Jさんの姿があった。ほどなくしてK.Sさんもやってきて、ふたりは「久しぶり」と手を振り合っている。ふたりもしばらく会っていなかったのかと、少し意外に感じる。ふたりの距離が近く、少しだけ離れてしまう。こういう状況を考えると、ギャグめかして「ちょっと、おふたり、『蜜です!』」と言えれば、なごやかな空気のまま、感染のリスクを減らせるのだろう。でも、ぼくは口を開けないまま、中途半端な距離に立って過ごす。戦争にでもなれば、ぼくはこうして死んでゆくのだろう。少し経って、友人のF.Tさんもやってきて、企画「R」に向けて路上を歩く。

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 街を歩いているあいだ、手書きの貼り紙を見かけるたび、立ち止まって写真を撮る。新橋の「そば作」には、「『感染がとても身近に感じます!!』皆様の健康と…私どもの健康と‥‥国と都の要請もありますし‥‥しばらくの間「営業自粛」を選択させて頂きます!! なるべく早くの営業再開を望みます。」と、つぶやきのように人間みのある言葉が書かれている。十割そば居酒屋「けんび」には、「コロナ収束を祈り、それ迄、休業致します 店主」という潔く書かれている。ゴミが鳥に荒らされている。それは明け方によく目にする風景ではあるけれど、そこに群がっているのは鳩と雀であった。鳥たちも急に餌が減ってしまって動揺しているだろう。鳥たちは今起きている事態をどう認識するのだろう。

 駅で3人と別れたのは7時半だ。ちょっと嫌な時間になってしまった。新聞片手に駆け足で改札をくぐっていくサラリーマンの姿がある。改札からはきだされてくる人の数は増えていて、街が動き出している感じがある。少しでも電車が混んでいたら、入場を取り消してもらって徒歩で帰るつもりだったが、山手線はひとつのシートをひとりで独占できる程度にしか乗客がいなかった。先頭車両を選んだとはいえ、ここまできているのかと、言葉はおかしいけれど、感慨深くなる。ふと思い立って、一つ手前の鶯谷駅で山手線を降りた。ホテルの中にも休業しているところがある。飲食店は休業中の店が多いけれど、「信濃路」は今日も朝から営業中だ。

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 上野桜木に出て、坂を下ってゆく。ここ数日、江戸末期から明治初期のことを調べているが、そうか、戊辰戦争のときにはここでも戦闘が行われていたのだな。この大地と谷とが、旧幕府軍と新政府軍がせめぎ合う境界線だった。そして、最初は上野の山に帝大病院が作られるはずだったが、そこが公園として整備されることになって、代わりに帝大病院が置かれたのが谷(つまり谷中)を挟んだ向こう側にある本郷台だったのか。これまでは北が上にくる地図でしか把握していなかったけれど、谷中を挟んだ向こう側とこちら側という地図を、このあたりに住んで2年半になるけれど、初めて実感する。足の裏でそれを感じながら歩いているような気持ちになってくる。

 8時半に帰宅して、念入りに手洗いをする。ハイターを薄めて、手で触れる場所をふきんで拭く。コーヒーを淹れて、寝転がりながら読書。昼、近くの八百屋でお買い物。帰宅して手を洗って、買い物袋から食材を冷蔵庫にしまって手を洗って、一体何度手を洗っているのだろう。午後、ビックカメラのサイトでバリカンを物色する。ネットストアだけでなく、店頭にも在庫がなく、「お取り寄せ」と表示されているものが多かった。外出時間を減らせるようにと、有楽町店に電話をかけてみる。応対してくれたのは外国の方らしかった。

 バリカンで、Panasonicのもので、店頭に在庫があるものはありますかと尋ねる。しばらく保留音が流れたあとで、型番を教えてくれる。パソコンの画面には「バリカン Panasonic」で絞り込んだ商品が表示されているのだが、そこにはその型番は見当たらなかった。別のウィンドウを開き、型番で検索してみると、それはバリカンではなくボディトリマーだった。店員さんがストレスを感じないように、なるべく優しい物言いで、それはもしかして、ボディトリマーですかね、髪の毛をカットするやつだと在庫はないですかね、と尋ねる。

 Panasonicにこだわっていたわけではなく、なんとなく絞り込めるようにそう伝えていただけだったので、別のメーカーのバリカンを取り置きしてもらう。まだ雨が降っているけれど、やむ気配はないので、14時過ぎに再びアパートを出る。朝使ったマスクは捨ててしまったので、別のマスクをつけて出かける。1日に2枚もマスクを使うだなんて、なんて贅沢なことをしているのだろう。目の前を腰の曲がったお年寄りが歩いている。ゆっくりゆっくり歩く。右手に杖を持ち、左手にはビニール袋を提げている。透けるビニール袋に、氷結ストロングが4本入っているのが見えた。

 千駄木駅の入り口に立つ。手すりを挟んで、上りと下りとに区分けされているのだが、どちらが下りだったか、とっさにわからなかった。最後に地下鉄に乗ったのは、いつだっけ。前は意識せずとも下りの側を選んで駆け下りていた。せいぜい1ヶ月ぐらいだというのに、身体感覚から抜け落ちてしまっている。こういうことが、いろんなことを変えてしまう。改札にある窓口にはビニールカーテンが拵えてあった。千代田線はがらがらだったが、「ビックカメラ」(有楽町店)はそこそこ賑わっている。取り置きしてもらったのとは別のバリカンを購入する。

 レジで店員がタブレットを差し出す。お会計のあいだに、できるところまでで構いませんので、アンケートにお答えいただけますかと告げられる。タブレットの画面に触れることに少し抵抗をおぼえるが、入り口にアルコール消毒スプレーがあったことを思い出し、答える。店員の接客はいかがでしたかという項目に、「非常に良い」と答える。こんな時期に接客してくれているというのに、それ以外つけようがないだろう。ぼくは月に数度出かけるだけでもこんなに怯えてしまっているけれど、毎日のように店頭に立ち、こうしていつでも買い物できる状態を維持してくれている人たちがいる。それを美化するわけではないけれど、ウィルスに怯えて通販でぽちぽち買い物して、自分は家で過ごしながら荷物を受け取っていることを忘れないようにしておかなければと思う。

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 二重橋駅まで歩くことにする。馬場先門に出たところで、ふと思い出し、ZAZEN BOYSの「東京節」を聴く。こうしてお濠沿いを歩くと、よくこの曲を思い出して聴いている。2番に入ったあたりで、どういうわけか涙が出る。そこに歌われた「十二階」はもはやなく、「活動」も存在せず、「豆うる お婆さん」もいなくなってしまった。少なくとも「その」お婆さんはもういない。いずれみんなみんないなくなってしまう。2011年に、ZAZEN BOYSは突如としてこの曲をやった。その心持ちが、9年前よりもずっと、骨身に染みてわかったような気がした。以前、向井さんとトークをしたとき、街から消えてゆくものについて話したことがあった。

 消えゆくものについて向井さんは、「『諸行は無常である!』と言って、飲み屋で冷酒の一杯でも飲んでますよ。その一言で片付けようや。諸行は無常である」と語っていた。その「諸行は無常である!」という言葉に詰まっているものが、ようやくわかったような気がした。ふと気になって、2011年に向井さんが何歳だったのかと計算してみると、38歳を迎える年だ。ぼくも今年で38歳になる。別に「その年齢になったからわかるようになった」と思ったわけではないけれど、あのとき向井さんはこの年齢だったのだなと思いながら、もう一度「東京節」を再生する。

 アパートに戻ると、さっそくバリカンを取り出し、頭を刈る。最初に「坊主にしてしまおうか」と感じたのは、先月沖縄に滞在していたときだった。旅に出るとき、何を措いてもお風呂セットを持ち歩く。洗顔フォームと、体を洗うタオルと、シャンプーとリンスをそれぞれ小分けボトルに詰めたセットだ。それだけでわりと荷物が増えてしまう。別に髪型にこだわりがあるわけでもないのに、毎日のようにシャンプーとリンスをしているのは何だろうと、ふと疑問に思ってしまった。シャンプーとリンスのお金と、それに毎月のように出かけている美容院のお金だってそこそこの出費である。それらがなんとなく固まってしまい、頭を刈ることに決めたのだ。

 20代のある時期からずっと坊主だったが、30代に入った頃から髪をそれなりに生やしていた。最後に丸刈りにしたのは、下血して入院した頃だから、もう7年くらい前になる。久しぶりに坊主にすると、丸出しになったおでこに目がいく。鏡に映るおでこの質感が、「歳取ったなあ」と思わせてくる。

 今日は『news every.』を録画予約してあるので、16時頃になると自動的にチャンネルが日本テレビに切り替わる。最近はこの番組の言葉遣いが妙に引っかかる。明日の企画「R」に向けて、何か気になる言葉が出てきたときに文字に起こせるようにと、録画予約しておいたのだ。すると、18時台の特集コーナーで「木挽町辯松」の最後の一日を追ったドキュメントが流れ始める。今日の17時に閉店して、その日のうちに放送しているようだ。

 「木挽町辯松」が閉店する――そのニュースは数日前から見かけていた。新宿伊勢丹の地下でわざわざ買い求めて一緒に食べたこともあるので、「閉店だって!」と、知人も誰かのツイートをぼくに見せてきたこともある。いや、それは知ってるんだけど、あなた、「弁松」にも二種類あるの知ってる? もともと魚河岸は日本橋にあったんだけど、それが、なんだっけ、とにかく河岸が築地に移ることになったわけ。それで、「弁松」にも日本橋木挽町があるんだけど――と、坪内さんのことを思い出しながら語る。

 ただ、ぼくの中には「日本橋」と「木挽町」の微妙な違いに対する嗅覚は存在しないので、どっちがどっちだったのか思い出せなかった。ぼくはただ、そこに違いがあるのだということだけを記憶していた。『SPA!』の構成テキスト――つまり赤字が入るものだから、誌面に掲載されたものは微妙に違っているはず――をパソコンの中で検索して、「弁松」について語られた回を見つけ出し、読み返す。そうか、そうだったんだと思い返す。坪内さんが亡くなった数ヶ月後に、坪内さんが好きだったほうの「弁松」も消えたのだ。

坪内 歌舞伎座の前に、仕出し弁当の「弁松」があるでしょ。「弁松」には木挽町弁松と日本橋弁松とがあるじゃない? 東京の魚河岸はもともと日本橋にあって、そこに弁松もあったんだよね。それが関東大震災で魚河岸が築地に移ったんだけど――「木挽町弁松」は、魚河岸と一緒に移動した正統な店なのか、それともちゃっこいヤツが勝手に築地の近くで「弁松」を名乗って店を作っちゃったのか、いまだにわからないんだよね。お店の人に聞けばいいのかもしれないけど、怖くて聞けないんだよ。


福田 大丸の地下に入ってる弁松はどっちなの?


坪内 あれは日本橋。東横のれん街とかに入ってるのが木挽町。福田さんが好きなのは日本橋なんだけど、オレは木挽町のほうが好きなの。どっちも江戸前の仕出し弁当だから甘いんだけど、木挽町のほうがちょっと薄い。


福田 ようするに、昔で言うと二級酒に合う味だよね。


坪内 味が濃いから、日本橋のほうがさらに二級酒に合う。木挽町のは一級酒にも合うの。福田さんは下町育ちだから濃厚なのが合うけど、オレはちょっと山手だから。あと、木挽町のほうは下町では意外と売ってなくて、東横のれん街とか二子玉川とか、そういうところで売ってるんだよ。


福田 あれだけ味が濃ければ二子玉川まで運んでも腐らないでしょうね。わはは。

 

 

 19時過ぎに帰ってきた知人と晩酌しながら、『美食探偵』というドラマを観る。久しぶりに面白いドラマだ。ドラマの中で登場人物たちが青森で「のっけ丼」を平らげるシーンがある。バイキングのように海産物が並んでいて、自分好みの海鮮丼を作れるというもの。ぺちゃくちゃしゃべりながら刺身を丼にのっける登場人物たちを見て、「もう、こんとのこと出来んくなったね」と知人が言う。晩酌がひと段落して、台所で洗い物をやっていると、知人が困り顔でやってきて「誰ですか?」と、今更ながら僕の坊主頭を見つめている。