1月23日

 9時半に家を出て、千代田線で西日暮里に出て、京浜東北線に乗り換える。ホームの端っこのほうで電車を待っていると、ほとんどの停車位置に対して待っている人はゼロなのに、菓子パンをかじりながらやってきた人が僕の隣に並び始めてげんなりしてしまう。その乗客は、電車に乗り込むと椅子に座り、菓子パンを頬張り続け、完食するとマスクをつけたものの、足を組んで貧乏ゆすりをし続けていた。足を放り出すようにして貧乏ゆすりをする様を目の端で認識していると、「何をどうしたら、そんな姿勢で、貧乏ゆすりをし続けられるのか」と思ってしまう。その感情を細かく分析すると、そんなふうに過ごしている他者に対して、「度し難い」と思っているのだと思う。その感情は一体、どこからきた、どういう感情なのだろうかと考えさせられる。

 品川を過ぎたあたりで座席が空き始めたので座り、パソコンを広げて仕事をする。目的地に到着してみると、駅構内の崎陽軒売店にシャッターが下りている。そんな、今日は完全に崎陽軒のつもりだったのに。どうしようかと思いながら改札を出ると、改札の向かいに土産物屋が入っていることを思い出し、念のために覗いてみるとシウマイ弁当が1個だけ置かれていて、どうにか買っておくことができた。坂を上がり、10時55分にスタジオに辿り着く。今日はこれから鼎談を収録する。ただ、まだFさんの姿はなく、仕事でもしながら待っていようとパソコンを広げ、昨日構成したテキストをメールで送信しておこうと、Gmailを開く。昨日構成した鼎談と、今日これから収録する鼎談は同じシリーズ企画だ。そのやりとりに関するスレッドを開くと、パッと、今日収録する対談について記されたメールが表示される。そこには収録日は「24日と25日」とある。何気なくパソコン画面の右上に目をやると、「1月23日」と表記されている……。

 稽古場にはもう俳優の皆さんが集まり始めていたので、そこに上がり、「日にちを勘違いして……」と伝え、荷物の中からカメラだけ預かっておいてもらうことにする。すごすごと坂を下っていると、Fさんとばったり出くわす。事情を伝えると、「僕らも皆で食べようと思ってシウマイ弁当買ってきたんで、一緒に食べていきませんか」と誘われる。再びスタジオに引き返すと、稽古場に入る前にと、抗原検査キットを渡される。他の皆は稽古場の中で検査をしているけれど、自分は部外者なので気が引けて、稽古場の外で検査をしておく。

 陰性という結果が出たあと、お弁当を食べる時間を待とうと、1階のロビーでパソコンを広げ、仕事を続ける。30分ぐらい経ったところで、Fさんが降りてきて、「ちょっと今、抗原検査で陽性と出てしまった人がふたりいて」と説明される。2階に上がってみると、マスク越しにも憔悴しているとわかるふたりがそこにいた。当日のうちに結果が出るPCR検査を受けにいくというふたりを見送り、入れ替わるように稽古場に入る。作品に関連して、島の話をしばらく皆と話す。

 15時頃にスタジオをあとにして、日暮里まで帰ってくる。やなか銀座の「E本店」は大盛況で、皆マスクを外して楽しそうに酒を飲み交わしている。僕は通りの反対側、電柱の影に佇んで生ビールを飲み干して、帰途につく。家に帰ってからはずっと、オミクロン株について改めて調べる。人に感染させるようになるまで、平均で2日ほど。症状が出るまで、平均で3日ほど。ということは、もしも今日感染していたとしても、今日のうちに誰かに感染させる可能性はかなり低いはずだ。だから、今晩知人が帰ってくるけれど、明日の朝まではまだ大丈夫だろう。

 そもそも「濃厚接触者」と認定される距離では誰とも接していないけれど、オミクロンは感染力が強いのだとして、今日のかかわりぐらいで感染していたら、いよいよよっぽどだろうなと思う。ほとんど同じ空間には滞在していなかったのだから、リスクはかなり低いだろう。ただ、それでも感染してしまうほど、オミクロン株は強力だ、ということは否定できない気がする。

 知人にLINEで事情を説明して、僕がホテルで隔離されるのがよいか、それとも知人がホテルで隔離されるのでも問題がないか、確認する。周囲に感染させるリスクを減らすためには、知人がホテル生活を苦痛に感じなければ、知人にホテルで過ごしてもらったほうがよいだろう。「特に苦ではない」と返事があったので、自宅近くのホテルのうち、しっかり作業できるテーブルがありそうなホテルを探しておく。23時過ぎになって、ふたりとも陰性だったと連絡が届く。