4月22日

 9時過ぎにアパートを出て、千代田線に乗る。他の乗客と肘が触れるほどの混雑で、どうしてこんな時間の電車に乗らされているんだろうかと少し腹立たしくなる。車内は湿度が高いのかゴーグルが曇る。乗り換えた都営新宿線はガラ空きだった。9時50分ごろに森下駅に到着し、稽古場に向かう。そこにはもうAさんがいて、稽古場の扉を開け放ち、空気を入れ替えている。ほどなくしてFさんもやってきて、FさんとKさんの対談を収録。1時間きっちりで収録を終えて、Kさんを見送ったあと、FさんとAさん、そして制作のふたりと小部屋に移動する。Aさんが窓という窓を開けている。緊急事態宣言が出るであろうなか、5月に予定している公演がどうなるのか、説明を受ける。まだ決定しているわけではないけれど、これまでのときと同じように、政府が決めたから公演中止というふうには考えたくなくて、上演するにしても中止するにしても自分の中で納得のいく形にしたい、とFさんが言う。中止になるかもという不透明な状況の中で作り続けるのはほんとうにしんどい、と。橋本さんはどう思うかと尋ねられたので、個人的には緊急事態宣言が出ようが出まいが、感染症対策をどこまで施せるかでしかないと思っていると答える(それは公演をおこなう側の観点としての話ではなく、公演を観に行ったり、どこかに出かけたりする側の観点として)。今日の朝まで、絶対公演なんてできないんじゃないかと思ってたけど、橋本さんの話を聞いてたらできるんじゃないかって気がしてきた、とAさんが言う。

 アパートに戻り、テープ起こしに取りかかる。昨日のうちに終えるつもりだったテープ起こし、腹を下していた影響でまったく手をつけられなかったので、仕事が滞っている。16時半に仕事を切り上げて、本駒込から南北線に乗り、市ヶ谷で都営新宿線に乗り換える。人身事故の影響でダイヤが乱れているようだ。数分待ってやってきた電車は、駅に到着するたび、運転間隔調整のためにとしばらく停車したままでいる。「なんで笹塚なんて人が多いとこで飛び込むんだろ」。高校生の女子が言う。「最後に人気者になりたかったんじゃないの」と隣の男子が言う。思わず振り返り、じっと見る。頭の中をいくつか言葉が駆け巡るも、ふたりの姿をただ見ていた。新宿三丁目で電車を降りて、無印良品ビックカメラで買い物をして、新宿駅に急ぐ。

 改札をくぐり、山手線のホームに向かうと、ここも人身事故の影響で止まっている。これはいかんとすぐに改札を抜け、タクシーを拾って「渋谷まで」と伝える。Googleマップで検索すると、o-eastに到着できるのは17時58分と開演ギリギリだ。明治通りは渋滞しているようで、赤く表示されている。明治通りをまっすぐ進むより、北参道から参宮橋方面に向かったほうが渋滞を回避できるとGoogleマップが言う。運転手さんが「明治通りをまっすぐでよろしいですか」と聞いてくれたので、あの、参宮橋のほうを経由してもらえますかと伝えておく。パソコンを広げて仕事をしていると、「あ、参宮橋だと、今の交差点で右でしたね」と運転手さんが言う。引き返すわけにもいかないので、再度Googleマップを確認する。それでも明治通りを直進するより、原宿駅から代々木公園のあいだの道を抜けたほうが早いと常時されている。「最終的にBunkamuraのあたりに行きたいんですけど、明治通りから渋谷駅前を経由すると混みそうなので、NHKのほうから向かってもらえますか」と伝える。しばらく進み、原宿駅を過ぎたあたりで、「えっと、ファイアー通りからでいいですか」と尋ねられる。さきほど伝えたのはそのルートではないけれど、運転手さんが知っている道を進んでもらったほうが間違いないだろうと、そのルートでいいですと答える。またしばらくパソコンで仕事をしていると、「すみません、ここ右折できませんでしたね」と言う。顔を上げるとスクランブル交差点で、ここは24時間右折禁止だ。交差点を通り過ぎて、バスターミナルのあたりでタクシーは停まり、運転手がメーターを止める。なにやらナビを操作している。「もう、こちらのミスですから、お代はここまでのぶんで構いませんので、ちょっとUターンする道を探しますね」と運転手が言う。時刻は17時56分、開演は4分後だ。今の状況を鑑みると、定刻通りにライブは始まるだろう。いやもうここでいいんでおろしてくださいと伝えて、渋谷の街を走る。ほんまに何してくれとんねん、となぜだか関西弁が浮かんでくる。ほんまに、何してくれとんねん!

 会場にたどり着いたのは18時4分だった。受付で連絡先などアンケートに記入し、消毒して検温を受け、ドリンク代を払う。中からはもうギターの音と歌声が聴こえてくる。今日は向井秀徳アコースティック&エレクトリックのライブだ。向井さんがステージに立つのは、1年以上ぶりのことだ。その久方ぶりのライブに無事当選し、チケットを発券してみると、なんと最前列の13番だった。ほぼ中央の席である。バーカウンターでチケットを缶ビールと交換し、いそいそと席に向かう。あれは何曲演奏したあとだったか、「会場で演奏するのはお久方ぶりぶりなんですけど」と、話を始めた。酔っ払って興が乗るのでもなしに(珍しくお酒を飲んでいなかった)、あんなに長く話す場面はパッと思い出せないので、とても印象的だった。

「2020年、わたくしは何をやっていたかと申しますと、何もやってないんですね」。ぽつりぽつりと語り出す。ステージ上での語り口と、普段の語り口の中間のような感じだった。助詞や語尾の揺れをいつも以上に感じる。「そういった期間の中に、ずーっと地下室にいるわけだ」と語りつつ、その期間にギターの練習とか曲作りをすればいいのに、まったくせず、軽くギターを拭いたくらいだった、と続ける。この一年、どんなふうに過ごしているのかまったくわからなかったけれど、そんな状態だったのかと、あらためて驚く。「構えた銃口の先に誰かターゲットがいないと、まったくやる気が出ない」「ひとりで地下室で、静かなる内部爆発を繰り返しながら、気づいたら腐乱死体となって発見されるみたいな、そういう状況」。向井秀徳的な語りといえば語りで、会場からは笑いも漏れていたけれど、その言葉の重さに固唾を飲む。

「山小屋にこもって、誰にも見せることなくカラスの絵を描き続ける、そういう芸術家を純粋芸術家と呼んでいるんですけども、私はそういうタイプじゃまったくないと、はっきり気づきました」。自分は評価をされたい、フィードバックが欲しい、コミュニケーションしたい、ひとりで完結できない、と。MATSURI STUDIOの地下室における時間が「静かなる内部爆発」だとすれば、昨日の時間は騒々しい外部爆発だったのか、いや、騒々しいという言葉も似つかわしくないのだけれども、観客を前に久方ぶりに演奏しながら、自分があがる瞬間をどこか確かめるように、歌っているように見えた。終演後はスタッフの指示に従って、後ろの列から順番に誘導される。渋谷の街に出ると、あちこちで酒を飲んでいる人たちの姿を見かけた。これが話題になっていた路上飲酒か。路上飲酒が批判されていると知ったときは、なんでそんなことを批判されなきゃならんのかと思っていたけれど、これはぼくが思い描く路上飲酒ではないなと思いながら、マスクを外した集団を遠ざけるように歩き、渋谷駅へと急ぐ。