8月10日

 6時頃目を覚ます。朝はトーストと、茹で玉子2個。朝から原稿を書く。終わりが見えてきてホッとしている。昼は納豆オクラ豆腐入りそば(冷)。明日のうちにラストまで書けたらいいなと思っていたのに、その気になれば今日のうちに書き終わってしまいそうだ。ただ、もう少しじっくり書いたほうがいいのはわかっている。今日は朝からずっと、迷っている。横浜までライブを観に行くかどうか。朝の情報番組で、昨日の新規感染者は横浜市だけで1139人と過去最多を記録したと報じていたのもあるし、今の感染状況でライブを観に行くのは不安だ。人口10万人あたりだと何人になるのか計算してみて、東京23区のいくつかでも同じ計算をやってみたけれど、それで何がわかるというわけでも当然ながらなかった。

 自宅から会場まで、片道1時間以上はかかる。帰ってくるのは22時近くになってしまって、知人と酒を飲みながらテレビを観る時間が減ってしまう。それに、まわりの観客がどんなふうに過ごしているか、過敏になってしまうのは目に見えている。7月7日のライブで、開演前に談笑している人があまりにも多かったことは、かなりの不安材料だ。ここ数ヶ月、広島、金沢、倉敷と同じ人のライブを観てきたけれど、地方だとどこも開演前は緊張感に満ちていたのに、一番感染が拡大しているはずの東京が一番緩く、マスクをずらして会話する人さえいた。そのことを考えただけで憂鬱になる。ただ、それでライブに行かない選択をするのか。知人は仕事が溜まっていて、そんなに早くは帰ってこないというし、どうしようかと悩んだ挙句、16時50分に手ぶらで出かける。ぼんやりしていたせいで、一つ手前の二重橋前駅で降りてしまって、東京駅を目指す。行幸地下通路は、ワクチン接種の何かで閉鎖されていて、地上に出て歩く。東京駅ではがら空きだった京浜東北線は、次第に混み始める。これ以上混んだら乗っていられないなと思ったところで大井町駅にたどり着き、ほとんどの乗客が降りていく。

 18時過ぎに関内駅に到着。開演時刻は19時だ。開演まで客席で過ごすというのはコロナ以前から苦手だった(話の内容に耳をそばだて、心の中で反応してしまう)けれど、ますます苦手になっているので、街をゆるゆる散策する。あかりの灯っている赤提灯があり、中を覗くとマスクを外して酒を飲み交わしている人たちの姿が見えて、ひ、と声が上がりそうになる。たとえ緊急事態宣言中であろうとも、酒を飲むのは誰からも咎められることではないと思っているけど、マスクを外して過ごして談笑するというのはどういうことなんだろうと。ほんとにずっと不思議だ。自分が感染すること、誰かに感染させてしまうこと、おそろしくないのだろうか。これだけ感染者が増えていても、変異株の感染力がこれだけ喧伝されても、「自分はかからない」と思えているのだろうか。コンビニでサッポロのロング缶と、一番だしおむすびわさびめしというのを買って、象の鼻パークに出る。わりと空いている。夕暮れ時の海を眺めながら、わさびめしを頬張る。思ったよりツンとくる。

 マスクを付けたり外したりしながらビールを飲んで、18時56分に関内ホールにたどり着く。席に座ってみると、7月7日は何だったのかと言いたくなるほど、ほとんどの観客は押し黙ったまま開演を待っている。会話する人も、短く囁くように話すだけだ。19時過ぎ、カネコアヤノ単独演奏会が開演する。弾き語り。迷いに迷っていたけれど、きてよかったなと開演直後に思う。音源を聴くのもいいけれど、今この舞台に立っている人は同じ時代に生きていて、どんな情報に触れているか、何を感じているかは人それぞれ違うにしても、この8月の東京を生きている。そんな人が歌い上げる姿に触れていると、湧き上がってくるものがある。中盤で演奏された、「光の方へ」から「閃きは彼方」が素晴らしく、今日はもう満ち足りた気持ちになったのと、演奏に刺激を受けて頭の中で原稿を考え始めてしまったので、ここで会場をあとにする。時刻は20時過ぎだ。iPhoneのメモに原稿を打ち込みながら、京浜東北線で引き返す。