1月7日

 7時過ぎに目を覚ます。雪がまだまだ残っている。昨日買い物に出かけたとき、七草を買っておいたので、ネットのレシピを頼りに七草粥を作ってみる(実家ではお雑煮を食べる習慣もなければ七草粥を食べる習慣もなかった)。2人前のレシピで、ごはんは150グラムと書かれていたけれど、いやーそれじゃ足りないでしょうと冷凍してあったごはんを2パック解凍し、調理する。出来上がった七草粥はかなりのボリュームで、知人と二人がかりでも半分しか食べられなかった。つまり、レシピは正しかった。

 コーヒーを淹れようとしたところで、豆を切らしていることに気づく。今日は文芸誌の発売日ということもあり、買い物に出る。まだ雪が残っているところもあり、つるつるしたところを避けて、がりがりした場所を選び、よたよたと歩く。雪かきをしている人を見かける。個人の家でも、雪かき用の道具を(それも年に一度降るかどうかという東京で)常備している家があることに驚く。『往来堂書店』に立ち寄り、『新潮』と『文學界』を買って、コーヒー豆を買って帰る。不忍通りはすっかり雪が溶けている。団子坂も、ほとんど雪が消えていた。ただ、一部に残っている場所もある。日光で溶けたのではなく、雪かきをしたところはもう雪が消えていて、雪かきをしていないところは残っているのだろう。電線から水滴が落ちてくるのに(それによって雑誌が濡れることに)警戒しながら、家にたどり着く。

 お昼ごはんの前に、まずは『文學界』に掲載されている平民金子「めしとまち」を読む。文章の底に流れるかわいた境地にしびれる。「私はそんなことで喜ぶのはおそろしいことだと思った」という言葉を読んだ余韻にしばらく浸り、次に『新潮』を開く。こちらは岡田利規ブロッコリー・レボリューション」をめあてに買ったのだけれども、それはすぐには読み切れそうにないので、「特別原稿」という不思議な言葉とともに掲載されている村田沙耶香「平凡な殺意」を読む。その言葉を綴るまでの時間と感情の渦が漏れ伝わってくるようで、何度か雑誌を閉じて、しばらくぼんやりして、また読み進める。殺意ということについて、それが自身に向かうものであれ他人に向かうものであれ、この文章を前にすると、ほとんど考えたことがなかったと思い知らされる。

 昼は七草粥の残りと、昨日の鍋の残りを平らげる。15時、K社の担当編集者・Hさんと電話。プロモーションに向けた相談をする。刊行記念でトークイベントをあちこちで開催したいと思っていたけれど、やはりこの状況下では難しいだろうという話になる。小一時間ほどあれこれ話したあと、そういえば『東京の古本屋』に反応してくださっていた書店をリストにまとめておこうと思い立ち、Twitterを遡る。僕の中では『東京の古本屋』と『水納島再訪』は、取材している土地は東京と沖縄で違っているけれど、やっていることはそんなに遠いという感覚がなく、だから2冊とも同じ方に装丁をお願いしている。この2冊を合わせて読んでもらうと、自分の書いている文章をノンフィクションとして受け取ってもらえるのではないかと期待している(これまではノンフィクションの棚に並べてもらえないことも少なくなかった)。

 夕方頃になって、沖縄の新規感染者数が1414人だと知る。あまりの数字にぼんやりしてしまって、いよいよ、と思う。岩国基地がある山口県と、岩国と隣接する広島県でも感染者数が激増している。日本は敗戦国なのだということを、戦後77年目を迎えた今でも感じさせられる(もちろん、コロナがなくたって、沖縄の人たちは毎日のようにそれを感じざるを得ない状況に置かれているのだけれど)。TBSの夕方の情報番組では、出演する医師に対し、「コロナを五類に引き下げるというのはどうか?」とキャスターが尋ねている。「今は感染者数を減らす必要がある、もし五類に落とせばあっという間に感染が拡大する」と、一蹴されている。この番組は、ここ最近ずっと、16時45分に東京の新規感染者数を発表するたびに、警戒すべき感染症はコロナだけではない、感染者数がゼロになることはないのだから冷静に経済活動を再開していかなければと、毎日のように語っていた。その立場で発信してきたのに、今日はその言葉を繰り返さなかった。